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八、おはじき

 手を伸ばし、触れる。ひんやり冷たい感触。大きな水碧色のおはじき。

 それを持ち込んだのは、もうだいぶ高齢の老人だった。

「戦時中、兄とよく一緒に遊んだのです」

「お兄様は」

「徴兵されて。帰りませんでした。私は、運良く戻りましたが」

 老人はそれ以上を語らない。悲しいことの多くあった時代だ。

 瑠香は、丸いおはじきを口に運んだ。


 はりん


 咽喉に流れ入る涼やか。

 幼い坊主頭の男の子二人が、笑い合いながら遊んでいる。家の裏庭らしい。

 時は流れ、出征する青年の姿が浮かぶ。おはじきを、兄は弟にそっと手渡した。優しい愛情。遣る瀬無い感情が溢れている。必ず帰るとも言わず、兄は戦地へ赴き、そして、そのまま。

「お兄様と、貴方の仲睦まじい記憶が。……お兄様は、貴方に、このおはじきと共に生を託されたのです」

 老人が俯いた。肩が震える。

 もう夜なのに、空気は熱を孕んでいる。桂が冷えた緑茶を座卓に置いた。座卓の下には猫が二匹、丸くなっている。細かい紫紺の切れ切れが、宙に散乱したような夜だ。密度が濃い。老人は、黄色いビー玉を瑠香に手渡した。そ、と瑠香が目を伏せる。

「どうぞ、お茶をお飲みください」

「有り難うございます。いただきます」

 老人は、こくこくと緑茶を飲んだ。飲み終わった目はもう潤んでいない。

「兄には一人、子がおりまして。私が、義姉を手伝いながら育てました。大きくなって。今では家庭を持っています」

 私は癌でしてね、と告げた老人の目は、瑠香が食んだおはじきと同じくらいに澄んでいた。

「お嬢さんのお蔭で、兄との再会が、より楽しみになりました」

 しわくちゃの笑顔には何のてらいもなく、ゆえにこそ、見る者の胸に迫る。


 老人を見送った後、瑠香が客間に戻ると、猫の一匹が座卓の下から這い出て、うんと伸びをしていた。瑠香の唇に微笑が浮かぶ。桂が、皿を持って来た。小さなサンドイッチが四つ置かれている。

「疲れただろう。夜食につまむと良い。牛乳もあるよ」

「有り難う、桂」

 茣蓙に座り、サンドイッチの一切れを手にする。ハムとチーズ、レタスが入っている。猫が、そんな瑠香の身体に身体を擦りつけた。

「駄目よ、源九郎(げんくろう)。お前には身体に良くないから」

 人語を解した訳でもないだろうが、源九郎と呼ばれたはちわれの猫は切なそうににゃあと鳴いた。

 サンドイッチを一切れ食べて、牛乳を飲む。

「……」

「瑠香」

「記憶に引きずられてる。辛くて。あの人のお兄さん、自分が死ぬって解ってた」

 桂は手の甲で、瑠香の頬を撫でた。それから立ち上がり、縁側の硝子戸などを閉めると冷房を入れる。硝子を食み、その硝子にまつわる記憶を読み解くのは硝子屋だけの特権だ。言い換えると、負担もまた硝子屋だけのもので、孤立してしまいかねない。

「僕がいるから。瑠香を独りにはしない」

「うん。知っているよ」

 座卓の下から、黒猫も這い出て来て、しきりに鳴いて瑠香のサンドイッチをねだった。



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