約束を摘む私は庭を歩く 二
ウズキはロボット科に訪れた。
「石川さん、石川サクモさんはいますか。」
ウズキは、サクモを共同研究に誘った。その研究の内容は、人間の生産についてだった。海外で流行した未知の致死性ウイルスで大幅に減った世界人口について考えることは、研究のテーマにするのには十分な理由だった。研究熱心なサクモは、ウズキのその誘いに迷いなく賛成した。
研究のために、2人は努力を惜しまず、互いの体の様々な細胞や血液を調べ、合成し、その細胞は同化や異化を繰り返した。しかし、今までに偉大な研究家がそれに成功しなかったように、明くる日も明くる日も、細胞のみで2人の間に人間を作ることはできなかった。そして、ウズキが着目したのが体外受精だった。それに似たことができれば、人間の生産に近づけるかもしれないと考えた。
ウズキがサクモとの研究が忙しくなった頃、オユキは研究所をやめた。そして、ウズキはオユキからの不在着信をかけ直すこともなくなり、2人は互いに音信不通になった。
「――石川さん。石川さんにお願いがある。」
ウズキは体外受精の提案をサクモに持ちかけた。サクモは、ウズキの提案に賛成しなかった。それでも、ウズキは引き下がらなかった。
「参考にしたいのです。実際に受精を行うわけではありません。」
研究熱心なサクモは、ウズキの提案を怪しく思いながらも、新たなる発展のための一歩になるのなら、と承諾した。その後、詳しい研究計画と必要事項、注意事項を事細かにウズキは真剣な表情でサクモに説明した。そして、サクモはウズキの指示通り、体外受精に必要な薬の投与を続けた。
いくつも優秀な研究の成績をあげ、世間でも有名になっていたハルト。家柄もあって、ハルトのその実力は認められていた。サクモも、高校の頃から面識があったハルトに頼ることがあった。
「石川さん。最近、体調悪い?」
夕方。ハルトと、ハルトを迎えに来たハルトの家の執事のトール、サクモは、使われていない研究室で話していた。ハルトは最近顔色が悪いサクモが心配だった。サクモは、ハルトにロボットについて聞いた。ハルトは、今自分が考える、ロボットのこと、人間のことをあらゆる視点から、方向から、考えていることを話した。ハルトの話を聞きながら、サクモも考えていた。流行した致死性ウイルスにより、ロボットの需要がかつてないほどに一層高まった社会。サクモがロボット科に登録したのは、おそらくこれから、人間が存在しなくなる世界が訪れると思ったから。人間という動物が存在しなくなることで、失うこと、それは多分未来だ。今までの進化形態を逸脱して作られた、新たなるロボットという存在。それが、これまで築いた世界を否定し、新たなる世界を築こうとしている。その事実が、これまでの世界での過程を考えると、何かの滅びを迎えることになる。サクモはそんな気がしながらも、今の今まで研究を進めていた。
「私は、ロボットと人間が共存して、尊重しあい、協力して生きられる世界へ行きたいの。」
サクモはこの時初めて、オユキ以外の人にそれを言った。それから、自分が思うロボットや人間についての理想像、現状、予想される未来像。今まで、誰にも言わなかったことまで、自分の意見をハルトに話した。ハルトは、楽しそうに一生懸命に話すサクモの話を、真剣に聞いた。
サクモの話が終わると、ハルトもサクモと同じことを考えていたと言った。2人は意気投合した。それから2人は、世界の作り直しを夢見るように、互いのことを教えあい、意見を交わすようになった。
「反対だ。いくらサクだって、どうなるかわからないし、彼が何を考えているか俺にはわからない。研究を中断すべきだ。」
その日、サクモは予定している体外受精のことをハルトに相談していた。
「ハルの言うこともわかるわ。でも、彼も優秀な研究者よ。これまでに数々の成果を残しているわ。ハルだって、彼のことを知っているでしょう?」
「――ああ。知っているよ。」
トールは、珍しく言い合う2人を横目にコーヒーを入れていた。
「私は、彼のことを知りたいの。ものごと1つ1つに努力家の彼と、この数ヶ月一緒に研究を続けて、彼はきっと、ハルに並ぶくらいの結果を残せる力を持っていると思ったわ。だから、」
「じゃあ、俺は。――これ以上言わないよ。行こう、トール。」
言いかけた言葉を殺して、ハルトは暗い表情で研究室をでた。廊下からハルトが離れていく足音が響いた。研究室には、サクモとトールだけになった。
「――ハル。」
サクモは、さっきまでハルが座っていた椅子を見つめた。トールは、コーヒーのカップを流し台に置いた。
「サクモさん。悪い気をしないでくださいね。何かあったら、また頼ってあげてください。」
トールはサクモに軽く頭を下げ、研究室をでた。
採卵の日が訪れた。朝。サクモが向かった研究室には、すでにウズキがいた。
「――おはようございます。」
「――おはよう。石井さん。――始めようか。」
「――。」
普段は使われることのない静かな研究室。落ち着いた様子のウズキは、サクモが入ってきた扉の鍵を閉めた。サクモはウズキから、着替えと、錠剤とコップに入った水を渡された。サクモは着替えを済ませ、渡された錠剤を口に含み水で流し込んだ。そして、指示された特別な椅子に座った。
「――。麻酔をするね。」
サクモはウズキの言葉にうなずく。アルコール性消毒液を含んだ脱脂綿は少し冷たかった。呼吸を整え、そして静脈に針が入っていく。
サクモが点滴を行なっている間、ウズキはベランダへ向かいポケットから取り出したたばこに火をつけた。研究室は静寂に包まれた。
点滴が終わる頃、たばこを吸い終わったウズキが部屋に戻った。そして、点滴を終える準備をした。サクモは準備をするウズキを見つめながら、高校の頃を思い出した。
「――。あの時、貴方の肩に、桜の花びらが乗っていたんです。」
“「あの。服に、」”
“「僕に触るな!!」”
サクモの言葉に、高校の頃、ウズキは自分のせいで階段から落ち、サクモに怪我をさせてしまったことを思いだした。
「――。」
ウズキは、サクモの言葉に返事をすることなく採卵の準備をした。サクモは話しを続けた。
「――。あの後、姉に、オユキに貴方のことを少し聞いたんです。」
その時、たまたま遠くからその現場を見ていたオユキは、家に怪我をさせたことを謝りに来たウズキのことを、サクモに話した。
「――。ごめんなさいね、貴方がそんな思いをされている人だと知らなかったんです。」
「――。別に。」
「――。姉は、私のことなんかより、貴方が学校に来なくなったことを心配していました。」
少し思い出し笑いを浮かべながら話すサクモに、ウズキは目を合わせることもしなかった。
「――。採卵を始める。」
ウズキは、サクモの採卵を行った。採卵の手術は数分で終えた。その間2人は会話を交わすことはなかった。
「――。しばらく、ここで安静にして。」
サクモはベッドに案内され、ウズキは研究室の扉の鍵を開け、またベランダに出た。ベッドからは、たばこに火をつけるウズキが見えた。
“――ガラガラ”
窓が開いた音にウズキは振り返ると、ベランダ用のスリッパがないことに気づき、裸足でベランダにでたサクモがいた。風でサクモの髪が少し揺れた。その光景が、ウズキの中の思い出と重なり、フラッシュバックする。
「私は貴方と話してみたかったんです。姉さんが好きな、貴方と。」
「――安静にしていてくれ。」
春の香りと一緒に、たばこの匂いがした。ウズキはサクモと目を合わせることもなく、遠くに見える景色を、ただ見つめていた。
「――なんで、私を共同研究に誘ったんですか?」
「――。」
「――姉さんを誘えばよかったのに。」
ウズキの顔を覗き込むようにサクモは声をかけた。
「――別に。」
ウズキは、目を合わせることなく顔を背ける。
「さっきからそれじゃわから」
――
一瞬の出来事だった。たばこの匂いがした。サクモの唇は、ウズキの唇と重なっていた。
――
そして、そっと2人の唇が離れる。
「―――なんで。」
頭が真っ白になったサクモは、今おこったことをすぐには理解できなかった。ウズキはたばこの火を消し、何も言わず部屋の中へ入った。
「待って!何で!」
サクモはウズキの腕を掴んだ。
「――。」
引き止められ立ち止まったウズキは、振り返らず、何も言わなかった。
「ねえ!――貴方は、姉さんのことどう。――」
“バサッ。――”
ウズキはサクモの言葉を遮るように、サクモの腕を強引に掴みベッドに押し倒した。そして、着ていた白衣とシャツを脱ぎ捨てた。
「――奪ってやる。」
ウズキはそうつぶやいて、また強引にサクモにキスをした。ウズキに力強く抑えられる中、サクモは争ってウズキから離れようとした。
「――い、いや。やめ。て。――」
サクモは必死に助けを求めた。すると。
「すいません。」
そこへ、ウズキでもサクモでもない声が部屋に静かに響く。開けられた扉の前に、トールがいた。
「鍵が開いていたので。私に言えることではないですが、――いかがなものかと。」
冷たい表情のトールは、着ていたカーディガンを乱れた服のサクモに掛ける。ウズキは、想定していなかった現状に固まった。同時に、我に返ったように周りを見渡し、自分が行なったことを思い返した。驚いた表情のウズキに何を聞くこともなくトールはサクモを抱え部屋を出た。
開いたままの窓から風が吹き込んだ。
「――。」
風が当たり、カーテンが揺れた。床に落ちた白衣、胸ポケットにはピペットのデザインのボールペンが入っていた。テーブルの上のシャーレの中には、採卵したサクモの卵子があった。