第97話 11歳(春)…郷愁
出発一日目の今日はタトナトの町で一泊する。
おれとシアの門出を祝ってギルド支店長バルトの奥さん――ノーラがちょっと豪華な食事を振る舞ってくれた。
一方、下の階の酒場では野郎どもがおれたちの門出を肴に酒を飲んで騒いでいた。
実にやかましい。
明日は早めに出発するのでもう休みたいところだが、これではとても眠れない。まったく、門出を祝うつもりがあるなら今日くらい酒をやめて静かにしてくれよと思う。バルトにお金を渡し、野郎どもに強い酒を振る舞ってもらっているのでそのうち静かになるだろうが、もうしばらくは待たなければならないようだ。
おれはベッドに腰を下ろすと深々とため息をつく。
「お家に帰りたい……」
「いやいやいや、早すぎです。ホームシックになるのが早すぎです」
おれの呟きにシアが突っこんできた。
「なんだ、おまえ帰りたくないのか」
「そりゃあ帰りたいですよ? そうじゃなくて、まだ出発したその日のうちになに言いだしてるんですかってことです。ご主人さま、お別れするとき平気そうだったじゃないですか」
「時間差で切なさが襲ってきた……」
来年の春には戻れるから――、と、それまで家を離れて生活することをリアルに想像したことがなかった。
その結果がこれである。
「ふと王都での生活を思い描いたんだ」
「はあ……」
「王都での生活は、名前を呼ばれることに慣れるという実に過酷な日々になることだろう。……なのにだ。そこには癒しがない。クロアとセレスがいない。そんな当たり前のことに今更気づいたら――、すごくお家に帰りたくなった」
「本当に今更すぎてわたしびっくりなんですが……」
あきれているシアは無視しておれは両手で顔を覆う。
ため息しかでてこねえ。
「……あのー、本当にダメそうなら帰ってもいいと思いますよ?」
「それは出来ない」
「こんなところで足踏みしてはいられないって?」
「いや。――いや、まあそれもある。だが問題はそこじゃない」
「うん?」
「セレスがあんなに頑張ってお別れをしたのに、おれが切なさフルバーストだからってのこのこ帰れるわけがねえ」
「えー……、いやまあ……、かっこ悪いことこの上ないですね」
「おれの格好なんぞどうでもいい。そもそも格好よかったことなんかねえんだから。要は悲しみを乗りこえたセレスの成長、その決意を台無しにするようなことは出来ないということだ」
「……セレスちゃんへの思いやりの十分の一くらいわたしにもまわしてもらえませんかねぇ……、一応わたしも妹なんですし……」
なぬ? 十分の一だと……?
欲張りさんめ!
「ってことはあれですか、冒険者になるまでは帰らない、と」
「まあそういうことだな。……べつになりたくねえけど」
発明品をひろめての導名獲得。
これが不可能と判断されたとき、もう名前変更のためにはアホ神の敵対者を捜しだすしかなくなる。
どこのどいつで、どこにいるんだか知らないが、捜し回るなら冒険者になっておいた方がいいし、ランクが高くなっていればなにかと便利なはず――、というのが冒険者になる動機のすべてである。
「はぁ……、気が滅入ってきた」
「もー、やめてくださいよ。ご主人さまがそんな調子だとわたしまで帰りたくなるじゃないですか。元気だしてくださいよー」
「どう元気をだせと……」
「えー? んー、あっ、そうそう、あれです。ご主人さまは王都ではメイド学校で生活するじゃないですか。ご主人さまにとっては夢のような環境でしょう?」
「む……、確かに。王都ではメイドさんに囲まれた生活が待っていたな。メイドと一緒の生活……、そうか、癒しはあったな」
「わたしもメイドなんですけどねー……」
シアがジト目でおれを見つめてくる。
「んなことはわかってる、――と言いたいところだが……、おまえっていまいちメイドって気がしないんだよな。せっかく貴重な生地を使ってメイド服作ったのに、ただそれを着てるシアってだけなんだよ。なんていうか、なんちゃってメイド?」
「いやホントここまできて今更なに言いだしてくれてんです!?」
シアが愕然としていたが、おれは無視してその理由についてちょっと考え、すぐに目星をつける。それはおそらくシアが元死神とか元奴隷とかそういうことではなく、セレスのお姉ちゃんである、という印象がおれに根付いてしまっているのが原因だろう。
セレスを取り上げたシアは、もうどうしようもなくセレスのお姉ちゃんなのだ。
てっきりシアの心に家族の一員であるという自覚――楔を打ち込むためと思いきや、その実おれにまで打ち込まれていた。
あのときは母さんはなんて無茶をするのだろうと思っていたが、なるほど、本気でシアを家族の一員にしてしまうのであれば、これ以上の手段はなかったわけだ。熟考の末か、はたまた単なる思いつきか、どちらにしても――
「母さんはすげえなぁ……」
「なんでそこでお母さまがでてくるんです!?」
今日は母さんに感心してばかりだ。
「まあそれはいいとして」
「いやよくないんですけど!」
うるさいなこいつは。
ここが家ならほっといて寝てしまうところだが、まだ下の酒場は大賑わいでとても眠れるような状況ではない。
と、そこで、おれは適当なところまで来たらシアに渡そうと思っていた物があることを思い出し、妖精鞄から取り出す。
「ん? 今度はなんです?」
「おまえって見てくれだけはアホみたいに美少女だから、これから旅をする間に外見に騙されたアホがたくさん寄ってくると思うんだ」
「一度くらい素直に褒めていただけませんかね!」
「んでな、アホをいちいち退治していくのは面倒だから、おれは考えたんだ。ようはおまえの顔を隠せばいい。ってわけではいこれ」
おれは丹精こめて仕立てたそれをシアに渡す。
「……なんですこれ?」
「オーク仮面」
「ぽいっと」
シアは流れるような動作で窓に寄りオーク仮面を捨てた。
って、おい!
「捨てんなよ!」
「捨てますよこんなの! なんです!? なんなんです!? わたしがあまりにも美少女で有象無象を引き寄せてしまうから顔を隠せってところまではまあよしとしましょう! で、なんで顔を隠すためのものがよりにもよってオークの仮面なんです!? もしかして今あれですか? わたし喧嘩売られましたか? いいですよ、買おうじゃないですか! 久々にキレちゃいました! オクジョー行きましょうか!」
「待て待て待て、ちゃんと理由があるんだ」
「はあ? 理由?」
迫ったシアの手がおれの胸ぐらを掴む寸前で止まる。
腹を立てるだろうとは思ったが、これほど瞬間的に湯が沸くとは思っていなかったので焦った。こいつ、おれの胸ぐら掴んで持ちあげるとか普通に出来るからな……。
「おまえってオーク嫌いだろ?」
「ええそうですね。ところでその理由は――」
「で、だな! おれは考えたんだ。オーク嫌いのおまえがオーク仮面をかぶるだろ? するとおそらく、おまえからは尋常ではない怒気と殺気が溢れだすわけだ。それを活用すればガキの二人旅だからとちょっかいをかけてくるアホを事前に撃退でき――」
「ぽいっと」
おれは窓から捨てられた。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2020/01/27




