四、祠とペン
梅雨の晴れ間、瑠香はビー玉の一部を裏庭の祠に捧げた。苔むした祠には、黒く大きな蟻が何匹か這っていた。このようにすると、次の日には客間の座卓に報酬としての少なくない額が置かれている。この硝子屋の不思議の絡繰りがどうなっているのか、亡くなった祖母は教えてくれなかった。祠から遠ざかると、じゃりじゃりとサンダルの底が歌う。影に湿った裏庭の、苔混じりの土は薄暗い。客間に回り込んで縁側に上がる。桂が昼食の準備をしていた。太陽は高い位置にある。じゅわあ、という音から、桂特製の出汁巻き卵が作られていると推察出来る。瑠香はテーブルに皿や椀などを並べ、自分は包丁とまな板を取り出してトマトを切った。熟したトマトは、そのままかぶりつきたくなる色鮮やかさだ。冷凍していた炊き込みご飯を温める。塩鮭と大根、薄揚げの炊き込みご飯だ。桂の好物でもあるから、瑠香は多めにこれを作っておいた。やがて食卓が整い、二人、席に着く。いただきます、と言って食べる。一緒に食事するという行為が、他愛ないのに嬉しい。りんりん、と風鈴が鳴る。足元の状態が良い、こんな日は、きっとお客が来るだろう。白いシャツブラウスに紺のスラックスは失礼には当たるまいと、瑠香は考えている。桂は今日も群青の着物を着て、それがよく似合っている。食べ終わると食器を片付け、瑠香は客間の茣蓙の上に座った。満腹なのも手伝い、睡魔に襲われる。はっ、と気づくと、横になっていた。タオルケットがかけられてある。桂だろう。
「瑠香。お客さんだよ」
桂の声に背筋が伸びる。急いでタオルケットを畳んで片付ける。客間に入って来たのは、まだ幼いと言って良いような少年だった。右手に優美な硝子ペンを持っている。それを、差し出された。瑠香はその硝子ペンを損なうのが惜しい気がしたが、依頼では仕方ない。受け取り、食んだ。
はりん
咽喉を流動の硝子が伝い落ちる。少年と、少女の記憶。初々しい恋心。遠く離れた今も、彼女は彼を想っている。瑠香がそう告げると、少年は目に見えて嬉しそうに安堵した顔を見せた。お代のビー玉は、深い森の緑色だった。夏の長い一日が終わろうとしている。思ったより長く寝ていたらしい。浴室に行き、檜の浴槽を洗う。湯が溜まったら、桂に先を譲る積もりだ。桂はこの家で暮らし始めて、何くれとなく瑠香に気を遣っている。たまには一番風呂で寛いで欲しい。瑠香は一つ、大きく伸びをすると、台所に行って冷蔵庫を開け、夕飯の食材になりそうなものを数えた。買い出しが必要かもしれない。
「桂。買い物に行こうと思うんだけど」
「それなら僕も行くよ。男手があったほうが良いだろう?」
桂の申し出を、瑠香は有り難く受けることにした。
外は郷愁誘う黄昏時。瑠香の手に、桂の手が触れ、握り締められる。自分の逸る鼓動が聴こえないかと、瑠香は心配しつつも、心には喜びがあった。美しい色合いの朝鮮朝顔が咲き乱れて、民家の石塀に繁茂している。