ハルのヒナ (8)
「あ、いた、ソエ!」
突然そんな声がした。女の子の声。びっくりして廊下の先に視線を向けると、制服姿の女子が走ってくるところだった。
ぱたぱたという足音。ふわっとした肩までの髪、大きく開いたブラウスの胸元、膝上の短いスカート。おおう、校則違反のオンパレードだ。その長さの髪は縛らないとだし、ブラウスのボタンは上までしっかり止めないとだし、スカートの丈は膝下十センチだ。
不良女子だな。最近は校則緩くなったのかな。っていうか、ヒナが卒業したのは去年だし、まだ一年も経っていない。なんだこりゃ。
「あれ?曙川先輩?」
ほへ?そう言われて、驚いて女の子の顔をまじまじと眺める。ちょっと、クミ、あんたなんて格好してるのよ。
「お久しぶりです」
バスケ部の後輩の八幡クミは、そう言ってにこにこと微笑んだ。一コ下だから、今三年だよね。受験勉強してなきゃいけない時期じゃない。そんな恰好で何やってんだか。ヒナは心配になっちゃうよ。
人懐っこくて、甘えん坊のクミは可愛い後輩だった。少なくともこんな感じじゃなかったのになぁ。一体何デビューなんだ。
「クミ、その、派手になったねぇ」
「ああ、これですか」
スカートの裾をつまんで、くるっと回転。ひらって翻る。む、そんな技まで身に着けているとは。ヒナだって、ハルの前ではまだそれやったことないぞ。
「今だと、このくらい結構普通ですよ?」
そうなの?
いやいや、タクがすっごい渋い顔してるんだけど。それ嘘でしょ。絶対嘘でしょ。
「八幡先輩は、普通じゃないです」
ほら、タクだってそう言ってる。っていうか二人とも知り合い?どういう関係?
「私、バスケ部の方はもうほとんど出てなくて、サッカー部のマネージャーみたいなことやってるんですよ」
はあぁ?
いやいや、なんだそれ。バスケ部はそのままなの?だったらバスケ部はやめて、サッカー部に入ればいいじゃん。
「んー、それだとなんだか真面目にやんないと、みたいじゃないですか。そういうつもりは無いんで」
フリーダムだねぇ。クミ、そんなキャラだったっけ?もうちょっと大人しめの印象だったけど、実はでっかい猫かぶってた?
「やっぱり、先輩の代の影響ですかね」
負の遺産、ですか。何があったって、学校は助けてくれたりなんかしない。学校の言うことなんて聞いていても、ロクなことにならない。大きな反動を作り出しちゃったね。
「感謝もしてるんですよ。お陰で、とても自由にさせてもらってます」
それは良いことなのかどうか、微妙な線だとヒナは思うよ。まあ、クミがそう言うならそれで、って感じかな。
「生徒の自治が進んでいるって言う意味なら、まあ良くはなってますよ」
タクはなんでそっぽを向いているの?あれ?ひょっとして。
「ところでクミ、タクを探してたんじゃないの?」
「そうだよ、ソエ。練習始まるよ」
クミが遠慮なくタクの手を取って、ぐいっと引っ張る。へぇ。決まりが悪そうに、タクはヒナと目を合わせようとしない。へえぇ。これはどういうことなんでしょうねぇ。
「行きますから、離してください」
タク、もてるんだねぇ。言われてみればまあ、カッコいい部類に入るもんねぇ。ヒナはタクのことを全然知らないからな。まあ、知りたいとも思わない。そうかそうか。へぇ。
「あの、ヒナさん」
「ん?なあに?」
モテ男かぁ、そうかぁ。いや、別にだからどうってことは無いんだけど。でも、ふーんって感じだなぁ。
なんか色々悩んで損したって言うか、ちょっと複雑な気分になっちゃうな。
「ハルさんと、幸せになってください」
「うん、ありがとう」
それが判っていただけたなら、十分です。タクにはタクの幸せがありそうだし。あとはどうぞ、おかまいなく。
「それから、こんなことを言って信じてもらえるか判らないですけど」
クミがむっとした表情を浮かべる。はぁ、タク、それ、今言わないとダメ?もうちょっと空気読んであげようよ。真っ直ぐ君はこういう時、融通が効かないなぁ。
「俺は、本気、でした」
「判った。覚えておく」
その事実くらいは覚えておいてあげるよ。ヒナとハルの幸せの裏には、破れた恋もあるって。二人の歩んできた道は、決して二人だけのものでは無かったって。
タクがずるずるとクミに引きずられていく。一度、クミがヒナの方を振り向いて、べぇって舌を出した。ごめんごめん、別に邪魔するつもりは無かったんだってば。今日だってお断りするために来たんだし。クミのことも応援するよ。
それにしても。
「ねえ、ナシュト、人払いってしてたんでしょ?」
ヒナの呼びかけに応えて、長身の男が姿を現した。浅黒い肌、銀色の髪。燃えるような赤い瞳。豹の毛皮をまとった半裸の姿。大変、校内に変質者が。事案発生。さすまた持ってこなきゃ。
ナシュト、そろそろ服装ぐらいなんとかしようよ。どうせ他の人には見えてない、とかじゃなくて。せめてヒナのところにいる間くらいさぁ。
「普通の人間なら、この場に干渉することは出来なかったはずだ」
あ、服装に関してはスルーっすか。
「それはクミが普通じゃないってこと?」
超能力者?魔女っ娘?改造人間?宇宙人?妖怪変化?
まあ確かにヒナが中学にいた頃と比べたら別人みたいだったし、何かに入れ替わられてたとしても不思議じゃないけどさ。
「因果が強いのだ。あの、タクという少年との間のつながりが」
は。
そうなんだ。クミのタクを想う気持ちは、神様の力を越えちゃってるんだ。あんな派手になっちゃって。ひょっとして全部タクの気を引くためなのかな。だったらすごいな。大した努力だ。
「それほど強い結界を張っていたわけではない」
はいはい、負け惜しみは良いから。そういうことにしておきましょうよ。
二人が幸せになってくれるなら、それが一番じゃない。ヒナも安心してハルのことを好きでいられる。タクのことを、踏み台に出来る。
もう一度、『雛』の文字を見る。ハルはどんな気持ちでこれを彫ったんだろう。指で触れる。なぞる。ここにはきっと、ハルの想いが込められている。ヒナのこと、好き?
ヒナは、ハルのことが好きだよ。ずっと、一生。ハルのこと、好きでい続けるよ。
ここにある、ヒナのハルと、ハルのヒナに誓うよ。ヒナは、ハルのことが好き。
部活に励む中学生たちの姿を尻目に校門の所までやってきた。そこには、朝倉兄弟の姿があった。はぁ、ハル、今日部活でしょ。良くヒナがここにいるって判ったね。カイまで引き連れちゃって。兄弟そろって中学に殴り込みですか。
カイはすっかりしょげている。ごめんね、カイ。事情を説明する過程で、やっぱりどうしてもカイの名前を出さない訳にはいかなくて。変な隠し事をして話を作っちゃうと、それはそれで後で面倒なことになるからさ。
「ヒナ」
もう、そんな心配そうな顔しないの。大丈夫だって。そんなことより。
「ハル、カイのこと、怒らないであげて」
先輩に言われて仕方なくやったことじゃない。ハルだって怖い先輩くらいいるでしょ。それに、カイはヒナとハルの関係は絶対だって信じてくれてるから、そのくらい平気だろうって判断したんだよ。弟のことを信用してあげなさい。
「別に、怒ってないよ」
本当かね。困ったハルだ。ヒナのことを大切に想ってくれるのは嬉しいけど、兄弟、家族のことも大切にしてあげてよ。ヒナの家族にもなるかもしれないんだよ。ふふ。ヒナはカイも、ハルのお母さんも、お父さんも、みんな大切だよ。
「ヒナ姉さん、すいませんでした」
もう謝らなくて良いよ、カイ。前にも謝ってもらったし、どうしようもないってちゃんと判ってます。後はヒナ姉さんにお任せ。
「それで、どうなったんだ?」
ハル必死だな。
「きちんとお断りしたから、もうおしまい、だと思うよ」
「そうか」
判ってくれたとは思う。それに、もし次来たらこっぴどく追い返してやるつもりだ。あら、モテモテのタクさんじゃありませんこと。可愛いヒナの後輩、クミとは最近いかがお過ごし?こんな感じか。
本気ではあったと思う。でも、タクにはちゃんとタクを幸せに出来る人がいる。ヒナはお邪魔虫だ。タクの本気は、もっと違う子に向けてあげるべきだよ。何が正しいかなんてヒナには判らないけどさ。
ただ、少なくともヒナの気持ちは、タクに向くことは無いよ。ヒナが好きな人は、もう決まっちゃってるからね。
「ああ、そう言えば見てきたよ」
ハルが不思議そうな顔をする。あんな所に飾ってあるなんて。卒業した後は、中学の校舎の中なんて一度も入らなかったもんね。人目に付かない所だし、知らなきゃ判らないこととはいえ。
やっぱり恥ずかしいや。
「卒業制作。ハルのヒナ」
一瞬何のことか判らなかったのか、ハルは首をかしげていた。その後、ううって顔をしてヒナから目線を逸らした。やめてよ。そんな反応されたら、こっちが照れ臭くなってくる。
「やっぱり難しかったんじゃない?」
「三回くらい失敗してやり直したんだよ。指も切りそうになったし」
それは大変だ。そうか、そこまで苦労して作ったものだったんだ。それなら、また今度じっくりと見に来よう。あの頃のハルが、ヒナのことをどんなに大切に想ってくれていたのか。ちゃんと確かめよう。
ここに来れば、それは判る。しっかりと残されている。
「ヒナは」
「私はハルの名前を彫ったよ」
隠すことなんて無い。誤魔化す必要も無い。
堂々と、胸を張って言える。だって今、ヒナはハルの彼女、恋人。
もう、この気持ちを閉じ込めておく必要なんて無いんだから。
きらきらした高校生活。やっと手に入れた、ハルとの幸せな時間。夢視てきた未来。
「カイも来年、この中学に入るんだよね」
素敵な学校生活になるといいね。
大切な何かを見つけられるといいね。
ヒナは見つけたよ。
大好きなハルの、大切な想いを。
読了、ありがとうございました。
物語は「ハルを夢視ル銀の鍵」シリーズ「コオリの魔女」に続きます。
よろしければそちらも引き続きお楽しみください。