第91話 11歳(夏)…オークの討伐
バルトの依頼を引き受けることに決まり、その日は宿で休んだ。
翌日、詳しい情報をもらってから町を出て、まずはオークが目撃された場所へと向かう。
もちろん到着してもまだそこにオークがいる保証などない。
むしろいる方がびっくりだ。
おれたちがその場所に向かうのは父さんに教えられた――、と言うか叩きこまれた追跡術によってオークを追うためである。
「ここにいたのは話通り一体だけみたいだね」
「んー、そーだなー」
足跡など、残された痕跡からおれはそう判断する。
父さんはきょろきょろ辺りを見回しながら気のない返事をした。
「どうしたの?」
「一応、警戒をな。群れる習性を持つ魔物が、少数でうろついている状況ってのは、単純にはぐれた場合と、もうひとつ――」
「斥候?」
「そそ。まあさすがに一体だけってのはただのハグレだろうがな」
父さんの調子からして、周囲には警戒を喚起するようなものはなかったようだ。
それからおれはオークの追跡を開始する。
おれが追跡役、後ろに続くシアが警戒役、最後尾の父さんは花や果実、薬草など、おみやげになりそうな物があったら回収する役である。前提としておれとシアが受けた依頼なので、父さんはいざというときまで口や手はださず見守るだけだ。
まだ地面に足跡が残っているので難易度はだいぶやさしい。
ここ数日は雨が降っていないのが助かった。
おれは痕跡を見逃さないようにと慎重に追跡を続ける。
こうやって獲物の追跡に集中しているときは無防備になってしまうので気をつけなければならない。
うっかりしていると賢い相手の罠にはまってしまうかもしれないし、獲物とは別の何かがいきなり襲いかかってくるかもしれない。
野生の生き物を追跡するということは、その野生の領域に踏みこんでいくことなのだ。
なので、一人での追跡は熟練の経験者でもなければやるべきではない。最低でも追跡役と警戒役の二人。場合によってはもっと大人数での追跡が望ましいが、ぞろぞろ連れだっては捕らえられる獲物も捕らえられなくなってしまうわけで、そこらへんにジレンマがある。
「……あのー、シアさん?」
ふと追跡する足をとめ、後ろにいるシアを見る。
シアはものすごく嫌そうな顔をして、やる気のない猫背、腕をたらしたままよたよたと付いてきていた。
「あーい」
「あーいじゃねえ。どんだけやる気ねえんだよおまえは」
「だってー」
「だってーじゃねえ。追跡に専念するおれのかわりに周囲を警戒すんのがおまえの役目だろうが」
「それなら大丈夫ですよぅ。なにが来ようとアプラとリヴァでやっつけちゃいますからー」
と、シアは腰に装備した二本の鎌の柄をなでなでする。
王都で拵えた霊銀製の双子の鎌は右がアプラで左がリヴァ。
てっきりヘンゼルとグレーテルとか、ドゥルディとドゥルダムとか名づけると思っていたが、タロットカードの正位置と逆位置からの命名をしていた。
「……もうちょっとやる気でない?」
「こればっかりはご主人さまでも無理な相談ですね。どうもわたしのなかでかなりのトラウマになっているようなので」
「そ、そうか」
なんかシアが仇でも見るように睨むので、これ以上は危険と判断して話を切りあげた。
ふむ、お気楽なシアがここまで剣呑になるとは……、オークどもはいったい何をやらかしたのだろうか。
我が家にきてからオークに関わることなどなかったから、となれば奴隷時代に何かあったのだろう。
こちらの世界のオークは健全な魔物なので、深夜のレスリングは同種の異性同士。であればこの線はない。
とすると後はなんだろう。
ふむ、あれか。
人と魔物が殺し合う賭試合。
見目麗しいものの、うっかり触れようものならエナジードレインぶちかましてくる凶暴なシア。そんなシアが次々と魔物を血祭りにあげていく様はいかにも邪悪な金持ちが喜びそうな見世物だ。
「ねえご主人さま」
過酷な境遇を哀れんでいると、当のシアがふと声をかけてきた。
「もしかしてなんですけど、わたしがオーク嫌いになった理由を忘れていたりします?」
「え?」
驚いてふり返るとシアは満面の笑顔をしていた。
いや、え、どゆこと?
「まあ今はお仕事中ですし、詳しくはあとにしましょう。ちなみに忘れていた場合……、ね?」
「え……」
なにその、おれは絶対覚えてなきゃいけないみたいな話。
おれはシアの後にいる父さんに「助けて」と目配せする。
父さんは「あきらめろ」とでも言いたげに首を振った。
そんなー……。
どういうわけか危機的な状況に陥ってしまったが、だからといって追跡を中断してシアのご機嫌うかがいするわけにもいかない。
おれは背中にピリピリとした視線を感じつつもオークの追跡を再開した。
△◆▽
背の高い草むらをかきわけて辿り着いたのは、UFOの着陸跡地のように草がなぎ倒された広場だった。
そんな広場のど真ん中にオークはいた。
「ピギィィ、ギピピピッ!」
「フゴゴ! ンゴ! フゴゴゴッ!」
バルトからの情報とは違いオークは二体いた。
そしてその二体のオークは一体が四つん這い、そしてもう一体がその背後から覆い被さるようにのしかかり、激しく腰を振っていた。
真っ昼間から深夜のレスリングの真っ最中だった。
「「「……………………」」」
おれたちは草むらに潜んだまま固まっていた。
おれとシア、そして父さんすらも固まって黙りこんでいた。
どうしたらいいかわからなかった。
討伐するには絶好の機会である。それはわかる。だが何と言うかあれだ、魔物といえどあの状況に襲いかかるというのは、気がひけると言うか、うんざりすると言うか、とにかく気がのらない。
「ねえ父さん、こういう場合どうしたらいいかな」
「どうしたらっておまえ、そりゃあ倒すさ」
そうか、無慈悲な鉄槌は下されるのか。
冒険者のなかには魔物であっても仔や妊娠した雌は殺さずに見逃す者がいるという話。父さんもそんな冒険者の一人だが、こういう場合は別か。ハッスルしているだけだしな。
「しかしなー、父さんも冒険者として色々なものを見てきたが、これはな……、まさかオス同士とは」
「……は?」
父さんの呟きに、おれは間の抜けた声をあげる。
「ん? ああ、判別できなかったか。あれな、両方ともオスだから」
「両方ともオス!?」
あらためて言われてもやっぱり驚いてしまう。
だがまあ……、はぐれて流れてきた理由はなんとなくわかった。
「フギャ!? フンゴブルルゴンゴゴッ!」
「ギャプ! ギャププ! ピギャブブブ! ブゴルブブッ!」
あ、おれの声がでかかったせいで気づかれた。
なんかすごく怒ってるみたいだ。
いやまあ当然か。
しかしこれで戦いやすくはなった。
魔物を興奮状態にさせて戦闘にはいるというのは下策だが、この場合は仕方ないだろう。
なにしろ元から興奮状態だ。
「ピゲルボギャプペルベブッ! アビプヴェルブボボブッ!」
「アギャラバルプルボブルボブ! ヘンゴゴンゴピギピピピッ!」
本当に相当お怒りのようだ。
すまん。
なんというかホントすまん。
だが殺す。
「おいシア、とりあえずおれが――」
と、簡単にいつもの連携でと伝えようとした。
が――
「うっさいです……、耳障りなんですよ……」
すでにシアは両手に鎌を握りしめ、クロアやセレスには絶対お見せできない形相になってオークを睨みつけていた。
おれが声をかけられないでいるとシアはゆっくり草むらから広場へと歩み出た。
そして数歩進んだところで発射されたように急加速。
前傾姿勢――、倒れこむところを駆けることで無理矢理支えているような状態で、まさに地を這うようにしてオークへと突撃する。
最短距離を最速で疾走するシア。
魔物にとってシアはまさに死神だ。
両手の鎌を自在に操り魔物たちを血祭りにあげる。
鮮やかに首を刎ねるのだ。
あのオークたちも苦痛を感じる間もなく首を刎ねられ、絶命することになるのではなかろうか。
「キシャ――――ッ!」
と奇声をあげたのはシアである。
オークではなくシアである。
「ギペペギュプ!?」
「ガペペルギョトゥップ!?」
鬼気迫るシアにオークたちはおののいた。
だがもう何をするにも遅すぎる。
怨むならばこんなとこで深夜のレスリングを始めてしまった自分たちを、その持てあましていたものを怨め。
並んで立ちつくす二体のオークに迫ったシアは、いつのまにか逆手に持ち替えていた二本の鎌をオークの股に引っかけ、そして――弾かれたように空へと跳んだ。
その瞬間の動作は異様に速く、おれには消えたように見えた。
気づけばシアはオークの頭上にあり、打って変わってゆっくり滞空したまま素早く鎌を腰に収めると、スカートを抑えながらオークの向こうへと着地した。
そしてシアが着地するとほぼ同時、二体のオークはゆっくりと後ろに倒れこみ、倒れこんだその衝撃によって体が真っ二つに割れた。
「……は?」
何が起きたのかすぐには理解出来なかった。
シアがすごい勢いでオークに迫り、その正面で天高く飛び上がったのはわかった。
霊銀の鎌がオークのお股に引っかかったのもわかった。
でもどうしてそれで、オークは真っ二つになっちゃったの?
いくらシアが馬鹿力としても、勢いを上乗せしたとしても、オーク二体をまとめて真っ二つはちょっとおかしい。
オークは正中線で綺麗に分断され、だくだくと血が溢れだした。
あまりのことにおれは愕然としてしまい、頭のなかでは川へ洗濯にいったお婆さんが持ち帰った桃を、お爺さんが一刀両断にしてしまった悲しみの物語――桃ごと割られた桃太郎の朗読が始まり、即座に終わった。桃太郎は死んでしまったのだ。
「おー、シアちゃん、魔技を使えるようになったみたいだな」
おれは混乱していたが父さんは冷静だった。
魔技……?
あー、そうか、あれって魔技なのか。
自分の意思を周囲の魔素に干渉させるのが〈破界〉。
ただの斬撃も〈破界〉を起こせば斬撃という魔術になりえる。
要は魔力の込められた技を大雑把に魔技と呼ぶのだが――、いや、そんなことはどうでもいい。
どうしよう、そろそろシアがおれを易々と捻り殺せるほどに成長してきている。ってかあいつなんでオーク嫌いなんだっけ? これ正解をしないと、おれ本当にただじゃすまないんじゃね?
「ふう、ちょっとすっきりしました」
血の湖に沈むオークたちの向こう、すがすがしい表情で言い放つシアがいた。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/19




