第85話 9歳(春)…Sと
「?」
シアがぴたりと動きをとめた。
蓋をひょいっと掲げたような状態で、始めと終わりのカギ括弧みたいに並べられている二丁の鎌に目が釘付けになっていた。
「デザインはおれ。製作は王都で有名な鍛冶屋のドワーフ親方。総霊銀の双子の鎌だ」
黙りになってしまったシアに簡単な説明する。
「…………こ、これは、わたし、に?」
しばらくして、シアは震える声でそう尋ねた。
「こんなのほかに誰が使うんだよ」
そう言ってみても、シアはまだ信じられないような感じで唖然としている。
ちょっと呼吸が深呼吸を繰り返すように大きくなっていた。
「も、持ってみてもいいですか?」
「おまえのお土産なんだから好きにしろよ」
なんかシアがおっかなびっくりになってしまって調子が狂う。
シアはやっと掲げっぱなしだった箱の蓋を机に置くと、そっと左右の手それぞれで鎌をつかんで持ちあげた。
大鎌は元の鎌だけ、という妙なこだわりでシアは双鎌を使う。
おれとしてはメイド服に大鎌のほうが絵になると思ったが、なかなかどうして双鎌も似合っていた。銀の髪と赤い瞳、黒いワンピースに白いエプロンドレス、そして銀の双鎌。かなり尖った色調だが、メイドであるというだけですべては予定調和のごとく融和する。
そう、素晴らしきはメイドなのだ。
「右手用、左手用はあるが装飾の違いだけで持った感触は同じだ」
「じゃあこっちの子が右手で、この子は左手ですか」
正しく左右に持つと、地金にある装飾が外に向くようになっている。
「この子たちに名前はあるんですか?」
「まだない。おまえがつけたらいい」
「じゃあ考えます」
そう言ってシアはにっこり微笑んだ。
やっとお土産だと受けいれることができたらしい。
「ご主人さま、ありがとうございます! この子たちすごく大事にしますね!」
えへへ、うへへへーとだらしない笑顔になってシアは両手に持った鎌をうっとり眺める。
やっと土のことを忘れたか。よかった。
「いやー、まさかこんなすごい物を贈ってもらえるとは思ってもみませんでした! 一瞬、餞別にこの鎌やるから出てけって言われるかもって戦慄を覚えましたが、杞憂でしたね!」
「あのな、追いだすなら餞別なんぞやらずに、むしろメイド服ひっぺがしてから放りだすわボケが。つかなんだ餞別って」
「まさかのすごい物だったからですよ。贈ってもらえたのはすごく嬉しいんですが、ちょっと唐突すぎるといいますか、本当にもらっていいものかと不安で……」
「いいんだよおれの都合なんだから。つかそれよりおまえのメイド服のほうがすごい代物だからな? それと同じ生地で作られた服は聖都のトップ――大神官の法衣だけらしいぞ?」
「はあ!?」
おれはシアに古代ヴィルクのことをちょっと話した。
もしかしたらレイヴァース家で一番価値のある物は、シアの着ているメイド服なのかもしれないのである。
「そんな物をわたし着ていていいんです!?」
「いいんだよ、着せる必要があると思っておれが着せたんだから。その鎌も必要があるから用意したんだ。おれがいなくなったあと、いざというときクロアやセレスを守れるようにな」
「………………、え?」
一瞬、シアは硬直したが――
「ちょ、ちょっとまってください。今のはどういう意味ですか? なんでご主人さまがいなくなってて、わたしはクロアちゃんとセレスちゃんを守っているんです? ちょっとわかりません」
「あ? おれ再来年に冒険者訓練校に行くだろ? その間もし父さんと母さんの手にあまるようなことが起きれば、クロアとセレスを守るのはおまえだ。だから奮発していい武器を用意したんだよ。なにがわからん?」
説明してやると、シアはぽかんと口をあけて惚けていたがすぐにはっと目に光が戻る。
強い攻撃色の光が――。
「なっ、なっ、なんですかそれは! なんでそんな、聞いてませんよそんな、ちょっとどうしてわたしは置き去りなんてことになってるんですかね!」
シアは激しく憤慨し大声をあげる。
おれはどうしてシアが怒りだしたのかよくわからず困惑した。
「どうしてもなにも、おまえ王都に連れていってどうするんだ?」
「どうする? どうする!? どうするってそんなの一緒に冒険者になるために頑張るに決まってるじゃないですか! この鎌はてっきり一緒に頑張ろうね的な意味合いがあって贈ってくれたと思ったのになんなんですかそれは! なんでわたしを連れていってくれないんですか!」
「な、なんでって、だから連れてってどうするって話なんだが……」
「だ・か・ら! なんで連れてってどうするなんて話になっちゃうんですか! ご主人さまはなんですか!? ご主人さまはわたしのご主人さまです! わたしはなんですか!? わたしはご主人さまのメイドです! 主人とメイドといったら切っても切れない仲、離ればなれにはならない! なれない! たとえ離ればなれになろうとも、磁石のSとMのようにひきあってくっつくものなんですよ!?」
「?」
磁石はSとNですよ?
SとMはかなり別物ですよ?
いきなりひどいボケがきた――と思ったらシアは半泣きだった。
あれ……。
こいつ素で間違えたのか!?
言い間違うってことは、こいつのなかではSとNよりもSとMのほうが意識の上位にあるってことなんだがこれは……、うん、聞かなかったことにしよう。そうするべきだ。
思い出すのは元の世界のクラスメイト。食指という表現を触手と勘違いしていたために密かにマニアというあだ名をつけられていることを不憫に思い、あるとき指摘したらキレられた。
そんな経験のあるおれだからわかる。
今、間違いを訂正するとシアは間違いなくガチギレする。
だというのに――
「なんですか! わたしがこんなに真面目に話してるのになに別のこと考えてるんですか!」
スルーすることに決めたおれの心の動きでも見抜いたか、シアが追及してきた。
「……い、いや、たいしたことじゃ――」
と言いかけた瞬間、シアは両手に持っていた鎌をズカンッと机にぶっ刺した。
刃の半分くらいまで机にめり込んだのは鎌の性能か?
それともシアの馬鹿力?
「たいしたことじゃない!? たいしたことないことを考え始めるほどわたしの話はどうでもいいんですか!? わたしはそんなにどうでもいいんですか!? ええそうですねどうでもいいんでしょうね! ご主人さまわたしの生い立ちとかもう完全に無視してマルペケ始めてましたもんね!」
「いやそういうわけじゃないんだ、ただちょっと気になって……」
「なにが!?」
「うくっ」
どうする? 言っちゃう? でも言ったら絶対ろくなことにならないよ? 誰か助けて!
「なんですか! やっぱりどうでもいいことだったんですか!?」
その通りだよ!
ただそれがおまえ発の暴走特急だっただけだよ!
あーもーいい!
言ったれ!
「ちょっと言い間違いに気づいただけの話だ」
「は? 言い間違い?」
「磁石はSとMじゃなくてSとNな」
「……………………………………………」
激昂していたシアだったが、さすがにそんな指摘をうけることは想像もしていなかったらしい。
完全に虚をつかれたのかきょとんとした顔で固まった。
だがやがてほんのりと頬に赤みがさし、そして――
「にぃぃぎゃあぁぁぁ――――――――――ッ!!」
突然絶叫をあげたかと思うと、シアは頭をかかえて床に崩れ落ちた。しかし胸に宿った恥辱の炎はさらに己を蝕むのか、シアはそのままごろんごろんと床を転げてのたうち回る。
おれ悪くない。
悪くない。
でもさすがに……、哀れに思う。
「ま、まあ、あれだろ、カッとなっていたからうっかり間違えただけだろ? ほら、MとNってアルファベットの並びだし、キーボードでも並んでるし……、あ、そうそう、SとNの磁力みたいに、SとMも見えない不思議な力で引き合うものじゃないか」
「そんなとってつけたような慰めいらんわぁぁ――――ッ!!」
と、のたうち回りながらシアが叫ぶ。
「どうせこう思ってるんでしょう!? 言い間違うってことは心のどこかに気にかけているからだって! つまりわたしの心の働きのなかではSとNよりもSとMのほうが上にあるって思ってるんでしょう!? この変態メイドめって思ってるんでしょう!?」
「いやそこまでは……」
「そこまではってことはそれなりには!?」
愕然とした顔になって……、とうとうシアは泣きだした。
おがーん、とガチ泣きだった。
大泣きしながらもごろんごろんしていた。
カオスはここにあった。
おれは今後二度と言い間違いを指摘しないと心に誓いながら、しゃがみ込んでシアに話しかける。
おそらく今から確認するこれこそが、この騒動のきっかけだと思いながら。
「なあシアさんや……」
「な、なんでずが、ぐすっ、なんでづれでっでぐれないんでずか……」
「ひとつ……、確認したい。よーく聞いてくれよ?」
「ぐすっ、あい」
「再来年、おれは数えで十三歳になる。だから訓練校に入学できる。これはわかるよな?」
「ぐずっ、わがるでず……」
「で――、だ」
おれはため息まじりに言う。
「おまえおれの一個下だから入学できないよね?」
「あ」
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/03
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/06/07
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2022/02/23




