契約出来ない召喚士
はじめましての方ははじめまして、龍木と申します。
この話は科学技術が今より少し進んでいる世界に異生物が入ったらどうなるんだろう、と考えて作ったのでガッツリ異世界ではありません。
もしも反響あったら連載始めるかもですです。
「お前さぁ、もう幾つだと思ってんの?」
「十六」
「あり得ないだろ」
「何が」
「自分の腕を見てごらん」
「え。虫とか居る?」
少年は手首を見詰める。この前ちょっとドジしてカッターで切れてリストカットしたのではという変な噂がたってしまった傷痕以外には特に気になるものは見付からない。
「? なにもないけど?」
「じゃあその手首の物は?」
「? 親父もついてるじゃん」
「はぁ………」
大袈裟に溜め息をつかれて嫌な顔をする少年。
「なんだよ。なんかあるのかよ」
「我が息子ながら馬鹿だ……恥ずかしい」
「おい! 俺の馬鹿さ加減は親父の遺伝だろうが!」
キレる少年。馬鹿さは遺伝するものなのだろうか。その辺りは解明されていない謎である。
どちらかというと、生活環境である。
「では何故エオルカは居ない?」
「そ……それは関係ないだろ!」
「今時、三歳の子供でも契約している。何故お前は未だにその腕の物は透明だ?」
「そ、んなこと言われても……」
段々と勢いが弱くなっていく。少年とその父の腕には四つ宝石の嵌まったブレスレットが付いている。しかし、少年の宝石は全て無色透明で、父親の方は緑、青、赤、黄色と鮮やかな光が宿っている。
「………情けない。十六にもなって一体も契約していないとは」
「う………五月蠅いな! 俺だって、いつかは………」
「それが何時だと聞いているんだ。もう何年その状態で居るつもりだ」
毅然とした態度でそう問われ、とうとう少年は黙ってしまう。
「ハッ。何が俺だって、だ。聞いて呆れるな」
「ッ………!」
少年は父親を精一杯の眼力で睨み付ける。元々そんなに目付きが良い方ではないので相当怖いのだが父親が怯んでいる様子はない。
「ククリア。来い」
静かに父親がそう言うと青色の宝石が明るく輝き、魔方陣が地面に現れる。一瞬スパークが起き、馬のようなシルエットが浮かび上がる。
否、それは馬ではないのだ。トッケルと呼ばれる馬型の種族で非常に頭がよく、また足が速いことで知られるエオルカ、つまり魔獣である。
エオルカとは魔獣の総称で、精霊とも呼ばれている特殊な種族だ。人間に手を貸してくれる事もあれば牙を剥くこともある。だが、【契約】をすることで人間と共に暮らすことができる。
契約というものは少年と父親が腕に嵌めているブレスレットにエオルカを縛り付ける事である。
エオルカからしたらたまったものではないが、人間としては実に便利なものである。
契約をする方法は、エオルカを一時的に弱らせて無理矢理しまい込む、という力業とエオルカ自身に了承を得る方法がある。
後者の場合だとほぼ確実に契約できるが、前者の場合は弱りきっていないと宝石を壊して出てきてしまう。
エオルカはかなり知能が高いため人間の言うことをほぼ完璧に理解できる。声帯は人間の物ではないので話すことはできないのだが。なので、説得して契約してもらう手もあるわけである。
少年は目の前に出てきた巨大なトッケルを見詰める。
トッケルは水を操ることが可能で、鳴き声を届かせられる範囲に雨を降らすことができるエオルカである。かなり高位のエオルカなので皆の憧れの的、なのだが。
少年のトッケルを見詰める目は冷たい。
「ククリアをそんな目で見るな。怖がっているだろう」
「五月蠅い。ククリアを出してどうする気だ」
トッケル………ククリアを見上げながら父親に投げやりに問う。因みにトッケルは少し大きめの白い馬に青い鬣が生えていて、ペガサスみたいに一対の羽が生えている。
要は、鬣が青い大きなペガサスである。
「ククリア。頼んだぞ」
「は?」
父親は状況が理解できていない少年をククリアの背に放り投げる。
「修行に行け。アーザス峠辺りで良いだろう」
「はぁ!? ちょっと待って! あんなところに行ったら死ぬよ!?」
「契約出来ないのなら死ね」
「ファッ!?」
厳しい言葉だが、実はこれを話している父親は満面の笑みである。
「契約できるまで家には入れないからそのつもりで」
「俺は承諾してない!」
「同意書ならここにある」
変な決めポーズをしながら父親が取り出したのは薄い、いかにも適当に作った感満載の同意書だった。
「絶対に同意するか!」
「もう同意はもらってますぅー」
「はぁ!?」
一番下に拇印がある。パッと見て、
「俺が寝てるときにとりやがったなクソ親父‼」
「ハハハハ! 無防備なやつが悪いのさっ」
良い声でそう言う父親。少年は降りようと必死だがトッケルの羽根で見事に妨害される。
「必要な物はここに入ってるから。達者でな!」
「達者じゃねーよ! ふざけんなぁぁぁああ‼」
窓の外に向かってククリアが走り出す。
「ちょ、ククリア‼ 下ろしてくれ‼」
「……………」
「何でお前も無言なんだよ!」
今にも外に飛び出しそうな一人と一頭に向かって父親が言う。
「本当は俺だってこんなことしたくないんだ……! だが、お前のためだ! どうか恨まないでくれ!」
最高に輝いている笑顔で。
「絶対呪ってやる! クソ親父がぁあああああ!」
叫び声にも似た少年の心からの怨嗟の言葉は街中に響き渡った。
「わぁ! 可愛い! ねぇ、どの子にしようかな?」
「フフ。気に入った子にすると良いわ」
同時刻、ペットショップに十五才程の女の子の親子がショーケースの中を覗き込みながら花の咲くような笑みで談笑していた。
「この子にしようかな。この子も良いなぁ……」
わくわくした目で食い付くように中を見る。
「あ! この子が良い!」
「え、ええ………?」
一番端の大きなショーケース内に狼のようなエオルカ、ヴィッカルが丸まっていた。
「こ、この子はちょっと危ないんじゃ……?」
「えー? この子が良い! 良いでしょ?」
「う、うーん………」
判断に困るケースである。パッと見は完全に狼そのものであるし、子供なのでまだまだ成長する。
「あ、あの……この子って……?」
「ああ、そのヴィッカルですか。他のペットショップ転々としてきたみたいで、なかなか売れなくて………」
店員に聞いても反応がこれである。是が非でも避けたい所ではあるが、これがいいと言ってこちらの話を聞かない。
「この子が良い!」
「でも………ちょっと大きいんじゃないかしら」
「ちゃんとお世話するもん!」
「う、うーん」
悩んでいると、ヴィッカルが起きた。ゆったりと、それでいて堂々とこちらに歩いてくる。
「可愛い」
「か、可愛いかしら………?」
ショーケース越しとはいえ、相当圧迫感がある。
「ね、私のお家にこない? 家族に、ならない?」
「グルルルル………」
軽く鳴いた。重低音のような唸り声である。
「家族に、なろ?」
「………」
ペタリ、とショーケースに手をおくと、ヴィッカルが耳をペタンと下げ、手にすり寄る動作をした。
「う、嘘でしょ…………?」
こうして、ヴィッカルは奏太という名前で飼われることになった。
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「待てやぁぁぁああ‼」
「いやぁぁあああああ!」
それから、二年後。ヴィッカルの奏太の背に乗って追い掛けられているのは、あの時奏太を欲しがった女の子、明日香である。
「奏太! もっと早く走って! 追い付かれちゃう!」
「ウォン‼」
明日香の声に吠えて応え、加速する奏太。だが、追手は六人だ。そう簡単に撒ける人数ではない。
「そうだ‼」
明日香は奏太に耳打ちする。すると奏太は頷くことで了承し、崖を駆け降りる。
「逃がすな! 確実に捕らえろ!」
そんな声を背後に聞きながら奏太が突然大きな尻尾を横凪ぎに振るう。するとそれが光の線になり、近くの大木を薙ぎ倒していく。
「ギャァァァアアア!」
崖の途中で木が道を覆うのだ。もう後は、落ちるしかない。
「はぁ、はぁ、はぁ………」
荒く息を吐く明日香に大丈夫? と寄り添う奏太。
「大丈夫………。ちょっと休もうか」
奏太は頷いてゆっくりと休むことができそうな場所を探し始めた。
少し歩いた先に大きな木を見つけた。先程の場所から少し離れているので追手も来ないだろうと判断し、木陰に腰を下ろす二人。
「さっきはありがと。助かったよ」
「クゥン」
撫でられて気持ち良さげに鼻をならす奏太。
「お腹すいたね。ご飯にしようか」
「ウォン‼」
尻尾を振りながら立ち上がる奏太を見ながら和んだ明日香は鞄から自分の乾パンと水。それと奏太のドッグフードを取り出して皿に開ける。
「はい」
ガツガツと食べる奏太に苦笑しながら上へ目を向ける。すると、木にリンゴがなっていた。
「奏太! リンゴだよ!」
「ウォン‼」
「揺らして落ちないかな?」
そういった瞬間、待ちきれなかったのか奏太が木に体当たりした。ボトボトとリンゴが落ちてきた。
「やった………へ?」
「ギャアアアアア!?」
ついでに、人も落ちてきた。
「ぶっ!?」
受け身をとりつつ落ちたので割りとダメージは無いようだが、それでも数メートルある木の上から落ちたのだ。暫く悶絶している。
「えっと、大丈夫?」
「クゥン」
「っつ……ああ、大丈夫だ。落ちるのは慣れてるから……」
腰を押さえたまま降ってきた男が立ち上がる。
「いてて……やっぱ寝惚けて落ちたのかなぁ……? ゴメンな。驚かせちまって」
「い、いえ………」
私のせいです、とは言い辛い。
「お? 珍しいな、ヴィッカルじゃん」
「ウォン」
「へぇ。しかも固有種かな? スピード特化のマグア種か」
「見ただけでわかるの?」
「ん? まぁね。伊達に何年も引きこもって本読んでないから」
カラカラと笑う男の黒髪は薄汚れてしかも長い上にボサボサ。髭は見えないが服も使い古されている様子だ。
背にはリュックサックである。しかも、
「契約石が全部透明………」
「そこはつかないでくれよ。俺も気にしてるんだからぁ」
あっけらかんと笑う男。本当に気にしているのか不明である。
「ところで今何時かわかる?」
「時計持ってないの?」
「壊しちゃってさ。太陽の位置からして大体十三時二十分頃かなぁ、ってのはわかるんだけどね」
「ドンピシャなんだけど………」
「お。当たった?」
この人相当頭良いんじゃ、と固まる明日香。それを気にした様子もなく男は大きく欠伸をする。
「そういや自己紹介してなかったな。俺は縁。ゆかりって呼んでくれ」
「あ、私は明日香。こっちはヴィッカルの奏太」
「ウォン‼」
「よろしくな。明日香、奏太」
邪気のない笑顔で縁が笑う。
「ところで、なんでこんなところに?」
「俺か? まぁ、色々とあってだな………クソ親父に家追い出されて二年経っちまった」
「………大喧嘩でもしたの?」
「契約できるまで家に入れないって言ってアーザス峠に放り出されたんだよ」
「アーザス峠っ!?」
苦々しい顔をしながら頷く縁。
「あの竜神の………?」
「死ぬかと思ったよ。何度諦めかけたか覚えてない」
アーザス峠は入ったら出られないことで有名な自然の迷宮である。蜃気楼や毎日のように起こる火山噴火による道の移動、もっとも危険なのはエオルカである。
食べ物が少ないのでエオルカ達は血の気が多い上にかなり強い。人間、それも契約もしていない人間が放り込まれて生きている方がおかしいレベルの環境。
自然の迷宮を掻い潜り、噴火に巻き込まれないように頭を働かせ、エオルカの猛攻を突破してもその先に待っているのは竜神と呼ばれるエオルカである。
三大魔獣と呼ばれる世界最高峰の強さを誇るエオルカで、鳴き声一つで世界中に雪を降らせる事が出来ると言われている。
「竜神は大丈夫だったの?」
「あー、まぁ、ね。なんでかわかんないけど………」
「よく無事だったね………」
そんなことしていればここまでボロボロになるはずである。
「明日香は?」
「私は、その、観光よ」
「こんな森の中になんか見るもんあるか?」
首をかしげながら考える縁。
「まぁ、追及はしないけどな。何かに首突っ込むのは程々にしなよ」
なにか事情があるとみた縁は特にそれ以上何かを言うわけでもなく歩いていく。
「ど、どこ行くの?」
「そうだな……もう少し森の奥に行ってみようかな」
「決めてないの!?」
「契約できてないから帰れないし、ぶっちゃけもう家なんてどうでも良いや」
「へ?」
「だって帰ってもクソ親父が居るだけだし、お袋はすぐどっか行くし。俺的にはもう別に帰らなくても良いかなー、なんて」
もうこっちの方が慣れたし、と笑いながら言う縁。
「明日香と奏太はどうすんの?」
「私達は………」
「ま、聞くのは無粋だな。じゃ」
片手をあげて背を向ける縁。
「私達――――」
そう言いかけたとき、そう遠くないところで爆発音が鳴り響いた。
「!? 近いぞ!?」
長い髪を風に靡かせながら走り出す縁。
「ま、待って!」
明日香は流れるように奏太の背に跨がり、奏太が走り出す。
「なんて速いの……? 奏太でも引き離されるなんて」
「クゥン」
本当に足が速い人が本気で走ったらあれぐらいの速度が出るだろうが、それをキープし続けるのは恐らく無理だろう。相当足場の悪い道を飛ぶように走る縁に付いていくのが精一杯である。
そうこうしている内に目的地についたようだ。
「なんだあいつら………?」
「ハンターよ」
「ハンター?」
「そんなことも知らないの?」
「うっ………世情には疎くて」
木の影に隠れながら数人の男達を見張る二人と一頭。
「もう、見てらんない!」
「え?」
そう叫んで前に飛び出す明日香。もちろん奏太も一緒である。
「そのエオルカを解放しなさい!」
「! おい、こいつだぞ! ヴィッカル使いのハンター狩り!」
「こんな餓鬼がか?」
「嘗めてかかると噛まれるぞ! やれ、お前ら!」
手首のブレスレットが四色の光を放ち、外にエオルカが出てくる。奏太はそれに物怖じもせず、ただただ真っ直ぐ敵を見つめている。
「奏太! 鎌鼬!」
「ウォン!」
長い尻尾が横凪ぎに振るわれて白く光る軌跡が周りを切断しながら襲い掛かる。
「行け!」
「グルルルゥッ!」
カマキリのようなエオルカが自身の鎌を構えて防御の型に入るが、力の差がかなり大きいようでそのまま吹き飛ばされていく。
「っ!」
「不味い! だが、依頼品さえあれば………ってあれ?」
バッと周りを見渡すも、何もない。先程まで檻に入った鳥がここにいたはず………。
「どこいった!?」
「まさか、逃げたのか!?」
突然の出来事に動揺し、一瞬固まる。すると、目の前には凶悪なまでの牙が迫っており、
「余所見しないでよね」
その言葉を最後に意識が完全に途切れた。
「いやー、強いんだな。奏太は」
「あんたも割りと強かね。檻ごと担いで逃げちゃうんだから」
敵………ハンターを縛り付けてブレスレットを壊す。すると、中からエオルカ達が出てきてお辞儀をして去っていった。
「なんで突然あんなことを?」
「あんたも判ってるんじゃない? その子をちゃんと逃がしているんだから」
「まぁ、大体は、な」
針金をリュックサックから出してカチャカチャと鍵穴を弄る縁。すると、カチッと音がして檻の戸が開いた。恐る恐る中から黄昏色の鳥が出てくる。
「エオルカを捕まえて売る奴等だろ? それと、他人のエオルカを奪うってこともありそうだな」
「ご名答よ。私はそんなやつら……ハンターを懲らしめてるの」
「へぇ……」
縁は戸から出てきた鳥型のエオルカ、フレアリスを撫でる。初めは強張っていた体も大分落ち着いたようで気持ち良さそうに撫でられている。
「それにしてもエオルカも生きにくい時代になったな……。ハンターだなんて」
「ねぇ、そう思うなら私と一緒に働かない? 貴方の足の速さとかスッゴい魅力的だし」
「どんな提案だよ。でも、俺は誰の下にもつかないさ」
俺にはエオルカ居ないし、とあっけらかんと笑う。
「そう。残念」
さして残念そうでもないが、明日香は奏太の毛並みを整えながらそう言う。
「ねぇ、ところでさ。その子、何ていう種族なの?」
「こいつはフレアリス。その中でも特殊特化のヴォルケイノ種だな。炎を操る鳥で、力はそんなに無いけど飛ぶのは結構速いぞ。綺麗だし、結構高位のエオルカだから貴族の中では憧れの的」
「本当によく知ってるわね。エオルカマニア?」
「いや、別にそう言う訳じゃないんだけどな」
ピキュ、と嬉しそうに鳴くフレアリス。
「お前、どこから来た? ここら辺にはいない筈だけど」
「ピ?」
「わっかんねぇな………」
本人………ではなく本鳥にも判らないようだ。
「せめてどこから来たのか判ればな……」
「契約しないの?」
「そんなことしたらあいつらと一緒じゃん。ちゃんとこいつを送り届けないと」
地図を広げて唸る縁をみて明日香が笑う。
「あんた見かけによらず凄い律儀なのね」
「どうだろうな」
「普通ならここで契約しちゃうわよ」
「俺はもっとやるべき時にする。こいつにも家族が居るかもしれないしな」
縁が立ち上がるとフレアリスも飛び、縁の肩に着地する。
「さて、行く……っ!?」
「どうしたの?」
「嗅ぎ付けられた! 走れ!」
方向転換して突然走り出す縁。訳がわからないまま取り合えず奏太も明日香を乗せて走り出す。
「ちょっと、どういうこと?」
「後ろを見ろ!」
言われた通りに見るとかなり離れた位置ではあるがハンターがこちらに走ってきているのが見えた。
「っ!」
奏太に加速するように告げるが、後ろから氷の矢が掠めるように飛んでくる。
「奏太! 鎌鼬!」
「ウォン!」
尻尾が横凪ぎに振るわれて風の刃が後方に放たれるが、遠すぎて届いていないようだ。
「こっちだ!」
縁の言うままに走っていく。すると、風船のようなものが木にくくりつけられていた。縁はそれを掴んで明日香と奏太を篭の部分に放り投げる。
要は、簡易的な気球だ。
「しっかり掴まれ!」
そう叫びながら風船についている紐を巧みに操りながら風を受けて上昇する。
「っ! 勢いが足りねぇ………! フレアリス! 後方に向かって火を思い切り噴射してくれ! コントロールは俺がとる!」
「ピィィィイイイ!」
ゴウッと熱風を孕んだ炎が生まれ、フレアリスの嘴から放たれる。
「あっつ!」
縁が軽く悲鳴をあげながら急加速した気球がどこかに流れていかないように必死に両腕を動かし続けた。
「あそこに降りよう。フレアリス。ちょっと高度を下げたいから中の熱気を少し抜いてくれ」
「ピイ」
何時間か飛行し続け、体力が限界に近い縁が息を荒くしてそう言う。フレアリスがパクパクと風船の中の空気を食べる動作をすると、だんだんと高度が降りてきた。
「疲れた………」
崖の上に着地し、一息つく。酷使し続けたせいで腕や足が悲鳴をあげているがそんなことなんてどうでも良いと思えるほどに安堵していた。
「お前がいてくれて助かったよ。ありがとう」
「ピイ!」
縁とフレアリスが地面に寝そべってぐったりしつつ互いを労う。
「はい。これ」
近くで水の湧いているところを見つけたらしい明日香がペットボトルに湧水を汲んできた。それを受け取って、
「ありがとう」
「お礼を言うのはこっち。本当にありがとう。貴方のお陰でなんとか逃げ切れた」
「今日のMVPはフレアリスだよ。こいつがいなかったら上昇気流を探して逃げ回らなきゃいけなかったんだから」
動かない腕をだらりと地面に垂らしながら酷く疲れた顔でそう言った。フレアリスは縁の膝の上で熟睡している。
「あなたも休んだら?」
「気球を隠さないといけないし、それにエオルカ避けの香も焚かないと……」
「エオルカ避けなら奏太が居るし、気球なら私が隠すから。早く休んだ方が良いわよ」
「そう、かな……でも」
「いいの。はい、おやすみ」
縁はやらなければいけないことはとにかく山積みなのに酷く眠たい事に苦笑しながらゆっくりと目を閉じて意識を手放した。
「やっと寝た……。全く、休んでくれないんだから。心配になるじゃない」
「クゥン」
「奏太。この辺りは大丈夫?」
「ウォン!」
「そっか。じゃあご飯にしようか」
乾パンとドッグフードというなんとも味気無い夕食を終え、昼間の内に集めておいた枯れ枝で焚き火をする。追手に見つかる危険もあるが、縁の体温が下がらないようにするには焚き火が一番だからだ。
「奏太。私、水浴びしてくるからここ見張っててね」
「クゥン?」
「大丈夫。もう子供じゃないんだから」
奏太の顎を撫でてから湧水の所へ行き、軽く水浴びをしてから戻る。
「何もなかった?」
「…………(コクリ)」
「そう。よかった」
見れば、縁の体勢が微妙に変わっている。
「寝相悪いのかなぁ……」
そう呟いた途端、突然目を開けて縁が立ち上がった。
「ひゃっ!?」
「ウォン!?」
奏太と明日香が驚いて声をあげるが完全無視である。
「ちょっと、縁?」
「――――ぃ」
「え?」
突然、歩き出した。
「え? え?」
縁は覚束無い足取りでふらふらと歩いていく。フレアリスが明日香の声に驚いて起きたのだが、逆に言えばそれだけ大きな声を明日香があげたにも関わらず全く気に止めていないのだ。
「縁! どうし………!」
縁の目を覗き込んだ瞬間、背後から何かに刺されたかのようなゾッとした感覚を覚えた。
縁の黒い目が真っ赤に染まっている。しかも恐ろしいまでに殺気だっていて今にも殺されそうな恐怖心が明日香を襲う。それでいて目は虚ろで焦点があっていない。
「…………」
ただただ無言で歩く縁。呼吸は浅く早く、何かに追われているような必死さがある。
明日香は奏太にこの場を任せ、縁の後をフレアリスと共につけることにした。
「ぉ―――ぁ―――」
たまに何か言っているが声が小さすぎて聞き取れない。
「「!?!?!?」」
すると突然縁が倒れた。
「縁!」
「ぅ…………ん?」
「大丈夫!?」
縁の体は軽かった。自分より軽いのではないかという事にショックを受けながら明日香は縁に話し掛ける。
「あれ? ん? 俺………?」
「急に歩き出したからおかしいと思ったの」
「急に歩き出した……? 俺が?」
「覚えてないの?」
「覚えてない」
目を擦りながら立ち上がる。目の色は元に戻っていた。
「まさか夢遊病……? たまにあるらしいんだよな」
「夢遊病って感じじゃなかった気がするけど……まぁ、いいか」
首をならしながら大きく伸びをして、
「で、ここどこ?」
笑顔でそう聞くのだった。
「いやー、久し振りにゆっくり寝れたからスッキリだ」
「こっちはまた歩き出さないか不安で仕方なかったけどね」
「ははは、それに関してはすまん」
本人の意識がないので謝ることしかできない。
「さてと、今日はどこに進もうか」
「ああああああ!」
「わっ! どうした?」
「食糧……もう限界なんだよね」
「えっ」
明日香は自分の鞄の中を見せる。もう節約しても二食分あるかどうか、といった分量だ。
「確かに限界だな」
「どうしよう」
「大丈夫。最悪狩ればいいし、この近くに人が居そうだしね」
「本当!?」
狩ればいい、の台詞は無視して縁に食らい付くように飛び付く明日香。
「これでなんとか生きられる!」
「本当、ギリギリの生活してんのな……」
気球の操作をしながら低い地面の所を飛ぶ。
「なんでこんなところに人がいるって判るの?」
「ここら辺の土だよ。靴痕みたいな模様がうっすら見えるだろう?」
「あ、本当だ」
「それとエオルカだ。この辺りは比較的縄張り争いが多いみたいで、あちこちに戦闘痕がある。人間が住んでいなくても縄張り争いは起きるけど、人間が多いほどそれも頻繁になる」
「住む場所がなくなるから?」
「ご名答」
奏太の背に跨がった明日香と気球を超低空飛行させながらその横につく縁とその前の籠に乗っているフレアリス。果たしてこの奇妙な者達を受け入れてくれる所はあるのだろうか。
「それ、なんなの? なんか聞きそびれちゃってそのまんまだったけど」
「これ? これはリンドアっていう地域の民族特有の気球でね、ベネリュエンスっていうんだ。海や陸の移動でも使えるし、結構便利だよ」
「べ、べねりぃ」
「ベネリュエンス。別に覚えなくてもいいから」
小さく笑いながら紐を操って方向を変えないようにしている。ただ真っ直ぐ進んでいるだけなのだが、その手はあらゆる方向に動き回っていてかなり忙しない。
「普通に歩いた方が楽なんじゃない?」
「今ではもう慣れたし、こうやることで練習にもなるから」
「ね、やらせて!」
「これを?」
「うん」
大丈夫かなぁ、と小さく呟きつつ地面に降りて明日香に紐を渡す。
「え、なにこれ、難しっ!?」
「あっ!」
ギリギリで縁が飛び乗って紐を操り事なきを得た。
「滅茶苦茶面倒くさいね」
「そうか?」
明日香はもう二度と操縦しようとしないだろう。
「………居る」
「何が?」
「人だ。まだこっちには気が付いてない」
「……全然見えない」
「そうか?」
目が良いようだ。
それから近づくと段々と人影が見えてきて、あっちもこっちに気が付いたようだ。女性である。
「すみません。食糧を分けていただけませんでしょうか」
「あなた達、ここに何しに来たの?」
「いえ、迷子のこいつを家へ返す途中でして。食糧がかなりギリギリなので売っていただけないかと思いまして」
「………」
無言で睨み付けられる。縁がそれを正面から見つめ返すと、女性は溜め息をついて、
「嘘じゃないようね。いいわ。売ってあげる」
「ありがとうございます」
パンや干し肉等を買ってご機嫌の明日香である。縁は近くの木に気球をくくりつけて休憩。
「ここ、自然保護区ですかね?」
「知ってて入ってきたの?」
「いえ。今気付いたんです。そうですよね?」
「そうよ。ここは自然保護区域」
「だから入ってきたことに驚いていたんですね……。すみませんでした。不法侵入してしまって」
気球で入れてしまう辺り、警備が緩すぎる。
「それで、そこのファリエの保護区域なんですか?」
「よく知ってるね」
「希少種ですので。それにハンターの手もかかりやすい」
「……だから私はここを守ってるんだ」
「ええ。判ります」
縁が立ち上がった瞬間、左に大きく体が吹き飛ぶ。
「っ!?」
「ぐっ……!」
倒れないようにバックして衝撃を逃がし、リュックサックからテントを打ち付けるときに使う金属の杭を取りだし両手に構える。
「誰だ!」
「君、中々戦いなれているようで嬉しいよ」
そう言って茂みから出てきたのは熊型のエオルカのテラシンと数人の男達。
「逃げて! 早く!」
「でも………」
「俺は気にしないで!」
分が悪すぎる。今ここにはフレアリスも奏太も明日香もいないので遠距離攻撃ができない。なので殴り付けるしか方法はないのだが熊よりも更に大きいテラシンを殴り付けたところでびくともしないだろう。
「君が私の取り引きを台無しにしたハンター狩りかい?」
「ハンター狩りなんてやってねぇよ」
「ああ、そういえばヴィッカルがいないね。じゃあ君はなんなのかな」
「さぁね」
嫌な汗が頬を伝うのを実感しながら杭を構える。
「おや? どうしてエオルカを出さないんだ?」
「俺に契約してるエオルカは居ないんでね」
「居ない……?」
そう呟き、男が縁の顔をまじまじと見る。
「そういうこと、か」
「はぁ? 何自己完結してんだよ。どうせ俺は契約もまともに出来ない人間の屑ですよ」
「後半何を仰っているのか不明だけど、君のこと、私は知ってるよ?」
「俺を? なに、どうせあれだろ? 契約出来な―――」
「そんなことじゃない」
言葉を遮るようにそう言われ、縁が絶句する。
「正確に言えば、君の父親をよく知っていてね」
「親父か? 俺の馬鹿さ加減は全部親父のを引き継いだからな。相当―――」
「いや。君は誰も理解できない領域にいる。それを私は知っている」
「何言ってやがる」
苛立ちを露にする振りをしながら周囲の状況を確認する。
(右に三人、左に二人。各々エオルカは一体、二体って所か。ヤバイのは正面。こいつ、エオルカを四体………しかも殆ど高位のエオルカだ。分が悪いにも程がある)
己の無力さに歯噛みしながら突破口を探る。
「お前達。この人は殺さずに捕獲しろ。リストトップのお出座しだ」
「リストトップってなん―――わぁああああ!?」
一斉に襲い掛かってきた。エオルカが出ていない以上、いつ目の前に現れるのか不明なため、不用意に手は出せない。
「逃げるが勝ちっ!」
目眩ましにリュックサックからシーツを取り出して杭に突き刺して投げる。すると風を孕んだシーツが大きく広がりうまいこと全員の視界を………
「(ビリッ)いいですね!」
防げずに見事にテラシンの爪で裂かれる。
「ですよねー!」
叫びながら全速力で逃げる。
「行け、ダッシュ!」
「マジかぁぁぁああああ!?!?」
エオルカ、しかも足が速いことで知られる高位のエオルカである。時速六十キロ程出る。
「流石だ。やっぱりいい……! 世界最高の血筋!」
「なんだこいつ気持ち悪っ!」
本来なら不可能であるはずの、時速六十キロオーバーのスピードで走っているのだ。
しかし、それは本気で走ってそれである。直ぐにスタミナが切れて追い付かれてしまう。
「ゼェ、ゼェ、ゼェ、ゼェ……ざ、けん、な、よ………クソ」
後ろから鉛のついた網のようなものが放たれて注意力が散漫になっていた縁を絡めとる。厭らしいことに何発も被せられ全く身動きがとれない。
「ぅ………ぐっ……! 切れねぇ、クソ」
「そんな間単には切れないよ。例え君でもね」
「お前、一体………」
「こうすれば、お分かりでしょうか?」
ハンチング帽を被って口元をどこからか取り出したマフラーで覆う。
「……………!!!!」
「やっと思い出してくれましたか。あの時はお世話になりました」
「う、そだろ………!」
「さぁ? 私は私です。嘘ではないですよ?」
縁の体が細かく震える。顔から血の気がなくなり、今にも気を失いそうだ。
「お、前は………」
「おやおや、怖いことでも思い出しましたかな? それと、ひとつ確認したいことがあるのですが。あなたが本人かどうか、確かめさせてもらいます」
「何、を………!?」
「はーい、そのまま」
口に何かを突っ込まれ、液体状のそれを飲み込まされる。
「ぐ、ゲホゲホ、カハッ」
「気管に入ってしまいましたか? それでもいいのですけど」
「何を飲ませやがった……!」
「そんなの、直ぐにでも判りますよ」
その瞬間、縁の体を何かが殴ったかのような衝撃が襲う。
「あ………ぐぁ」
「効いているようですね。では、失礼」
手にゴム手袋を嵌めて再び縁の口に手を突っ込む男。縁は抵抗することも出来ずに小さく呻き続けている。
「ついに見つけた……!」
「ぅ……ぁ……」
「まさか舌だったとは、気付きませんでした。迂闊です」
嬉しそうに男が縁に話し掛ける。
「ああ、安心してください。殺しはしません。そもそも君のような成功例は他にないですから」
「ぅ、ぐ」
「逃げられないように足は切り離すかもしれませんが、生活に不便の無いようにいたしますので」
「ふざ、ける、な……!」
「もう喋れるまで回復したんですか? やっぱり格が違う」
「そんな話はしてねぇ!」
完全に拘束されているので全く動けない。それでもなんとか虚勢をはる縁。
(ヤベェ……さっき飲み込んだあれが拙かったかな………いや、味も不味かったけど、滅茶苦茶体が重い……これぐらい、なんとか千切れねぇのか、クソ)
「俺になにする気だ」
「主様が望んだことを。君はリストトップだからね」
「意味わかんねぇリストだな。俺みたいな役立たずをトップに持ってくるとか」
「主様の悪口は許さない」
「っ! 別に悪口じゃねぇよ。ただ純粋に何のためにこんなことをするのかそれを知りたいだけだっつの」
(理由だけでも………)
朦朧とし始めた意識をなんとか歯を食い縛ることで繋ぎ止めながら話し掛ける。
「そうですね。言えません」
「………あっそ」
「割りと追求しないんですね?」
「追求してもお前は喋らないだろうし」
段々と薄れていく視界をなんとか確保しながら目に力を込め、閉じないようにする。
「こんなやつらを見付けました」
「は、離して!」
「ピイ!」
「………!」
手首を縛られた明日香と明日香を守ろうと必死のフレアリスだった。
「ぐっ……! 待て!」
「拘束されている身でよくそんなことが言えますね?」
「別に、最後の手段ならとってある」
「最後の手段? 脅しなら効きませんよ?」
「さあね。でも自分の体を一片も残さずに消し飛ばす方法なら知ってるけど?」
にやっと笑いながらそう言う縁。
「縁………!」
「縁? 随分と懐かしいお名前を使われてるんですね」
「え……? どういうこと………?」
「そんな話はどうだっていい。彼女を離せ。出来なきゃお前ら巻き込んで自爆する。言っとくが、彼女とフレアリスは助かるぜ? ある一定の信頼度があれば俺の自爆圏外だ」
「………離してやりなさい」
手首は縛られたままだが敵が離れたことに安堵する縁。
(あ、ヤベ……安心したら眠くなってきた……)
必死に耐えていた瞼が自分の意思とは関係なく下がってくる。
「縁!」
「明日香………手首、こっち向けろ」
「なんで………」
「いいから」
手錠がついている。縁はそれに思いっきり噛みつく。
「へっ!?」
バキン、と音をたてながら手錠が破壊された。
「どうして………そんな力があるなら自分がまず」
「それは無理。変な物飲まされてもう力入らない。そんなことより早く逃げろ」
「そんな」
「早く。こいつら俺が気絶したら真っ先にお前を殺す」
「じゃあ一緒に……」
「無理だって。多分だけど、こいつらに俺は逆らえない」
そう言ってフレアリスに目を向け、明日香を頼む。と小さく言う。
「ピイ!」
「おっしゃ! 無事に着地しろよ!」
「へ?」
「オッラァァアアアア!」
「イヤアアァァァアアア!?!!?!?!?」
網から出た腕のみに意識を集中させ、力の限り思いっきり投げる。木の葉のように吹き飛んでいく明日香の叫びを聞きながら限界まで力を出しきった縁はゆっくりと倒れていく。
「気分はどうですか?」
「………最悪だよ」
その言葉を最後にプツリと意識が途絶えた。
「鍵が、まさか人間の体そのものだったとは、してやられました」
「…………」
「静かですね。何かお気に召さないことでも?」
「……この状況、全部だよ」
診察台のようなものに全身を固定され、先程から全身を調べられている。
「それはちょっと無理な要求ですね。私も鍵が欲しいですし」
「その鍵ってなんだ」
「知らされていないのですか?」
「知らないね。自分が人工的に作られた人間っては知ってるけどそれ以上は知らない」
なんでもないことのようにそう言う。
「よくそんなこと平然と言えますね」
「伊達に親父と過ごしてないからな。精神力だけは鍛えられるんだよ」
「そのようで」
クスクスと笑いながら男は縁の体のレントゲンをとる。
「やはり、意味がないですね」
「さっきから何言ってんだ」
「では、折角ですので最初からお話ししましょう。君が持っている鍵はアクセラの封印を解く鍵。君自身が鍵であり、また唯一力を共有できる器」
「アクセラ……確か破壊の神、だったか」
「意外と冷静ですね」
「色々と驚きすぎてキャパオーバーしてんの」
片目を瞑りながら大きく溜め息を吐く縁。
「なんにせよ、親父のやることだ。意地汚いぜ?」
「つまり?」
「鍵とやらが使えるのは二十歳を過ぎてから、とかな」
「……は?」
「そんなこと言われても不思議じゃ―――」
「それは……嘘ですよね?」
妙に慌てている。縁は目を細くして、
「たとえ話だ。だが、親父なら十分やりかねないぜ? 俺をわざわざアーザスなんてほぼ百%死ぬような場所に放り込むくらいだ。まだ使えないようになってたりするんじゃねぇか?」
半分希望的観測だが、あの人ならあり得る。と言い切れる性格なのだ。
「で? その場合俺はどうなんの?」
「もしそれが本当だった場合……監禁でしょう。少なくとも鍵を所持していることは確かなので」
「ふぅん……殺そうとは思わないのか?」
「何故?」
「死んだら出てくるかも知れないだろ?」
「それはありません。君の体そのものなのですから」
そうか、と小さく呟いてから目を瞑った。部屋には、何らかの器具の音が響き渡っていた。
「おい、聞いてるのか」
「………聞いてる」
「チッ、張り合いのないやつだ」
縁は体を色々と弄くり回された後、牢のようなところに容れられた。そこには既に先客が居た。
「俺が先にいるんだから俺に物を献上しろ」
「………何を?」
「飯や毛布、他には……」
「どうぞ」
「!?」
「要らないのか?」
「い、要るに決まってるだろうが!」
まさか全て差し出してくるとは思っていなかったらしく、逆に動揺しているが、縁は全く気に止めていない。体の作りからして人間よりずっと頑丈なのだ。
「あんたはなんでここにいるんだ?」
「それは……盗みに入ったら」
「ああ。大体わかった」
「聞くなら最後まで聞けよ!」
先客は子供だった。見た目年齢十二才程だろうか。
「お前はなんで入ったんだよ」
「俺は……よく判らない。だが、俺が捕まえることは最優先だったみたいで仲間は助かった」
「どういうことだよ」
「あんたには教えようか。俺はな、人間じゃないんだ」
「は?」
「………とか言うと思った?」
「からかうなよ!」
元気だなぁ、等と思いつつ、自分の手を見つめる。頑丈な鎖に繋がれていて、本気でやれば一本は抜けるかもしれないがその時点で多分見つかるのでアウトである。
「じゃあ俺と一緒で盗みか」
「いや、連れてこられたってのは本当。なんでかは、よく判らない」
「ふぅん。お前も大変なんだな」
「楽な方だよ。今まで何度死にかけたか覚えてないけど……」
主に父のせいで。
「お前は、貧民街の出か」
「ああ。両親の顔も知らねぇし」
「よくそれで生きてこられたな」
「爺ちゃんが助けてくれた」
「血縁関係じゃなさそうだな」
「ああ。爺ちゃんは貧民街のボスで、スッゲエ強いんだ!」
そこまで言って一気に元気をなくす。
「でも、爺ちゃんが足を怪我してやってけなくなって」
「それで盗みに入ったら捕まったのか」
「…………」
はぁ、と大きく溜め息をつき、縁が髪をかきむしる。
「馬鹿だな、お前」
「ば、バカって言う方がバカなんだぞ!」
「ああ。知ってるよ。俺も馬鹿だしお前も馬鹿だ。だが、お前は俺よりもっと馬鹿だ」
「意味わかんねぇよ!」
「お前、もしそれで盗みが成功したとして爺ちゃんとやらが元気になるとでも思うのか?」
睨むような目で見詰める縁。
「そ、れは」
「無いだろ? わー、ちゃんと盗んでこれたんだー。偉いねー、なんて反応あり得ないだろ?」
「う…………」
「元々ボスだったやつが足を悪くしただけでやってけないことなんて無い。誰かが必ず面倒見るだろ」
カチャン、と自身を壁と繋いでいる鎖を軽く引っ張る。
「俺みたいに動けない訳じゃないんだし、精々足掻いてみろよ」
「でも、俺………」
「ここから逃げるのは手伝ってやる。そこから先は自分で頑張んな」
「どうやってここから抜け出すんだよ」
「そこの窓の鉄格子を壊せばいい。ギリギリ口なら届くし」
「へ?」
縁は真剣な眼差しで先客の男の子を見る。
「お前はどうしたい。ここから逃げたいのか? それともここに残るか?」
「俺は……ここを出る。出て、爺ちゃんを助けるんだ」
「その意気だ」
口を大きく広げて格子にかぶり付く縁。
「そ、それ美味しいのか……?」
「うひゃいはへひゃいはろ(美味いわけないだろ)」
そのまま、文字通り人外の顎の力で鉄を破壊する。
「うっそ………」
「プッ……もう一本壊した方がいいな」
口の中の破片を吐き出しながらもう一本かぶり付いて壊す。
「これで通れないか?」
「あ、行ける! その、ありがとう」
「ああ。別に構わない。もう捕まるなよ」
「うん!」
そのまま、暗がりへ入っていった。
「…………」
暫くそれを見つめていた縁は自分を繋ぐ鎖を見て、
「俺は、いつになったら……」
そう、小さく呟いて座ったまま夜を明かした。
「おい! 格子が外れてるぞ!」
「まさか逃げられて………いや、いたな」
牢の隅に座り込んでいる縁を見付けて騒ぎが収まる。
「これはまた………随分とやらかしましたね」
「鉄で作るのが悪い」
「確かに、君を容れるところを鉄で作ったのは失敗でしたね」
縁は長い髪の間から男を睨み付け、
「お前なら、よく知ってんだろう? 鉄くらい噛み砕けることくらい」
「ええ。あの時、まさかご自分の腕ごと手錠を噛み砕かれるとは思っていなかったので印象的でしたし」
「………よく言うよ。咲を殺したくせに」
「本当だったら君も殺す筈だったんですけどね」
ギリギリと奥歯を噛み締めながら男に向き合う縁。手や足についている鎖がカシャカシャと硬質な音を周囲にばらまく。
「咲はあの時死ぬはずじゃなかった」
「君のお父上が鍵を渡してくれなかったものですので」
悪びれた様子もなくそう言う男に突進するように立ち上がって鎖が最大にまで引っ張られる。鎖が体に食い込んで血が出るのも構わずに荒い息を吐きながら男の眼前にまで迫る。
「そんなに怒っても彼女は帰ってきませんよ?」
「そんなの俺が一番わかってる!」
ギリギリと鎖が悲鳴を上げ始める。それに合わせて縁の体も鎖に挟まれた部分から血がポタポタと冷たいコンクリートの床に滴り落ちる。
「俺は………咲は、信じてたのに………!」
「そうなるようにしていましたので。『良い先生』を演じきりましたので当然です」
「…………ッ!」
とうとう右手の鎖が縁の力に耐えきれずに砕け散る。ガキン、という耳障りな音が狭い牢に響き渡っている。だが、鎖はまだ四本残っているので右手が自由になったところで動き回れるわけではない。
「佐々木………お前は、絶対に許さない。俺の手で殺す!」
「待っていますよ。そんなチャンスはもう二度と来ないでしょうが」
「な、にを…………」
突然体の力が抜け、自分の血溜まりに倒れ伏す。ピチャン、と途中で切れた鎖が床に落ちる。
縁は、牢の入口の金属の格子を掴んだまま倒れ込んだのだ。
「どう、なって………ッガァ‼」
「良い気味です。本当に君は素晴らしい力を持っているのに全て台無しにしてしまう天才ですね」
「ぐ………ぁあ!」
縁の格子を掴んでいる手を足で思いっきり踏みつける男。相当力が強いのか縁の手がどんどん変色していく。
「本当に宝の持ち腐れだ。君には失望したよ」
「ぅ…………ぁ」
「ああ、何が起こっているのか判らないようですから教えてさし上げます。君の体はよく知っている。そういうことですよ」
殆ど意識のない縁を見下し、
「手間をとらせないでください」
その言葉を聞いたのを最後に、縁の意識は完全に闇へと沈んだ。
「やっと寝てくれましたか。やはり血筋だけは優秀ですね。これを使っても効き目が薄い」
ポケットから取り出したのは小さな手にすっぽりと収まる位の電子機器のようなものである。
「まぁ、死にはしないでしょうし大丈夫でしょう」
「『刃』様。この者はどうされますか?」
「そうですね。幽閉室でも良いかもしれませんが本気で壊されてしまっては困りますね。………私の部屋に持ってきなさい。勿論鎖をもっと頑丈なものにし、逃げ出せないように壁に直接打ち付けなさい」
「はっ」
牢の鍵が開けられ、数人の男達の手によって血だらけの縁が運ばれていく。地下の、そのまた地下へ。
「ぅ……いってぇ……」
縁が頭を押さえて立ち上がる。右手が包帯まみれになっているのと先ほどとは違う場所に居ることに違和感を覚えつつ周囲の観察を始める。
「真っ暗だな……」
ポツリと呟いて手足につけられた手錠やそこから壁に繋がるようにのびる鎖はより頑丈なものになっており、引っ張ってみたがどれ程力を込めても壊れない事に気づく。
「あそこで感情的になったのは愚策だったな……」
舌打ちをしながら辺りを見回して動くことのできる範囲を確認し、壁や天井をみて溜め息をつく。
「この感じ………地下だな。それも相当深い」
万が一鎖を自力で千切ったとして上にいくまでに見つからない可能性は相当低いだろう。下手に暴れて倒壊すれば自分も生き埋めになってしまう。
「はぁ……なんか、疲れた……」
壁に寄りかかりながらゆっくりと呼吸を繰り返す。疲れは感じにくい筈だが、何故か体が重く、動く気力がない。
「明日香……ちゃんと逃げ出せたかな」
ぼんやりと最近出会ったばかりの友人の事を思い出す。
「何も………できなかったな」
右手を固く握り締めながら目線を下に落とし、その場にうずくまる。長い髪が顔にかかるのも気にせずに暫くそのまま、ただただ座っていた。
「起きていらっしゃいましたか」
「…………!」
「落ち着いてください。事を荒らげるつもりはありません」
「何言ってんの? もう十分荒立ってるけど?」
縁は長い髪の間から鋭い目付きで佐々木を睨み付ける。
「戦う気はない、という話ですよ」
「お前のその態度、本当に腸が煮えくり返るんだけど」
「それは良かった」
狂気的な笑みを見せる佐々木に更に苛立ちを感じながら大きく溜め息をつく。
「そんな顔しないでください。これから主様に会うのですから」
「は………?」
「ああ、本当に羨ましい限りです。私なんか見向きもされない」
縁としては嬉しいことなんて何一つない。
「もしも主様に何かされては困りますので」
そう言いながらポケットから取り出したリモコンのようなものを操作する。
「縛り付けさせてもらいます」
「っ!?」
突然鎖が壁にしまい込まれ、首までも鎖に繋がっている縁は抵抗できずに引き摺られてピタリと壁際で止まった。前にも後ろにも動くことが出来ない。
引き摺られた痛みに顔を歪めながら少し動こうと身動ぎするが、縁の力でもびくともしないどころか擦れる音さえ出ない。
「そのままお待ちくださいね」
浮足立った様子で嬉しそうに縁の前から姿を消す佐々木。縁は暫く体勢を変えられないか試行錯誤したが、あり得ないほど頑丈な鎖に手も足も出なかった。
「首が痛いんだけど……」
引き摺られたまま壁に固定されたので節々が不自然な位置になっており、まるで寝違えた時のような微妙な鈍い痛みを覚える。
そのまま放置されて10分後。
「立ってください! 主様がお見えになられました!」
「―――ぐえっ」
妙なリモコンで再び何か鎖を操作して無理矢理縁をその場に立たせる佐々木。あまりにも突然だったために驚きと無理矢理鎖で持ち上げられたために呼吸が一瞬出来なくなり、蛙が圧死したような声が縁の喉から発せられる。
「商品は丁寧に扱ってほしいね」
「も、申し訳ございません!」
商品。少し嗄れた声がそう言った。縁は気道を確保しながら目の前の男を見る。
「ほう………悪くない」
「なに――――ぐぁ」
「勝手に話さないでいただきたい」
縁が声を出した瞬間首にある首輪が縮み、再び呼吸ができなくなる。
「商品は大切に扱えとそう言っているだろう」
「申し訳ございません。ですが、この者はまだ躾が済んでおりませんので貴方様に無礼を働く危険が御座います」
「構わん。私も話がしたい」
「御意に」
リモコンを再び操作すると首輪が元の大きさに戻り、縁が大きく咳き込みながら荒く息を吐く。
「やはり、中々良い目をしている」
「抉りましょうか?」
「そういうことではない。早とちりするな」
「申し訳ございません」
地味に目を抉られる危機を脱した縁は真っ直ぐ相手を見据える。その様子を見て男が感嘆したような声を上げる。
「物怖じしないとは、流石は彼の息子だ」
「親父は関係無いし、親父と比べられるのとか本当に勘弁してほしいんだけど」
「第一声がそれとは、面白いじゃないか」
ケタケタと笑いながら腹を抱える男。
「おっと、自己紹介がまだだった。私はレジスタントのリーダー、『砦』だ」
「………レジスタント?」
「知らないのかい?」
「ここ数年人と殆ど会ってない」
「カカカカ! なんと! それは失敬」
砦は爆笑しながら縁に説明を始める。
「我々レジスタントは王政を廃止し民政へと変える事を目的とする団体だ」
「民政、ね」
「君は王政支持派かね?」
「それ聞いてどうする? 俺の言う言葉はなにも変わらねぇぞ」
「カカカカ! それもそうだな」
縁の眼前にまで迫りながら愉快そうに笑い続ける砦。そこに佐々木が入ってくる。
「主様。この者は歯で鉄を噛み砕きます。それ以上近付かれるのは危険かと」
「大丈夫だ。この者が抵抗する様子は見られない。きっと私が近づいても問題ないだろう」
「ですが」
「刃。君も聞き分けなさい。心配してくれるのは嬉しいが、あまりにも心配されても私が困ってしまうだけだ」
「……御意に」
そもそも壁に固定されているのでなにも出来ないのだが。
「君、私達と働かないかい?」
「………は?」
「どうかな? 給料も弾むし、ここから出してあげられるけど?」
「お断りだね。お前らの仲間とか絶対に嫌だ」
子供のようないい方だが、真っ直ぐで分かりやすい返事である。
「そうか。まぁ、駄目元だったから構わないよ。さて」
縁の胸の丁度中心部に触れる砦。そのままその手をゆっくりと縁の体に押し込んでいく。
「か、はっ……!」
「苦しいだろう? 君の鍵を直接触っているからね。心臓を直接握っているのとそう大差ない痛みが走っている筈だが」
「ぐぁっ……!」
縁の体が痙攣し始めたのを見て、砦はゆっくりと手を離す。縁はあまりの痛みに気絶していた。
「鍵を直接触ることなんて可能なんですね」
「ああ。場所さえ知っていればな。彼にはこれからしっかりと働いてもらわないとね。疲れれば疲れるほど鍵が取り出しやすくなる」
「御意に」
壁に固定されたまま力なく下を向いて気絶している縁を見ながら二人は低い声で嗤った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「早くしろ!」
「ぐっ………!」
痣だらけで上手く力が入らず震える腕をだらりと下げたまま重い箱を運ぶ縁。その息は荒く、腕だけでなく身体中に痣や傷が刻まれている。
「もたもたするな!」
「ぅ……!」
思い切り殴られて一瞬意識が跳びかけるが、必死で繋ぎ止めてふらつく体を酷使しながら歩く。
「休憩だ。各々自分の場に帰るように」
何時間かそれが続き、やっと休憩が入った。縁は足を引き摺るようにしながらいつもの場所に行き、座り込む。
「167番。大丈夫か?」
「38番か。多分問題ない。少し力が入らないが」
縁は変色しきった腕や足を見て溜め息をつく。目の前の男も縁と同じように痣だらけで、痩せ細って以前の美青年の面影は一切見ることができない。
綺麗な黒髪は血がこびりつき、パサついていて生気がない。縁も同じようなもので、もう髪の色が灰色になってきてしまっている。長いので余計にそう見えるのだろう。
「それにしても167番の当たりが強くはないか?」
「俺は他の人より少し頑丈だから良いんだよ。そんなことより38番達の方が大変じゃないか?」
「まだ二桁数字だから楽な方さ。167番みたいに三桁だったらとっくの昔に死んでいるさ」
首についている首輪をつまんで、
「俺たちは労働奴隷なんだ。我慢するしかない」
「そう、だな………」
目を伏せる縁。
「そういえば38番ってなんで労働奴隷に」
「それ聞いちゃうのか」
「駄目か?」
「別に構わないけどな。単純な話、親に売られたんだよ」
「そっか」
縁は聞いちゃ悪かったかな、と返すべきか一瞬迷う。縁が話し出す前に男が縁に聞いてきた。
「167番は?」
「俺は………人さらいの方だよ。捕まって売り飛ばされた」
「なんかごめん」
「別にいいって。捕まったのは俺の落ち度だし」
ビーッ、ビーッ、と警報音のようなものが鳴り響く。
「あ、休憩終わっちまったな。また後で会おうぜ167番!」
「また後で。38番」
各々違う方向に歩いていった。
縁は労働奴隷の中でも特に扱いが酷い三桁数字の奴隷である。数字が大きいほど扱いは劣悪に、小さい方ほど楽な仕事が振り当てられる。
「早く運べ! 絶対に転ぶなよ!」
怒号が飛び交い、誰かのすすり泣く声が聞こえる。縁は霞む視界を周囲の気配を察することでカバーし、なんとかなっているが、これで転んだりするとその場で撃たれるのだから恐怖以外のなにものでもない。
「はぁ、はぁ、はぁ…………」
ポタリ、と塞がった筈の額の傷が開いて鮮血が地面に赤い斑点を描いていく。
「167番! 血をつけるなよ!」
聞こえているのかいないのか、縁は覚束無い足取りで血の道を作りながら歩いていく。奇跡的に持っているものには一切血がついていないが、額から垂れた血によって顔が真っ赤に染まっている。
「チッ、このままじゃ出血で倒れるか。167番! 一先ず休め!」
ポタリ、ポタリと血を滴らせながら、縁は荒い息を吐いて座り込む。
『167番。手当てを』
目の前に救急箱のような物を持った治療ヒューマノイドの555番が現れ、機械的な声で縁に話し掛ける。
「………いらない。放っておけば治る」
『そうはいきません。治療するように命じられております』
555番は包帯と取り出して、縁の了承をとらずに額に巻き始める。
「………いらないって言っているだろう」
『私が壊されてしまいます。ご勘弁を』
もう殆ど開かない右目にかかるように何故か包帯を巻き始める555番。
「おい。右目は怪我していない」
『いいえ。少し診させていただいたところ、角膜が傷つく恐れがありますので』
額と右目に白い包帯が巻かれ、どう見ても重傷者である。実際に重傷者なのだが。
「もう、いい。世話になった」
『お仕事頑張ってください』
ギギ、と音を出しながらお辞儀をする555番に右手をあげて礼を伝え、ふらつきながら歩いていった。
「夕食だ」
「……………」
檻の中に一口サイズのパンと小さなパックのスープのようなものが放り込まれる。
縁はそれを一瞥しただけで再び隅にうずくまる。監視のものがいなくなったと見て、冷たく、温度のない床に寝転んだ。
「あいつらのところで三日、売られて働かされて大体二ヶ月ってところか………」
ぼんやりと格子の外に見える景色を眺める。海に面しているので海と浜しか見えない毎日。時間が判らないので感覚が狂う。縁は太陽の位置で大体わかるのだが。
暗い海に映る月は満月だった。
「約束………守れなかったな」
小さくそう呟いて立ち上がる。格子に手をかけて外を見ると、塩の臭いを孕んだ風が通り過ぎていく。
小さく口を開けて、思い出せないほど昔、誰かに教えてもらった歌を口ずさむ。
「―――心を、捨てて」
そんな言葉が最後に入る、後ろ向きな歌。子守唄のような響きなのに、どこか投げやりなものだ。
「これ、誰に教えてもらったんだっけ………」
塩の臭いを吸い込みながら埃のたまった窓枠から手を離して、座り込む。明日死ぬかもしれない恐怖はもうとっくの昔に慣れてしまった。
明日生きられるかではない。明日生き延びても明後日死ぬかもしれない。殴られる度、死の足音が聞こえてくる。
縁は死ぬことが怖くなかった。アーザス峠で何度もエオルカに殺られかけ、食料が尽き、風を上手く捉えられずにベネリュエンスで聞いたことも見たこともない場所に行ってしまったこともある。
死ぬことの怖さはよく知っているが、生きることに未練はない。それは、今までの旅でよく知っている。
「―――り。―――かり」
「………ぅん……?」
座ったまま寝ていた縁は誰かの声で起きた。まだ外は真っ暗で月が見える。全く手をつけていないパンやパックが月の光に照らされて浮かび上がっている。
そこに、人の影が映った。
「!?」
外から中を誰かが覗いている。反射的にそちらに目を向けると、狼に乗った少女がこちらを見ていた。
「あ、すか………?」
「縁! やっと気付いた!」
小声で歓喜の声を上げる明日香。奏太も嬉しそうである。だが、縁にとってはそれどころではない。
「早く逃げろ! 確実に殺される! っていうかなんでここが……」
「わっ。縁お風呂入ってないでしょ。髪の毛真っ白」
「話を聞いてくれ」
疲れもあり、少し話しただけで息が上がる。
「大丈夫?」
「こっちの台詞だ……。どうしてここに―――」
「おい! 誰かいるぞ!」
「っ!」
気付かれた、と顔を真っ青にする縁とは裏腹に落ち着いた様子の明日香。
「早く逃げろ、頼む、頼むから………」
ふらつきながら頭を下げて懇願する縁。
「大丈夫だよ。縁。強くなったから」
「………え?」
風の音だけを残して奏太と明日香が去っていった。
「ふ、ふふ……ははは………本当に、強くなってるじゃん……心配して、損し、た………」
小さく笑いながら、ゆっくりと地面に座り込んで体を横たえた。
「無事で…………本当に、よかっ……た……」
星も見えない真っ暗な空に、大きな丸い月だけがぽっかりと浮いていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
縁は、暗い道を走っていた。
横にはただ闇があるだけで、分かりやすいように直線に引かれた目の前の道も殆ど周囲の闇と同化してなんとか見える程度でしかない。
なぜ走っているのか、それさえもわからない。
疲れでもつれる足を懸命に動かしながら手を引いて走る。
手を引いているのだが、引いているのが誰かもわからない。
今自分がつかんでいる手は誰なのか、全く思い出せない。
ただ真っ直ぐこの手を離さずに走り続けなければならないことだけは覚えていた。
その曖昧な記憶だけを頼りにして息を荒くしながら走り続ける。
誰かに走れと言われた気もするし、自分でそう思ったのかもしれない。
酷く真っ暗で手を掴んでいる者の顔も暗闇で見ることができない。
隣の者が突然立ち止まった。
「どうして逃げるの?」
そう、ハッキリと言った。
縁は、答えようとしたが言葉が何故か出てこない。話す言葉も決めているのに、声が空気に変換されて全く話すことができない。
「私は、戦う。こんなところで逃げてちゃ駄目」
違う、と声を大にして言いたかった。だが、相変わらず声が出ることはない。掠れた空気が漏れるだけ。
「私達はいつまでも守られてちゃいけないの」
そう言って手を振りほどく。
その瞬間、真っ暗だった視界に急激に光が入り込み、色がついていく。小さな女の子がこちらに背を向けて反対側に歩き出す。
この先にいかせてはいけない。本能でそう感じた。
「―――――!」
声がでないことがどれ程もどかしいか、縁は振りほどかれた手を握り締める。そして、気が付いた。
―――自分は、この光景を知っている。
「私達は立ち向かわなきゃいけないの」
―――駄目だ。
「ここで止まってたら、何も守れない」
―――違う、違うから。お願いだから、どこにも行かないで。
「ゆかり」
―――怖い。恐い。
―――彼女が離れてしまうのが、たまらなく恐い。
「ここで待っててね。すぐに終わらせてくるから」
―――嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ!
「これ、本当は私の契約石だけどゆかりにあげる」
―――要らない。こんなもの、要らないから、一緒にいて。
「帰ってきたら、私に返してね」
―――行かないで。一緒に、いて。
「お姉ちゃんなのに、ごめんね。また絵本読んであげるから」
―――そんなのはもういいから。全部他の物なくなってもいいから、行かないで。
「待っててね。いい子にしててね」
縁の手は空を切り、走り去っていく背中をただただ見つめることしかできない。
―――これ以上は、見てはいけない。
そう考えるのとは裏腹にしっかりとその光景を目に焼き付けてしまう。思った通りに体が動いてくれない。
―――駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目だめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめ!
その瞬間、目の前を走っていった筈の女の子に左肩から右の太股に貫通する形で槍が突き刺さって絶命した。即死だった。
「ぁ………」
おびただしい血が溢れだし、目から光を失った彼女がゆっくりと倒れていく。
否、本来はもっと早く倒れたのだ。だが、あまりにも衝撃的すぎる光景に、脳の処理判断がおかしくなり、縁にはまるでスローモーションのように崩れ落ちていくのがハッキリと見えた。
「おい、ガキが一人居ないぞ!」
「捜せ! 見つけ次第殺すんだ!」
奥から人影が飛び出てきて、彼女の死体を見てから縁がいないことに気付き、そう叫ぶ。
偶々茂みに倒れ込む形で座り込んでしまった縁はそれで命拾いしたのだ。
「さ、き………? ねぇ、さき……?」
人がいなくなって我を取り戻した縁は這うようにして彼女の元へ向かう。
槍が突き刺さったまま死後硬直が進んだようで体が全く動かない上に血が固まってベトベトした嫌な感触がする。
縁は震える手で彼女の手に触れた。氷のように冷たく、いつも頭を撫でてくれた柔らかさはどこにもない。
「ぁぁ……ぅ……」
声にならなかった。
無意識に涙が流れ落ち、彼女の流れ出て固まった血に落ちては弾けていく。
「おい! ガキがいたぞ!」
「チッ、手間をかけさせやがって!」
後ろからそんな声が聞こえたが、縁の耳にはなにも入ってこない。ただただ呆然としておかしな耳鳴りがなっているのが煩わしかった。
―――死んだ。
「おい、ガキ。大人しくしてりゃ痛くないように死なせてやるから………」
―――死んだ。
「おい、聞いてんのか、クソガキ!」
―――ああ、死んだんだ。
「おい、もういいだろ。さっさと殺すぞ」
「ったく、せっかく情けをかけてやろうと思ったのに―――」
「おい?」
男の首が、落ちた。滑らかに切断された切り口からは噴水のように血が溢れだし、頭という重りを外した体が後ろに転倒する。
「な、なんで………」
―――咲が死んだんだ。死んじゃったんだ。
「な、なんだよこのガキ! 話と違う!」
―――なら、この世なんてもう要らないよね?
目を真っ赤に染め上げた縁が狂気に満ちた目で小さく笑う。
「ひっ……!」
背を向けて逃げようとする相手に虚ろな目を向けて走り出す。いつもの数百倍の力で瞬間移動のように迫り、なにも持っていない手で相手の腕を掴み、引っ張る。
「ギャァァアアア!」
根本から腕が千切れ、男がのたうち回りながら悲鳴をあげる。
縁は血が吹き出る腕を後方に捨てて、嗤いながら男に近付いて行く。
「ま、待て! なんでもする! なんでもするから殺さないでくれ……!」
男が泣きながら懇願する。縁は赤く光る目を向けたまま嗤い、首をかしげる。
「なんでも?」
「そ、そうだ」
「じゃあ、咲を返して」
「………そ、れは」
「返して。返せ。咲を……咲を」
笑みがフッと消える。
「出来ないのなら……死ね」
近付き、頭蓋骨を握りつぶした。
「死んだ。死んだ………。皆、死ねばいい」
地面が凄まじい轟音を立てながら上下に揺れ、木や岩が根こそぎ倒れて内側から破壊されていく。
ビキ、と音がした。縁の掌がまるで陶器の人形のようにひび割れていく。徐々にひび割れが大きくなっていき、その度に痛みが爆発的に襲い掛かってくる。
「ぁあ………!」
痛みに顔を歪めながら、それでも『壊す』のをやめようとしない。体に負荷が掛かり、負荷では止まらない『破壊』の反動が縁の体そのものを崩壊させていく。
「縁!」
倒木の向こうから、二人の人影が現れた。
「お、父さん……お母さ、ん……?」
「そうだ。落ち着け。そうじゃないと体が持たない!」
「別に、いい……」
涙を流しながら咲の方に目を向け、
「もう、いい……。なにも、いらない」
「縁……」
「咲がいないんじゃ、何もいらない」
ポタポタと乾いた地面に涙が落ちて泥を作っていく。
「縁」
小さく呟いて、首筋にスタンガンを当てる。
「ごめん」
地面の揺れが、止まった。それと同時に縁のひび割れも止まる。が、ひび割れたところが少しずつ崩れていく。
「どうするのですか?」
「忘れてもらおう……。これを覚えて育ってしまったら取り返しのつかないことになるかもしれない」
血の臭いが充満するそこから、一つの少女の遺体と赤い目をした男の子が消えた。
「――――はっ! はぁ、はぁ」
汗が包帯に染み込んで、吸いきれなかった分が床に落ちる。
「はぁ、はぁ、はぁ………夢か」
視点がおかしかった。自分の目線だったのもあるし、他の部外者の目線になったりもしていた。妙に、リアルだった。
「咲が死んだのって全部佐々木……刃だったか。あいつが全部一人でやったもんだとてっきり……」
確かに関与はしていたかもしれないが、実際に殺したのはもっと別のやつだった。
「やっと思い出せた……。そういうことか」
汗を拭いながら溜め息をつく。
「俺、あんな力持ってたんだ………」
以前レジスタンスに捕まっていたときに言われた、破壊の神の器とはあれだろう、と冷静に分析する。
手を見ると、勿論ひび割れや欠けたところはない。痣や切り傷は数え切れないほどあるが。
「おい。167番。早く出ろ」
ガン、と檻を叩かれて耳障りな音がする。立ち上がって扉から外に出ると、突然縛り上げられた。
「なっ―――!?」
驚く暇もなく全身くまなく縛り上げられて床に転がされる。縄なのでいつでも引き千切れるのだがそれをやったところで逃げ出せないのは百も承知だ。
「お前を殺すことにした」
「………は?」
「昨晩入り込んだ侵入者はお前の仲間だろう」
話しているところを見られたのだろうか。
「仲間がやったことの責任はお前にくる。それに、そろそろお前も限界だろうからな」
「限界………? なんの話だ」
「その額もそうだが、目や腕の傷が酷すぎて動くことができなくなるだろう。その時にここが露見して我々が奴隷を売ってもらえなくなると困るからな」
奴隷にはある法がある。奴隷を買ったものはその奴隷にしっかりとした衣食住を提供しなければならず、働けなくなった奴隷は解放しなければならない。
その時に奴隷がそこに残るかどうか決めるのだが、虐待を受けていないか等色々と検査があり、それに引っ掛かった場合その者は奴隷を買えなくなるのだ。
そうなっては困るため、その危険性があるものは未然に殺して労働中に事故で死んだと言っておけば検査もはいらない。
「………」
「公開処刑という形で殺させてもらうよ。お仲間も炙り出せるかも知れないからな」
理不尽。その言葉しか浮かんでこない。
「思ったより落ち着いているな」
「暴れたところで状況は変わらない。寧ろ悪くなる一方だろうしな。暴れてなんとかなるのならここに来た時点で何とかしている」
このまま殺された方が、世にとってはいいことかもしれない。
いつ爆発するかわからない爆弾を持ち歩いている人間を先に殺しておくことなのだから。
「出ろ」
久し振りに外に出た感じがした。海の香りを肌に感じながら歩かされる。元々公開処刑をするつもりだったらしく、準備は万端だった。
知らされていなかったのは、縁を含めた労働奴隷のみ。
「あの子が労働奴隷なのに暴れまわって取り押さえられたって言う……?」
「まだ二十才もいってないんじゃない? なんでそんなこと……?」
見に覚えのない罪で殺されるようである。そうでもしないと怪しまれるからだが。
(最期が見に覚えのない事で処刑とか、凄い馬鹿みたいで笑える)
クスッと笑い、堂々と前を見据えて歩き出す。まるで、意気揚々と死地に向かう戦士のように。
「死ぬのが嬉しいのか?」
「そんなわけないだろ。見に覚えのない罪被せられて嬉しいやつはいないだろうし」
「………今ここで死ぬか?」
「最期くらい死に場所選ばせてほしいんだけどな」
まるでやましいことなど何もないような顔で堂々と処刑場へ向かう若い男。身体中に痣や切り傷が刻まれており、見るだけで痛々しい。
ヒソヒソと周囲の者達が根も葉もない噂に尾ひれをつけて広めている。とてつもなく良い聴覚を持っている縁はそれを聞きながらゆっくりと確実に進んでいく。
「俺、別に王城襲撃とかしてないんだけどなぁ……」
ポロッと出た言葉に周囲の者達がぎょっとする。
「だってそうだろ? そんなんやったとして、どこにメリットがある?」
「は、破壊衝動があるって……」
「ねぇよ。そんなもんあったら今こうして大人しくしてるわけが―――」
「さっさと歩け!」
「ぐっ………! いつもより痛いんだけど……」
また痣が増えた、とぶつくさと溢しながら恐怖を微塵も感じさせない表情で歩いていく。
「…………」
そこから先は無言だった。落ち込んでいる様子は見られない。塞がっていない左目を見開いて軽く微笑みながらしっかりとした足取りで歩いていくだけ。
「お連れしました」
「うむ。では、これより犯罪者の処刑を行う!」
刑は串刺しである。王族になると一瞬で殺せるギロチンだったりするのだが、普通の犯罪者だと串刺しや首吊り、極悪人だと拷問器具に近いものになっていく。
腹部に巻かれたロープが引っ張られて徐々に視界が高くなっていく。
「なにか言い残すことは?」
「言い残すこと、か………そうだな」
一瞬考えて、顔をあげる。
「俺はここで殺されても構わないけどさ。勝手に濡れ衣着せるのやめてくれないかな? もう俺は別に暗殺者だろうが破壊魔だろうが受け入れるよ。なにもしてないけどな。だけど―――」
「長すぎるっ! やれ!」
「殺って良いの? 俺に濡れ衣被せたって自白したようなものだよ?」
意地悪な笑顔を浮かべて構えられた槍を一瞥する。
「こうやって殺してけば奴隷に虐待していてもバレずにまた買えるもんな? 本当に馬鹿馬鹿しいシステムだよ」
「っ! もういいな」
「ああ。死ぬ覚悟なら、アーザス峠で学んできてるからな」
「戯れ言を……! やれ!」
訓練もしていない、キレがなく、あまりにも遅い槍が両側から迫ってくる。
(言えることは言った。これが奴隷廃止に繋がれば万々歳なんだけどな……)
槍を一瞥し、
(咲………俺も、槍で死ぬみたいだ。姉弟揃って死因が串刺しってなんかちょっと嫌だけど)
知らず、一筋、涙が零れた。
(ごめん。約束、守れなかった)
その瞬間、キィン、と甲高い音がして槍が何かに阻まれた。
「………?」
ステンドグラスのような青く透明な物が縁の前に展開され、槍を阻んでいる。
「その処刑ちょっと待ってください!」
突然飛び込んできたのは、奏太と明日香、フレアリス、背の高い男と女だった。
「明日香……! それと……まさかとは思うが、フィオラとトエル?」
「正解。縁が来てくれないから僕たちで来ちゃったんだよ」
「驚きましたか?」
「いや、驚くどころの話じゃないって。住んでたところはどうしたんだよ」
「「捨て(まし)た!」」
笑顔でそう言う背の高い男女二人。
「何者だ!」
「この人の処刑を止めていただきたく参ったのです」
「無理だ。なんと言われようとな。それにこれ以上ここに居座るのなら執行妨害で貴様らも殺すぞ」
「どうぞお好きに。僕たちには人間の法律は適用されないからね、好きにやらせてもらうよ」
人間の法律は適用されない。それはつまり、
「貴様ら人間ではないのか……?」
「僕とフィオラは人間じゃないよ。縁も人間じゃないでしょ?」
「馬鹿言え、俺はベースは人間だ」
もうそれは人間ではないのでは、と背の高い女性が呟くが縁はそれをスルーする。
「罪人の処刑には誰であろうと干渉は許されない。それも知らんのか、貴様ら!」
「では、王の権利を持ち出しても無理か?」
「は?」
人混みから出てきたのは、真っ赤な髪をしたスーツの男だった。
「こ、国王!?」
「その者を引き取りたいのだが、駄目だろうか」
「国王様ならば、問題なく―――」
「やだ」
その言葉を遮ったのは他でもない、当事者の縁だった。
「お前、私が助けてやると言っているのに……」
「それが嫌なんだよ、クソ親父」
「家のなかではまだ良いが外ではそれで呼ぶなと何度言ったら」
「ハッ! 親父に助けられる位なら自分で脱出する」
力任せにロープを全て引き千切って飛び降りる。
「なっ―――!?」
「すみませんね、馬鹿力なもので」
手首をクリクリと回して感覚を確かめながら父親を大きく迂回して明日香達の元へ行く。
「よかった、よかったぁ……」
「全く、トエルってば心配性なんですから」
「フィオラだって処刑の話聞いて一番に走っていったじゃんか」
「そ、それは言わない約束……!」
縁の包帯だらけの顔にフレアリスが優しく寄り添う。
「それにしても驚いたよ。縁が王子だったなんて」
「別に王位なんて継ぐ気はないから言う必要もないかなぁってさ」
あっけらかんと笑い、奏太を撫でる。
「おー? ちょっと大きくなったか?」
「ウォン!」
奏太を弄くりながら背の高い男女……フィオラとトエルを見る。
「それにしてもよく二人とも和解できたな。絶望的だと思ってたんだが。それでバレッタも和解できりゃ………」
「「あの子は無理」」
「そんなに相性悪いんだ………」
「バレッタは自慢ばっかりしてくるからやだ」
「ええ。この前……六十年ほど前でしょうか。あの時なんか冗談でも比喩でもなく三日三晩自慢話されました」
六十年ほど前をこの前とはいわないとは誰も言わなかった。
「二回目の満月に来るって言ったのに来なかったんだもん」
「それはごめん。見ての通り捕まってたし」
頭をかきながら申し訳なさそうに頭を下げる。
「今回、お前は私に言うことがあるのではないか?」
「まだいたのかクソ親父」
「クソ親父言うな」
父親をとことん嫌っている縁は右手の中指を突き立てて挑発する。
「それが親にするジェスチャーか!」
「言ったろ。親父に放り出された時に」
「なにをだ」
「絶対呪うってな」
子供のような笑みで爽やかにそう言いきったのだった。
「へー。本当だったんだ」
「嘘だと思ってたのか?」
「いや、嘘ではないとは思ってたんだけど、現実味がない話だったし……」
「それは確かに」
傷の治療を受けながら明日香と会話する縁そこにトエルが来た。
「なんの話?」
「トエルとフィオラが三大魔獣って話」
「ああ、そうだよ。僕はアーザス峠から来たんだ。人間は僕のこと竜神って呼ぶよ」
縁がアーザス峠を抜けられたのは竜神であるトエルに気に入られたことからだったのだ。
「縁と契約したかったのに縁がいつまで経っても来ないから縁の臭いを辿って来たらフィオラと偶然あったんだよ」
「会うものなのね」
「いや、多分フィオラも俺の臭い辿ってたんだろ……」
縁は腕に包帯を巻きながら笑う。
「三大魔獣は互いの縄張り争いを何百年も続けてるって皆から聞いてたからな。出会い頭に戦闘にならないか心配だったんだけど」
「なったよ?」
「おい」
「けど、途中で僕もフィオラも縁のことを探してるって知ったから一緒に行動することにしたんだ」
それで打ち解けられるのだから、割りと三大魔獣の隔たりは難しい問題でもなかったのかもしれない。
「え? じゃあフィオラちゃんとはどこで会ったの?」
「フィオラと会ったのはアーザス峠を抜けてすぐだったな。運悪く『迷い』の時期に森に入っちゃって適当に進んでたら木の実採集してたフィオラと出くわしたんだよ」
運で全て乗りきる男である。
『迷い』の時期とは、森に霧がかかり、突然雪が降り出したり日照りになったりする異常気象が起こりやすくなる時期である。この時期に入る人間など自殺志願者である。
「で。なんか気に入られて、迷いが終わるまで一緒に居たんだ」
「なんか端折りすぎじゃないかな……」
人間を嫌っている筈の三大魔獣と契約するまでの仲になるなど歴史上あり得ないことである。
まずもってトエル達が和解することはないと思われていたので三大魔獣と仲良くなったところで全員が付いていてくれるかどうか相当怪しい。
今のところ全員はいないのだが。
「あ。包帯切れた」
「買ってこようか?」
「いや、薬局ならそんな遠くないし、歩いていけるから」
「僕も行く」
財布をポケットにねじ込んで縁が部屋を出る。その腕の咲からもらったブレスレットにはフィオラの翠、トエルの葵、フレアリスの緋の契約石が煌々と輝いていた。