ハルのヒナ (4)
学校の中休み。ヒナが「ちょっとトイレ行かない?」って言ったらみんなの顔が固まった。まあ、そうだよね。そういうの面倒だよね、って言ってたグループだもんね。でも、こればっかりはハルのいる所では話せないしさ。
「やー、ついに別れ話かと思っちゃったよ」
サユリが楽しそうに酷いことを言う。ワンレン黒髪のメガネ美人。サユリはヒナと同じ水泳部に所属している。しかしあれだね、こうやって見ると女子トイレ会議が一番似合うよね。高一にしてお局様の貫録だ。
「そんなわけないでしょ。学園祭であそこまでされちゃって、別れるなんて言ったら学校にいる間中針のムシロだよ」
「そのくらいの覚悟があるってことだよ、朝倉にはさ」
サキが言うとまた必要以上に爽やかだ。スラリとした長身に健康的なショートカット、猫みたいな目。陸上部の王子様、クラスの王子様、学年の王子様。なんだけど、女子トイレに王子さまってのも変な話だよね。いや、サキは可愛い女の子ですよ?
「まあ、気持ちは嬉しいよ。でも、あれはやり過ぎ。悪ノリし過ぎだよ」
「えっと、私はちょっと素敵かな、って思ったけど」
チサト、それは他人事だからだよ。自分がやられたらたまったもんじゃないって。背が小さくて、ふわふわのロングヘアー、くりくりした目のチサトは可愛くてお人形みたい。吹奏楽部のフルート奏者。一年生でも選抜メンバーに入るほどの実力者だ。
これに天然恋愛脳のヒナを加えた四人で女子グループを形成している。最近は学園祭を通じて仲良くなったユマとかもたまに混ざっていたりする。ユマはそばかすポニーテールと何処かの世界名作劇場的な記号満載な感じの子。学園祭実行委員だったんだよね。今は部活の方、およめさんクラブもとい家庭科部の方が忙しそうだ。
「それにしても、中学生ねぇ」
とりあえずタクのことを一通りお話しした。ハルの弟が仲介に引きずり出されちゃってたので、ハルには話しづらいという所も含めて。だって、そこを話しておかないと、ヒナが迷ってるみたいじゃん。迷っては無いの。ハルと別れるつもりなんて全然これっぽっちも無いんだから。
「いいじゃん、熱血。カッコよかった?」
「んー、どうだったかな。そもそも断るつもりだったし」
よっぽどのことが無い限り、外見って印象に残らないんだよね、悪いけど。ハルの友達も未だにいもだし。そこまでして覚えようっていう意欲が沸いてこない。モブで上等。なんか眉毛太かった。以上。
「もう断ったんでしょ?今更何を悩んでるのよ?」
「それなんだよねぇ」
向こうがすっぱりさっぱり諦めてくれて無さそう、ってのもあるんだけど。
何よりもヒナが気にしているのは、良く知りもしない相手のことを、本気で好きになって、告白とか出来るんだなぁ、ってところ。タクはヒナと二回しか会ったことが無い。どっちもロクに会話もしていない。それなのに、好きになって、お付き合いとか申し込んだり出来るんだね。
「まあ一目惚れっていうのはあるじゃん。こう、ずきゅーんって来るんじゃない?なったことないから判らないけど」
ヒナも無いなぁ。昔家出してハルに助けてもらった時、ハルにおんぶしてもらって、その時はずきゅーんっていうよりは、とくんとくんって心臓の音がしてた。静かに目が覚めるような感じ。ああ、好きになってく、どうしよう、って思ってた。あれは一目惚れじゃないよね。ハルとはそれ以前から友達で、仲良しだったし。
「好きだからお付き合いするって訳じゃなくて、お互いのことを知るためにお付き合いするって流れもあるじゃない」
ああ、そうか。そういうこともあるんだ。ヒナはてっきり、お付き合いって好きだからするものだとばかり思ってた。
「嫌いな相手とお付き合いってのはなかなか無いと思うけど。でも、相手のことをもっと理解しようと思ったら、お付き合いして、色々な面を見てみる必要があるでしょう?」
なるほどなー。なんかやたら付き合ったり別れたりする子って、単純にコロコロ心変わりしているだけかと思ってた。ちょっといいかなと思った相手と付き合って、やっぱりフィーリング合わないなって別れるっていうやり方もあるんだね。そうかー。
「誰でもヒナみたいに長い付き合いの相手がいる訳じゃ無いからさ」
そうなんだよね。ヒナにはハルがいるんだ。長い時間を一緒に歩いてきて、結構前から好きで。選んでもらわないと割と本気で困るような相手がいるから、そういうのって全然うとくて。ヒナとハルみたいなケースは特殊なんだね。いや、自分のことって良く判らないからさ。
そう考えてみるとヒナには不思議だ。みんな好きな相手って、良く見つけるよね。全く知らない誰かと、たまたま出会って、好きになって、お付き合いするんだ。はぁー、それはどんな感覚なんだろう。ああそうか、タクがそうなのか。タクはヒナにたまたま出会って、好きになって。
ヒナのことを良く知りたいから、お付き合いしたいって言ってきたのか。そういやそんなこと言ってたな。
「みんなすごいなー」
素直にそう思う。出会って惹かれて結ばれる。簡単じゃないよな。最初の出会いからして、好きと思える相手に出会えるかどうかは運次第だ。だから、一目惚れするほどの相手との出会いは、大切にしたいと考えるのか。
「その熱血君も、ヒナとの出会いを無駄にしたくないんだろうさ」
うぐ。そうなんですかね。そう考えるとちょっと悪いことしたかな、とか思ってしまう。タクにしてみれば運命の出会いだったのかもしれない。とはいえ、ヒナとしてはお断りするしか手段が無いのです。申し訳ない。
「お互いのことをもっと知りたいっていうことなら、あまり深く考えなくても良いかな、とは思うよ。それが嫌なら断っても別に構わないだろうし」
そうだね。ヒナはタクのこと正直興味無いし。ヒナのことを知ってもらいたいとも思わないかな。残念でした。
「チサトも、ね」
ん?
サユリに言われて、チサトがうつむいた。え?何かあったの?ヒナ聞いてないんですけど?サキの顔を見ると、サキも首をかしげていた。サユリだけ何か知ってるの?
「二人には話しても良いんじゃないかな。心配かけてることもあると思う」
確かに最近チサトは少し元気が無い気がしていた。悩みでもあるのかと気にしてたけど、やっぱり何かあったんだ。
うん、何でも言ってみて。相談に乗るよ。ヒナも今中学生に告白されてアレだってハナシしたばっかりだし。もう何でも来いだ。
「実は」
言い難そうにチサトが口を開いた。チサトだと、部活絡みかな。一年生で選抜とか、変に目立ったりしているからかな。そんなの気にしなくていいよ。チサトの実力は本物なんだから。
「実は、高橋君に、告白されたの」
・・・ふぁ?
ふぁあーっ!?
え、マジ?ホント?高橋って、あれか、さといもか。さといも高橋。え?告白?俺、実はさといもじゃなくて生姜なんだ。ショウガネー。いやいやいや、何かパニクって変なこと考えちゃった。ショウガネー。黙れ。
チサトがもう見たことも無いくらい顔を赤くしている。下ネタでもここまで赤面はしなかった。すごいな、さといも高橋。やれば出来るじゃないか。何がとは言わないが。
もう何も話せなくなってしまったチサトに代わって、サユリが説明してくれた。学園祭の後、中間テストが終わった日、部活動が再開するタイミングだった。個人練習で屋上にいるチサトの下に高橋がやって来て、交際を申し込んできたらしい。
「えーっと、好きだ、付き合ってほしい、って感じ?」
チサトがこくりとうなずいた。うわぁ、そうなんだ。ヒナの場合、ハルから告白された時はそれで舞い上がっちゃったなぁ。ずっと憧れだったから、嬉しくて仕方が無かった。
でも、チサトの場合はどうだったんだろう。チサトはさといも高橋のこと、そんなに好きだったっけ?
「告白されたことは、嬉しかったんだけど」
さといも高橋は、それまでも何度か屋上で練習しているチサトを訪れることがあったらしい。なんだってぇ。ヒナが知らない所でそんな、そんな面白そうな。ごほん、なんでもありません。
帰宅部なので、他の部活をやっている友達を待ってたり、特にやることが無い時、校内をぶらぶらしていたら、たまたま屋上への扉が開いているのを見つけたんだそうだ。ああ、それ、ヒナも夏休みにやったわ。吹奏楽部の個人練習のためだったら、鍵貸してもらえるんだよね。うらやましいよなぁ。
で、ちょこちょこ話をするようになった。さといも高橋はそれなりに音楽に詳しいらしい。へぇー、人は見かけに。何でもないです。学園祭の時も、ヒナが知らない間に演奏喫茶とか行ってたらしい。ほほー。
「でも、今は私、部活の方に集中したいんだよね」
ああ、そうか。チサトはフルートに情熱を注いでいる。中学時代、いい加減な気持ちで投げ出してしまったフルート。今度は絶対に諦めないって、固く心に誓っていた。
その話は、さといも高橋にもした。さといも高橋は真剣に聞いてくれて、それなら、って言ってくれた。保留で良い。気持ちだけ知っててくれれば良いって。チサトのこと、応援してるって。
「高橋君、それからあんまり屋上に来てくれなくってね」
気まずいんだろうなぁ。それに、お互いに変に意識しちゃうのが嫌なんだろうなぁ。まあそれはさといも高橋なりの優しさなんだと思うよ。変なこと言って、チサトの邪魔をして悪かったって、そう思ってるんだよ。
「私も、高橋君に悪かったかな、って」
うーん、優先順位の問題かなぁ。とりあえずさといも高橋はチサトのフルートを認めてくれてるんだから、まずはそれで良いんじゃないかなぁ。良い奴じゃん、さといも。チサトはさといも高橋に、今まで通り接して欲しいなら、そう言ってみたらどうかな。気持ち自体は嬉しかったんでしょ?
チサトがハッとしたように顔を上げた。ん?ヒナなんか変なこと言った?
「そうか、私」
なんだろう、チサトの表情が明るくなった。柔らかくなって、笑顔みたいになる。元気出たのかな。
「流石恋愛マスターだなぁ」
いや、いつそんな称号得たよ。初耳だよ。
「チサトは、屋上で一緒に話をする高橋が好きなんだろ。正直にそう言って、そこから始めてみればいい」
サキがズバッと断言した。王子様決めるなぁ。カッコよすぎるだろう。
まあでも、そういうことだ。
告白されたこと自体は、嬉しかったんだよね。チサトは、さといも高橋の好意が嫌では無かった。ただ、お付き合いするとなると、どうしてもフルートの方を取ることになる。そうすると、今度は屋上でさといも高橋と過ごす時間を失ってしまう。それは嬉しくない。わがままな保留かもしれないけど、そこからもう少しお互いのことを理解していけるかもしれない。
「完全に今まで通りって訳にはいかないだろうけどさ」
好意があるってことは伝えちゃったし、伝わっちゃったからね。意識するなって方が難しい。でも、嫌ではないんでしょう?好きって言ってきた相手と屋上で二人きりとか、ロマンスの香りがするよ。まあ一番じゃないけど、いつかは一番になるかもしれない。一緒にお話する時間は、それはそれで楽しかった。それなら、そうしてくれると嬉しいって、まずは伝えてみようよ。
「うん」
チサトが元気にうなずいた。おお、良かった。後はさといも高橋次第。おまえ、ここまでさせておいて台無しにするんじゃねぇぞ。チサトの気持ち、裏切んなよ。
「他人のことなら頼りになるのにねぇ」
うるさいなぁ。自分のことは良く判らないもんなんだよ。それに、ハル以外の誰かなんて想定外だ。ヒナはハルのことで常にいっぱいいっぱいなんだから、余計な雑音には入ってきてもらいたくない。
思い出した。ハルもさといも高橋の様子が変だって言ってたっけ。そういうことだったのか。なんか色々と気を使ってたのかな、チサトもさといも高橋も。いいじゃない。秋は恋の季節だよ。
「みんな花盛りだねぇ」
サユリがそんなことを言う。サユリだってモテモテじゃないの?水泳部で密かに人気なの、ヒナは知ってるよ。
「高校に入ってから三回告白されたわ。全部お断りしてるけど」
マジっすか。
生半可な気持ちでモテモテとか言ってすいませんでした。ガチじゃないですか。しかも全部お断り。すさまじい魔性の女っぷり。
「ヒナだって二回じゃん」
そうだねー。一回で良かったのにね。ヒナは別にモテモテの愛されガールなんて目指してないよ。ハルの可愛い彼女でいられればそれで満足。モテ期なんていらないよ。
その日のお昼ご飯の時、ちょっと注意してさといも高橋のことを観察してみた。がっついて食べてるのは、どうもわざとみたいだ。チサトと目を合わせないために、激しくご飯をかきこんでるんだね。消化に悪いからやめてほしいよ。
チサトと顔を合わせて、軽く肩をすくめてみせる。さといも高橋の健康のためにも、後でひと声かけてあげてくださいな。ハルが不思議そうにヒナの方を見てきた。心配いらないと思うよ、ハル。とりあえず、さといも高橋の幸せを願ってあげておいてよ。おかんとしては、温かい目で見守っておくことにしたからさ。