11 束の間の穏やかさ
翼の国での時間は穏やかに過ぎていた。治療に専念していいと言われていたサマンサも、この穏やかな空気はとても安心できるものだった。
自分が翼の国の姫であるとは到底信じられないし、きっと何かの間違いで、勘違いだと思っていたわけだが、自分から進んで、翼の国の姫であると言ったわけではない。
姫君でなくても、相手側の調査不足の勘違いと言う事になるので、サマンサの側に非があるとは言えなくなるのだ。
ロイはそういった事くらいは、理解できていそうな、話の通じる人のように思えたので、サマンサは落ち着けたと言ってもいい。
これで、話を聞かない、大国の王子ジョゼフィンの様に、こちらの話を全く聞く事無く、死刑一歩手前の厳罰を下す、と言う相手だったならば、速やかにサマンサも、自分ではないと主張しただろう。
しかし、ここで問題になってくるのは、サマンサがサマンサである証拠もはっきりとは存在していないが、姫ではないと言う証拠も存在していないという、面倒くさい事実だった。
サマンサが、サマンサ・オズ・ルイン男爵令嬢だという証拠すら、現時点では明確に存在しているわけではなく、そして鉱山でサマンサは死んだという事になっているのだ。
サミュアと入れ替わった結果である。
そのため、自分がサミュアではなくてサマンサだと、信じてもらえる方が実は、難しいのだ。ロイは何故か、サマンサがサミュアではなくて、本物のサマンサだという確証がある様子だったが、それだってひっくり返そうと思えば、ひっくり返せる現実があるわけだった。
「まだ顔の包帯をとれませんね」
サマンサが毎日を、ゆっくりと回復に向かって進んでいたある日、その日も診療にきた医師がそういった。
それに、今日もサマンサのお見舞いに来ていたドナートやミシュアが頷く。
「翼の国の出身ならば、火傷にしろ傷にしろ、治りが他国の人間よりも比較的早いはずなんですが……やはり過酷な環境に身を置いていた結果でしょうね。そういった場所に暮らしていた結果、回復が遅れるという話はたくさんありますから」
医者は診療の結果を締めくくろうとしたのだが、そこでドナートが口を開いた。
「あの、これ位の速度でしたら、私の出身の国では経過が順調だと言われるのですが」
「おや、基準が違うんですね。翼の国の住人以外は、皆そうなのでしょうか」
ドナートの言葉に、医者が興味深いという口調で返す。他国の医術に興味がある事は、おかしな話ではなかった。
「私達はこういった状態の人を治療する事を専門としているのですが、その私達から見て、サマンサさんは順調に回復しているのです。……こちらではどうなのかは、診た事がないため、なんとも言いがたいのですが」
「いえいえ、ありがたい話ではあります。あなた方の話もじっくりと聞かせていただきたいですね。この後、お時間が空いてましたら、こちらに来ていただけますか」
「もちろんです。こちらの医術も興味深いですし」
そういうやりとりをしている間も、サマンサは内心では
やはり自分は、翼の国の誰かの血を引いてはいないのであろう、と推測した。
翼の国の姫ならばきっと、もうかなり治っているのだろう。
そうでないならば、自分は間違いなく、翼の国のお姫様ではないに違いなかった。
後は声が出るようになった時に、その事をすぐさまロイに伝えるまでだ。
顔が治れば、否応なく人違いだとわかるだろう。
そんな騒ぎになる前から、違うのだと主張していれば、こちらが被る被害はきっと少なくなる。
サマンサはなかなかにお人好しの生き方をしていたが、鉱山での生活や、その前の男爵家での冷遇の結果、少し冷めた考えで物事を見る事も出来ていたのだった。
「ロイ様、私は確かに、サマンサ・オズ・ルインでした。ですが、それ故に翼の国のお姫様ではありません。皆様、誰かと取り違えていらっしゃいます」
声が出るようになったのはさらに一週間後で、ようやく話せるようになったサマンサは、その知らせを聞いてやってきたロイに、そう訴えた。
「何を言うんですか。あなたが翼の国の王の娘でないなど、あり得ない。私も私の部下も、あなたとあの鉱山で出会って、足の手当てをしてもらい、その顔を見て、あなただと確信できたというのに」
「今までは声も出せませんでしたから、否定のしようがありませんでした。今は声が出せますので、あなたと出会った事も、あなたの部下と出会った事も、ましてあなたの足の手当をした記憶も、一切ないのです」
「そんな馬鹿な話があるわけがないでしょう。手当てをしたあなたに、お礼を言い、名前を聞いた時に、サマンサ・オズ・ルインだとはっきり名乗られたのですから」
「誰かに名乗った覚えもありません。鉱山で、誰かに名前を聞かれた時には、父から絶縁された事実もありますから、ただ、サマンサと名乗っていました」
「鉱山で、あまりにも酷な事ばかり行っていたので、記憶が混濁しているのでしょう。大丈夫ですよ、あなたで間違いが無いのですから」
行き違いがあるのは間違いなかった。ロイの方は、内心で何を考えているのかは読めなかったが、サマンサがそうであるといい、治療の途中で疲れているのでしょう、と早々と病室を後にしたのだった。
「……これでとりあえず、否定をしたという事実は残りましたね」
なりすましていない、人違いだと主張し続けている、と言う事実は残るだろう。サマンサはもしもの時のために、とロイがいる間は見守っていた看護師達が、ロイが出て行った事でおのおのの仕事をしに行くために、持ち場に戻っていくのを確認した。
なりすましていたと言われた時に、この看護師達を巻き込める。違うのだと否定していたという事を、証明してくれる人は一人くらいはいるはずだ。
「一体誰が、私の名前を名乗ったのでしょう」
サミュアが名乗ったのだろうか。だがサミュアはあっと言う間に体を壊して倒れてしまった。それに、あの子はロイのような珍しい見た目の人と出会っていたら、サマンサに話していたと思うのだ。
それもなかったという事は、サミュアでも無い誰かが、サマンサだと偽ったと言う事になるそんな事をしても意味が無いはずなのに、誰がそんな嘘をついたのだろうか。
サマンサは目を閉じた。答えはどうにも、サマンサの手持ちの情報では見つけられなかった。




