第81話 閑話…裏社会の挨拶回り
王都エイリシェの裏社会にジグの名で知られる男がいた。
エイリシェの裏社会を牛耳る組織のうちのひとつ〈レンガの家〉の首領である。
その日、ジグは仕事場にしている建物の自室でひどい眠気に襲われ仮眠をとっていた。
腕組みをして背を椅子にあずけ、足は交差させて机の上に。
ジグは少しだけ仮眠をとるつもりだったがすっかり寝入ってしまっていた。
ここ数日、面倒な案件のせいで気を揉むあまりろくに寝つけなかったせいである。
案件とは孤児となったひとりの幼い少女の処遇について、というそれだけの話であったが、ほかの都市とは違いエイリシェは――、特に裏社会に身を置く者にとっては神経質にならざるをえない問題だった。なにしろ対処を誤れば最悪組織が消えて無くなるのである。これはなにもその幼子が特別というわけではなく、幼子であればどこの誰であろうとエイリシェでは慎重に扱わなければならなかった。
「ジグさん、ジグさん」
イビキをかきながら眠るジグだったが、どんどん、と扉が叩かれる音にはっと目を覚ます。
「ジグさん、ベリセフの紹介という客がきてます」
ベリセフ――、ジグと同じく王都の裏社会にある組織の頭領だ。
なぜベリセフが自分のところに客を紹介するのかわからなかったが、ひとまず会ってみることにして入れろと指示する。ベリセフのところとは協力関係にあることだし、そう面倒な客をよこすこともないだろうと。
座りなおしたところで扉が開き、ひとりの男が現れる。
「…………え?」
男を見てジグは静止した。
その男を知っていた。
その名の、異名を。
男の名はローク。
死神。死にぞこない。呪われし者。終焉の語り部。
そいつが現れたら最後、誰も生き残れない。
今でこそ忘れ去られつつあるが、ジグの年代以上の者たちにとっては未だ恐怖の存在である。特に、ジグのように関わったことのある者にとっては人の形をした悪夢そのものだ。
「よ!」
と軽く手をあげたロークを見て――
「うわぁああああ――――ッ!」
ジグは悲鳴をあげながら、机の下に隠されているレバーを思いっきり蹴りつけた。
ガコン、と音がして床――椅子の真下にあった蓋が開き、ジグは椅子ごと穴に落下。
穴はそのまま滑り台のようになっており、ジグは椅子ごと地下へ地下へ、加速をつけて滑り落ちる。
そしてそのまま下水路まで到達すると、汚水をぶちまけながら派手に着水した。
と同時、緊急避難用の穴が崩落して埋まる。
追っ手を食い止めるためのカラクリがしっかりと働いたのだ。
「な、なんで、なんで!?」
痛みや臭いなどどうでもよかった。
とにかくあの男から遠ざかり、そしてこのまま王都を離れる、それしか頭になかった。
「なんだってんだ、なんだ、王都が滅ぶのか、なんで、まさか魔王か、魔王なのか」
汚水から歩道へ這いあがり、今日このようなときのために懐に忍ばせてあった小型の永光灯で明かりを作る。そして目印のしてあった下水路の壁の一部を蹴り壊し、逃走用にと備えてあった道具と資金を引っぱりだす。
「よし。よし。あとは、えっと、どっちだ」
下水は網の目のように入り組み、各所に鉄格子や水門がある。
しかしジグはいざというときのために逃走経路をわりだし、それを完全に記憶してあった。
足早に歩き始め、しばらくすると少し冷静さを取りもどした。
するとこれまで積みあげてきたものが、たったひとりの男の登場によって水泡に帰したことがたまらなく悔しく、そして悲しくなった。
「ちくしょう、ちくしょう!」
ベリセフの奴は裏切ったのか? いや、あいつがでてきたらもう裏切るとか裏切られるとかそういう話に意味はない。ベリセフが本当に紹介したのか、それともロークが嘘を語ったのかもどうでもいい。逃げる。とにかく逃げることが先決だ。
死んでしまっては元も子もない。
充分ではないが、それなりの資金はある。
この王都から逃げのび、また別の場所でやり直す。
容易ではない。しかし不可能ではない。
生きてさえいれば。
ネズミのように下水路を動き回ったジグは、夕暮れ間近になってようやく運河へと排水される出口へとたどりついた。
「よ!」
そしてそこにロークの姿があったため、ジグが絶望して膝から崩れ落ちた。
体から力がぬけおち、気力も完全に刈り取られた。
なにもかもが無駄であったとわかった瞬間、これまで感じたことのない途方もない悲しみにつつまれて泣いた。
もはや恥も外聞もなく大声で泣いた。
「……いや、泣くなよ。ってかなんでどいつもこいつも悲鳴あげるわ逃げるわ泣くわ、いいかげん俺も傷つくぜ。俺、おまえらに危害くわえたことなんてねえだろうが。……あ、おまえはまあ、ちょっといざこざがあったが……、見逃してやっただろ?」
「だってぇ~、だってぇー、ごわいー……、魔王がぐるー」
「恐いのは今のおまえの顔だ! ってか魔王ってなんだよ! んなもん来ねえよ!」
「……うぅ、ぐずっ」
ジグの心は折れたが、一度徹底的に泣いたせいか少し冷静さを取りもどした。
ずびびび、と鼻をすすりながら、困りはてたような顔のロークを見る。
「王都滅ばない……?」
「滅ばねえよ!」
「じゃ、じゃあ、なにしに王都に……?」
「なんか癪に障るが……、まあいい。ちょっと息子の付添できただけだよ。もう少ししたら帰るよ」
「そ、そうか、いなくなるのか、じゃあ王都は大丈夫だな、そうか、そう……息子!?」
いきなりだったのでジグは驚いたが、確かロークはリセリー・レイヴァースと結婚してどこかに隠居したという話だったのでおかしくはない、と冷静になってきた頭で考える。
「んでな、色々と裏社会の方々んところを回ってるのは、その息子が関係するんだ」
「……はあ」
「実はうちの息子な、再来年に冒険者訓練校へ通うんだ。それで裏社会の方々にちょっかいだすなよーって言って回ってるわけだ」
「……お――」
親バカ、という言葉がジグの脳裏に浮かんだが、それを口に出してはまずいと瞬間的に気づき、なんとか堪える。
「――お、おまえの息子にちょっかいだすバカなんているのか?」
「上がわかっていても、下がわかってないって場合があるだろ。俺やリセリーはもう過去の人間だからな。若い奴らじゃわかんねーだろ」
「……、そうかもしれん。よく言い聞かせておく」
「そうしてくれ。うちの息子が本気でキレたとことか見たことがないから、どこまでやっちまうか想像がつかないんだ。下手にちょっかいだしてキレさせたら、王都の裏社会の奴らを皆殺しとか始める可能性がなくもないからな」
「……ちょっと待て。え? 息子が大事だから手を出すなって話じゃないのか?」
「ああ? そういう話だぞ? ゴロツキだからって殺して回っていいわけじゃないだろ? あんまりやると国に処罰されちまうからな。いよいよとなったら俺やリセリー、可能ならリセリーのお師匠さんにも協力してもらって国と一戦交える可能性だってある」
リセリーの師匠といったら万魔シャーロットの唯一の弟子リーセリークォートしかいない。そして国と一戦交える? いったいこの男はなにを言っているのだろうか。
「まあそんな面倒がおこらないように、俺はこうしてお願いして回っているってわけだ」
「……な、なるほど」
「と言うわけで情報共有は徹底してくれ。ちょっかいださないようにってな。ただ息子のほうから関わってきた場合はあきらめてくれ」
「え? 関わってくる?」
「たぶんそのときはおまえたちの手を借りなきゃならないようなのに喧嘩を売っている最中だと思う。それが別組織か、貴族か国か、それとも別のなにかかはわからんが、まああれだ、頑張れ」
「……頑張れって……」
「とまあ話は以上なんだが、あともうひとつ話を通しておきたい組織があるんだが伝手かなんかないか? 今んところ誰も彼も知らないわからないって言うんだが」
「誰も知らない……? ああ、あそこか。それは俺もわからんな。そもそもこの都市に伝わるお伽話のようなもんだ。もし知っている者がいるとすれば俺たちのような裏の人間じゃなく闇まで知っている王族くらいだろう。組織自体はシャーロットが登場する以前からあったらしいし、話によってはこの都市が作られる前からここに存在したというもんまである」
「王族か……、会いに行っておまえらみたいに大騒動になられても困るんだよな。なんか俺が悪いみたいな話になって怒られそうだし」
「もしくは聖都関係者にあたってみるんだな。どちらかというと、あそこは俺たちよりも聖都寄りだ。やっていることはガキの保護だからな。ガキを食いものにするようなことをしなければ関わることもない」
「んー……、その食いものにしているって判断がどこまでかなんだよなぁ、子供を集めて使用人の仕事を教えるって平気だよな?」
「俺に聞いてもあてにならんだろう」
「だよなあ。じゃあもうしばらく探してみるかね、その――」
ため息まじりにロークは言う。
「ネヴァーランドってのを」
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2019/02/03
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2019/05/06
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2019/12/20
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2020/05/30
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2022/06/29




