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夏思いが咲く ――Orange

 夏休みが始まって、一週間ほど経った頃のある日の晩。私が自分の部屋で、夏休みの宿題をやっていると、母親から呼び出された。

 玄関に行ってみると、クラスメイトの子が待っていた。


 その子とは同じクラスというだけで、特に付き合いはなかった。クラブや委員会はもちろん、掃除当番ですら一緒になったことはなかったかもしれない。下手をすると、喋ったこともないのではないか。

「ごめんね。急に押しかけて」

 その子が言った。

「それは別にいいんだけど。何か用事?」

「うん。大したことじゃないんだけど。もし時間があるなら、少し付き合って欲しいんだ」

 ……うん。これが友達同士なら、この会話の流れは何もおかしくない。問題は、彼女と私はいままで喋ったことすらなかったような気がする間柄だということである。

 もしかすると、私が覚えていないだけで、以前に何か接点があったのだろうか。私は自分の記憶力を信頼していないから、そう考え出すと非常に怪しいような気がしてくる。

 しかしまあ、なんだ。せっかく夏休みなんだし、よく知らない子とよくわからない冒険の旅に出るのも悪くない気がする。

「いいよ。ちょっと準備するから待っててね」

 私は自分の部屋に戻ると、とりあえず、必要最低限の財布だのスマホだのメモ帳だのを愛用のポシェットに突っ込むと、彼女と一緒に外へ出掛けることにした。


「急な話でごめんね。忙しくなかった?」

 歩きながら、彼女は言った。

「別に。宿題をやってただけ。あんなのはいつでもやれるしね」

 私は何食わぬ顔で答えたが、実のところは、聞きたいことだらけなのを堪えるのに必死だった。「どこ行くの?」「他の誰かも誘ってるの?」「なんで私となの?」「名前なんだっけ?」……など。

 聞いたって別に問題なさそうな質問ばかりだが(名前を聞くのは、ちと気まずい雰囲気が流れそうだが)、そこはあえて聞かないのが、夏の大冒険らしくていいのではないかと。

「えーっ、いつでもやれるって……デキる人は言うことが違うなあ」

 彼女は心底うんざりしているような表情をした。

「面倒くさいのは漢字と数学のプリントだけど、1週間で4枚やればいい計算だから、実はそんなに大変じゃないよ。読者感想文は2日あれば充分だし、自由研究は最悪、その辺で自由研究キットを買ったらいいよ。どうせ先生は生徒の研究なんか興味ないし、適当でいいよ」

「そりゃあそう言われたらそうかもしれないけどさあ……ていうか、読書感想文を2日は無理だよ。読むまでに夏が終わるし」

「そっか。本を読むのが苦手なら、確かに大変かもね……」

 ネットであらすじを調べて、読んだつもりになって書けば楽勝だぜ、というアドバイスをすべきかどうか一瞬迷ったが、やめておくことにした。

 しかし、なんだ。こうして話していると、普段からつるんでいるかのような自然な感じである。まあそれは、宿題という共通の話題があるからだろう。


 そうした話をしているうちに、私たちは住宅街の外れの方にやってきていた。舗装されてはいるものの狭い道が、森の中へと延びている。

 この道は子供の頃に一度、探険と称して通ったことがある。近所にこんな未開の地があるのかと感動したものだったが、特に何かあるわけではなく、ただ、途中に細い滝……滝という言葉から想像されるような何かを期待されると困るのだが、他に何と言っていいかわからないから滝ということにして、それがあって、細い川を渡るために、短い橋がかかっているだけである。この橋も、何の風情もない鉄製のやつである。

 さらに進むと、上って下って、向こう側に出るだけ。わざわざこの道を通らずとも、もっと広くて平坦で近い道がいくつもあるので、この道はほとんどの人にとって用事のないところだった。

 つまり、冒険とか探険をするにしても、あまりにも何もなくて面白味もないスポットではあるのだが、夜に行くとなると全く話は別だ、ということを、私は今日、初めて知った。

 この道には街灯がなく、道沿いには住宅とかもないので、超まっくらである。森が大きな口を開けて獲物を待っているかのようである。あんなにしょぼいと思っていた探険スポットが、夜に行くだけでここまで恐ろしげになるものなのか。

 私は彼女の方を見た。彼女は国語教師に対する愚痴を言いながら、平然と森の中に入っていこうとする。「大冒険」と冗談で思ってはいたものの、まさかこんなところで本当に大冒険をすることになるのは予想外だった。もう一人の自分が「やめとけよ」と言うのを振り切って、私は彼女について行くことにした。


 森の中の道は、冗談のように何も見えなかった。一歩先に誰かがいても気付かないんじゃないかと思うくらいだった。

 私はもう、彼女の腕にしがみついて歩きたい気持ちでいっぱいだったが、なんとかそれは抑えて、できるだけ平然とした表情を装いつつ、必死で彼女に付いていくことにした。……よく考えたら、こんなに暗いのに表情を作ってもしょうがなかった気はする。

 どういうわけか、彼女は何の躊躇もなく、この真っ暗な中を歩いていた。しかも学校の話をしながら。私のほうは、さすがに余裕がなくなってきて、「うん」とか「うーん」とか雑な返事をするようになっていた。

 しばらくすると目が慣れてきて、とりあえず歩く分には支障がない程度には周囲が見えるようになってきた。ただ、どこをどう進んでいるのかは、もはやさっぱりわからない。

 昔のままだとすれば、ここには脇道などはなく、このまま進めば向こう側に出るはずである。それはわかっているが、実際こうして歩いていると、自信がなくなってくる。実はあれから脇道ができて、そっちに迷い込んでしまっているんじゃないかとか、余計なことをいろいろ考えてしまう。


「おっ、着いたよー。ごくろうさん」

 唐突に彼女は言った。彼女が立ち止まったので、私も止まった。しかし、何もない……というか、あっても見えない。

「もうちょっと待ってね」

 私が疑問を口にするより早く、彼女が言った。私は何も言わず、待つことにした。

 ここがどこなのかはよくわからないが、特に変わった場所ではないような気がした。たぶん、例の森の中を突っ切る道のどこかだろう。ここまでに水の流れる音が聞こえなかったから、あのしょぼい滝や川のところよりも手前なんじゃないか、くらいにしか推測できなかった。

 そんなことを考えていると、唐突に辺りが明るくなった。懐中電灯を向けられたとか、UFOにキャトられそうになったとかいうほどの眩しさではなく、せいぜい白熱灯が周囲で一斉に点いた程度のものだったが、真っ暗な中からいきなりのことだったので、まぶたが勝手に閉じてしまう。仕方なく、まぶたが言うことを聞くようになるまで待つしかなかったが、その間、特に音などはしなかった。


 なんとか薄目を開けられるようになると、なにやら目の前で、火花みたいなものが散っているように見えた。

 その火花はどうやら、木の枝のあたりからに降ってくるようだった。周囲の木々がそれぞれに、炎色に光る謎の何かを散らし、降らせている。

 その何かも、木によっていろいろ個性があるようだった。線香花火みたいに、パッパッと一瞬だけ光るのもあれば、柳のような形に降らせているのもある。

 私はその、柳の「炎」に寄ってみて、さっと手を触れてみた。手は熱くも冷たくもなく、何の感触もない。てのひらを見ても、何も付いていたりしなかった。

 私がとりわけ興味深く思ったのは、この「ショー」が無音ということだった。見た感じは何かもっと、いろいろな音が鳴ってもよさそうなのに、何も聞こえない。

 静かで煌びやかな炎の舞台はそれからしばらく続き、そして、唐突に終わった。

 あとは再び、真っ暗闇が戻ってくる。


「じゃあ、帰ろっか」

 しばらくして、彼女が言った。そして、(たぶん)もと来た道を引き返していく。私もはぐれないように慌てて付いていく。

 帰り道に聞きたいことは山ほどあったが、あちらから何も言わない以上、聞くのは野暮なような気がして、私は黙っていた。

 しかし、どうしてもひとつだけ、聞かずにはいられないことがあった。私はついに訊いてみることにした。

「どうして私を誘ったの? もっと仲良くしてる子とか、いると思うんだけど」

「そりゃあさ、決まってるじゃん。他の子じゃダメだよ」

「どうして?」

「途中で帰っちゃうのが目に見えてるもん」

 ……なるほど。言われてみれば、夜中にこんなところに付き合う人はあんまりいないか。私はそう思って納得した。

 が、それはそれで引っかかることがあるのに気付いた。なんで私なら帰らないと思ったのだろう。

 考えている間に、私たちは森を抜け、私の家の近くまで戻っていた。彼女は、帰り道はこっちだから、と言って、途中で別れることになった。

「それじゃ、今日はありがとね。ばいばーい」

「うん。気をつけて帰ってね」

 駆け足で去って行く彼女を見送りながら、私は、帰ったらとりあえず名前を調べようと思った。

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