第785話 15歳(秋)…マッスル☆フェスティバル(1/7)
お祭りがあるのでみんなで見に行く、そんなのどかなお話です。
加速した夏は光の速さで過ぎ去った。
そして切なさと共に訪れたのは九月。
まだ気温は高く暑い日が続くが、季節としてはもう秋である。
「ボンバイエ! ボンバイエ!」
「ぼんばいえ! ぼんばいえ!」
その日、仕事部屋に向かう途中、聞こえてきたのはシアとセレスの楽しげな声だった。
留まる暑さに頭がやられたのかもしれない――、そう心配になって見に行くと、そこにはじゃれつこうとするバスカーを、横倒しに寝そべったままの状態で牽制しているネビアの姿があった。
「……? ……!」
さすがに、この意味を理解するには少しばかり時間を要した。
これはあれだ、アントニオさんとモハメドさんによる世紀の異種格闘技戦に由来した掛け声なのだ。
俺はネビアが敗北するのを見届けると、シアを第二和室に引っぱっていって正座をさせ、静かに説教をした。
「――要はだな、最近ちょっと気が緩みすぎなんじゃないかと思うわけだ。お前、周りに誰かいてもかまわずネタぶっ放してるだろ。どういう事か聞かれても誤魔化すしかないし、ミーネに胡散臭がられてるのはそういうとこだぞ」
「すいませーん……」
正座に良い想い出がないシアは、とたんにみるみる元気を失っていってしょんぼり説教を受けていた。
「いずれあっちの世界のことを話すにしてもネタについては別枠だ。頑張って自分で説明するように」
「ふぇ~い……」
シアがネタに走るたびに俺が説明する……、そんな無駄なことはしたくない。
「ご主人さま~、いつごろ皆さんに説明するんですかー?」
「ん? うーん、ずっとしようとは思っているんだが、一度その機会を逃してるからな。どのタイミングで言いだしたものかと困ってる」
婚約したところで話せたらよかったのだが、ちょっとそれどころじゃなくなってずるずるとここまで来てしまった。
「何かきっかけがあれば……、まあそれでもお前のボケがきっかけになるような事態は避けたいがな。あまりにもあんまりだ」
「うぅ、今日のご主人さまは手厳しい……」
「セレスに妙なネタを仕込んだお前が悪い」
セレスが珍獣たちの戦いを目撃するたびに「ぼんばいえ!」と叫ぶようになってしまったらどう責任をとるつもりなのか。
まったく、とんでもないお姉ちゃんである。
△◆▽
説教を終えた俺は、ようやく仕事部屋へと訪れる。
この空いている時間で何か取り組める仕事があれば……。
シャンセルのアドバイス通りめいっぱい遊んだおかげか、だいぶ仕事に対しての忌避感も薄れ、そろそろ少しずつでも始めようかと準備を始められるくらいには精神が落ち着いてきていた。
そのうちサリスが来るだろうと、冒険の書の次回作――その製作のために作った資料に目を通す。これは資料を作成していた当時の感覚を思い出すために必要な作業であった。
だいぶ放置していたからなぁ……、と反省しつつ作業を進めていると、やがて部屋のドアがノックされる。
サリスが来たかな、と思ったが、現れたのはパイシェ。
何か用があるのだろうと確認してみたところ――
「お願いです。どうか、闘士たちが祭りを行う許可を頂けませんか」
出し抜けにパイシェはそんなお願いをしてきた。
「闘士たちのお祭り……、ですか?」
「はい、できれば今年の内に開催したいと思うのです。何しろ二度とはない記念すべき年ですので」
並々ならぬ決意を感じさせる表情でパイシェは言う。
何としても闘士たちのお祭りを開こうという覚悟の現れなのだろうが、しかし、その割りには話を持ってくるのが遅いような気がする。
もう今年も後半を過ぎた。あと四ヶ月で終わってしまう。
いったいどうして『今』なのか?
「それはですね、皆さんとのご婚約後しばらくはそれどころではないようでしたし、そのあとは……、ええ、どうお願いしても却下されることが目に見えていましたので……」
「ふむ……」
パイシェの言う通り、婚約直後はそんな提案をされても取り合う余裕がなかった。それが落ち着いてからは……、なんだろう、とても筋肉を恐れていたような気がする。
どうしてそれほど恐れていたのか?
原因は?
思い出そうとしてみるも、記憶はモヤがかかったようにはっきりしない。それでも思い起こそうとすると、不意に焼きたてのパンケーキの香りを嗅いだような感覚に襲われ、なんだか幸せな気分になったので俺は考えることをやめた。
まあともかく、パイシェの懸念は的を射ており、下手に提案しようものなら癇癪を起こし、『闘士に祭りは必要ない!』などと宣言していた可能性があることは否定できない。
「闘士たちのお祭りか……」
意思疎通が困難な筋肉たちを疎ましく思っていたが、よくよく考えてみれば奴らに助けられている状況も多い。旧悪神との決戦に協力してくれたし、そのうちまた行わなければならない古代都市ヨルドの調査には欠かせない人材である。また、闘士という勢力が俺に付き従っているという事実は何かと牽制になってくれ、余計な面倒事を減らすことに一役買っているのだ。
「わかりました。祭りを行うことは許可しましょう。で、この祭りって俺の参加が前提ですよね?」
「はい、その通りです。とは言え、何も催しにまで参加をお願いするわけではありませんから、そこはご安心ください。お願いすることは二つ、開会と閉会の挨拶くらいです。あとはゆっくり観覧していただければ」
「それくらいですか……」
要は国境都市ロンドの地下空間でイスに腰掛け、バケイノシシのお面かぶって闘士たちの暑苦しいワンパクぶりを眺めていたアレの拡大版ということだ。
「まあそれなら……。今からあれこれ決めて準備を始めるとなると、開催はいつぐらいになりますかね? だいたいでいいので」
「そうですね、遅くとも今月中旬には」
「ん?」
えらく早くね?
いや、まあお祭りと言っても自慢の筋肉を披露したり、肉弾戦をする程度のものだろうから、そこまで準備に時間がかかるものではないか。
そんなふうに納得していたところ、さらにパイシェから説明を受ける。
「実はですね、ずいぶん前から上級闘士たちで祭りについて話し合われ、いざ開催が決定したらすぐにでも始められるよう段取りが組まれていたんです。内容もある程度決まっているので、すでに闘士たちは来る日に備え訓練も行っています」
「そんな状況になってたんですか? 初耳ですが……」
「それはボクのところで話を止めていましたから」
そう言い、パイシェは苦笑い。
あれか、うっかり俺の耳に入り、詳しい話を聞きもせず却下されるのを警戒していたのか。
さすがにそこまで……、と言いたいところだが、否定はできない。
「それでは、ボクはさっそく祭りの許可が下りたことを皆に伝えに向かいます。きっと喜ばれますよ」
提案してきた時とは打って変わって嬉しそうな表情になったパイシェはさっそく行動を開始するようだ。
まずは闘士倶楽部の本拠地(になってしまった)国境都市ロンドへ向かい、各地に散っている上級闘士を招集して会議を行うらしい。
じゃあ俺は……。
△◆▽
「えー、そんなわけで、そのうち闘士たちのお祭りがあります」
『は?』
パイシェがいそいそと精霊門で出掛けて行ったあと、俺は俺で屋敷のみんなに闘士たちのお祭りが開催されることを報告したのだが……、どうも一部の反応がかんばしくない。
クロアやセレスは「お祭り~!」と喜んでいたが、主に婚約者のお嬢さん方が怪訝そうにしているのである。
「俺は立場的に参加しないといけないけど、皆は自由参加でいいからね? あ、でもできれば闘神から加護を貰ったミーネとリオには来てほしいかな」
そう話したところ、何故かシアが恐る恐るといった感じで口を開いた。
「いや、あの、まあ参加はしますけど、それよりご主人さま、お祭りを許可するとかいったいどうしちゃったんですか? 以前のご主人さまなら、パイシェさんからそんな提案されたら、何も言うことなく静かにめそめそ泣き出すレベルだったと思うんですけど」
このシアの発言に、困惑顔のみんなはうんうんと頷いた。
「あー、それか。実はどういうわけか筋肉に対する恐怖は薄れてるんだよ。この冷静な状態で考えてみると、闘士たちが望むならお祭りくらい許可してやらないとなって思ってさ。何かと世話になってるし」
「お、おう」
なんでそんな戸惑うねん。
べつにおかしな事はいっていないと思うが……、それとも、まともな事を言ったら異変を疑われるほど、筋肉に相対したときの俺は奇異に見られていたのだろうか?
「んー、あんちゃん調子が悪いわけじゃなさそうだし、大丈夫なんじゃないかな。でもあんちゃんだからなー。賭けるならあたい、あとで悪化する方に賭けるぞ」
なんかティアウルがさらっと酷いこと言ってるな。
「サリスはどう思うー?」
「わ、私ですか? 私は……」
尋ねられたサリスは言葉を濁し、結局、ティアウルに答えることなく俺に視線を向けた。
「御主人様、そのお祭りはもう開催が決定しているのでしょうか?」
「え? うん、もうパイシェが話を持って行っちゃったから。いや中止も無理じゃないけど、喜ばせておいてやっぱり中止ってのはさすがに可哀想だと思うし……」
「そ、そうですか……」
サリスは固く目を瞑り、静かに天を仰ぐ。
なんだか懺悔しているように見えるのだが……。
「サ、サリスさんや、どうしちゃったの……?」
「……いえ、何でもありません」
とても『何でもない』って様子じゃなかったけど。
「御主人様がお祭りで行うことは挨拶だけなのですね?」
「え? あ、うん、それだけらしいよ。あとは見ていればいいって」
「そうですか……。わかりました。ではそれ以外に何か提案をされた場合はすぐに返答せず、まず私に相談してください。断りますので」
「え、断るの?」
「はい。かつての御主人様であれば、祭りの開催を許可するだけでも相当の負担でした。今は落ち着いているからと、提案を受け入れるのは危険です。例えば、何らかの催しを闘士の皆さんと一緒になって行うという提案を受け入れたとしましょう。もしその最中に御主人様の心の病が再発してしまえば、恐れている『そのもの』に取り囲まれた状況に御主人様は絶望し、心が壊れてしまうかもしれません」
「え……。俺ってそんなんなの?」
大げさでは、と言いたいところだったが、まったくその通りだとばかりに皆にうんうん頷かれてしまった。
「御主人様、約束してもらえますか? 挨拶以外はしない。何か提案されたら私に相談。いいですね?」
「あ、はい」
正直よくわからん。
でもサリスが恐いからここは大人しく従っておこう!
△◆▽
翌日、屋敷に戻ったパイシェから報告を受ける。
祭りの名称は『マッスル☆フェスティバル』に決定。
開催地は闘士倶楽部発祥の地である国境都市ロンドだ。
すでに大まかなことは決まっていたため、現在は大急ぎで開催に向けての準備が始められているらしい。
この準備に関しては俺がやることはほとんどなく、せいぜい俺の許可が必要と判断された事柄についてパイシェ経由で許可を出すくらいのもの。
例えばそれは精霊門の使用についてだ。
迅速に準備を進めるためには、精霊門の運用が欠かせない。物資だけならばパイシェが持つ魔導袋でどうにかなるものの、各地にいる人員を短期間でロンドに集めるとなるとこれはもう精霊門に頼るしかないのだ。
さらに、このせっかくのお祭り、遠方であるためなかなか聖地へ巡礼できない闘士たちのためにも、精霊門を特別開放して訪れることができるようにしてはどうかという提案があった。
この寛大な計らいによって俺はさらに尊敬を集め評価を上げることになるらしいが、ぶっちゃけそれはどうでもいい。
それよりも気になるのは、現実の祭りの規模と、俺が想定していた規模にとんでもない乖離が見られることだった。
大陸各地の闘士たちばかりか、その親族、倶楽部の関係者などがロンドに集結するというのである。
これもしかして都市が丸ごとお祭りに染まる、ベルガミアの大武闘祭に匹敵するような規模になるんじゃないの?
ちょっと尋ねてみる。
「なりますね」
「なりますか」
あの規模の祭りを今月の中旬には開催する?
おかしくね?
ちょっとどんなことになってるか不安になってきた俺は、祭りが開催される前にロンドの様子を見に行きたいと提案した。
これは快く了承され、さっそく明日向かうことになる。
ついでに溜まっていた仕事――『悪漢殺し』の仕上げのお願いをされてしまったが、まあこれは仕方ない。
旧悪神との決戦に臨むにあたり、『悪漢殺し』を大放出した。
ストックはわずかとなり、それも古代都市ヨルドの調査に協力してくれた闘士たちにおまけとして提供したのでほぼ枯渇。
決戦から約五ヶ月、この間に『悪漢殺し』の元はそれなりの量が生産されているようなので、これを機にまとめて仕上げてしまおう。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/05/25




