ハルのヒナ (6)
朝起きて、いつものようにお弁当の準備。早起きにもいい加減慣れてきた。ハルのお弁当とは別に、おかずも一品。はあ、ヒナ食堂は今日も赤字ですよ。そろそろお金取っても良いよね。給食費滞納とお残しは許しません。
ちょっとだけ肌寒くなってきた。すっかり秋だな。早朝の空気が気持ちいい。ひやっとして、張りつめた感じ。なんかこう、やるぞっていう気になって来る。今日も楽しい一日になると良いな。
ハルとの待ち合わせ場所のコンビニへ。ヒナとハルの通学路がそこで一緒になる。毎朝そこで会って、並んで学校まで歩いていく。早い時間だから、うるさい他人に邪魔されない、二人の蜂蜜タイム。ヒナが毎日一番楽しみにしている時間だ。
今日はハル、先に来ているかなぁ、ってわくわくしてたら。
「あ、ヒナさん、おはようございます」
はぁ?
びしっと気を付けして待ち構えていたのは、タクだった。ええ?あんた、何でここにいるの?ヒナは思わずぽかん、としてしまった。
「ええっと、以前この辺りでお見かけして、通学路なのかなぁと思いまして」
それで待ち伏せか。とほほ、がっくり。タク、それはストーカーの一歩手前だよ。相手の通学路を調べて、途中で通りかかるのを待っているなんて。しかもこんな早い時間、一体いつからここにいたんだ。
・・・ああ、ヒナも昔やってたわ。正にここ、このコンビニで、ハルのことを待ってた。ハルにバレてるって気が付かないまま。
叱ってやろうと思ったけど、すぐにそのことが記憶から蘇ってきてテンションが下がってしまった。タクのこと、強く言えないよなぁ。これが因果応報って奴か。まさか自分がやって来たことと、全く同じ行為をされるとは思いもしなかった。悪いことは出来ないもんだ。
でも、これはマズイよな。だってこの場所って、今はハルとの待ち合わせに使ってる訳だし。
「ヒナ、おはよう」
ああああああ、もうナイスタイミングですよハルさん。いいことでもあったのか、ニコニコしながらやってくるし。全身から血の気が引いていく感じ。うわ、これ、ひょっとして修羅場ってヤツ?
「ん、誰だソイツ?」
えーっと、何て言えば良いんでしょう。ハル、ご機嫌そうなところ悪いけど、怒らないで聞いてくれるかな。
「はじめまして、カイのお兄さんの、ハルさんですね」
タクがイキイキと喋りだした。うわぁ、お前ちょっと待て、黙ってろ。あわわってなったヒナのことなんてお構いなしに、タクはハルの真正面に立つ。すごい度胸。ホント、度胸だけは。
「俺は副嶋タクと言います。俺は、ヒナさんのことが好きなんです」
終わった。
がっつり空気が凍った。やばい。これどうしたらいいんだろう。
何故かやり切った感たっぷりのタク。珍しい動物でも見ているみたいなハル。
そして、顔全体に縦線が入って白目をむいたヒナ。
なんだこの三すくみ。ヒナは誰に向かって何を言えば良いんだ。金魚みたいに口をパクパクさせてしまう。いや、ホントに何を言えば良いのよ。誰か教えてよ。助けてよ。
「えーっと、カイの友達で良いのか?」
「カイとはサッカークラブの先輩後輩です。俺は今、中学二年です」
「そうか、中坊か」
「中学生だからって、甘く見ないでほしいです」
や、やめて。
タクはそんな、ハルを挑発するみたいなこと言わないで。ハルは、その、穏便に、ね。別にヒナはタク相手にどうこうってことは無いから。タクが一方的に言ってきてるだけで、ええっと、ヒナも現状だとそこまでの迷惑をこうむってはいないから。お話で解決しましょう。うん、平和的に。イマジン。
「別に甘く見てるつもりは無いさ」
やーめーてー。
ハル、なんでそんなやる気なの。相手は中学生だし、ヒナ的には全く気にかけてないんですよ。落ち着いて。冷静に。
「ヒナ」
「は、はい」
ハルがいつになく厳しい声でヒナの名前を呼んだ。うわずった返事をしてしまう。ハル、怒ってるかな。怒ってるよなぁ。
「コイツに告白されたのか?」
「うん、そう、です」
思わず敬語。もう仕方ない。認めるしかない。はい、告白されました。付き合ってほしいって言われました。
「返事はしたのか?」
ヒナは、ふぅ、っとため息をついた。
「お断りしました。私は、ハルとお付き合いしているし、別れるつもりも無いので」
はっきりとお断りしたんですよ。出来ません、って。ヒナはハルの彼女。ちゃんと自覚してます。
ハルもため息をついた。肩の力が抜けたのが判る。もう、そこは安心しててよ。大丈夫、ヒナはハルのことが好き。誰よりも、何よりも好きだよ。
「ヒナは断ったって言ってる。それでもつきまとうのは、男らしくないと思うけどな」
中学生相手に本気ですね、ハル。甘く見るつもりは無いって、確かにそうは言ってたけどさ。
でもタクも負けていない。ハルの視線を受け止めて、真っ直ぐに見返している。えー、なんで。その自信は一体何処から出て来てるの?
「そうかもしれません。でも、簡単には諦めたくないんです。俺は、ヒナさんのこと、真剣に好きなんです」
どーしてー。
タク、ヒナには全然判らない。ヒナはタクとはお付き合い出来ない。ハルのことが好きなんだよ。それなのに、そこまでしてタクがヒナのことを求める理由が、全く、これっぽっちも、一ミリも、理解出来ない。
「お二人が今付き合ってるとしても、それがずっとそのままだなんて、誰にも保証出来ないでしょう?」
またそれかよ。そりゃあ、この世に絶対なんてものは無いかもしれないけどさ。その言い草は反則だよ。そんなこと言ったら、タクの気持ちがずっと続くかどうかだって、誰にも保証出来ないだろうに。
絶対なんて無いよ。判ってるよ。
だから、ヒナは一生懸命ハルに好かれようと、一緒にいようと、努力し続けているんじゃないか。バカッ!
「俺とヒナは、ずっと一緒だ」
ハル?
「お前には判らない。俺とヒナの間には、沢山の絆がある。それは、簡単に消えてしまうようなものじゃないんだ」
ハルの声は静かだ。優しく語りかけるような、教え諭すような言葉。
「諦めきれないなら、せいぜい諦められるようになるまで勝手に想っていればいいさ」
そう言うと、ハルはヒナの手を握った。わ。ぐいっと引っ張られて、ハルの身体にぶつかる。強引なハル。どきっとした。
「ただし、ヒナが嫌がることはするな。こういう待ち伏せも無しだ。次にやったら、俺はヒナの恋人として、容赦しない」
ハルが歩き出す。手をつないだまま、ヒナも歩く。ちらっと振り返ると、タクはその場に立ったままだった。コンビニ前の修羅場、終了。うわぁ、なんかすごかったんだけど。
タクの姿が見えなくなる辺りまで、二人は無言だった。ヒナは何を言って良いのか判らないし、ハルはむすっとしている。ううう、弱ったなぁ。タクがさっさと諦めて自然消滅してくれてれば、万事解決だったのに。
ハルと二人きりでいられるこの時間が、こんな重苦しい空気で終わっちゃうのは嫌だなぁ。下手すると今日一日こんな状態かもしれない。嫌だなぁ。ハルとは楽しい学校生活したいなぁ。もう、何でこんな目に遭うんだ。
「はあ、ホントにヒナは」
突然ハルがヒナの方を向いて立ち止まった。ヒナの頭に掌を乗せてくる。なんですか急に。
「お前、ちゃんと断ったのか?あいつの告白とやら」
「こ、断ったよう。彼氏がいるからって言ったよう」
っていうか、それを知ったうえで告白してきたんだからどうしようもないって。どうしろって言うんだ。ヒナははっきりと断ったんだってば。ハルとお付き合いしてます。ハルとは別れません、絶対に。
「ヒナ、お願いだ」
え?
「俺のヒナでいてくれ。頼む」
ハル。真剣な目で、ヒナのことを見つめてくる。困ったハルだなぁ。
「・・・彼氏宣言とかしておいて、まだそういうこと言うんだ」
死ぬほど恥ずかしかったのに。あの後ずっと冷やかされ続けてるんだからね。生活指導呼び出しブラックリストのトップに出てるとも噂されているよ。そりゃまあ、それだけのことも前夜祭の時にやらかしてはいるけどさ。
「これ以上どうしろって言うのよ。もう十分にハルのヒナでしょ?」
「そりゃ、まあ」
学園祭のあれ、何て言われてるか知ってる?水上結婚式だよ?まあそうだよね、あのシチュエーションなら、誰でもそう思うよね。完全に公認カップルですよ。悪くは無いけど、ちっとも良くない。絶対に別れないっていう覚悟の表れと同時に、在学中全校生徒の見世物になるっていう悲壮感溢れる覚悟も付いてきちゃったよ。
ハルの胸元に、おでこをあてる。寄りかかる。バカ。ハルのバカ。
「何でもあげるって言ったでしょ。ほしいなら言って。我慢しないで」
ヒナは、ハルになら何をされても良い。前夜祭の夜に、ヒナはハルと二人で学校のプールサイドでお泊りした。一晩中、誰にも邪魔されない場所で、ヒナはハルに全部あげるつもりだった。ヒナはいいよって言ったのに、ヒナのことが大事だから我慢するって断ったのは、ハルの方だ。
ハルの心臓がどきどきしているのを感じる。こんなになっちゃうくせに。ヒナのことが欲しくてたまらないくせに。面倒なハル。ヒナと同じくらいメンドクサイ。
「自分で我慢しておいて、そういうこと言わないんだよ?」
ハルがおろおろしてる。もう、判ってるよ。ヒナにこう言わせたいんでしょ。いいよ、言ってあげる。言ってあげるから、今日は元通り、楽しい高校生活に戻りましょう。
ああ、恥ずかしい。
「私はハルのもの、ハルだけのものだよ」
ハルが、きゅって優しく抱き締めてくれた。「ありがとう、ヒナ」ふぅ、手間がかかるなぁ。こんなことならさっさとものにしてくれてもいいのに。それでハルが安心してくれるなら、ヒナ的にも万々歳なんだけどな。
「良かった。ヒナに告白しておいて。ヒナが、俺の彼女になってくれていて」
そうだね。ヒナがハルとお付き合いしていなかったら、タクに何て言えば良いのか判らなかったもんね。まあ、結果はあまり変わらなかったかな。ヒナは、ハルのことが好きだよ。ハル以外の誰かなんてありえない。ずっとずっと、ハルのこと、好きだよ。
ハルのヒナ、か。ふふ、懐かしい。そんなに昔の話でもないのに、すっかり忘れてた。
そういえばここ、通学路じゃん。人通りが少ない時間帯とは言っても、少ないってだけで無人じゃない。朝っぱらから高校生カップルが痴話喧嘩していちゃいちゃだ。
ハル、こういう悪目立ちって、ヒナは良くないと思う。