強い女とヘタレ王子の場合
「あ、あの…」
「なあに?」
「そろそろ退いてもらえませんでしょうか…」
「いやよ。貴方自分が何したか分かってらっしゃる?」
「…他の女の子に告白されて、それをいいことに君とのパートナーを解約しようとしましたスミマセン…」
反省というよりもどちらかといえば恐怖の感情でだんだんと小さくなる自分の声。しかし彼女の異常にいい耳にはバッチリと聞こえたようで、微笑んで顔を近づけてくる。そのまま耳の横で小さな子供でも宥めるようにこう告げた。
「あら物分かりがいいこと。素直に謝れて偉いわ。……でも、決して私から離れられると思わないでくださいな。この契約書には貴方自身の意思でサインなされたのですから」
「ハイ…」
「私もか弱い女の子ですのよ。パートナーに浮気されたら、流石に悲しみもしますわ…」
「か弱い女の子は馬乗りなんてしない…」
「何かおっしゃって?」
「イイエなにも」
勿論浮気(と言っても彼女と俺はパートナーなだけで決してお付き合いをしているわけではないのだが)それ自体は俺が悪い。それに関してはとても反省している。
しかし目の前でおいおいと泣き真似をする彼女が本気で傷ついていないことくらい、この短いようで長い付き合いですっかり分かっているのだ。どちらかといえば既に今の状況は俺の方が被害者だという他ないだろう。
…俺の上に馬乗りの様にして乗ってる彼女の名前はエラ・サイベリアン。由緒正しき王族の血を引くサイベリアン家の子女で…二年生からの俺のパートナーだ。
初めは大人しくて美人で、なんで第二王子の発言権もなく冴えなくて魅力もないこんなやつ(とこっそり女子たちに裏で言われているのを聞いてしまった)のパートナーに立候補しようとしていたのか謎だった。
しかし、彼女はとんでもなく極厚の猫の皮をかぶっていたのだ…
アレは二年生になった年のこと。校則に従ってパートナーと組んではいたものの、どの子とも長く続かず家族からは別れるたびにせっつかれ、焦ってしまいもういっそ誰でもいいからパートナーになってくれないかと血迷い始めていた頃だった。
やはりそうして得たパートナーとは反りも合わず、見事にまた校舎裏で別れを告げられた。校舎裏って普通告白の場所だろうに、俺にはすっかり別れの場所であるという偏見がついてしまった。そんな光景がもはや名物と化した中、初対面にして彼女は前のパートナーだった女の子の前で俺の腕を掴んでこう言い放ったのだ。
「じゃあ、このお方は私が貰っていくわ」
「エッ」
これがエラと俺…西の国の王子、アロイス・ミヌエットの出会いだった。
何度も言うが、初対面だ。初対面。
もとより彼女はこの学園内で目立つ存在…つまり淑女として完璧な人間だったので流石に存在自体は知っていたが…。
あの時は呆気に取られてしまって、ついノせられるまま導かれるまま筆を取ってパートナーの契約書にサインしていた。その契約書が彼女本人がオリジナルで作った“卒業まで有効“の契約だと気付かないままに…
「さて、結んだわね?契約。」
「エッあ、はい。」
「間抜けな返事ね。これが本当にあの国王の種から生まれた王子様なのかしら。まあいいわ、目的には関係ないし」
「なんかアノ…普段と随分雰囲気違くないすか…」
「ああアレ?演技よ、演技」
そう言って高らかに笑うと、彼女は両家の淑女としての仮面を脱ぎ捨てて赤いルージュを吊りあげて笑った。
「私の目的は貴方の地位よ。そして権力。それ以外に興味はないから」
「あっハイ」
なんだか、ここまで清々しいともはや憤る気すら起きない。せめてもっと隠す努力をしてくれないだろうか。あからさまに権力狙いだった以前のパートナーはもっと上手く隠してたぞ…いやまあ俺にはバレバレだったけど。
「ってか俺、第二王子だから権力とかあんまりないんですけど…」
「あら?第二だろうが第三だろうが王子であることに変わりはないでしょう?貴方は王族の血の使い所をみくびっている様ね。その血は体に流れてるだけで価値があるものなのよ。」
「…俺の地位と権力が目的って、一体何する気なんだ…」
「そんなの決まってるわ」
『昔私を捨てた男たちに復讐するの』
そう言って眉を下げて笑った彼女は、ゾッとするほど美しかった
…と、いうわけで俺はこのエラとここ数ヶ月パートナーとして過ごしている。
そしてつい最近は契約が卒業までだということに気がついてどうにか契約を破棄しようとチャレンジしており、見事に企みを阻止され記念すべき五回目の失敗の日でもあった。
「うふふ、確かに貴方の方が私よりも権力も発言力もあるわ。この契約書ももし本気で貴方が破棄しようと思えばいつだって破棄できる。そもそも卒業までだから私と貴方が結婚する義務はない……でも浮気はいけないわ。私、在学期間中は貴方のパートナーとして仮にも王子である貴方に私が釣り合うという価値を示さないといけないの。これ結構大変なんだから。現に今もいろんなことしてあげているでしょう?」
「うっ…確かに、君には公務も助けられてるしご飯だって毎日美味しいお弁当作ってくれてるし…感謝してるよ…。分かった、今度から契約破棄しようとはしないから…そろそろ君の目的をちゃんと詳しく教えてくれないか。何ヶ月経ったと思ってるのさ。目的さえちゃんのわかれば俺も協力するから…」
「…まあ、そうね。初めの頃とは違ってもう貴方とも知らない仲ではないわけですし…いいわ。じゃあ少し昔話に付き合ってくださる?少し長くなるかもしれませんけれど」
そうしていそいそと俺の上から退いた彼女は俺の部屋にあるベッドの上に腰掛けた。自然と床に座る俺を見下ろしているような立ち位置になる。…おかしい、彼女から俺の方が立場が上とか言っているはずなのに微塵もそんな気がしない…
「…ってかこんな時間から長話って…まさか俺の部屋に泊まる気か」
時計の針はすでに12の数字を指している。いつのって?もちろん夜中のだ。彼女がやってきたのがそもそも夜中の11時半頃だった。
「あら、確かに異性の寮に入るのは禁止だけれど…パートナーの部屋になら親交を深めるとして滞在可能なはずですわ。何の問題がありますの?」
「いやいや、大有りだよ!おま、仮にも自分が年頃の女性だってこと忘れてないよな!?そんな異性の部屋に、一晩泊まるだなんて他の男だったらどうなってたかわかんないんだぞ!」
「心配してくださってるの?優しいのね。でも安心なさって、私はパートナーである貴方にしかそう言ったことしないつもりよ。それに貴方に私に手を出す様な勇気があるとは思えませんの。今までのパートナーとだって“ソウイウ“こと一切しなかったの、私知ってるのよ」
「なんで知ってんだよ……あー親父さんの調査か。まあたしかに否定はしないけど…」
「なら構わないはずよね。ほら、ちゃんと歯ブラシや枕だって持ってきましたの」
「待ってくれ何日居るつもりだ!?なんだその大量の荷物って思ったらお前まさか最初から泊まる気で…!」
「うふふふ」
彼女が部屋に入ってきた瞬間からあった謎の巨大リュックの中身が今ここでお泊まりセットだったと明かされて俺は思わず白目を剥いた。
確かに俺には彼女を襲う様な気は全くないけど…!!そして多分彼女もそんな方法じゃ簡単にはやられないしむしろこっちが嬲られるだけだけど…!!流石に部屋に乗り込んで説教の末泊まるなんて…意味不明だ!
「じゃあ話すわ。アロー、これはこれから先あなた以外この学園では誰も知らない秘密になると思うのだけれどね…」
「やめてくれ俺に変なものを背負わせないで」
「私、実は養子なの」
「ハ!?」
「だから、サイベリアン家の本当の娘じゃないってことよ」
「な、…は!?何言って、お前のあの父親の溺愛ぶりで!?」
俺は思わず彼女に詰め寄った。
エラの父親はあり得ないほどに彼女を可愛がっている。彼女が電話すれば一瞬で駆けつけるし噂によるとパートナーの情報をめちゃくちゃ調べ上げて相応しいか判断してるらしいし(俺の情報もきっと筒抜けのはずだ)この間だって突然学園に乗り込んできたと思えばひとしきりエラを褒め称えてから帰っていった。そんな実の子にすら向けるにしてもなかなかな愛情の注ぎ方をしているあの人がまさか血縁関係がないなんて…
「そうよ。今のお父さまのことは私も愛してるわ。でもね、そもそもお父様との関係が契約なのよ」
「契約…」
「あなたにした様にね。よく考えたらおかしいと思わなかったの?サイベリアン伯爵は独身よ」
「…そういえば!」
「男一人でどうやって私を産むのかしらねぇ。とにかく、私は養子よ。十歳の時に引き取られたわ。私の本当の両親はとんでもないろくでなしだったの。母親はいろんな権力を持った男と浮気を繰り返して父親はそんな彼女に苛立って私にあたったわ。まあ要するに虐待ね。でも外面の良かった両親の虐待は周りになかなか気付かれることなく…そんななかで唯一気がついてくれたのがサイベリアン伯爵だったの。」
「へえ…」
…まさかそんな重い過去があったなんて。いつもしたたかで強気に振る舞う彼女にしては意外なほど大人しい声音に震えが混じっているように感じ、思わず泣いているのかと手が出ようとしたところで彼女は顔を上げてカラッと笑みを浮かべた。
「まあ、その両親も今は深い堀の中なのだけれど」
「エッ」
「逮捕されてるのよ。まあ証拠集めの時罪をちょっと盛ったりしちゃったのだけれど構わないでしょう。あの二人は私を敵に回したことを永遠に後悔するといいと思うの」
「ヒェ…」
「…私は相手を陥れるために使える手はなんだって使うわ。伯爵には、その時にすごくお世話になったの。そうしたらどうやら気に入ってくれたみたいで養子に迎えてくれることになったわ。信頼してくれてるみたいで、裏切った人間の始末は私が任されてるの。」
「こわ…伯爵もこわ…」
「その時から私は権力と世間的信用さえあればなんだってできることを学んだのよ。だから貴方にこんな面倒な契約までさせて近づいたわ。」
「じゃあ、結局その…俺の権力を使ったとして、目的って具体的に何なんだ。復讐みたいなこと言ってたけど…」
「うーん…私って、美しいじゃない?勿論引く手数多で告白だって何度もされたことがある」
「う、うんまあ確かにすごい美人だけど…」
「うふふ、だからまあ…昔養子に取られる前も後も、長年の両親からの扱いによって傷心だった私はそこによく漬け込まれて何度も悪い男たちに騙されたわ」
「君が騙される…??」
「そんな不思議そうな顔しないでくださる?そういう時期もあったのよ。そしてその相手の男たち、なかなか厄介なことにそれなりの地位があってね…だから揉み消される確率が高くて。泣き寝入りした数も数え切れないわ」
「…だから、俺を?」
「ええ。私の国の王族が都合よくこの学園に、しかも同い年で通ってるっていうじゃないの。そんなの利用しない手はないわ。王子様とパートナーになればそれは事実上の婚約者と同じ…つまりどうあがいてもその男たちに私に勝てる要素はなくなるっていうわけ。復讐にはもってこいじゃないの」
彼女は晴れやかに笑顔を浮かべた。
「…それ、俺に全部丸々話しちゃうのはどうなのかな」
「私これでも貴方のこと結構信用してるのよ。…アローは、私のこと嫌い?」
「……ああっ、もう!……嫌いなわけないだろう」
俺のボソッと言った小さな呟きに、彼女はニヤリと笑って「私もよ」と呟いた。
「じゃあ、私はベッドで寝るから貴方はそこの床でよくて?」
「よくないが!?いやいやここ俺の部屋!!」
「貴方、まさかレディを床に寝かせるつもり?ああ、心配しなくても毛布は一枚あげるわ。私もそこまで薄情ではありませんの」
「毛布一枚もらったからって何!?」
問答無用で電気を消された部屋で、王子は薄い布団でクッションを枕にしながらどうしてこうなったんだ、と考える。
しかし同時に彼女のこうした男と女を感じさせない振る舞いにも、媚びない姿勢にも好感を抱いているのもまた事実。
…権力はないと言っても第二王子、昔から兄の…国王のスペアとして周りから媚びられることも多かった。
それでも、彼女には一切そういうものがない。権力を貸せというが、未だにこの二ヶ月の間で自分自身が利用されてると感じたことはあまりない。それに彼女は自分のついでとはいうものの、毎日二人分の弁当を用意してくれる。胃袋だってとっくの昔に掴まれ済みだった。
それに、仮にも一国の王子を床に寝せる様な女なんて彼女が初めてだ。…そんな彼女のことを俺は正直、かなり気に入ってる。こんな人はなかなかいない。
(まあ、彼女みたいな子がそうたくさんいても困るんだけど…)
________ヘタレ王子は強い女に惚れている
「…ばかね、私が本当に地位と権力だけを目的に近づくのなら、もっと大物の…なんなら貴方の兄のである国王の側室くらい狙えるわ。…貴方だったから、私はこうして無理矢理にでも近づいたのよ」
床で猫のようにまるまった王子の頬にレディはそっとキスを落とした。
________そしてそれはまた、逆も然り