一、嘘吐き
はりん
瑠香が硝子を食めば、儚い音を立てて細かな硝子片が咽喉を通る。口に入る時には流動しているので傷はない。硝子屋を祖母から引き継いで、三年になる。瑠香が硝子を食めば、その硝子に関する記憶を見ることが出来る。殊に今日のような夏の宵は記憶を見やすい。瑠香は、今、食んだ藍色の硝子から、幼子と、それを育てる若い母親の記憶を見た。
「それ、きっと私と母です」
瑠香が語るのを聴いて、涙ぐみながら女性が言う。幼くして死に別れたのだそうだ。女性は瑠香に礼を言うと、対価であるビー玉を差し出した。瑠香はそれを受け取る。日本家屋の薄暗い玄関まで女性を見送った。
「終わったの?」
客間の茣蓙の上で寝転がっていると、静かな声が掛かる。瑠香は眼差しだけをそちらに向けた。夜の水の匂いが客間にも入り込む。
「終わったよ。桂」
目を閉じると額にひんやりした感触。桂の手は大きい。桂は硝子屋を営む瑠香の補助のような役割をしてくれている。大抵は青系統の着物を着た、物腰穏やかな青年だ。
「カルピスでも飲む?」
「うん。星が綺麗ね」
「今日は空気が澄んでいるから」
「私を憎んでる?」
「憎んでないよ」
「嘘吐き」
瑠香の声も桂の声も、秘め事を語るように静かだ。籠められた感情が、川を流れる水のよう。嘘じゃない、と、空気に溶ける声が降って来て、瑠香の額に口づけられる。瑠香は甘受した。硝子屋を継ぐことは、もう随分と前から決めていたことだった。祖母が望まなくても、瑠香は望んだだろう。夜の虫の楽の音が、さんざめいている。瑠香は桂からカルピスと氷の入ったコップを受け取った。人を甘やかす液体が咽喉を通る。先程まで、そこには母子の記憶があった。りん、と鳴る風鈴は、硝子を食む時の音に似ている。瑠香はコップを座卓の上に置いて、縁側に置かれた籐の揺り椅子に座る。時間の流れが遅く感じられる。ここら一帯の時は緩やかだ。桂が自分は清酒の入ったグラスを持って来て、座卓で飲み始めた。桂はきっと自分を憎んでいるだろうに、そんな素振りも見せないことが瑠香には不思議だった。