第87話 11歳(夏)…お歌のお姉さん
お待たせしました。
更新再開です。
王都で冒険の書の試遊会をしてから一年ちょっと。
夏を迎えおれは十一歳になった。
元の世界なら小学校高学年といったところか。
うむ、大きくなったものだ。
来年はいよいよ王都に出向き、冒険者訓練校に入学することになっている。入学試験はその場で行われ、成績が優秀な者は一年修学コース、それ以外は普通に二年修学コースとなる。両親はおれなら一年修学コースだと太鼓判を捺してくれるので、まあ再来年の春には帰ってこられるだろう。
しかし、逆に言えば一年は確実にこの家から離れなければならないわけで――
「一年かー……」
冒険の書を製作する手をとめ、窓によって庭を眺める。
庭では夏の日差しの中、弟妹たちが楽しげに遊んでいた。
元の世界では夏の日差しと言えば灼熱と同義。
あまりに容赦のない日差しのせいであらゆるものが物陰に身を潜め、深海のような静けさすら感じる有様になる。
しかしここの夏は実に爽やかである。
暑いには暑い。
けれど日差しは肌を焦がすような無慈悲なものではないし、森の中ということもあって熱の蓄積がおさえられ、蒸し風呂かと文句を言いたくなるような熱帯夜に悩まされることもない。
「はいはーい、じゃあまず軽く体を動かしますよー。んー、セレスちゃんはちょっとぬいぐるみを置いておきましょうか。え? 嫌?」
一応、義妹ということになっているお気楽アホメイドのシアが弟のクロア、そして妹のセレスの遊び相手になっていた。
クロアは夏の終わりには七歳になる。
産まれたとき幼いおれの両腕に収まってしまうくらいちっこかった弟もすっかり大きくなった。
あちらの世界ならピカピカの一年生か?
おれとシアで文字の読み書きや簡単な計算を教えているが、ずいぶんと飲み込みが早い。
しかし両親に話したところ――
「いやおまえの方が早かったぞ?」
「そうねえ、気づいたらなんか覚えちゃってたわよね」
おれの余計な印象のせいで過小評価されていることが判明した。
なんてことだ。
存在自体がズルみたいなおれと比べられちゃあクロアが不憫だ。
不憫だが……、いずれその才覚でおれなんぞぶっちぎっていくだろうからそう問題ではないだろう。
クロアはおれやシアからのお勉強のほか、母さんからは魔法の手ほどきを、父さんからは森歩きの訓練を受けている。
数日前にはわからなかったこと、出来なかったこと、それが今日はわかる、出来る、そんな自分の成長が実感できるのが嬉しく、そして楽しいのか、クロアは教えられることを面倒がったりせず、むしろ嬉々として学んでいた。
「兄さん兄さん! あのね、今日ね――」
と、成長を報告してくる弟は実に可愛く愛おしい。
――のだが……、なんかいずれどころか再来年再会したとき、すべてにおいて凌駕されてそうな気がしている。
どうしよう。
そうなるともうお兄ちゃんぶることが出来なくなってしまう。
はたしてクロアはこの無能な兄を、それでも兄と慕ってくれるだろうか? ――いや、クロアは良い子だ。ダメ兄貴だからって足蹴にするようなことはないはずだ。うん、きっとそうだ。
セレスはちょっと前に三歳の誕生日を祝ったばかり。
だいぶ喋れるようになり、しょっちゅう質問をぶつけてくる。
面白いのはシアがさんざん話しかけていたせいで、たどたどしくも丁寧に喋ることだろう。
「かーしゃま! とーしゃま!」
シアの真似をする娘の可愛らしさにやられて、両親はセレスの喋り方は矯正しないでこのまま育てることに決めていた。
でもそれだと……、おれ、実の妹に「ごしゅぢんしゃま!」と呼ばれ続けることになるんだが……、いいんだろうか?
おまけにセレスがいつも着ている服はおれが作った可愛らしいメイド服である。
実の妹にまでメイド服を着せて「ごしゅぢんさま!」と呼ばれているなどと、元の世界ならば変態と罵られるか、紳士と讃えられるかのどちらかだろう。
いやまあシアも妹と言えば妹だし、なにをいまさらな話ではあるんだが……、うーむ……。
誓って言うが無理に着せたわけではない。
「ねーしゃまとおなじふくがいいです」
と可愛らしくおねだりされては、もはや作る以外の選択肢は残されていないのである。そんなわけで、おれはパンツ神が来ない程度に気合をいれて仕立てた。
古代ヴィルクの使用も考えたが、さすがに今のセレスは幼すぎるので見送った。持ち主にあわせて服が成長するといっても、どこまで成長についていけるかわからなかったし、これくらいの子供の成長速度について行けるかどうかも怪しいところ。なので今は普通の布で我慢してもらって、もっと大きくなってから使おうと考えたのだ。
「もうちょっとじっとしててくださいねー」
シアはセレスの背中にぬいぐるみをくくりつけ始めた。
おれはセレスの部屋が動物園になるくらいぬいぐるみを作ったが、セレスの一番のお気に入りはいま背中にくくりつけてもらったレッサーパンダ風のぬいぐるみだ。レダという微妙に格好いい名前がついていて、セレスはいつも抱えている。
「はーい、セレスちゃん、これでばっちりですよー」
「ばっちぃですよー」
ときどきシアの言うことを真似しているようで全然違うことを言っていたりするが、それはまあご愛嬌だ。
「それじゃあ手を大きく広げてくださーい」
「ひよげてくだしゃーい」
ばっと両腕を広げYの字になるシアを真似て二人はポーズをとる。
うん……? なんだ?
「大きく手を広げて――、ツル!」
「つる!」
おいこらバカメイド!
妙なこと教えてんじゃねえぞ!
鶴なんかいねえだろこの世界には!
「シア姉ちゃん、ツルってなーに?」
聡明なクロアがもっともな疑問をシアにぶつける。
「ツルというのはですね、わたしの故郷に伝わる伝説の鳥なのです! 千年生きます!」
「千年も……!? 竜みたい!」
クロアがびっくりした。
おれもびっくりした。
とんでもねえ嘘ぶちかましてんじゃねえぞてめえ!
「どんな姿かはあとでご主人さまに絵に描いてもらいましょう!」
「うん、そうする!」
「ごしゅぢんしゃまに、かいてもやいましょう!」
なんだとぉ!?
あのバカこっちに話題ふりやがった……。
鶴……、鶴だと?
だいたいの姿はわかるが、あれってどこが黒くてどこが赤かったっけ!? 頭だったか? トサカはなかったよな?
「じゃあ次は手をたたんでぎゅっと丸まってみましょう。そして片足で立って――、フラミンゴ!」
「ふやみんご!」
シィ――アァァ――――ッ!
「シア姉ちゃん、フラミンゴってなーに?」
「フラミンゴというのはですね、わたしの故郷に伝わる変わった鳥なのです! 片足で立って寝ます!」
「片足で? うそだぁー」
すまん弟よ、それは本当なんだ。
というかなんで鶴は信じてフラミンゴは信じない?
兄ちゃんおまえの判断基準がちょっとよくわからんな。
「嘘みたいですが本当です。どんな姿をしてどうやって寝るか、それはあとでご主人さまに描いてもらいましょう!」
「かいてもやいましょう!」
あのバカはまたおれに!?
フラミンゴだと? それこそなんとなく姿はわかるが、描こうものならピンクの足長な鳥になるだけだぞおい。
「ではもう一度いきますよー、丸まって片足で立ってぇ――、フラミンゴー!」
「ふやみんごー!」
と叫ぶセレスはふらふら危なっかしい片足立ち。
クロアは森歩きの成果だろうか、わりとしっかり片足で立てている。
「わからん……」
あの適当さ全開のお遊びで弟妹が嬉しそうにはしゃいでいるのがどうも腑に落ちない。
いや、ここは真摯に受けとめるべきなのだろうか。
シアの歌のお姉さん的な能力はおれを遙かに凌駕している、と。
出生の不確かさを利用し、あちらの世界の歌や遊びを駆使してシアは弟妹たちを虜にしている。
それが悔しく、一度は渾身のロボットダンスで挽回をはかったがその行動はクロアをガチ泣きさせるという苦い思い出になった。
どうやらおれは、ああやって子供を楽しませる才能すらも持ち合わせていないようだ。
とは言え、それはシアがクロアとセレスを独り占めしているのを見過ごす理由にはならない。
このところシアがちょっと調子に乗っている。
八つ当たりに雷撃でもぶちかましてやりたいところだが、メイド服に〈雷撃無効〉と〈神撃無効〉というおれ殺しのふざけた効果がついているせいで意味がない。
おれが仕立てた服なのにわけがわからん。
ならばと木製ハリセン片手に襲いかかったところで返り討ちなのは確実だ。
身体能力のスペックはシアのほうが圧倒的に優れている。
おかげでシアとの練習試合はおれの全敗。
クロアとセレスにはコロコロリンとすっ転がされる無様な兄の姿しか見せることができていない。
いかん……、これはいかん!
数年すれば凡庸と罵られかねない凡才の兄。
今くらいは兄としての威厳を保持しておかねば「シア姉ちゃんがいれば兄ちゃんはいらない」なんて言われかねない。
ここは一回くらいシアに勝って見せておいたほうがいいだろう。
おれは薄暗い部屋で一人、庭で遊ぶ弟妹たちを眺めながらシアに勝つための方法を模索し始めた。




