ハルのヒナ (7)
さて、本日のランチタイム。学食組がぞろぞろと教室から出ていく。お弁当組は、ヒナたちの女子グループと、ハルと根菜たちの男子グループを合わせた八名が最大派閥です。あ、今日はユマもいるのね。合計九名。ユマはお弁当の出来をヒナに見てもらいたいとか。では拝見いたしましょう。
肉団子ですね。基本だなぁ。手作りなのに綺麗に形が揃っていて、この艶テカりは見事です。どれどれお味は。
「曙川ー、早くおかずくれよー」
うるさい欠食児童だなぁ。いい?来週からお金取るからね。一人一食百円だよ?それでもさといも高橋は調理パン時代よりは安いでしょ?こっちは儲けなんか出ないんだからね。
ただでさえ訳の判らないボランティアなんだから。ぶつぶつ文句を言いつつ、大き目の耐熱タッパーを取り出す。はいはい、そんなに寄り付かない。ハルは自分のがあるでしょ。栄養バランス考えてあるんだから、コッチには手を出さない。
「そうだぞー、朝倉は愛妻弁当で幸せに浸ってればいいだろー」
じゃがいも1号宮下はそういうこと言わない。ホントにおかんになった気分だよ。タッパーの蓋を取って、取り分け用の箸と紙皿を置く。今日は回鍋肉ね。ピーマンも食べるんだよ。
「ご飯の伴だー」
なんだろう、大型動物の飼育員ってこんな感じなのかな。大の男三人が、タッパーに詰められた回鍋肉に群がる。ユマが呆れた表情でその光景を眺めていた。
「これ、餌付けか何か?」
似たようなもんかな。ただ、どんなに食わせても、こいつらはコッチの言うことなんかちっとも聞いてくれそうにないけどね。
ユマもお嫁さんクラブで料理を作った後、炊き出しとかやるんでしょ?あれも似たような感じじゃないの?恵まれない男子たちに、作った料理を振る舞う悲しいイベント。じゃがいも2号和田は「男子として最後の砦」なんて言ってたけど、今ヒナのおかずにがっついているのと大差はない気がするぞ。
「不特定多数に向けたものと同じにされたくない」
ヒナにとっては不特定多数と変わらないよ。ハルと、ハル以外。区分がそれしかないんだから。ハルじゃなきゃ誰だって同じ。その他大勢のうちの一人だ。
さといも高橋は、今日も黙々と食べている。意識して観察してみると、確かに口数が少ないね。あれ、でもさといも高橋って、元々そんなにお喋りなキャラだったっけ?あんまり覚えてないな。まあ、いいか。
あれから、チサトはさといも高橋と二人で話をしたらしい。お付き合いっていうのは難しい。やはりどうしてもチサトの中ではフルートの優先順位が高い。でも、一緒に話をしてくれるのは嬉しい。そんな関係で良いのなら、そこから始めて欲しいって。
チサトのわがままを、さといも高橋は受け入れてくれた。チサトに告白して、嫌われてしまったと思っていたらしい。色々と気まずい空気にして悪かった。一緒にいる時間を作ってくれるだけで嬉しい。そう応えてくれたそうだ。
その話をしている時、チサトは泣いてしまった。うん、良かったね。傷付けてしまったのかと、不安だったんだよね。さといも高橋、男をあげたなぁ。
で、当のさといも本人は、その話はチサトと二人だけの秘密だとでも思ってるんですかね。今はそれを悟られないように、照れ隠しでがっついているんだろうけど。女子相手にそれは無いわ。悪いけどほとんどのケースで筒抜けだわ。
うまくいってるみたいで良いじゃないか。ヒナの作ったおかずを食べてる場合じゃないだろうに。男子ってのはメンドクサイなぁ。ハルの方を見る。どう?今日のお弁当美味しい?
「ん、うまいよ」
そう、良かった。にっこりと笑う。そう言ってもらえれば幸せ。
「あんたたち、毎日そんななの?」
ユマが口の中にガムシロップを大量に流し込まれたみたいな顔をしている。そうですが、何か?
「彼氏宣言とかされてさ、もう何をどう繕ったってどうしようもないじゃない」
付き合ってますよー、彼氏彼女ですよー、お弁当作って来てますよー。
なんか文句あるのかコノヤロー、ってなもんだ。これでも学校ではいちゃつかないようにしてるんだっての。
「あー、こっちもウマいよー」
おおそうか、残さず食えよ、ピーマンも食えよ。幸せのおすそわけだ。そうとでも思ってなきゃやってらんない。一応手は抜いてないんだからね。やれやれ。
「すっかり曙川さんが胃袋を掴んでるわね」
「いつでもお嫁さんクラブに譲るよ。どうせおかずすり替えても判りゃしないんだから」
一度、試しに冷凍食品を詰め込んだだけのものにしてみようかと思っている。馬鹿舌なんだから判りっこないね。濃いめの味付けでカサがあれば満足しちゃうんだから。回鍋肉良く売れてるじゃないか。ハルはダメだよ、これ塩分凄いからね。
「あ、そういえば、これ」
チサトが大きめのタッパーを取り出した。机の上に置いて中身を見せる。リンゴだ。綺麗に切りそろえられてる。爪楊枝も可愛いな。彩り鮮やかで、ファンシーだ。
「いっぱいあるから、みんなで食べて」
ということで、遠慮なく頂いた。甘みが強くて美味しい。いもたちも果物食べな。ビタミン取らないと。ほら、さといも高橋も。
カリッ、シャクッ。
うん、良い音だ。チサトがじっと見ている。ヒナと目があって、ふふって笑う。ね?言った通りでしょ?
食べてもらうって、嬉しいんだよ。とっても幸せな気持ちになるの。
中学校の北校舎は、普段は一切使われていない。PTAの打ち合わせとか、授業以外の目的でのみ使用される。なので、しんと静まり返っていて、人の気配が無い。
ここに通っていた頃は、全く足を踏み入れなかった場所だ。ひょっとしたら今日初めて来たかもしれない。うすら寒くて、正直気味の良いところではないな。何でこんなところなんだろう。多分、人目に付かないからだ。
遠くで運動部が活動している音が聞こえる。懐かしいな、バスケ部。掛け声とか、今でも覚えてる。一本カット、ワンカット。ヒナは基本がベンチ要員だったからね。声出し以外出来ること無いし。
廊下の突き当たり。探していたそれは、非常扉の横の壁に、びっしりと貼り付けてあった。ああ、ここにあったんだ。十五センチ四方の小さな木の板。一枚の板に、一つの文字。同じもの、違うもの。上手いもの、下手なもの。千差万別な中に、ヒナは目的の一枚を見つけた。ふふ、やっぱりね。
ざっと壁面の板の群れを見渡す。他に同じ文字は無い。たった一つ、この板にだけ刻まれている。なら間違いないだろう。実際にこの目で見るのは初めてだ。本当に恥ずかしい。
「あれ、ヒナさん?」
廊下の向こうから、タクが顔を覗かせた。一般生徒がこの北校舎に来ることなんて、まず無い。本来「あれ?」なんて言うのはヒナの方だ。まあ、タクがそれに気付くことは無いだろう。どうしてここに自分がいるのかさえ、きっと判っていない。
銀の鍵。左掌に意識を集中して、タクの思考を軽く誘導する。無意識のうちに、自然と足が北校舎に向かう。そして、ヒナの所にやって来る。ごめんね、タク。どうしてもここで、あなたに話しておきたいことがあったから。
「こんにちは、タク」
にっこりと笑う。薄暗い人気のない廊下で、タクの目にヒナはどう映っているんだろう。タクは、ヒナの何にそんなに惹かれて、ヒナの何をそんなに愛してくれているんだろう。
「どうしてこんな所に?」
ごめんね、タク。その気持ちがどんなに純粋で。どんなに強くても。
ヒナは、タクを選べないよ。
「これを見に来たんだよ」
壁一面を埋め尽くす、正方形の小さな板。
「これ、なんですか?」
「卒業制作。私の代で作ったんだ」
一人に一枚、版画用の小さな板が配られた。中学時代を振り返って、そこに大きく一文字、自分を現す文字を浮き彫りにしなさい。たったそれだけのものだ。
「これが大変だったんだよね」
未だにため息が出てくる。大した話じゃない。適当でも何でも、半日程度で終わるような簡単なものだ。それが、何処でどう履き違えたのか、「学年ビックバン」なんて揶揄される事態にまで発展してしまった。
きっかけなんて覚えていない。素行の悪い奴が提出を拒んだんだったか、悪意の塊みたいな奴が不謹慎な文字を彫ったんだか。まあ、とにかく物凄くくだらなかった。くだらなかったけど。
三年生は酷い混乱状態に陥った。この小さな板きれ一枚を提出することが、事なかれ主義の学校の体制に従うことを意味するんだ・・・なんて、何を考えてるんだろう。誰に吹き込まれたんだか知らないが、いい迷惑だ。
元々、ヒナの代はいじめが酷かった。学校はそういったいじめに対して、徹底的に干渉しない姿勢を見せていた。そんなものは無い。認めない。あってはならない。何が起きても助けてくれることは無い。存在しないことになっているいじめに対して、出来ることなど何もない。学校への不信感は、かなり大きかった。
ヒナ自身、中学は好きではなかった。いや、明確に嫌いだった。なんでこんな学校に毎日通わなければならないのか。ハルがいなければ、登校拒否くらいはしていたかもしれない。
「一応、知ってはいます。学校中ピリピリしてましたし」
タクは今二年だっけ。そうだよね、去年の冬、すごかったでしょう?まだ余波が残ってるんじゃないかな。後輩たちにも、あまり良いものを残したとは言えないよね。
「サッカー部も割れました。一個上の先輩たちが頑張ってくれて、今はだいぶマシになってます」
そうなんだ。ダメな卒業生のせいでご迷惑をおかけいたしております。まあ、今はそこまででもないって言うなら良かった。来年にはカイも入学するんだし、まだおかしいようなら私立入試をお勧めしなきゃいけないところだった。
「いじめって、そんなに酷かったんですか?」
「友達は一人転校しちゃった。まあ、あれは普通のいじめじゃなかったけどね」
卒業制作を巡って、当時の三年生はとにかく荒れた。学級会などまともに機能しなかった。ほとんどの生徒は高校受験を終えていて、もうこの中学に対して憎悪以外の感情を持てないでいたのだ。その気持ちは、残念ながらヒナにも理解出来てしまう。
「とは言っても、最終的にはこうやって無理矢理カタチにしたんだ」
ヒナもハルも、さっさと文字を彫り終えて提出した。そんな反抗に意味があるとは思えなかったからだ。一部のクラスメイトから「裏切者」とか謗られたが、一体何を裏切ったというのだろう。学校からは「模範的な生徒」と褒められた。別に、学校側の肩を持った訳でもない。
「ただ、私もハルも、ここにいたっていう証を残したかっただけなんだよ」
酷い学校だった。そこは誤魔化しようがない。ただ、それでもヒナは三年間をここで過ごしたのだ。人生のうちの三年という歳月を、確実に。ハルと一緒に。
「これが、私の彫った文字」
ヒナはタクに一枚の板を示した。大きく浮き彫りにされた一文字。『春』。ハルの名前。
大きくて力強い。あの頃のヒナは、ハルのことをこんなに強く想っていたんだね。今はどうかな。負けてないかな。ハルとお付き合いして、恋人になって、少し緩んじゃってないかな。この『春』を見ていると、気持ちが新たになってくる。
そう、ヒナは、ハルのことが好き。ずっと昔から。そして、これからもずっと。
ヒナの中学校生活は、ハルの存在によって支えられていた。接点は決して多いとは言えなかったけど、ハルがいてくれると思えたからこそ、耐えることが出来た。
「人生の春だとなんだとか、適当な理由を付けてたけど、これは紛れも無くハルのこと」
ヒナが、ハルのことを想って過ごした、三年間。それがこの一文字。ここには、ヒナの愛が刻まれている。
「それから、こっち」
少し離れたところにある板を指差す。さっき見つけた一枚。他のものと比べても良く判る。こんな難しい字を選んじゃって、大変だっただろうに。
「これが、ハルの彫った文字」
直接ハルに教えてもらった訳じゃない。でも、判ってしまうんだからしょうがない。『雛』。ヒナの名前。こんな字、他に誰も彫ってないよ。もう、恥ずかしいなぁ。
ハルとは、中学時代にはちょっと疎遠になっていた。ハルは部活ばっかりで、ヒナは銀の鍵の力に振り回されていた。お互いのこと、ちゃんとは見ていなかったと思う。
ヒナはそれでも、ハルのことが好きだった。ハルの近くにいたかった。空回りばっかりで、中途半端だったけど。それでもハルに好かれたいって、ハルとお話しして、ハルと一緒に歩いて、ハルと毎日を過ごしたいって、そう考えていた。
ハルが、この『雛』の文字を彫ってくれたって聞いて、ヒナはすごく嬉しかった。本当に嬉しかった。ヒナの中学校での三年間は、無駄じゃ無かったんだって。ハルは、ヒナのことを大切に想ってくれてたんだって。
「実際にこの目で見たのは、今日が初めてなんだけどね」
だって、恥ずかしいじゃない。好きな男の子が、自分の名前を卒業する時に残していってくれてるなんて。それをわざわざ確認に来るなんて。話に聞いただけでもお腹いっぱいだったよ。
ふふ、でもそれはおあいこか。ヒナも、ハルの名前を残していたんだからね。他に残す言葉なんて無い。この学校でヒナが夢視ていたものなんて、他には何にも無い。
ハルを夢視る、銀の鍵。
「タク」
だから、ごめんね。
「私は、ハルのことが好きなの。この気持ちは、多分一生変わらない」
絶対なんて無いかもしれない。永遠なんて幻かもしれない。
ただ、ヒナはそれでも追いかけたいんだ。好きな人。ハルのことを。
信じていれば、きっと届く。ここに残されているヒナのハルと。
ハルのヒナが、それを証明してくれている。
「ヒナさん・・・」
タクがうなだれる。ヒナの真剣、伝わってくれたかな。タクがヒナのことを真剣に好きだって言ってくれるなら。
ヒナは、それを真剣にお断りするよ。ヒナとハルの間にある、とても深い絆と。
ハルに対しての、重い重いヒナの愛があるからって、ね。