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かみさまの夢  作者: ゆと
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やっぱり目に入るんだよなぁ。


爽雨(そう)はそんな事をふと思う。爽雨の目には短い髪で、普通の髪色より明るい栗のような色した髪の、少し大きな制服を着た女の子と、隣には背の高くて足の長い女の人がいた。170あるかないか、普通の男の人と同じくらいだろうか。隣の少女と対照的に髪色は黒く、腰まであった。結構距離があって尚且つ苦しいほどの人混みにいるというのに、彼女を見つけ出すなどと相変わらず自分らしいと「ふふっ」と笑みをこぼす。

おばさん、しばらく見ない間に髪伸びたな。


きゅっと指先まである慣れないブレザーの袖を摘んだ。時折寒い風が吹けば爽雨はぎゅうっと目を瞑る。四月とはいえまだまだ寒かった。中庭に咲いているハナミズキの前で写真を撮る家族や、女の子2人で「違うクラスになっても遊びに来てね!」と仲よさそうに言い合っていたり、『入学式』と書いてある看板で大行列を作っていたりと、新しく通う事になる中学校は皆頰を緩ませて賑わっている。爽雨も気づいたら顔を綻ばせていた。隣にいる、爽雨と同じく眼鏡を掛けた母親が遠くにいるその親子に気づいた。1つで結んだ髪は爽雨の見ている方向に目線を向けるために、首を動かしたため、ふわりと揺れる。母親が嬉しそうに声をあげた。

「おーい!ひぃちゃん!黒堂さん!」


ひぃちゃんと呼ばれたその栗色の女の子はその声を聞くと反応してくるりと振り返り、顔を若干引きつらせていた。鋭い目をした紅色の瞳は相変わらずで、殺すような眼差しを向けてくる。陽花のガンッとつん裂くような瞳に爽雨は反射的にびくりと肩を震わせた。隣にいるスタイルのいい髪の長い女の人は爽雨とその母親の存在に気づくと陽花(ひばな)を引っ張り、こちらに近づいてゆく。陽花は掴まれた腕をぶんぶんと振り回し暴れ、何か怒鳴っているようだった。おそらく「離せ!」とかそんな感じだろう。

「久しぶりねぇ佐々木さん、爽雨君も!制服よく似合っているね」

「もー今日、待ちきれなくてねぇ。ひぃちゃん綺麗になったわねお母さんに感謝しなくちゃね」

「いやぁ…この子態度悪いから他の人と折り合いつけていけるか心配で心配で…」

そんな、井戸端会議みたいな会話をしていたら陽花がふざけんなと言わんばかりの表情になり、叫ぶ。

「私に出来ないことなんざねぇわ!」

「あ??親に対して口が悪いっていつも言ってるでしょう!!」

「うぜぇ。人の事勝手に心配すんじゃねぇ」

「あんたねぇ…小学校で『極道者』って呼ばれてたんでしょう!?そんなんじゃ一生言われるよ!?」

「勝手にんなの言わせときゃいいだろ。糞共が何言って来ようが興味ねぇ。」

いつの間にか爽雨と爽雨の母は放置され、目の前の二人は親子喧嘩を始めていた。やけに存在感のある怒鳴り声はこの校舎の中庭には鋭く響いていた。この歳にしては低めのその声は爽雨の耳に懐かしさと、恐怖を与えていた。

変わらない栗色の短い髪に、紅色に染まった鋭い吊り目、スッと綺麗な形の鼻にすらりと伸びた手足。身長も爽雨よりも5センチほど高かった。自分は男なのにと歯痒い気持ちになる。変わった…というか吃驚したことといえば、入学式初日は学生鞄で来いと言われていた筈なのにエナメルバックを肩に掛けているのと、2つほどボタンを開けたシャツにブレザーを着ていた事。どれもこれも新鮮だった。特に膝上のスカートを履いていた事は信じ難かった。陽花がスカートを履いているなど今まで無かったからだ。一度も。爽雨自身、小学3年生までは陽花をずっと男だと思っていたのだった。クラスが同じになり、気づいたのは体育の着替えの時やプールで陽花が側にいなかったから。陽花が女だと知った瞬間の、頭が爆破してしばらくの間生きた心地がしなかったのを多分一生忘れられない。そう思った。


「何見てんだゴラぁ」

爽雨はそのハスキー声でハッと我にかえる。目の前にはとんでもない形相の陽花の顔が見えた。ヤクザみたいだ。『極道』というあだ名はあながち間違っていないだろう。

「ひっ…ぃちゃん…いや…あのぉ…」

正直な事を言えば陽花が狂い怒り出す事など目に見えている。返答を迷ったその時

「皆さぁん!クラス発表始まりますので集まってくださぁい」

どこからか陽気な女性の声が聞こえてきた。

陽花はチッと軽く舌打ちをし、ドカドカと歩いていった。

爽雨はほっと胸を撫で下ろし、声のする方へ向かう。


「ひぃちゃん。爽雨君を宜しくね。」

「陽花!あんたクラスの子に喧嘩吹っかけんなよ」

親二人の声を後ろに爽雨と陽花は所々に傷のついた廊下を歩いていく。

クラス表を見て自分達の教室を確認すると、陽花の顔がぐにゃりとひん曲がるのを爽雨は横目で覗いた。元々の大きな目が飛び出そうなほどに見開き、口は阿保みたいにぽかんと開けていた。「うぇっ」という悲痛の声さえ聞こえた気がする。なんと爽雨と陽花は同じクラスだったのだ。


「あはは…でもひぃちゃん今回は前後ろじゃなかったね。えっと崎山さん…?だったかな僕の前の席の」

「知らねぇ奴の名前なんかいちいち見てられっか。テメェと1年よろしくってだけでも最悪だっつの。」

相変わらずの口の悪さに爽雨は狼狽えるばかりだ。

黒堂陽花(こくどうひばな)、佐々木爽雨(ささきそう)。出席番号でいくと「こ」と「さ」で陽花と爽雨が同じクラスになれば前後の席になるのは必然だった。


ひぃちゃんの隣に座ってみたい。


って言ったらどうだろうな。殴られて終わりか、「気色悪りぃ死ね」と言われて殴られて終わりか。陽花の事は苦手ではあるし、席も少し離れられて暴言吐かれる回数も減ると思うと嬉しい。陽花の横だなんて、それこそ危険地帯だろう。しかし、陽花を見る事は爽雨にとっては大切な時間なのも事実だった。


小学生の時、席替えで陽花の隣になった事がある。その時は陽花は窓側の席に座っており、ひたすらに先生の算数の話を聞いていた。「帯分数の作り方は分母の数が例えば7だった場合分子は……」と先生の声が教室を包む中で、陽花は鋭い瞳が少し緩んで、眉間の皺が取れていた。6月ごろのクーラーの効いてない扇風機がゴウゴウと音を立てていた教室で窓から太陽の光がひぃちゃんの頭に溢れ落ちればブロンドの髪の様に反射していた。真紅の瞳がシンシャに見える。爽雨は鉛筆を握りしめてその横顔を眺めていた。汗がポタリと垂れる。僕には見せてくれないだろうひぃちゃんの横顔はとても静かだった。陶器の様な肌がぶるりと一瞬震えた。


そんな昔の事を考えていれば、陽花はそんな爽雨の聖域を侵す様に怒鳴り始めた。

「てか何でテメェと一緒に行かなくちゃなんねぇんだよ!あぁ!?一人で行くわ!糞チビ!」

「……分かったよ。」

爽雨は陽花の先に行く姿を見送ってから身体中から酸素を取り除くように深い溜息を吐いた。


あらかたオリエンテーションを終え、自己紹介や先生の話を聞けばあとは下校するだけだった。いや、周りを見れば友達を作ろうと躍起になってる人はぽつぽつといた。話しかけたり、もともと学校の同じ仲のいい人達で集まっていたりする。陽花の周りには小学生からの顔馴染みが3〜4人ほどいた。

担任になった、いかにも体育会系で熱血感を醸し出してる川島(かわしま)先生は「自己紹介をしよう!名前と出身学校とあだ名と趣味!あと入りたい部活を答えてくれ!」と結構な量の要望を言ったのにもかかわらず、陽花は「黒堂陽花。出身ひばり小学校」としか言わなかった。しかも愛想を振りまく事も無く。

「おいおい〜黒堂?お前そんだけでいいのか?青春の第1ページだぞ?まぁ、いいや次」

川島は太い眉をへの字に曲げて、困った顔をする。大袈裟に大きな声で陽花の批判するたび陽花は後ろからでも分かるくらいにイラついていた。

そんな陳腐な自己紹介をした陽花の周りに「黒堂、全然喋ってねーじゃん」「まぁ確かに俺先生嫌いなタイプかも」と声をかける友人が集まる。女友達は彼女にはほぼいない。男ばかりだ。むしろ、女子からは距離を置かれる様な人だった。

「馴れ合いなんざくだんねーわ。んなことよりバスケ部行ってくる。」

「まじか!おい、あの先生顧問っつっとったぜ」

「俺らも見にいこっかな〜バスケ部モテんだろうし」

陽花の眉間に皺が少し増えた。






2

昔から身体を動かすことは好きだった。己を限界まで高めて自分を追い込んでいく。それが報われた時の達成感と共に流れる汗も絶え絶えな呼吸も身体中から溢れる疲れと活力も全て好きだ。

何よりも勝つことが大好きだった。あの高揚感は心地いい。自分が何処かの貴族にでもなったような優越感。それが感じれるならなんでもいい。

ましてやバスケなんかじゃなくてもよかった。じゃあ、バスケが嫌いかって言われるとそうでもない。嫌いだったら3年間も続けてやってないし、ましてやミニバス試合で優勝する事だってないだろう。ただ、自分自身こんなにバスケに執着する必要性も無いって話だ。


陽花は自分が駆け足になっているのにも気づかずに体育館めがけて廊下を突っ切る。同級生を思い出し、軽く舌打ちをした。

「バスケ部モテるし入ろうかな。」「内申稼げるからバスケ部いいかもな。」「バスケ女子ってガタイいいやつ多いから俺はやめるー。」

入学式の日、周りの連中はそんな言葉を陽花の前で交わした。別にこんな奴らに負ける事は無いし、理由がバスケが好きだからという理由じゃないのもどうだっていい。その件に関しては陽花も人の事言えないだろう。但し、やるなら全力だ。

「戦う気ねぇんならはいんじゃねぇ!邪魔だ!」

そう言ってドカドカと教室に出て真っ先に体育館に向かった。価値観の違いといったところだ。しかし彼女はそれが理解出来なかった。何にキレたのか分からない彼女を取り残された男子生徒は呆然として眺めていた。

入学式の日は体育館に向かったものの式で使われていたから仕方がないのだが、部活自体行われていなかった。しかし、それ以外は顧問の川島の小言を聞き流し毎日かかさず見学をさせてもらっていた。1週間ほどたち、今日から仮入部期間が始まる。ジャージにも着替えたし、今日こそチームに入り取り組めるだろうと身体が疼く。じわじわと興奮して湧き出てくる汗も心地いいと錯覚する。

階段を駆け下り、連絡通路を通り体育館の扉へと向かう。連絡通路で行き交う人達はちらりと駆け足の陽花に目をやった。声はかけなかった。そのかわりわざと本人に聞かせる様な小声で話が聞こえた。

「おい、あいつってひば小の極道だよな…聞いたことある」「小学校であばれまくってたらしいわ。俺らの中学やばくね、不良の巣窟になるじゃん。」

「なんかバスケ部に喧嘩売ってるって聞いたけど」


陽花にとっては興味もない、知らない上級生や同級生が有る事無い事次々と口にする。陽花は当然シカトだ。

おそらくこの入学から一週間で陽花の事を知らない人なんていないだろう。そのくらい彼女は周りと比べて目立っていた。出身小学校が同じの人は勿論陽花の事は知っていた。

陽花にとっての学校は、世界はいつも己自身の果てなんてない戦いのようなものだった。生まれついての薄い髪の色を馬鹿にされるのも嫌だったし、それを薄気味悪く目を見開いて眺める幼馴染も嫌いだった。『女の子なんだから、危ない喧嘩はしちゃ駄目だよ』と男女の差を押し付ける先生も嫌だった。陽花は容赦なく自分が不快だと思うもの、嫌悪するものを外側へと叩き出す。


こっち来んな。さっさと失せろ。見世物なんかじゃねぇ。


胃の中にぽつぽつと穴が開いていく感覚に襲われて、それを誤魔化すかのように先ほどよりも足音を豪快に踏みしめれば、荒々しい歩行で周りはビクッと肩が揺れそそくさとまるで陽花に道を譲るかのように引っ込んでいった。陽花を気味悪く覗きながら聞こえた話し声もしんと静まって、そのままその道を進むと体育館の前に到着した。扉は開いたままで勢いつけて入れば、辺りはバッと陽花の方に目を向ける。まるで珍しいものでも厄介なものでも見るかのようにその一点に視線は集中した。陽花は慣れているのか、気にしないのか担任でもあり『女子バスケ部顧問』の顎の広くむさ苦しい『努力と情熱』と書かれたTシャツを着た男の所へと向かっていく。顔を引きつらせた担任がそこにはいた。

「おい。川島」

透き通ったハスキーな声は体育館に盛大に響く。

「試合に出させろ。筋トレ、ウォーミングアップは済ませた。もう見学は飽きたんだよ。」

あまりの強引な物言いに川島はぐいっと大きい目を見開き太い眉をくっと釣り上げる。

「ふざけるのもいい加減にするんだ。黒堂、本来なら今日から仮入部期間で練習参加なのをお前の出身小は全国大会に出てて決勝で勝った1チームだから特別に前の週から見学させてやっているのにいきなり試合やれだなんて、自分勝手にもほどがあるだろうが。中学生なんだから、周りをよく見てものを言え。」

「雑魚校がよく言うな。あと、あの試合は4チームが優勝なんて言われちゃいるが他なんて目がねぇほど私が強え。もっと言えば男にだって勝てる。どうだよ、どうせ近々練習試合あんだろ。男子バスケ部の4番とやらせろや。私が勝ったらその練習試合出させろ。」

陽花は先ほどまで、女子チームのすぐ隣でレイアップ練をしていた男子の方を指差し、元々鋭い目をこれでもかというほどに睨みあげる。あまりにも横暴すぎる物言いに川島は勿論雑魚校と呼ばれ馬鹿にされたバスケ部である男子生徒達の方も苛立ちが募ったようだ。次々と怒りを口に出す。

「おい一年調子乗ってんじゃねぇぞ。お前、極道だよな?小学校でちょっとバスケがお上手で有名だったからって女のくせに何様のつもりだ。」「こいつさっさとつまみだそうぜ。」「お前みたいなチビの相手をしてる暇はねぇ。帰れ極道。」


崩れたような表情を見せた。陽花の鼓動が速くなる。元々大きい目を見開き、顔を歪ませる。

彼等は陽花の地雷を踏みすぎてしまった。

「黒堂だわ。体験入部のやつ沢山来てるんだろが、『女』に逃げるとこ見せていいのかよ?センパイ?」


火のように紅い燃えるような瞳は一瞬顔を引きつらせたキャプテンを映し出した。その姿は4番の背番号が意味をなしてないように見える。相手は歯を食いしばり我慢の限界だと言わんばかりの表情を見せた。

「1on1…お前みたいな屑にハンデなんて優しいものはやらんぞ。負けたら土下座してでてけ、二度とウチらバスケ部の敷居をまたぐな。」

陽花は口角をニィと不気味にあげる。

「キャプテンの澤田(さわだ)だ。俺が相手をする。」


負けるわけねぇだろ。勝つわ。


ふと脳内に浮かんできた腹立つような無造作な黒髪のぼけっとした眼鏡男の事は気づかない事にした。




2人は川島の笛の合図とともに飛びだした。ルールは5点先取、コートは半面だが男子バスケ部、女子バスケ部全員が2人の1on1に注目していた。陽花へのブーイングに野次、澤田への応援の声が体育館内に響き渡る。

3年生で年上で男な分、澤田の方が陽花よりも数十センチ身長が高かっただけ、ジャンプボールでは圧倒的に有利だと思われたが、そうでもなかった。澤田が飛んだ同じ高さくらいに陽花が飛び上がる。女子の中では身長は高い方だがそれだけではなく、単純にジャンプ力が相手より圧倒していた。2人に叩かれ落ちたボールにいち早く反応したのは陽花だった。落ちたボールをサッとはたき、相手のリングへとめがけて走る。ボールはコートの外に出る前に陽花の手の中に収まった。澤田は陽花を追いかけずそのままリングに走る。そのままの勢いでレイアップするつもりだった陽花は考えを読まれたと、チィッと苛立ちを隠さずに舌打ちした。流石にこの身長差では近くでシュートするのは不利でしかないので、巻くしかないと踵を返して反対に走れば、相手はガードしようとまとわりついてくる。

ギャラリーのほうはぽかんとして2人の試合を眺めていた。陽花の流れるようなオフェンスは見る者全てを釘付けにしていた。火の粉が飛ぶように眩いものだ。

「極道者のやつシュートは打たなかったにしろ、澤田出し抜いてんぞ…。なんだあのジャンプ。」

「キャプテン身長175だぞ。今までジャンプボール絶対取ってたのに。あいつ160くらいだろ…なんであんな飛べるんだよ。しかもボールへの反応とかも凄い早くねぇ!?」

話し声に色がない。ざわざわと周りが不安な顔を見せていく。あれだけ大口叩いてもし陽花が勝ってしまったら…だなんてことを考えてしまえば陽花にどんな目に合わせられるか分からない。

そんな不安を押しのけるかのようにボールは澤田の元へと渡った。陽花がツーポイントシュートを打とうとして、澤田が跳ね除けたようだった。澤田は反対側の陽花のリングのほうへめがけて走る。

「いったれ!キャプテン!!負かせろ!そいつ!」

再び傍観しているバスケ部員の声援が盛り上がった。バスケ部員だけじゃなくて気づけば他の部活の人や先生までも騒ぎを聞きつけて集まってきたようだった。

澤田も男だ。自分より数十センチ小さい女の子。しかも1ヶ月前までランドセルを背負っていた子供に負ける等プライドが許さない。

「待てや糞カス!!」

陽花は猛獣のような勢いで自分よりも大きな人間にめがけて走っていく。

今までずっと学年一位だった馬鹿みたいな脚力であっという間に相手の目の前に立った。澤田は陽花のディフェンスなんて何でもないというようにボールをリングめがけて投げれば、タイミングを見計らい、得意の跳躍で陽花はボールをキャッチする。そのまま勢いをつけて相手のリングへとドリブルで走っていき、レイアップを決めて一点取る。澤田は陽花に打たせまいと走ったのだが、陽花に追いつくことが出来ず、何も出来なかった自分を悔やんだのか顔を青ざめて唖然として陽花を見つめていた。途端に、ぐっと目つきを変えて陽花を睨みつけた。彼も本気になった様だった。今まで手を抜いてたかというとそうでは無いだろうが全力では無かったのだろう。澤田の目つきが変わると陽花は少し笑みを浮かべて、血が溜まった様な赤い目で彼の顔を楽しそうに眺める。


そうだ。全力でかかってきやがれ。証明してやる。私のが強いって。


陽花が目を細めて口角を上げて口を大きく開けて「ハッ」と愉快そうに可愛くない笑みを浮かべた。




5対0、結果は陽花の圧勝だった。川島も山から降りてきたヒグマでも見るかのように大声で笑う陽花を恐怖の顔を浮かべ眺めている。小学校で女子バスケ部で全国で優勝したからといって2歳年上のガタイの良く、バスケを長年嗜んできた男子に勝てるとは思わなかったらしい。といいつつも、序盤では陽花は少しばかり苦戦していたというのも事実だが、中盤に入れば、すんなりと面白いほどに4の背番号を嘲笑うかのごとく、シュートを決めていったのだ。うち、2回スリーポイントラインでシュートを決めており、今回の勝負ではスリーポイントも1点として扱っていたが、中学生でどんな腕力があるんだと、周りが若干引くぐらいだった。いつの間にかギャラリーは増えており、野球部やサッカー部、家庭科部等関係ない部活まで見に来るほどだった。

周りは絶句して遠巻きに陽花を眺めている。澤田など半泣きの状態で陽花を見ることすらも出来ないかのようにへたり込んでいた。


陽花は嘲笑を浮かべて楽しそうに澤田を眺めていた。


そうだ、全力の勝負だ。勝った。


陽花は心地いい気分になったが、まだ足りないようだ。なんせ、前言撤回してもらっていない。

座り込んでしまったキャプテンに近づき目の前に仁王立ちして言い放つ

「なぁ?てめぇら言ったよな?『女のくせに』『チビは帰れ』?その女のチビにてめぇらの大将は負けてんだよ。こんだけギャラリーがいるんだ。言い逃れは出来ねぇ。撤回しろ。」

「ひいいぃっ」

陽花は周りにも聞こえるくらいの大声量で澤田に向かって怒鳴れば、澤田は目を真ん丸に恐怖の色を浮かべ、震えるばかりだった。

可哀想に…。関係ない傍観者は他人事とは思えずにその光景を眺めていた。一応県大会まで勝ち進んだバスケ部で今現在この学校1番のプレイヤーだと言われている彼がこんな惨めな形を迎えることになるとは誰が想像出来るだろうか。

バスケ部員の他の彼らはというともう、身体中がガチガチと強張り、声なんて震えて出ることは無い。女子に至っては澤田と同じ表情を浮かべていたりする。

川島はぐっと拳を握りしめて、震えた身体を引き締めて大声で弱さはみせまいと言う。

「も、もういいだろう!黒堂!!こいつらもお前を馬鹿にしたが、お前も充分悪い!」

「入部は、練習試合は」

「させるし出させるからもう今日は帰れ!他の部活のやつらも帰れ!見世物なんかじゃない。」

「見世物だろ。まぁいいわ、お前らにとって『女でチビ』のやつに全く歯がたたねぇことが証明されたしな。あ、そういやてめぇ『負けたら土下座しろ』っつってたか」

「黒堂!!」

「まぁこんだけ人がいりゃ部活どころじゃねぇし帰るわ。」

流石に周りがに人が増えすぎて、ここで下手に先輩を脅せば問題になると思ったのか、陽花はそのまま退散した。

エナメルバッグを肩に引っさげ、付いているバスケボールのキーホルダーを揺らしてスタスタと廊下に出て帰る支度をする。騒ぎを聞きつけて集まった生徒や先生はまだ、陽花の様子を眺めており通行の妨げとなっている。

「どけ!もう勝負終わったんだろうがジロジロみてんじゃねぇ!散れ!」

その声で、生徒達は吃驚して反射的に後退りする。


陽花の後ろ姿は気だるげではあるものの何処か満足げで、それで寂しそうに黒いジャージを着たまま校門に向かって行った。



3

散り終わった桜はもはやただの木だ。

薄紅から新緑へと変わり果てた学校の窓から覗く色彩は散った後だというのに生き生きとしているように見えた。

入学から3週間が過ぎようとしており、部活動勧誘も盛り上がりのピークを過ぎて、学内もそろそろ落ち着くことが出来ると思われていた。


「……はい。じゃあホームルーム終わり。帰れ帰れ〜。」

川島はいつも通り声は張り上げるようにしていたが、顔には疲労の色が滲み出ていた。

笑い声ももはや笑っているのか、泣いているのか分からない。

ホームルーム後の教室は途端に話し声で埋もれる。グループで部活に行く者や、昨日のテレビの話題で盛り上がる者、さまざまだが4月の後半になれば、自然とクラスの輪というものは出来ていくようなものなんだと思った。それでも、同小同士で集まっている傾向はあるのだが。

爽雨も教室を出ようかと考えた時だった。

「川島先生どうしたんだろうねぇ?」崎山丹菜は後ろの席にいる爽雨に話しかける。


崎山丹菜(さきやまにな)

爽雨がよく話してる数少ない女の子だ。


可愛い人だ、と思う。

最初に話しかけてきたのは、2週間前の体験入部期間の昼休みの事だった。

「佐々木君は新しい部活ってもう決めたの?」

彼女は、まだクラスに馴染めなくて1人でぽつんとご飯を食べ、数学の予習をしていた爽雨に話しかけてくれた。

爽雨の前に座っていた彼女は身体をくるりとこちらに向け、2つで括った長い髪を揺らした。幼さも残るようで鳥を思わせる綺麗な声で爽雨の名前を呼んだ。

「え…あぁ、うーん僕は…そうだな、本当は帰宅部がいいんだけど、部活には入らないと駄目だからなぁ。」

「確かに、運動部多いもんね。佐々木君は大人しそうだからなぁ…。」

美人なわけでも無かったけれど可愛らしい顔である。緊張を隠せずに喋ると怒鳴らずに優しくクッションのように言葉を返してくれる。誰にも隔てなくむけてくれる花が咲くような笑顔につられて爽雨も気持ちが緩み、ぽっと頬が染まった気がした。


穏やかな喋り口調もいつまでも聞いていたいなと思った。

「私ね、崎山丹菜。出席番号隣でしょ?お話ししてみたかったんだ。よかったら仲良くしてもらえないかな。」

「もちろんだよ。崎山さんよろしくね。」

「よろしくね。あ、佐々木君数学やっていたんだねぇ。ここ分かった?私、分からなかったんだ〜。」

「この問題は二乗がこっちだけにかかってるから…」


それからの会話は本当に、本当に円滑に進んだのだ。

あまり女子と話すことの無い爽雨にとってはドギマギしつつも、楽しいひと時だった。唯一の会話したことのある幼馴染の女の子は話すといっても会話にならないし、暴言マシーンのようで、よく疲れないなぁと思うくらいだ。言葉を交わすたび震えてた自分を思い出すと爽雨は少し情けなくなる。普通の女の子はこんなにコスモスのようにたおやかなのに。もしかしたら丹菜だからそうなのかもしれないけれど。


それが爽雨が崎山丹菜と交わした初めての会話である。

以降は丹菜が席を振り返って爽雨に話しかける光景もクラスの景色の一部となっていた。

「やっぱり、部活の事なのかな?」

今だってぱっと華やかな笑顔で爽雨に話しかける。

「黒堂さん凄いよねぇ。仮入部期間初日の騒動といい、もう学校一の有名人じゃないかな。話しかけたんだけど、相手にされなくて」

「ひぃちゃんはあれが通常運転だからなぁ、小学校もずっとあんな感じで有名人だったし。よくも悪くも。」

「ひぃちゃん…??仲いいんだね。」

「いやぁ……仲はそんな…ていうか幼馴」

「うるせぇんだよ!!てめぇら!嫌味なら直接言えやカスども!」

陽花はくるりと振り返り後ろで話している爽雨と丹菜に向かって怒鳴り散らす。丹菜は少し驚いて、「ごめんね、そんなつもりなかったの」と申し訳なさそうに手のひらを合わせて謝った。

出席番号順に、席は陽花の後ろに丹菜、丹菜の後ろに爽雨となっていて、陽花がもうさっさと部活に行ったかと思っていた2人は、好き勝手に話しをしたことを後悔した。


川島が何に頭を悩ませているのかというと黒堂陽花という自分よりも小さな、獣のような生徒の事だった。彼女は仮入部期間が始まる前から部活動を見学しに、毎日のようにバスケ部を訪れては終わるまでそこに居座って練習風景を眺めていた。初めて来た時は少々暴れたようだったが、ルールだからと川島に説得され、細かいところで真面目な彼女は眺めるだけに留まったが、陽花はそれだけではつまらなかったのだろう。実力は自分のがあるのは見てても分かるのに何故座って下手な試合を眺めてなくてはいけないのかと、しばらくすれば堪忍袋の尾が切れた。仮入部期間が始まり、早速部活で言いだしたことといえば「試合がしたい。」である。しかも、バスケ部の大将との一対一だった。そして残念な事に結果は陽花の圧勝でバスケ部員、顧問の川島に恥をかかせて帰っていったのである。川島にとって陽花はもう問題児と思われているようだ。無理やり、5月にある練習試合のメンバーの座をもぎ取り、部活に勤しむ事になった。熱心に取り組んでいるのはいいが、どうやら川島が困っているのは陽花がチームワークという言葉を捨てている事らしい。というより、他のメンバーを無能と見限り、部活動練習の時も1人でつっぱしり、点をどんどんと入れていった。しかも、他の女子部員達が陽花と実力がかけ離れてるので女子部員が手を出さない方が合理的なのが川島の気に入らないところだった。そして、今日までで5人ほど部活をやめたという。どうやら勝つ事に徹底的な陽花を見て、自信が無くなっていったらしい。


爽雨も実は騒ぎを聞きつけそこに来て、体育館でおきた試合を遠くから眺めていた。

勝つことだけを考えて、舞うように駆け走る陽花は、周りは怖がるばかりではあったが、爽雨は感動して見ていた。まるで龍が舞っているようだと爽雨は思う。火花がバチバチと激しく散らしているような勢いだった。


ひぃちゃんまた、速くなってるし高く飛んでる。凄い。かっこいい。


そんな事本人の前で言ったら「きめぇ」って怒鳴られるんだろうけど



「そういえば、黒堂さん2週間前の試合の日から他の部活の勧誘凄いんでしょ?全部断ったって聞いたけど」

丹菜はこのチャンスを無駄にしてはいけないと陽花に話しかけた。

「ああ?たりめーだろが!バスケ部に入部するために来てんのになんで他の部に入ると思ってんだ。あの無能ども。」

「そ…そうなんだぁ。」

爽雨が口を手に当てて考え込んでいたが、やがて考えていたことを口に出した。

「……ひぃちゃんはなんでバスケ部にしたの?。うちの中学別にそこまでバスケ強くないだろう?それよりもソフト部とか剣道のが強いのになんで…」

「あぁ!?」

「ひっ!!ごめ!興味で…」

「……」

陽花は黙り込んでいたが、すぐに抑えるような声で言う。

「うるせえ。小学でもやってたからに決まってんだろ。てめえに関係ねぇわ」

怒鳴らずに言ったことが珍しく、爽雨は目を丸くした。

陽花は「てめぇらのせいで部活に遅れる。死ね。」と付け足して、赤いエナメルバッグを引っさげて教室を後にした。



4

陽花はあれからも川島との衝突を繰り返しつつも、頭脳、身体共に優秀で夏になる頃には女子バスケ部で完全なレギュラー入りを果たしており、テストも堂々と学年一位でまさに文武両道といった言葉が似合っていた。

提出物もきっちりと期限前に出しており、復習予習も真面目にも取り組んでいたので川島も素行の悪さを叱ろうにも叱りづらい空気を作り上げていた。

現在も、皆が悲鳴を上げる「通知表返却」もおそらくオール5であろう成績を陽花は相変わらずの皺の寄った眉で眺めていた。

夏休み一歩手前の教室はどことなく浮かれており、蒸し器のように暑い教室も気にならないような盛り上がりを見せていた。旅行の話や、親戚の話、それ以外にも友達同士で遊ぶ話が行き交う。とはいっても、中学生が行く場所など公園やらゲーセンやらで限られてはいるだろうが。


「黒堂〜花火大会行こうぜ花火。他のバスケ部の奴らも誘ってさぁ。」

陽花の周りには取り巻きかのように男子が囲む。その中には同小だった子も同中の子もいる。陽花は鬱陶しそうに男子達を眺めては「あ?あんな人混み行ってられっか」と返していた。

爽雨はじっと陽花のいる方を眺めていた。けれど、丹菜に声を掛けられて意識を丹菜との会話に集中させる。

「私達も一緒に行こうよ。佐々木君。」

「うん。行きたい。ひぃちゃんはどうするんだろうね」

「黒堂さんそうゆうの苦手そうだけど」

「ひぃちゃんああ見えて結構花火好きだと思うんだ。小3くらいまでは毎年一緒に行ってたし。」

親に連れられてぶすっとした顔で祭囃子を歩いている後ろ姿を爽雨は思い出す。人混みは親子共々好まないようで母親2人と陽花と爽雨の4人で少し離れた河原で線香花火をしながら大きな花火を見ていたっけ。ひぃちゃんと行かなくなってからは花火大会にも行かなくなった。偶にはいいかもしれない。

「今週の土曜日だよね。4時に待ち合わせしよう。」

「分かった。楽しみにしてるね。」

教室には『ひばり町花火大会』のポスターが飾られていた。


陽は夕方だというのにまだまだ辺りを明るく照らしつけて、昼間ほどではないが熱気を放っている。忙しなく響いてくるジジジと鳴る蝉の声が鬱陶しい。

爽雨は約束の日、20分前に待ち合わせ場所の西川駅に胸を高鳴らせて待っていた。20分ほど歩けば屋台のある花火スポットに辿り着く。青いポロシャツに黒いズボンを履いて、相変わらずの癖の強い髪に太い黒眼鏡を掛けている。暑さで若干服が汗ばんでいた。

「いた!ごめんね?待った?」

10分後、丹菜は申し訳なさそうに爽雨に近づく。いつもは2つ下で結んでいる整えられた髪は今日は束ねて団子結びになっており、丹菜に似合う可愛らしいピンクの花の髪飾りが添えられていた。服装も全体的にピンクの中に白い牡丹で彩られた浴衣を着ている。

立てば芍薬座れば牡丹…そんなような言葉があった気がする。夏の暑さを吹き飛ばしてくれそうなほどの爽やかないでたちだ。

「いやあ、この歳でピンクはちょっと恥ずかしいんだけど。」と照れ臭そうに笑う姿が浴衣の模様のようで愛らしい。

「全然待ってないよ。さ、行こうか」

爽雨は照れ臭そうに丹菜の顔を見て笑う。

それから2人は屋台のある方面へ向かって歩き出した。


屋台通りは活気に満ちており、人々の昂ぶる声が聞こえてくる。ひとたび歩けば「やあ!お二人さん!たこ焼きは如何かな!」「きゅうりの一本漬けいりませんか」「綿菓子売ってるよ!」と、屋台から様々な声が飛び交う。お面を付けた家族、綺麗な浴衣を着て歩く女子高生達、部活帰りで来たであろう雰囲気を醸し出したジャージ姿の5人の男子中学生…辺りは人で埋め尽くされており、より一層お祭り気分を上げてくれた。そんな祭囃子の中を丹菜と爽雨はりんご飴を食べて、話しながら歩いている。所謂男女2人で出掛けるデートという甘美な響きがよく似合っている光景だ。

「崎山さん今日は誘ってくれてありがとう。いい天気でよかった。花火日和だ。」

「うん。此方こそ来てくれてありがとう。佐々木君。」

「でも、崎山さんほかにも友達いるのに僕なんかでよかったの。」

爽雨が申し訳なさそうに言うと髪飾りが取れそうな勢いでブンと首を横にふる丹菜がいた。

「ううん!佐々木君と行きたかったの。佐々木君、花火絶対一緒に見ようね。」

「勿論だよ。」

爽雨も丹菜に笑ってそう返した。

暫くりんご飴を食べ終わり、冷たいものが食べたくなったとカキ氷を食べた。その後に何をしようかと歩いていた時に2人は見たことのある人物を見つけた。射的コーナーで銃を持っている。身長が高い鍛え上げられた身体が一目で分かる男の人…澤田だった。

「あの人って黒堂さんに負けた人じゃない?」

丹菜は爽雨にしか聞こえないようにぼそりとか細い声で呟いた。

どうやらちょうど射的ゲームをやり終えたようで友人2人とともに話しながら此方に向かっていく。

「取ったやつお前らにやるよ」

「まじかいいのさんきゅ。」

なんでもないように、射的ゲームの景品であろうお菓子を友達にあげた。気前のいいようだ。こんな温厚そうな人物なのに陽花の餌にされて心底可哀想だと爽雨は澤田達に意識を向ける。

「つかさ、澤田最近いらついてね。なに、受験のストレス?」

「確かにいつももっと笑うじゃん。」

澤田の顔は確かに少し青ざめているように見えた。

「…あーー…練習疲れてるのかな」

「まだ、お前部活あんだっけ?ねえ、バスケ部女子めっちゃ減ってるらしいじゃん。ゴクドーいんでしょ。あいつのせい?」

「あーお前もさ大変だったよな。またなんかやらかしてんの?」

友人は陽花の話を持ち出しておもむろに語り出す。陽花に屈辱的な目に遭わされた澤田に対して凄い図太い神経をしているなと爽雨は少々驚いた。

「てか澤田もあいつのせいで色々言われてんよな。」

「…あいつのせいでさ、部活がガタガタなんだよね。廃部までとはいかないけどさ。女子バスケは言わずもがな男子バスケも空気悪くて。ちょっとバスケ上手いからってこっちまで女子バスの空気持ち込まれちゃ溜まったもんじゃないって。コーチも黒堂に負けるかってメニュー増やすんだけど、ハードすぎて部員がついていけてねぇの。そりゃそうだ。シャトランからのすぐシュート練でミスったら3キロコースランニングとかだぜ。やりすぎは意味ないのに。」

「うーわ、えっぐ。極道まじで舐めてんな。一回締めとこうぜ。」

「俺も嫌いだわ。リンチなりレイプなりさすればあいつちょっとは立場わきまえるだろ。つか後輩が言ってたんだけどこの花火大会来てるみたいだしちょうど良くね。」

目を背けたくなるほどに酷い言いようだ。これ以上関わりたくないと思った丹菜は隣にいる爽雨に目配せする。しかし、その肝心な爽雨は此方を見てはくれない。今まで見たこともないような酷く眉間にしわを寄せて澤田達を見つめている。今にも飛びかかりそうな雰囲気だ。もともと黒い目は更に闇のように濃く見えて光を映さずに濁っていた。

丹菜はそんな見慣れない爽雨の顔が怖くて目を逸らしてしまったと同時に爽雨は澤田に掴みかかった。丹菜がびくりと口を紡ぐ。

「すみません。確かにきっかけはひぃちゃんかもしれませんが、全てをひぃちゃんに充てつけるのはやめて下さい。」

爽雨は強い声ではっきりと言い切った。掴まれた澤田とそれ以外の2人は困惑した顔で爽雨を見つめている。一瞬ひぃちゃんという単語が黒堂陽花のことを指しているとは思わなかったからだ。

「は?ははっ。お前一年坊?何?俺らが悪いっての。」

「…ひぃちゃんは横暴だけれど澤田さんや他の部員よりも何倍も凄いだけです。それを妬んでいるのは貴方達でひぃちゃんのせいではありません。」

「こいつ!」

澤田の友人が爽雨の胸倉を掴んだ。

「やめろって。問題になったら内申ヒビはいんだろ。」

澤田が制止の言葉を掛けたが、友人も爽雨もどちらも引かない。

だってそうだ。ひぃちゃんはただ真面目なだけ。勝つためにやってるだけで、自信無くして辞めてく女子も、触発されて横暴になった顧問もそれで空気を悪くする男子も全部自分が勝手にやってるだけでひぃちゃんは全く悪くない。ひぃちゃんのバスケの才能に溢れているのが問題だと言っても、『リンチ』『レイプ』というよく分からないが嫌な響きの言葉に腑が煮えくり返り心臓を潰されるように怒りで胸が熱くなった。多分きっと良くない意味だ。

「ごめんな、楽しんでるのに邪魔しちゃって。」

澤田が謝るが申し訳無さそうな顔はしていない。とりあえずこの場で騒ぎを起こしたくないという気持ちのが大きそうだし、爽雨の言葉なんか全然納得していないのだろう。澤田は友人2人を連れて屋台通りの人混みへと消えてしまった。

爽雨は拳を痛いくらい握りしめて身体中を熱くして突っ立っていた。ドグドグとマグマのように心臓の音がやけに頭の中で響く。

やがて独り言のように虚ろな顔で言う。

「ひぃちゃんのとこへ…行かなきゃ」

爽雨は周りを見ずに人混みに紛れて走り出した。


「ひぃちゃん!ひぃちゃん!!」

人を押しのけて身体中を熱気で包まれながら喉が痛くなるほどに叫んだ。近くにいた人達がが吃驚して爽雨を見ている。そんなのも気にしてる暇がない爽雨は屋台通りを抜けて花火の観覧場所へと来ていた。此処でもかなりの人で埋め尽くされている。その時にひばり中学校のバスケ部の集団と目が合った。何しろ人が多いとはいえ地元の花火大会なので同中と会うことはおかしいことではない。

「あれ…お前同じクラスの」

その集団の中で見覚えのある1人が声を掛けた。よくひぃちゃんと一緒にいた人の中の1人だと爽雨は思う。苗字が柚子川(ゆずかわ)というかなり特徴的だったので覚えていた。童顔が特徴な男子だ。

「柚子川君!ひぃちゃん一緒じゃないの!」

「あー?黒堂?なんか人混み酔いしたのか知らんけど帰るとか言ってどっか行った」

爽雨はそれを聞いて更に冷たい汗が吹き出たように感じた。

「なんで!!1人で行かせたんだよ馬鹿!」

「え、ちょ待っ。」

帰って行ったのだったら陽花の家なら反対の方面を走れば帰り道だ。踵を返し汗を身体中から飛ばしながら爽雨は先ほどの屋台通りへ駆けていく。反対方向へ向かっていけば陽花に会えるはずだと爽雨は目を血走らせて陽花を捜す。もしかして連れ込まれたんじゃないか。そんな不安が纏わり付いたのか、祭囃子を抜けた裏通りまでも捜していた。

『まもなく有名花火師、平塚元蔵による夜空に咲く大輪の花火を…』

いつの間にか花火が上がる10分前になっており、何処からともなく花火を予告する放送が流れた。

花火

そうか、そもそもひぃちゃんがどうでもいいと思ってるならこんな祭り来ないんじゃないか。

じゃあひぃちゃんは

爽雨はそのまま裏通りを突き抜けて、人混みから離れていく。


柔らかく透明な音が聞こえた。涼しげな水音が心地よかった。いつの間にか辺りは暗くなり始め、三日月は金色に輝いて川底を照らしていた。生暖かい弱風を起こし、雑草が揺れる。爽雨は坂を下って川に近づく。ガラスよりも透明な水面からは水底にある小石やら小魚がよく見える。

爽雨は陽花と母と陽花母と4人で花火を見たこの河原に来ている。なんとなく毎年花火を見てただけあってここに来ているんじゃないかと感じていた。

随分前の事だけれど。

「あ!?なんでテメェがここに!」

「!ひぃちゃん!!」

草の音が聞こえると思えば、そこには望んだ人物が眉間に皺を寄せ、嫌悪を剥き出しにした顔をして立っていた。黒のタンクトップにカーキのカーゴパンツを履いており、陽花の明るい髪と対照的でよく似合っていた。

どうやら爽雨の感は当たったようだった。爽雨は眉を下げて1つ息を吐き、陽花の近くへと歩いていく。まるで炭酸の抜けたコーラのように爽雨は安堵した。

「ひぃちゃん何処も怪我は無い!?澤田さんに会ってない!?何もされてない!?」

爽雨は汗ばんだ手で陽花の肩を強く掴んで声を張り上げる。陽花は心底嫌そうに歯を食いしばって爽雨の様子を眺めてやがて口に出す。

「あ?澤田って誰だよ。いきなりおかしな事言いやがってラリってんじゃねえぞ阿保が。」

「…良かったあ。会ってないんだ。」

「シカトすんなや!!」

陽花は獣のように口を大きく開けて、目尻を激しく釣り上げて怒ってみせる。目が飛び出そうな勢いだ。

その時

耳から巨大な爆発音がドンと響く。火薬の匂いが鼻元を漂った。2人は空を見上げるとそこには一輪の花が夜闇に咲いている。

花火はもう始まっていた。

やがて大輪になっては、空に火の雫が溶けて消えて無くなった。その度にまた耳を刺激する炸裂の音が鳴り、火の花を空へと轟かせていた。

「ひぃちゃんここが好きだったんだ。」

爽雨は空を見上げながら懐かしむ声色で呟く。言った後にふと出てきた言葉に自分でも驚いていた。

「テメェは嫌いだけどな」

陽花はチィと小さい舌打ちをして細い声で呟いた。まさか聴こえてるとは思わずに爽雨は身体を少し跳ねさせてしまう。きっと般若のような顔をしていると思って横を見れば、陽花はただただ静かだった。彼女の周りに無音の空気が立ち込める。

陽花は真夏の夜に浮かぶ花束をずっと見上げ、それからはずっと黙っていた。紅色の瞳には鏡のように青、緑、橙、様々な色彩を写している。静かな陽花に困惑しつつも爽雨は目を細めて夜空を眺める。

河原には2人の空間がその時間だけ存在していた。



パァンと燃え盛る音と火花が見えなくなれば、辺りは再び静寂に包まれる。陽花は爽雨には何も声をかけずに帰ろうとする。

ひぃちゃんはここで見る花火が好きだったんだ。

静かな瞳でただ、ただ夜空を見上げる幼馴染を爽雨は思い出す。暗くてよく見えなかったけれどその姿は異様なはずなのに不思議と想像出来た。そういえば昔見た時も彼女は眼を瞬きすら忘れそうになるほど大きく見開きながら口を動かさずに開けて、ずっと空を見張っていた気がする。

爽雨は口元を少し緩ませて先に帰ろうと河原から道路へ向かう陽花を追いかけた。草木が風で少し揺れた。


5

夏休み明けは地獄の始まりだ。

新学期の初日、普段爽雨の周りなど人なんて集まらないくせに今日に限っては何人かが爽雨の机を取り囲んでいた。何事だと爽雨はぱちくりとこれでもかと目を見開く。やがて取り囲んでる中の1人、柚子川が爽雨に語る。

「ねえ、黒堂と佐々木が帰ってるとこ見かけたやつがいたらしいんだけど、お前らひょっとして」

そう言いかけた柚子川に違う男子が1人横入れをする。

「いやいや、俺見たんだけど佐々木君崎山さんと一緒にいたんだよ!2人で!」

「え!でも佐々木、黒堂探してたじゃん。必死に。あれ約束してたとかじゃねえの!?」

「佐々木君二股ってこと!?ひょー地味な顔して、あらぁー。」

話はどんどんとありとあらゆる方向で広がっていく。こんなの陽花に聞かれでもしたらとんでもない形相で荒れ狂うに違いない。

花火が終わった後、爽雨は陽花と一緒に帰って行った。一緒に帰るといっても爽雨が勝手に陽花の後をついていっただけだ。住宅街を歩けば烏が数羽鳴いた。

「来んなカス死ね!」と目を70度ほどに釣り上げて怒鳴る陽花に「僕も帰り道こっちだから」とビビりながら情けなく答えた。「近づくんじゃねえ」と言って陽花は爽雨から逃げるようにそそくさと歩いていく。爽雨はそれを逃さないように、陽花に必要以上に近づかないよう後をついていった。怖かったのだ。澤田にもし見つかりでもしたら、何をされるかわからないと一抹の不安を抱いてしまう。帰ってから澤田の友人が言っていた言葉について調べたら脳味噌が真っ白になり激しい怒りが込み上げてきた。

こんな形になってしまって花火を一緒に見ようと約束していた丹菜に爽雨は申し訳ないと後日家に菓子折りを持って謝りに行った。

「崎山さん本当にごめん。せっかく誘ってくれたのに。また何処か一緒に行こう。」

丹菜は眉を下げて、目を細めて笑みを見せた。

「気にしてないよ。大丈夫。また来年だね。」

爽雨は頭を深々と下げていた。

そのように花火大会は終焉を迎えて新学期がやってこればこんなにもクラスに伝播している。地元とは言えあの人混みでこんなに伝わるものなのかと爽雨は内心呆れていた。

「違うよ。僕らは幼馴染なんだ。一緒に帰ったとしても可笑しいことじゃないでしょ。崎山さんとは一緒に行ったけれど、大切な友達だよ。」

そう言うと、同小だった人は特に納得して殆どの人は「まあ黒堂が付き合うとか笑えるもんな。」

と笑いながら返して離れて行った。しかし、柚子川はしつこく聞き出そうとする。何せ爽雨と祭りの間に会って話もしていたからだ。

「黒堂になんか合ったわけ?お前ら学校でつるまないじゃん。嫌い合ってるのは知ってるけど。」

「…いや。僕の勘違いで終わったから気にしないで。」

柚子川は多いまつ毛をパサパサ動かし瞬きさせて眉毛を下げて不安そうに爽雨を覗き込む。

その時に怒号が耳に纏わり付く。

「おい糞雑魚!ふざけんなよ。お前は私に恩でも打ったつもりか。目障りなんだよ!」

重そうなエナメルバッグを提げた陽花がどかどかと乱暴に足でドアを開けて教室に入り、爽雨の胸倉を掴んだ。爽雨は眼を飛び出すほどに開いて驚いた。陽花は激しい怒りを顔面に表し、叫ぶように爽雨に吠える。

「バスケ部の雑魚なんて私の敵じゃねんだよ。テメェは余計なことしてんじゃねえ!部外者が勝手に場を乱してんじゃねえよ糞野郎が。」

「部外者!?部外者なわけないじゃないか!ひぃちゃんの幼馴染なんだ!」

「テメェなんか幼馴染でもなんでもねえわ!二度と私に近づくんじゃねえ。」

ドアは雑に開けられた反動でバンと大きな音を立てた。陽花はどうやら話の流れを知っているらしかった。やがてドアを開けて丹菜がゆっくりとした足取りで入ってくる。

「ごめん。佐々木君…言っちゃって…。」

「クラスの連中がテメェを取り囲んで騒いでたのを見たから丁度廊下にいたさげ女脅して吐かせたんだよ。私を助けたとでも言いてえのか。テメェに何が出来んだよ何も出来ねえくせに!」

陽花は奏雨の腹を思い切り殴った。バスケ部の腕力が凄まじく急所を的確に狙う。

奏雨の身体に激痛が走る。奏雨はその反動でその場で蹲り吐いてしまった。教室に沈黙が走る。

陽花の赤い瞳には水の膜がはっていた。丹菜は可哀想にカタカタと小刻みに震えてる。周りは修羅場に出くわしてしまったと遠巻きに眺めている。修羅場というよりと陽花が勝手に喚いてるだけだ。足も爽雨の机に乗っけており、優等生の所業とは思えない。呑気に川島が教室に入ってきては「お?どうした。静まり返っちゃってー新学期で気が抜けちまったか?」と飛んだお門違いな言葉を吹っかける。

「………ごめん。」

爽雨は陽花の瞳を見つめて謝る。

「ハッ。」

陽花は爽雨を睨みつけて机を一蹴し、自分の椅子に腰をかける。バスケボールのキーホルダーが机に少し擦った。そして筆記用具やノートなど必要な道具を整理しだす。丹菜も重い足取りでと席に戻っていく。呑気なのは川島だけだ。

「???さあホームルーム始めるからな。」

残暑の教室では川島の熱い声が晴れやかに響き渡る。


昼休み、陽花が近くに居ないことを確認して丹菜は爽雨の前でもう一度手を合わせて謝る。蝉の声は五月蝿い教室に紛れて未だに鳴いていた。

「佐々木君。ごめんね。言わないつもりだったんだけどどういう経緯で佐々木君が黒堂さんにあの日捜しに行ったのか話しちゃって。」

「ははっ。しょうがないよ。話せって言われちゃったんでしょう。というか崎山さん悪くないよ。僕が全部悪いし。」

爽雨は丹菜が午前中の休み時間に友人達に心配する声を掛けられていたのを思い出した。「黒堂さんに絡まれて大変だったね。」「喧嘩に巻き込まれて大丈夫だった?」と丹菜を気遣う言葉が聞こえた。

友人が言うように丹菜はただの被害者だ。何も悪くなどない。お腹をさすりながらなるべく優しく微笑んだ。まだ痛みは引かない。今日1日は走れないだろう。

「でもさ黒堂さんもなんであんなに怒らなくてもいいのにね。殴るのも可笑しいよ。佐々木君に感謝の言葉も無しでさ。」

私だったら佐々木君に守られたって知ったら喜ぶけどな。と付け加えて頰を僅かに桜色に染めて言った。

「崎山さん」

ここで普通ならば甘い空気を作り出せるはずだが爽雨は顔を顰めて笑わずに丹菜を見つめて言う。

「確かにひぃちゃんは理解されるような人格じゃないよ。僕も好きじゃないし。でも、ひぃちゃんは心配される事自体嫌だと思う。」

真剣な顔で言われると丹菜の顔は色を失った。慌てて丹菜が言う。

「黒堂さんを馬鹿にしたつもりじゃ…ごめん。」

「分かってるよ。」

なんてことのない会話のつもりなんだろう。だけど、何を言うのが正解なのか分からない。

佐々木君にとって黒堂さんは何なんだろう。



6

白い息はやがて朝の空に一瞬で消えていく。身を縮こませながら慣れた通学路をひたひたと歩いていた。マフラーに顔を埋めて凍った頰を暖める。自慢の2つで結んだ髪はすっぽりとマフラーに埋もれていた。入学して夏休み、2学期、そして冬休みが過ぎていつの間にか3学期もやって来たのだ。1年はあっという間とはよく言ったものだと丹菜は物思いにふけた。

学校に着くと、時計の短針は7をまだ指していた。早い、早すぎる。普通の生徒は皆8時半迄には席に着くという校則だ。

こんな時間に来たのには理由があった。一階の家庭科室には誰もいない。冷蔵庫の隣に貼ってあるカレンダーは13日を指していた。バレンタインの前日だ。鞄を置いて『ぶきっちょのお菓子作り入門』と書かれた本を取り出す。

勿論中学生なのだから丹菜にも思い人がいる。

本当は昨日作って冷凍して14日になったらチョコレートをその人に渡す予定だったのだ。しかし、チョコを溶かす段階で焦がしてしまい、キッチンも焦げまみれになってしまった。母親に料理禁止令を食らったのでは仕方がないので学校で家庭科室を借りて作る事にした。朝方なら人はいないだろうと思った。思った通り誰もいない。沢山ある調理用テーブルの中で窓際の方を選び、用意した材料を置く。カーテンの隙間から覗く朝方の陽射しが部屋に入り、電球代わりとなっていた。

道具を用意して、本はトリュフの作り方の書いてあるページを開く。最初にチョコを細かく切る。包丁がドンドンと愉快に音を立て、半分ほど切り終わったその時、

ガンと勢いよく雑に扉が開かれる。

その開いた人は見覚えのある人物だ。

「あ?」

栗色の短髪が特徴的なクラスの女の子、丹菜の1つ前の席の黒堂陽花。驚いて瞳孔が開いているその顔に情けなく身震いしまった。

彼女は少々苦手だ。

乱暴なイメージが拭えなくて、暴言も平気で吐くような人間。しかし邪険にも出来ない存在な分、厄介でもある。運動も勉強も出来る才能の塊で出来ていて、自分とはまるで違う世界の人間だった。

しかし何故彼女がこんなところにと疑問が湧く。この時間にいるのはきっとバスケ部の朝練か何かであるというのはジャージ姿から一目で分かった。黒色が好きなのかよく上下黒のジャージを着ている気がする。しかし家庭科室に何の用だろうか。

「黒堂さん…?どうしたの?」

恐る恐る丹菜は尋ねてみた。

「……関係ねぇだろ。」

威圧するような声色、相変わらずのしかめっ面で家庭科室の中を歩いていく。ある机で立ち止まり、その机の中を探れば筆箱を取り出していた。昨日に最後の授業の時間に家庭科の授業があったのを思い出す。成る程、忘れ物かと納得出来た。

なんだか彼女が可愛く思えた瞬間だった。目つきは悪いが端正な顔立ちをしているのでもっと笑って爆発的な性格を治せば極道なんて呼ばれずに男子からモテるんだろうと思う事が常々ある。

「黒堂さんもちょっと抜けてるところあるんだね。」

言ってからすぐに冷や汗をかいた。つい言葉が出てしまった。時が止まったような気がした。まずい。このからかい方は彼女は好きじゃないはずだ。殺される覚悟など出来ていない。

陽花は目を少し釣り上げて瞳孔を開く。丹菜がぎゅうと目を瞑った。

「ああん!?なんか文句あ…」

しかし陽花は怒鳴ろうとした口を止めてぽかんと口を開いて丹菜を眺めていた。目が点になると言う言葉を具現化したような表情になる。恐る恐る目を開けて丹菜は不思議そうに包丁を片手に陽花を見つめ返した。

「おいこの馬鹿!何やってんだ。猫の手やれや!」

「はい?猫の手?」

「料理しねえのかテメェは!この本にもあんだろ。包丁の持ち方も違え。人でも刺すのか。」

陽花は丹菜から包丁をぶん取り、丹菜を押しのける。そのまま丹菜は尻餅をついてしまった。

「つうかテメェはもっと細かく切れねぇのか。きめ細やかなチョコが出来ねぇぞ」

「ま、ま待って!黒堂さん料理出来るの?」

「たりめぇだろ。料理なんざ誰でも出来るわ。トリュフか。」

机の上には丹菜が用意した、生クリームや先ほど刻んだチョコレート、粉糖等が置かれていた。丹菜はゆっくり立ち上がる。

「あ、うん。実は家で失敗しちゃって…。ここで…」

「テンパリングもねートリュフで失敗する奴とか初めて聞いた。てめぇ向いてねぇな。」

相変わらず人を貶す言葉しか吐かない。陽花は筆箱を持って廊下へと向かおうとしていた。丹菜は慌てて声を掛ける。

「黒堂さん!良かったら手伝って貰えないかな!?」

陽花は振り返って言葉にしなくても分かるくらいの嫌そうな顔を丹菜へと向ける。

「ざけんな。テメェのチョコ作るためにここ来たんじゃねぇんだよ。寝言は寝て言え。」

陽花はそう言うともう見向きもせずに歩いて行く。丹菜は眉を釣り上げて珍しく口を尖らせる。

「なによ。あの言い方。…なんで佐々木君あの子のこと好きなんだろう…。」

丹菜は呟きながらチョコをボールに入れて、湯を沸かし始めた。



佐々木君が黒堂さんの事を好きなのかというのはなんとなく考えていた。それは佐々木君の反応が極端だったからだ。いや、それには語弊がある。好きとは違う感情のような気がする。何故なら顔色ひとつ変えずに平然と「好きじゃない」「嫌い」「付き合わない」等と言えるからだ。それでも、黒堂さんの事を特別視しているのにはきっと変わらない。なんにせよ、黒堂さんの事になると佐々木君がまるで別人のように剥き出しになる時がある。

丹菜は負けた気分になって複雑だった。黒堂さんには今後もし佐々木君と付き合えることになったとしても一生勝てないような気がした。

それでもあんな暴言吐く汚い男女に負けるのは癪なものだが。

結局丹菜はホームルーム前にチョコを作ることが出来なかった。生クリームを焦がしてしまって慌てていたら時間になってしまったのだ。道具を洗い、材料を仕舞い、急いで教室へ行く。もう今日の夜か明日しか時間は無い。

それでも、爽雨にありがとうという想いと好きだという気持ちをチョコにして渡したいのだ。爽雨の事は話しているうちに惹かれていった。爽雨の穏やかなところが好きなのだ。

秋に席替えをして、席が離れても話しかける頻度を減らさないように努力した。今日も休み時間にそこそこの頻度で話しに行く。些細な事でいいのだ。「勉強教えて」「前教えてくれた曲良かったよ」「部活でこんな事が」

話題を吹っかければ爽雨は絶対に笑って話してくれていた。2人でいる時間は何より楽しい。

そしてあっという間に1日は終わり、丹菜は家庭科室へ向かう。今日完成させなくては明日に渡せない。その前に予備の生クリームを買わなくてはいけないので一回近くのスーパーで買って学校に戻ってから向かった。

材料は冷蔵庫に入れてあり、それ取り出して、道具を用意し、ボールの中のチョコを溶かそうとそのままボールをコンロに置く。火を付けて掻き混ぜようとする。

その時にガラリと扉を開ける音が聞こえた。

「おーまじで崎山いるじゃん。」

現れたのは童顔の可愛い男の子だった。身長は前よりもずぅっと伸びたので男の人に近づいている。よく陽花と一緒にいるその子は男子バスケ部である。同じクラスで皆んなと分け隔てなく話せる男の子だと感じた。ジャージは着ておらず、制服だった。

「柚子川君?」

「えと…崎山にプリント渡せって川島が…え!?ちょ!崎山!?それプラスチック!!」

「え?こうやって火を付けて溶かすんじゃないの?」

「プラスチックは容器ごと溶けちゃうから!?」

柚子川は顔に驚愕の色を浮かべて急いでコンロからプラスチックのボールを離す。まだ火を付けたばっかりだったからよかったものの、これをそのまま熱したら大惨事だ。

「あ…はは、もしかして崎山意外と料理苦手なんだね?」

その言葉で丹菜はカァーと顔が赤く染まった。俯いて、恥ずかしさに言葉が見つからないままだ。

「あ!そうだ!ちょっと待っててくれ!」

そう言うと柚子川は家庭科室から走って出ていった。丹菜はぽかんとして柚子川の後ろ姿を眺めるとやがて5分後くらいに戻ってきた。体育館と家庭科室は同じ一階で結構近い。家庭科室へ柚子川が息を切らして「お待たせ!」と来たのと、もう1人、首に腕を回され引っ張られて不機嫌な顔をした陽花がいた。陽花はチッと舌打ちを鳴らす。陽花だけはジャージ姿だった。今朝と同じだ。

「んだよ!?今フリースロー練してんだろが!」

「今テスト前で無いだろ?部活。ここまで依存してんのお前くらいだよ。」

「ちょっと1時間くれぇやるだけだ。やらねぇとコンディション悪くなんだよ!」

「でももう部員10人だろ?そのうち廃部になんじゃね?」

「るせえええ!大会はこの弱校が県大1位まで行ったんだよ!なるわけねぇだろ!」

「んーー。どうどう、まぁお前の不満は分かるけど!」

柚子川は陽花の怒りを軽く流す。この学校で彼女にここまで言えるのは彼くらいのものでは無いだろうかと丹菜は感動すら覚えた。

「悪いんだけどちょっと黒堂、崎山にチョコ?教えてあげなよー。あ、崎山心配しないで!こいつこー見えてね男バス女バス合同合宿の時マネよりも料理上手だったんだぜ。絶対に性格損してるよね!」

「勝手に話を進めてんじゃねぇわ!!」

それを聞いて丹菜は目を輝かせる。

「本当に教えてくれるの!?黒堂さん!」

「人の話聞けや!!戻るわ!」

陽花は怒りを露わにしてそのまま体育館へと向かおうとした。

柚子川はハァと軽く溜息を吐いてやれやれと首を振った。

「もしかして、ひぃさんは料理は出来てもお菓子は作れなかったかなあ?まぁお菓子は女の子が作るものだもんね。ちょぉーーーーっと難しかったかな??無理言ってごめんね??」

そうやって柚子川は煽り言葉を巧みに並べる。丹菜はあたふたと慌てた。

陽花のこめかみに亀裂が走りプツ、と切れるような音が聞こえた。

「………無理じゃねぇわ!!!貸せ!おさげ!!」

丹菜は顔をパァと明るくさせて満面の笑みを浮かべた。嫋やかなまでに綺麗な花のようだ。柚子川はあまりのちょろさに呆れの表情まで見せた。

「ありがとう!多めに材料用意したの!手本として一緒に作って!」



「おい!生クリーム無駄遣いしてんじゃねぇわ!!沸騰してんだろ!」「泡立て器飛び散らかさせんな!後片付けたりぃだろが!」「冷えてねぇんだよ!溶けんぞもっと冷やせ!」

まるで地獄絵図だ。丹菜は「はい」と繰り返しながら進めてく。隣でけらけらと柚子川が「おーおー鬼教官ー」と野次を飛ばす。しかし、暴言は吐くものの教えると言った手前順序はちゃんと1から教えていた。「クリーム溶かしてチョコ混ぜて冷やして丸める。以上」と説明は淡々としていて説明書見た方が詳しく載っているであろうレベルだったが一緒に作業してくれる相手がいると、自分の至らないところを叱ってくれるのは良かった。一人でやるよりもすんなりと事を進められる。失敗はしているものの陽花がいるおかげで最後まで作れそうなので感謝でしかない。陽花は手際が良く、料理人のようにそれはそれは器用にこなしていた。泡立てる時などクリーム一つ飛ばさない。

隣で作っていると気づいたことがある。160いくつだろうか。言動が子供っぽいから気づかなかったがやはりバスケをやっているだけあって手足もすらりとして丹菜よりも10センチほど高い。そして柔軟剤の匂いが鼻をくすぐった。きっと料理だけじゃない。洗濯とか家事全般出来るのだろう。

丸め終わって粉をまぶしてあとは数分冷やすだけだ。冷蔵庫に入れる時間は4時半。4時40分には完成する。最高だ。これさえ終われば後はテスト勉強に没頭出来るのだと思うと安堵でいっぱいだったと同時にふと気になった事を丹菜は尋ねた。

「そういえば黒堂さん、朝来てた時も自主練だったの?」

「それ以外に何があるってんだ。」

「ええ!?凄いね…。テスト前なのに、なんでそんなに頑張るの?」

「は?」

「だって黒堂さんくらいバスケ上手くて運動神経ある人なら練習軽くで充分伸びるじゃない?」

「馬鹿かよ。テメェは、舐めんな。私は1番になる。こんな糞校の中でじゃねぇ。どの学校よりもだ。」

陽花はフンっと鼻を鳴らしてイラつきながらも淡々と答えた。

それを聞いて丹菜は目が覚めたような気分になった。


黒堂さんは大体のことは器用にこなせるのだろう。でも、黒堂さんが強いのはそうじゃないんだ。きっといつも妥協を知らないから。


丹菜は目を細めて笑った。なんだか、佐々木君がずっと黒堂さんを見ているのを分かった気がする。だからこそ、負けたくない。佐々木君の1番という称号が欲しいんだ。

「なににやけてんだきめぇ!」

隣で陽花が怒鳴り声を上げている。

しかし、怒鳴ったと思えばスンと天候がいきなり変わるように静かに言った。冷蔵庫を指差して。

「それ、糞雨男にあげんだろ。」

「は…はあああ!?ど…どうし…やっぱり…分かる??」

「あのカスがいいとかトチ狂ってらあ」

陽花の相変わらずの悪態に丹菜は少し不機嫌になった。

「……なんでそうやって悪く言うの。私は…佐々木君…は、素敵な人、だと。」

「あぁ!?鳥肌立つわ気持ち悪りぃ。」

それを聞いて丹菜は俯いてしまう。佐々木君の好きな人が佐々木君の悪口を言うという事実に胸が痛くなった。黒堂さんにとって佐々木君はなんなの。なんでそうやって目の敵にするのか最早分からなかったのだ。

「おら、さっさと冷蔵庫の中取り出すぞ。」

「あ……うん。」

陽花に促されて丹菜は冷蔵庫の中を開ける。

中にはトリュフの甘美な匂いが鼻を惑わせた。



「出来た!出来たよ!黒堂さん!」

「お前お菓子も作れんだなー。黒堂一個貰ってもいいー?」

「勝手にしろ。」

「うわーお!うま!ひーちゃんさっすが〜。あ、ねぇねぇ、お前が作ってる間荷物取ってきといたから。」

「………黒堂さん。ありがとう。私、最後までちゃんとトリュフ作れたの初めてかも…。」

目の前には粉糖やココアパウダーで可愛らしく飾りづけをした丸々としたトリュフチョコが並んでいた。

これからネズミの可愛らしい柄の袋で包んでいく。そんな中で丹菜は黒堂に尋ねた。

「うーん…やっぱり黒堂さんのが見栄え綺麗だなあ。…黒堂さんの作ったの…包んであげてもいい…?」

その後にすぐ陽花は沸騰したように怒鳴る。

「ふっっっざけんな!!テメェが!糞雨男にやるんだろうが!舐めんじゃねぇわ!」

「あ……そうだよね…ごめん…。」

丹菜は我に返って謝った。そりゃそうだ。嫌いな人に自分の作ったチョコなんて渡したくは無いだろう。どうせ渡す人なんかいないのだろうという考えは罰当たりだ。

「崎山さ、確かにそれはちょっとなーって感じだけどー極道もーそんな言い方しなくていんじゃないのー?」

「誰が極道だ!!」

陽花は一呼吸した後、怒鳴るのをやめて抑えた声ではっきり言った。

「テメェのやつはとれぇし失敗ばかりだが、駄目な部分はすぐ直せてたし、作業してくうちに丁寧になってた。見栄えが悪くてもきっと不味くはねぇ。…次同じ事言い出したらぶっ殺すから覚悟しろカス!」

陽花は不機嫌な顔でそれだけ言うと乱暴に柚子川の持ってきたエナメルバッグを引っさげてマフラーを巻いて家庭科室の扉を開けて出ていった。彼女はとっくに包み終えてバッグの中にチョコを入れていた。赤いエナメルバッグが陽花が動くたびに揺れるのが目に入る。

柚子川は「ちょっとー黒堂ー!一緒に帰ろうぜ!」と後ろから声を掛けるが華麗にスルーされていた。

「あはは、崎山ちゃん体力使うよね。こいつといっとさ。」

「う、うん。そうだよね…でも…確かに悪いこと言っちゃったかもな…。」

「うーん…まぁ、黒堂ね、結構好きな人分かりやすいかも。」

「?」

「全力な人好きだからさ、崎山ちゃん見て頑張って作ってんの見てさ、結構認めてたと思うんだ。」

「……!だからこそ…だから、だから…呆れちゃったのかな…。私が逃げ腰だったから。………明日。ちゃんと自分の作ったやつ渡す。そして黒堂さんにもちゃんと謝る!」

「おお〜!頑張れ!佐々木羨ましいなあ〜どちくしょー!」

「ねえねえ、柚子川君は黒堂さんの事好きだったりするの?よく一緒にいるじゃない。」

「黒堂!?あははは!いやいやなーいない!あんな暴君絶対やだやだ。あれは女として見てないから一緒にいれんだぜ。俺の好みと真逆だし!」

「そうなんだ。ちなみに好みは?」

「うーーん…大人しくって〜女の子らしい?あいつ怒りっぽいけど黙れば綺麗なのね。その反対。可愛い系。……て、このカミングアウトかなり恥ずいから帰ろ帰ろ!てか俺テストやばい!」

「あ。私も課題あと2ページ残ってた!」

柚子川と丹菜は談笑しながら帰っていった。もう太陽は落ちようとしていて、夕焼けがやけに赤くて綺麗だった。黒堂さんの瞳みたいだ。嫋やかなまでの赤。

今日の終わりを告げるように烏の鳴き声が辺りに響いた。



当日、学校は普段とは違う空気を纏っていた。とは言っても中学校のバレンタインというものは友チョコの交換が多いので、いかに先生にバレずに渡せるか、この時間に皆んなでチョコ会をしようだとか、のどかなものである。その中に秘めた熱情を曝け出そうとする人間が少数いるものだから、どの生徒も頰が緩んで仕方がない。女子は色めきだち、男子は落ち着きなく、その時間はあっという間に過ぎ去っていく。

爽雨は今日は日直だった。つまり、教室に残って誰もいない空間でチョコを渡す。作戦は完璧だったため、丹菜は一日中気分は有頂天になっていた。僕も好きだよ。…丹菜。なんて頭の悪そうな妄想を浮かべてみる。

陽花と顔を合わせるのは若干気まずいと感じた。陽花に至っては丹菜がびくびくと顔を伺おうとすると心底迷惑そうに顔を歪ませてチィっと大きく舌打ちをするのだ。彼女に至っては平常運転なのかわざとなのかさえも分からない。

やがて放課後になった。丹菜は爽雨の席へ自然と寄り添ってみる。

「佐々木君、これから一緒に図書館へ勉強しに行かない?テストちょっと不安なんだよねぇ。」

「僕も不安だ。崎山さん理科出来るでしょう?ちょっと地層のとこで教えて欲しいところがあるんだ。ごめん。日直日誌書き終わるまで待っててくれる?」

「しょうがないなー。」

いつも通りの雑談が弾み、その教室を夕焼けが照らしつけて、部屋全体が赤らんでいた。

「崎山さん。」

爽雨が目を伏せて、日直日誌を丁寧な字で綴りながら口を開く。

「ありがとう。崎山さんがいてくれたからこのクラスでも楽しかったんだ。2年でも同じクラスになりたいな。なんで今なんだって感じだね。」

爽雨はへへと恥ずかしそうに笑ってみせる。その顔だけで丹菜は胸いっぱいで鼓動がどくどくと脈打った。

少しの時間を静寂が包み込む。

しばらくすると日誌を書き終わった爽雨が立ち上がって職員室へ向かおうとした。

「待って!」

丹菜は爽雨の腕を掴んだ。吃驚した爽雨は丹菜の目を見た。丹菜も勿論見返す。

「佐々木君。伝えたいことがあるんだ。佐々木君はいつも優しくてね、いつも笑顔が可愛くて、一緒にいて凄く好きなの。一緒に祭りに行ったり、話したり、公園で遊んだり、楽しかった。今の関係でも、充分に嬉しい。だけど。もっと近くで見ていたいな。」

丹菜は一息着いて、目をそらさずに言う。

「か、彼女にして欲しい。好きなの。」

丹菜にとってこれが精一杯だった。精一杯の告白で瞳が潤んで、もう少しで涙が溢れ落ちそうだった。爽雨はみるみるうちに赤くなっていき、困惑した様子を浮かべた。

「は…はぇ!?そ、そう、そんな、僕、そうゆうのちょっと、よく分からな」

「ごめんね、突然。」

「い、いや、ありがと、へへ、嬉しいな。」

そうやって爽雨ははにかんで笑ってみせた。

その時廊下から声が響いた。

「あれ、極道じゃん!んなとこでどうした?」

景気の良い声だ。男子の声変わりのしていない中性的な声だ。

「ひぃちゃん!?いるの!」

形相を変えたのは爽雨だった。なんでだという疑問が表情から見て取れる。

陽花は「ぐぁ…あ…くっそ」とよく分からない唸りをして罰の悪そうな顔でゆっくりと教室へと顔を見せた。

「…もしかして…見ちゃった…?」

「勘違いすんじゃねえ!雑魚が!体育館締め出されたからシューズ置きに来ただけだ!

人が出入る場所で何してやがんだ糞が。」

赤く色付いていた丹菜の顔はみるみるうちに青くなっていく。

至極真っ当な意見で反論は何も出来なかった。陽花に声をかけた生徒もどうしたどうしたとひょこりと顔を見せた。同じクラスの鈴村(すずむら)だった。ひぃちゃんとは仲は悪くないけどよくもない。そんな微妙なラインの友達だった記憶がある。陽花より一回り大きく、野球部の為世に言う坊主頭で筋肉もよく作られており、それでいて若干空気読めない人間だ。

「え、どしたん?あれ!崎山じゃん。なんでいんの?あと…えっと…さ、佐々木君?だっけ?」

空気読めないにプラスされて失礼な人間でもあった。鈴村はぼりぼりと困ったように頭をかく。

「…おい。糞ハゲ。帰んぞ。」

「はーーー!?ハゲてねぇし!おい極道〜!」

「るっせぇ!極道じゃねぇわ!」

陽花はそう言うとズカズカと教室の自分の席へ向かい、乱暴にシューズ袋を引っ掛けて、爽雨と丹菜をひと睨みして出て行った。夕焼けがより一層朱で包み込んでいた。

その朱の全てを吸収するような瞳はやがてこちらを見ず、廊下を歩いていく。

「待ってよ!ひぃちゃん!」

呆然と突っ立っていた鈴村よりも先に身体が動いたのは爽雨だった。陽花は足を緩めずすたすたと歩いていく。教室からそこまで離れてはいない場所で陽花を呼び止めた。

「待ってってば!ひぃちゃ」

「ひぃひぃうっせぇな糞!発情期か!!」

「ひっ…!?」

陽花が立ち止まって大声で捲し立てれば、爽雨はいよいよ立ち止まった。建物の中とは言え、冷気が包み込み、コートの裾を爽雨はぎゅっと握る。ごくりという唾液を飲み込む音が静かな学校の中でやけに響いた。

「ひ、ひぃちゃんはさ、その、いいの?」

「は?」

「だっ…だって僕らずっと一緒だったわけだし…その、上手く言えないけど、こーゆーのって」

その発言にぶちりと空間にヒビが入る音が聞こえた時には爽雨はしまったと思ったが、もうどうする事も出来なかった。

陽花がとうとう此方を振り返って、怒りを露わにした真っ赤な瞳が此方を焼けるように睨んでいる。口を顔が歪むほど大きく開けて、がなりたてた。栗色の髪が夕焼けに照らされ赤々と鮮やかに映っていた。

「きめぇんだよ!!なんで!テメェの事で!私が関わって!くんだ!どうでもいんだよ!テメェなんか!あのおさげが告ってんの見たんは偶々だ!わざと聞き耳立ててたとでも言いてぇんか!?」

「え、じゃあ崎山さんとのこと応援してるって事…?」

「んでそうなんだ糞!どうでもいいっつってんだろうが!!」

それだけ言うと陽花は踵を返して廊下の中へと吸い込まれて行く。巻いてあるブロンドのマフラーがひらひらと揺れた。陽花のコートやマフラー、手袋などの小物は彼女の趣味というわけではない。あの髪の長い綺麗な母が自分の好きなブランドを陽花にも買い与えていることを爽雨は知っている。だから性格に合わず上品なものを身につけているのだが、平凡な中学校でそんな事等わかる人などいないはずなのだ。

爽雨は溜息を吐く。

「さ…佐々木君…。」

後ろから丹菜が様子を見ており、爽雨に躊躇いがちに話す。

「こ、黒堂さん。の事やっぱ…」

「崎山さん。ごめん。返事、待ってもらっても…いいかな?」

朱色へと包まれた学校は静かに闇の中に溶けていく。丹菜と爽雨は何も無い廊下で暫く立ち尽くしていた。外の風が轟々と吹く中でチャイムの音が耳鳴りのように煩かった。


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