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「天狗の子は天狗」7  作者: 西尾祐
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4.乱気流(2/4)



 滝波に頼まれた哨戒任務を終え、奈々は一人家路につく。

 黒い翼を広げ、空路を辿りながら。

 「随分長く働いていた気がしたけれど……まだ暗いな」

 もう空が明るんでもいいはずだけれど――と、そこまで考えてから、奈々は口元に手を当てた。

 「(今の独り言、長かった?)」

 念のため周囲を見渡すが、誰もいなかった。ほうっと安堵して息をつき、同時に落胆する。

 一人で暮らし始めてから――正確には襲撃事件の後から、ひどく暗い気持ちになりやすくなった。誰とも会わずにいると、どんどん暗く深く、思考が沈んでいってしまう。

 「(……いっそ死ねたら、楽だったのかも)」

 誰に話すこともできない、重く切実な思い。

 京花や昭太郎にはもちろん、滝波や里の天狗たちにも打ち明けることはできない。彼女が強く自制している以上、不可能だった。

 茜になら分かってもらえるかもしれない、と頭の片隅に浮かんだ案を、かぶりを振って打ち消す。――景光によって限界まで痛めつけられ、死の淵をさまよった後に、寄り添ってくれた彼女なら、理解を示し話を聞いてくれるかもしれない――と、思いかけては何度も、何度もその案を消す。

 分かってくれるかもしれない。

 死んでしまいたいんですと、告げても。

 彼女は、静かに相手をしてくれるかもしれない。

 あの時のように、励ましてくれるかもしれない。

 どうしようもなく弱く、愚かな自分を――。


 人としての生活を捨てる時、彼女は強く反対した。

 「私が言えることではないかもしれないけれど――」

 一拍置き、奈々の目を見て、言った。

 「――それは、すすめられないわ」

 「……どうして、ですか」

 「――あなたには今、私なんかじゃ敵わないほどの力があるわ。遠野の里どころか、日本中を見渡して隅々まで探したところで、あなたより強い人を見つける方が難しいくらい。でも、でもね……」

 「…………でも…………?」

 「人も妖怪も、誰だって……強いだけでは生きていけない。妖力が高い方が強く正しいわけではないと、私は思ってる。もちろん、天狗である以上は能力が高く、どんな相手にだって例外なく勝つことができた方がいいのかもしれない。弱くたっていいだなんて吹いていたら、長老にだってたしなめられるかもしれないけれどね。あの方も、何かしら価値があると判断して、私をあなたの元へ遣わせたのだろうし」

 「……それでも、受け入れてはくれない、ですか」

 「――公的にはともかく、私的にはね」

 奈々は歯がみする。悔しさとわずかな怒りが、胸のうちにゆらゆらと広がっていく。

 

 ずるい言葉だ。

 オトナの意見だ。

 そんなことを言ってほしいんじゃない。

 茜さんと自分の立場は違う。考え方も違う。

 彼女は、自分に生きていてほしいと言うけれど。

 

 私は、息をすることすら苦しいのに。

 心はもう酸欠寸前で、窒息寸前で。

 精一杯空気を吸い込まなければならないのに。

  誰かに言われている気がするのだ。


 「お前も死ねばよかったじゃないか」と。


 遠くから、ぼんやりとそう投げかけられているように思えてならない。単なる被害妄想なのだと分かっているつもりでも、どこかでは責められ続けている気がする。奈々にとって、それは事実にも等しいほどたしかなもののように思えた。今も、夜に一人でひざをかかえてなどいると、ふとした拍子にそこへ行き着いてしまう。

 「生きていれば、楽しいこともある」

 なによりも聞きたくない定型句を耳にして、奈々はキッと茜の目を見る。

 「――なんて、皆は言うけれど、私は違うと思う」

 目を伏せ、彼女はただ、語り続ける。

 「生きているとね、辛いことの方が多いの。やりたくない仕事を押しつけられることもあるし、その上ミスを連発して怒鳴られたりね。そういう時は正直、もの凄く落ち込む。大人はね、立派でも偉いのでも、丈夫でもないのよ。――弱音を吐けないことも多いから、なんとかやり過ごしたり、無理に気持ちを切り替えているだけ」

 茜は人差し指を立て、笑う。

 「そんな時はお酒を飲んで忘れちゃうけど。これだけは大人の特権よねえ。……まあ私、天狗としては若輩者だから、必要以上に見た目子どもっぽいけどね」

 「……たしかに」

 「やっぱり? この前仕事上がりに居酒屋へ寄ったら、お姉ちゃんダメだよってしかられちゃった。女子高生くらいに見えたのかな。見える?」

 「……ちょっとだけ」

 「若いって辛いわね。雑用も多いし、上司に先輩に怒られてばっかりよ」

 困ったように首を降り、ヤレヤレ、と冗談めかす茜。

 「そう、若いって辛いのよ。下戸の人はともかく、大人にはお酒という魔法の道具があるわ。それがあるから生きていける! って母も言ってた。そんなこと子どもに堂々と宣言する親って、ちょっと変わってるけど」

 「……うちのお父さん――父はお酒が弱かったので、なんだか新鮮です」

 「――春樹さん、昔から飲めなかったからね」

 茜はベッドの端に腰を下ろし、よいしょ、とつぶやく。その様子は妙に年寄りじみており、茜の外見年齢と釣り合っていなかった。

 「(お父さんに、似てる)」

 春樹も椅子に座る時などに、よっこいしょ、と言ってしまう癖があった。その様子を見るたび、おじさんのようだと奈々はいつも苦笑したものだ。

 「(茜さん、お父さんのこと知ってるんだ)」

 ふと気になり、春樹のことを尋ねてみようと思った。自分の知らない父のことを、茜なら知っているかもしれないと思いながら。

 「父はどんな人でしたか」

 「優しい人。里ではよく面倒を見てもらったわ。血のつながりはないけれど、私は彼のことを兄のように思ってた。冬嗣さんもあの人もいて、昔は楽しかった」

 「……あの人、って?」

 「――加藤景光。彼は、私たちの友人だったの」

 その言葉を耳にしたときの胸の高鳴りを、奈々は今もよく覚えている。

 戦慄から生まれた強い響きを。

 強く、確かに。


 「加藤、景光……」

 いまだ暗い空を駆けながら、奈々は茜の言葉を思い出していく。茜と春樹・冬嗣の兄弟は昔なじみであり、よく一緒に遊んでいたという。そして、景光も。青年期までの彼は温厚でありながら頭が切れ、判断能力の高さでは敵う天狗などいなかったという。

 そう「あの時」までは。

 「(……あなたには、ぜひ話しておかなければならないと思うのだけれど……里長に止められているの。あの人の命令は絶対……。……それでも、さわりだけは伝えておくわ)」

 幼さの残る女性の顔が、悲しみに歪んでいく。

 「(私たちの里は、景光の治めていた所とは違うの。古くから友好関係を結び、なんとかやってはいたけれど……非常に能力の高い、景光という存在が……我が里長たちにとって邪魔になったの……)」

 小さく息を吐き、彼女は語った。

 「(障害だと見なされたモノが、どんな扱いを受けるのかは……分かると思う)」

 当事者から心身共に完膚なきまで叩き潰された彼女には、よく理解できた。


 彼は見たのだ。

 死ぬよりも惨い地獄を。

 

 「……それじゃ、ただの繰り返しだ」

 害となされた存在が「退治」され。

 底を這うような「地獄」を味わい。

 かろうじて生き残った末に「報復」する。

 狂おしい連鎖が延々、連綿と続いていく。だからといってその循環を断ち切れるほどに、心に宿った憎悪を昇華することもできない。美しい過去を思えばこそ、現在の淀みが余計に嫌さしく思えてしまうのだ。今の自分を肯定することなど、決してできはしない。奈々も景光も、その点は同様だった。

 「でも、断ち切る強さも持てない」

 歯を食いしばり、良心の呵責から来る痛みに耐えようとする。復讐は何も生まない。そこから立ち上るものがあるとすれば、新たなる報復の芽である。それは奈々にも分かっていた。しかし、頭で理解したつもりの出来事であれ、心の底から納得できるとは限らない。自分の中に許容し、新たな方法を採ることは非常に難しいことだ。

 奈々は、その身に刻まれた「景光を殺す」という念を断ち切ることができずにいる。養父やかつての級友が皆殺しにされ、自身も深手を負わされた時のことを、片時も忘れたことはない 彼女は、赤と黒に満ちた教室にあの時、いたのだから。

 左頬、右目の下、右顎。三カ所になお残る傷が、訴えかけてくる。痛みはまだ消えていない、癒えることもないと。

 景光を殺し、皆を真に救うべきだと思っている。だからこそ茜の忠告も振り切って妖怪の里に訪れたのだ。人間として生きていたくせにと、邪険に扱われることもあった。嵐山の子だからと妙に下手に出られ、かえって嫌な気分になることもあった。

 天狗には傲慢なモノも多く、力比べを挑まれたことなど枚挙にいとまが無い。そのたびに彼らを例外なく打ちのめし己の強さを示すことによって、かろうじて今の立場を手に入れた。絵巻物の中に出てくるような、高い鼻を誇示してはいなくとも――彼らはほぼ例外なく物事を鼻に掛ける「天狗」だった。

 「(それは今だって変わらないけれ――ど?)」

 思考に割入るものを察知し、奈々は探索式をかける。はるか遠く、後方に何者かを捉えた。



 「キシャシャ! 勘が鋭いな、姉ちゃん」

 「――侵入者か。何用だ」

 「おおいっと、野暮なこと聞くね。そんなの……」

 気配が急速に近づいてくる。その姿があらわになる直前、奈々は目標へ衝撃波を送った。

 「ギャッ!」

 下方から悲鳴がして、ようやく目をやるとそこには一匹の雷獣がいた。大きさは虎ほどもあり、黒々とした体毛を逆立てている。耳は妙に丸いが、今はピンと立っている。奈々の攻撃が相当堪えたとみえて、顔を両手で覆い隠し身体中を震わせていた。

 「イデッ、イデデデ……嬢ちゃん、容赦ないなア……」

 「雷獣ひとりで警戒網を突破しようだなんて、見通しが甘すぎるんじゃないか?」

 「ま、そうかもな……あんたも相当腕が立つ様子だ。俺だけなら荷が重いね」

 「―だけなら? まさか……」

 奈々は探索式を幾重にも張り巡らし、その精度を一息に上げていく。範囲を妖怪の里全体にまで広げ――声を失った。

 捉えたモノの数が多すぎるのだ。

 十、二十どころではない。百、五百……千体。

 「そうさ、俺たちは百鬼夜行どころか千もいる! 強力な隠蔽式をかけてもらったんでなあ、ほとんどの奴は気づくまいて! 現に天狗どもなど警戒の鐘も鳴らせない!」

 「気づかれる前に量で押し、里を潰すつもり――だったわけか」

 「嬢ちゃんには悟られちまったがなあ! あんたは強いよ。規格外だ。だが――」

 雷獣は猫にも似た口元をにっとつり上げ、意地悪く笑った。

 「一騎当千なんて真似はできまい! ここで終わりだ!」

 空一面に鉛色のひどく厚い雲が広がっていく。雷獣が呼び寄せたそれが、恐ろしく鋭い雷を生み、里に襲いかかることは奈々にも容易に想像できた。姿を隠している千もの魑魅魍魎が落雷に合わせて攻撃を放てば――誰も気づかないうちに、里は火の海だ。

 奈々だけが、知っている。

 奈々だけが、止められる。

 ならば、答えは簡単だ。

 「――終わりじゃない。私が阻止する」

 「――!? フカシてんじゃねえッ! 俺たちに敵うとでも思ってんのか!?」

 天高く右手を突き出し人差し指を立てると、その先に小さな風が生まれ、キュルキュルと音を立て始めた。小さく回転し続けるそれは、淡い緑色をしていた。

 「悪いけれど」

 指先の風が勢いを増し始め、大きく激しい音を立てていく。描く弧の大きさはいや増し、はるか上へと立ち上り始めた。それはもはや嵐だ。

 「私も、負けるわけにはいかないよ!」

 緑の気流が、立ち上る風の柱が、雷獣の目の前にはあった。姿を隠している仲間たちにも動揺が広がり、不安が伝染していくのを察する。悪い風向きだ、と彼は尾を立てて歯噛みした。しかし、厳として彼の前に立ちはだかるのは。

 ひとりの若い女性天狗と。

 天にまで及ぶかのごとき、乱気流。

 「油断してると、身体を持って行かれちまうッ……!」

 雷獣は四つ足をなんとか踏ん張り、暴風に耐える。一度気を緩めてしまえば、自らの起こした黒雲を持って行かれそうだ、と思いながら。

 雷獣の仲間たちからも、悲鳴にも似た声が上がる。

 「な、なんだこの風はッ!?」

 「つ、強ぇ……!」

 「こんなバケモンがいるなんて聞いてねえぞッ! あいつの話じゃ天狗の里なんぞ……一発で沈められるってことじゃなかったか!?」

 「まさか、ハメられたんじゃねえよなあ……!?」

 奈々は彼らの様子を窺いながら、ひとつの確信を得た。天狗の里を潰すために妖怪たちをけしかけたモノがいる、と。

 「(それが誰なのかは分からないけれど……だからこそ彼らを倒して、事情を探る必要性がある。それなら、なおさら勝たなければならない)」

 雷獣に与えられた式を見るに、術者はかなり腕が立つと推察できた。慎重かつ残忍な人物であれば、術の対象が自白することを許すとも思えない。あらかじめ、口封じの式まで忍び込ませている可能性が高い。ならば、どうすればいいか。


 答えは明白だ。


 彼らを倒した後、即座に術式を打ち消して捕縛し、里長へ差し出す。

 勝つことは大前提。高度な式が成功するのも当然。千の軍勢を一人残らず捉えて成功。

 「――それでも」

 自分をすべて丸ごと受け入れてくれているわけではなく、うとむモノも確実におり、居心地がいいばかりではない場所だとしても。仇敵に復讐を果たすために、人間としての幸福を投げ打ち落ち延びた仮宿だったとしても。

 景光を殺してやりたいという憎しみに、今なお心を焼かれていようとも。時折里の外れにある菩提樹の幹の上で、過去を懐かしみながら後悔の念に襲われていようとも。父であった人の顔が、記憶が、どこか心から薄らいでいく寂しさを感じていたとしても。


 もう二度と、あの少年に出会えないかもしれないと、思っていたとしても。


 奈々は、この世のすべてを憎むことはとてもできなかった。

 復讐者として生きていく決意は固くとも、彼女は存外に優しすぎた。

 景光と同じ道を歩むには、彼女はいくぶん甘かったのかもしれないが。

 それ以上に、嵐山奈々は。


 他者の幸せを願えるような、少女であったから。

 

 「私は――あなたたちに、勝ってみせる!」

 乱気流に緑の波動が混じり、跳ねるように躍動していく。夜明け前の暗闇を裂くかのように、風の柱はにわかに明るく周囲を照らした。

 あくまで戦う意思を見せる奈々に対し、雷獣はいささか怖じ気づいていた。脚が震えていることに気付き、苦々しく舌打ちする。相対する少女を憎いと思ってのことではない。自分の弱さに苛立っているのだ。不利な状況だというのに、仲間を鼓舞することもできない。

 そんな自分を変えたいと、彼らに認められたいと思っていたというのに。

 「(くそッ……どこで間違えた……?)」

 後悔が滲むのと同時に、彼の意識は過去へと飛んだ。苦い記憶たちが、脳裏に浮かんでは消えていく。

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