タバコ。
「ちょっとタバコ、吸って来んね~」
そう言ってタバコとライターを手にベランダへと向かう紫月さんの後を私は追った。
汚ならしく泣き喚いてからは少し、時間が経ち、私も落ち着いていた。
「・・・あれ? 付いて来るの? 受動喫煙は体によくないよ~?」
「じゃあ、禁煙してください!」
ちょっとやけになって私はそう言ってしまっていた。
そんな私の心情を読み取ってか紫月さんはすかさず笑った。
これが大人と子供の差かと思うと悔しかった。
早く大人になりたいと思った私はどうしようもない子供だ・・・。
「禁煙は無理かな~。禁酒もね~」
紫月さんはそう言ってクスクスと笑いながらベランダへと出られる掃き出し窓を開けた。
開けられたそこから入ってくる夜風は湿り気と熱気を帯びていてねっとりとしていた。
「うわ・・・。蒸し暑いね~」
紫月さんはそんなことを言いながらベランダに置かれた男性ものの二の歯の下駄に足を通し、それを履き終えるとカランコロンと涼しげな音を立て、ベランダの手摺へと向かって歩き、そこに着くとタバコを一本、口に咥え、100均で買ったと思われるライターでそのタバコの先に火を点けた。
墨を垂らしたような夜の黒に温かな橙色の小さな火がぼんやりと浮かび上がる・・・。
「今夜はよく降るね~」
そう言ってベランダの手摺にもたれて紫煙を燻らす紫月さんの後ろ姿を私は黙ったままじっと見つめ見ていた。
「雨はまだ止みそうにないし、蒸し暑いのに少し寒いし・・・。明日は晴れるのかな?」
そう言って私を振り返り、タバコをふかされた紫月さんは何か企んでいるようなそんな顔をされていたけれど何の行動も起こさずにまたタバコをふかされた。
紫月さんに吸われると僅かに明るさを増すタバコの小さな火・・・。
それは絶望の中にひっそりと灯る小さな希望の灯火のようだと私は思った。
「タクシー、呼ぶね」
「呼ばなくて・・・いいです」
そう言った私に向けられた紫月さんの視線は冷たくて確かな呆れを含んでいた。
「私、運転できないよ? 飲んじゃってるもん」
「知ってます。それと飲み過ぎです。ビールの前にも何か開けて飲んでますよね?」
「・・・少しだけだよ」
私に痛いところを突かれた紫月さんはそう言って拗ねた子供のように唇を尖らせた。
「一人で歩いて帰るのは駄目だよ? 絶対」
「わかってます」
私はきっぱりと答えた。
それに紫月さんは目を細めた。
「・・・私が歩いて送って行くなんて嫌だよ? 面倒臭い」
そう言ってタバコを消した紫月さんの目は本気だった。
紫月さんは面倒ごとを嫌う。
誰でも面倒ごとは嫌うけれど紫月さんのそれは異常なほどの時がある。
それなのに私なんかと付き合っている矛盾・・・。
その矛盾に私はいつも悩まされる。
「もちろんそんなこと、お願いしません」
私はそう言ってできるだけ愛らしく微笑み、まだ真新しいピンクのビーチサンダルを履いて紫月さんの隣へと向かって歩いた。
紫月さんの隣に並び見た空はただ、黒かった。