六、断らない人
「お皿が割れちゃったの」
泣きながら小さな女の子が持って来たのは、満月に似た琥珀色の、丸い硝子皿だった。見事に真っ二つになっている。瑠香はその子の頭を撫でる。じわじわと蝉の鳴く、暑い夏の昼下がりだった。
「亡くなったおじいちゃんとおばあちゃんが使ってた、大切なお皿だったのに」
瑠香はふと微笑んだ。
「お二人は貴方を怒ったりしていない」
「本当に?」
「ええ。それを貸して」
はりん
琥珀色の硝子を、瑠香は食んだ。溢れたのは祖父母の、孫娘への濃やかな情愛。女の子の身体が、ふわりと膜のようなもので包まれる。それは愛情の結露だった。言葉よりも雄弁に、女の子は認識した。ありがとう、と言って、彼女はピンク色と青いビー玉を瑠香に渡して帰った。帰る時の足取りは、来た時とは正反対に軽やかだった。強い日光が濃い影を生んでいる。家屋の中にいると陽射しから逃れることが出来る。桂が出汁で割った、冷えた豆乳を持って来てくれる。甘くしょっぱく濃厚でありながら淡い味わいを、硝子を呑んだばかりの咽喉が喜び迎え入れる。
「そう言えば、縁側の柱に蝉の抜け殻があった」
「へえ。季節ものね」
「それと、夜、依頼が入っているよ。予約客」
「今日は多いね」
「と言っても二件だけど。帯留めの硝子細工らしい」
「食むのが勿体なくなりそう」
「うん。でも、先方のご意向だから」
もたれた揺り椅子を軽く動かしながら、瑠香は豆乳の残りをくぴりくぴりと飲む。暑いので冷房を入れようかとも考えるが、縁側の風情が消えてしまうのは如何にも惜しい。縁側を覆う屋根は深く、黒々とした影を作ってくれている。庭に、雀が数羽、たむろしている。
ピチュピチュと鳴くのはヒヨドリだろう。庭の樹のいずれかに留まっているのかもしれない。まったりとした午後の時間が過ぎていく。夕食はもう下拵えしてあるので、焦る必要もない。近くの合歓の木の花が今、盛りだと聴いた。散歩がてら、桂と一緒に観に行くのも良い。桂は手を繋いで行ってくれるだろうか。そう考えながら、桂の通った鼻筋を盗み見る。空になったコップを、桂が引き取ってくれる時、彼の着物の袖を摘まんだ。
「ん?」
「後で、合歓の木の花、観に行かない?」
「良いよ」
優しい笑顔で請け負われる。知っていた。桂は、瑠香の言うことなら大抵のことは聴いてくれる。柔和な光の宿る双眸を見ながら、安心すると同時に、その柔和を搔き乱したい衝動も湧き、瑠香は自分を持て余した。




