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五、笹百合

 空気が甘い。初夏の夜の空気は水分が多くて甘やかだ。瑠香は縁側の揺り椅子に腰かけて黒糖梅酒を飲んでいた。梅酒には氷が二つ。座卓に着いた桂も、同様に飲んでいる。酔い戯れて何かしたい悪戯心に囚われる。酒は罪だ。そのように酒のせいにする。夜の天蓋を見ると細い月が移ろっている。瑠香が目を擦った。

「眠い?」

「少し」

「寝たら?」

「うん……」

 答えながら、瑠香は中々、動こうとしない。この宵を味わわないのは、如何にも勿体ないことと思われた。桂はそれを承知しているのか、微苦笑を浮かべただけで、それ以上は何も言わない。御影石の上を球がコロコロ転がるように、この夜もまた、自我を開放して飛ぶのに相応しい夜だ。聴こえもしないのに、夜に活動する猫の足音が感じられるから不思議である。瑠香は小さく、昔に聞いた歌を口ずさむ。小さな旋律が夜風に乗って、時折には風鈴の合いの手を入れながら流れる。桂に憎まれていないという事実が、寧ろ想われているという事実が、こんな夜には瑠香を有頂天にさせる。揺り椅子から立ち上がり、グラスを置くと、床の間に活けた笹百合に手を伸べた。これもまた甘い芳香を放っている。

山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだ花ね」

「そうなの?」

「うん。後、奈良中心部にある(いさ)(がわ)神社は『古事記』にも登場する、由緒ある神社なのだけど、毎年六月七日に行われる祭りが俗にゆりまつり、とも呼ばれているの。無病息災を祈願する例祭で、三輪山で摘んだ笹百合が酒樽一杯に入れて飾られ、神前にお供えされる。そして四人の巫女が笹百合を手に持って優美な百合の舞いを奉納する……」

「綺麗だろうね。詳しいな、瑠香は」

「おばあちゃんの受け売り」

 言ってから、瑠香は小さく欠伸した。

「やっぱり眠いんじゃないか」

「…………」

「ここに布団を敷いて寝ようか」

 桂の提案は、童心に帰るようにわくわくするものだった。瑠香は、うん、と頷く。二人でそれぞれの部屋から布団を持って来て、少し離して敷く。この距離感は大事だ。横になると天井の木目が見え、虫の音が耳についた。涼しい、甘い匂いはまだ漂う。笹百合と夜の匂いが相まって、とても清涼な空気が満ちている。

「笹百合の花言葉は清浄、だっけ」

「上品、純潔、もあるよ。でも意外」

「何が?」

「桂がそんなこと知ってるなんて」

「……」

 気まずい沈黙が訪れる。そうか。前の彼女から聴いたのか。瑠香は一つ、息を吐いて目を閉じた。嫉妬を感じないと言えば嘘になるが、今の桂の心の在処は誰よりも知っている積もりだ。だから今はこの、妙なる匂いに免じて全て許容してしまおう。まだ子供だった頃の話などしながら、二人はいつの間にか眠りに就いていた。




『万葉の花 四季の花々と歌に親しむ』を参照。

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