第782話 15歳(夏)…女の戦い(物理)
二人は仲良し……、なような気がする、そんな話などを。
ガチムチ警備隊。
それは頼んでもいないのに闘士倶楽部ザナーサリー支部から勝手に派遣されてくるマッチョどもである。
交代制で、人数はだいたい五人。
ところが今朝は十五人も来やがった!
「うぐっ、うぐぐぐ……!」
筋肉の量がいつもの三倍。
そう思った瞬間、俺は内臓をぎゅっと掴まれたような痛みを覚え、動悸と共に呼吸が苦しくなった。
「シア、こ、攻撃を受けている……、内臓に、直接……! 奴らとうとう俺を亡き者にするつもりだ……!」
「はあ」
「交渉を頼む……! 大闘士の座はくれてやるから、筋肉量を減らしてくれと……!」
「はあ」
「早く……! 俺の内臓がもげてしまう前に……!」
「ジョジョっぽいボケ……、というわけではないみたいですね。心の病が重傷化した結果ですか……。わかりました、ではわたしはどうして数が増えたのか聞いて来ますから、ミーネさん、ちょっとご主人さまをお願いしますよ」
「任せて! ……よしよし、よしよし」
シアは苦しみうずくまる俺を残し交渉に向かう。
ミーネは俺の頭をせっせと撫でて介抱してくれるのだが、原因となる筋肉を排除しなければ症状が治まることはないだろう。
やがてシアが戻ったのだが――
「ご主人さまー、闘士さんたちが多いのって、なんかアレサさんとシャフリーンさんが呼んだからみたいですよー」
「はあ?」
俺の症状にさらに困惑が追加された。
△◆▽
訓練場でアレサが特訓をしている。
内容は立ち塞がる五人のガチムチをすり抜け、その向こうにある標的――地面にぶっ刺した長い杭に布団を巻いた物――にぶちかましを決めるというものだ。
「では、まいります!」
アレサが声を上げ、立ち塞がる五人のガチムチに突撃する。
ガチムチたちは向かい来るアレサを捕まえようと動くが、アレサはそれをするりするりと華麗に躱し、最後はどかんと標的にしがみついた。
「ふう、なんとか形になってきましたね」
清々しい表情で言うアレサ。
最初こそガチムチたちに捕らえられていたものの、朝食のあとからかれこれ四時間ほど訓練を行った結果、妨害をものともせず標的にタックルを決められるようになっていた。
いったいこれは何のための訓練なのか?
アレサ曰く、人混みの中で俺を狙う何者かの存在に気づいた時、いち早く駆けつけ、身を挺して守るための訓練であるらしい。
で、その一方――
「ではお願いします!」
アレサから離れたところでは、シャフリーンが別の特訓を行っていた。
こちらは標的にガチムチ五人が飛び掛かるので、シャフリーンがそれを防ぐという、ある意味アレサとは逆の訓練となっている。
想定は何者かが俺に襲いかかってきたら撃退するため、ということなのだが……。
うん、建前だ。
実際のところ、アレサの特訓は俺に抱きつくのを邪魔するシャフリーンを躱すためのものであり、シャフリーンはアレサが俺に抱きつくの阻止するための特訓なのである。
アレサによる朝の健康診断が再開されてからというもの、アレサとシャフリーンは毎朝必ず一度はぶつかるようになった。
健康診断自体はシャフリーンも認めているものの、それ以上というかそれ以外というか、アレサが俺に何かしようとするのをシャフリーンは敢然と阻止するのである。
今のところシャフリーンの勝率は十割。
負け続けのアレサはとうとう特訓を決意するにまでに至り、シャフリーンはシャフリーンでそんな事は無駄であると知らしめるためか、わざわざアレサと同じように特訓をしているようである。
これは実際に二人から話を聞いたわけではないが……、まあ、だいたいは当たっていると思う。
「仲良くなったものですねぇ……」
あきれたような、それでいてしみじみとした感じで言うのは一緒に見学をしているシアである。
ほかにも午前の仕事を片付けたお嬢さんたちも見に来ており、気づけばテーブルとイス、お茶とお菓子が用意されてまったりとしたくつろぎの場と化していた。
シアを始めとした暇なお嬢さんたちは、手のひらくらいの大きなクッキーを草食動物のようにもしゃもしゃ食べながら、特訓の様子をぽけーっと見守っている。例えるなら『この映画はいつ面白くなるのだろう?』といった、惰性と達観を感じさせる表情であった。
「あの二人は対抗意識ばりばりニャー」
「ですが、だからと御主人様の心に負担を掛けるようなことをするのはどうかと思いますよ」
「いやー、今日初めてわかったことを責めるのはさすがに酷だろ」
クッキーをもしゃもしゃしつつお喋りに興じるのはリビラ、サリス、シャンセルの三名だ。
確かに、ガチムチが集まり、筋肉量がある一定を超えると俺が恐れおののき苦しむという怪現象が確認されたのは今朝が初めてのことである。
「あんちゃん、ずっとここいるけど大丈夫なのかー?」
「あー、うん、なんか大丈夫になった」
筋肉が減らない以上、本来なら俺はベッドの上でのたうち回っているはずなのだが……、今は何故かアレサとシャフリーンがガチムチたちと訓練する様子を普通に見学できている。
まったく不思議なことに、なんの恐れも感じず、それどころかどうしてあれほど筋肉を畏怖していたのかもよくわからなくなっていた。
「もご、もごご……」
今は懸命にお菓子を口に詰め込んでいるミーネの介抱が何らかの奇跡を起こしたのだろうか?
確かあのあとサリスがやってきて、でもって何か光る――、ひか……、ウサ……、ぴょんぴょん? ぴょーん?
「あんちゃん、どしたー?」
「ん、あ、いや、なんでもない」
何だろう、何かあったような気もするが……。
△◆▽
アレサとシャフリーンの特訓は昼食後も続けられたが、ただ見学しているのは皆も飽きたようで、午後からはいつも通り好き勝手に過ごすようになった。
やがて夕方になった頃、俺はアレサとシャフリーンにお願いをされた。
今日一日の特訓の成果を確かめるため、俺が『標的』となっての実戦形式を試してみたいと言うのである。
「うん、いいよー」
と、俺は軽い気持ちで引き受けたのだが、実際にその状況になってみると、ちょっと早まったのではないかと後悔を覚えた。
訓練場のど真ん中、俺を守るようにシャフリーンが立ち、その向こう、離れたところにアレサがスタンバイしている。
実戦形式……、なるほど、『本音の方』の実戦だったのか。
「ご主人さまー、頑張ってくださいねー」
「もごっもごー!」
シアとミーネが声を掛けてくるが、俺が頑張るところなんて無い。
そんな二人のほかにも、この対決を見届けようと集まっている者は多い。お嬢さん方だけでなく、クロアやセレス、ぬいぐるみ・妖精たち、あと今日ずっと特訓に付き合った闘士たちなどである。完全に観戦モードになっており、もうしばしで夕食だというのにお菓子がたっぷり用意され、ミーネや妖精たちは嬉々として貪っていた。
「俺もあっちがよかったな……」
思わずため息がでる。
だってアレサとシャフリーンたら、険しい表情で睨み合っていて、視線がバチバチ火花散らしているような状態なんだもの。
もうこれちょっとした決闘である。
ぬいぐるみ達はこの剣呑なピリピリとした空気がわかるのか、近くの仲間とくっつきあってぷるぷる震えるような有様なのだ。
だがまあ引き受けてしまったのだから後の祭り。
俺はこの特等席で、二人が雌雄を決するところを見届けなくてはならない。
「では、そろそろ始めましょうか」
やがて、精神統一がすんだのかシャフリーンが言った。
普段から毅然としたシャフリーンだが、今は鋭さすら感じさせる気配を纏い、油断など微塵も感じさせない。
相性からすればシャフリーンがアレサに負けることはない。
そこを買われて、しばらくアレサの飼い主をやっていたのだから。
しかしそんなことはアレサもわかっているはずで、にもかかわらずこうして決闘に臨むということは、何か、シャフリーンに対抗する術を手に入れたと考えるべきだろう。
だからこそシャフリーンは油断しない――、できないのだ。
「シャフさん、この距離――、貴方であれば、私がどのように動くかすっかり把握していることでしょうね」
決闘の開始を提案したシャフリーンに対し、アレサはすぐに始めるのではなく、まず言葉を交わすことを選んだ。
「ええ、もちろんです。アレサさんはそれをわかっていながら、それでも挑むのですね」
「はい。そう、挑むのです。今日一日、旦那様との触れ合いを我慢して特訓に費やしたのが無駄ではなかったと証明するためにも」
「おや、勝算があるのですか。この私に」
「はい。あります」
アレサがはっきりと言う。
なんか盛りあがって来たと感じているのか、見学している面々は興奮してもしゃしゃしゃしゃっとお菓子を食べる速度があがる。
晩ご飯食べられなくなっちゃうよ?
「シャフさん、貴方の守りを突破して旦那様に抱きつくことができる人は、私が思いつく限り二人です」
アレサの言葉には、もはや建前の『た』の字も無くなっていた。
いや、もしかすると『身を挺して俺を守るための訓練』という話を覚えているのはもう俺だけなのかもしれない。
「一人はジェミナさん。念力で貴方の自由を奪えばすみます。しかしそれは私には真似できません。もう一人はシアさんです。貴方が反応しきれない速さで抱きつけばいいのですから。しかしこれも真似できることではありませんでした」
語りつつ、アレサは前傾姿勢になる。
来るか――、と、シャフリーンは構える。
「しかし、私は気づいたのです。貴方の守りを突破することができるもう一人の存在に。――まいります!」
叫び、アレサが飛び出す。
これといって特別なところは見当たらないが、肝はシャフリーンと距離を詰めてからなのだろう。
一応、何が起きるのか把握しようと、俺は〈針仕事の向こう側〉を使用してつぶさに観察する。
シャフリーンに迫ったアレサはシャッ、シャッと体を左右に振った。
が、シャフリーンは騙されない。
そもそも相手の行動を読み取れるシャフリーンにフェイントなど意味を成さないのだ。ある意味でそれは真偽判定なのだろう。
シャフリーンは真――アレサの本気の行動にさえ気を配り、そこを抑えれば勝ちである。
そしていよいよ二人は接触する距離にまで近づいた。
ところがアレサは真っ直ぐ――まるでシャフリーンを目指しているようにそのまま突撃してくる。
ぶちかましでシャフリーンを吹っ飛ばすつもりなのか?
だがそれでは敵わない、絡め取られるとアレサにはよくわかっているはずだ。
にもかかわらず――、何故だ?
「――ッ」
と、ここで初めてシャフリーンが動く。
この突撃は真であると、アレサを捕らえるべく手を伸ばす。
が――
「――ッ!?」
ここでアレサは右に。
これにシャフリーンは遅れて反応した。
本人よりも先に動きを読むシャフリーンが後手に回ったのだ。
横っ飛び――なんとかアレサを捕らえようとしたシャフリーンだったが――
「は?」
呆気にとられたシャフリーンの声。
右に身を翻したアレサは、シャフリーンが反応した次の瞬間には左に切り返していた。
飛びつこうと勢いをつけてしまったシャフリーンには、逆方向に動いたアレサを捕らえることはできない。これはさすがのシャフリーンにもどうにもならないのだ。
そしてアレサはがら空きとなった左から、もう体を為していないシャフリーンの守りを突破する。
なんだこれ。
俺からすればゆっくりであっても、現実時間では三秒にも満たない僅かな時間の攻防で――。
いや、え……、まさかアレサ!?
気づいたことにびっくりしていると、シャフリーンの横を抜けたアレサが俺に向けてウィンクをしてみせた。
ああ、何と言うことか。
アレサはシャフリーンの妨害を突破して俺に抱きつくために、思考加速――〈針仕事の向こう側〉に類する技を身につけたのだ。
こうなればシャフリーンの能力もアレサに通用しなくなる。
例え行動を読まれても、シャフリーンの動きを見てから自分の行動を変える余裕が生まれる。言ってみれば後出しジャンケンだ。
そして――
「ふわー! やりました! 旦那様、やりましたよ! 私、大勝利です!」
アレサはがばーっと俺に抱きつき、大喜びでぴょんぴょん跳ねる。
敗北することになったシャフリーンはしばし唖然とした表情でいたが……、やがて呻くように言った
「なるほど……、あの動き……、その『もう一人』というのは御主人様というわけですか……」
「そうです! 私はジェミナさんみたいに念力は使えませんし、シアさんみたいに凄い速さで動くことはできません。ですが思考を加速させてシャフさんの行動を見てから行動を変える――、これは不可能なことではないのです!」
可能か不可能かで言えば可能なのかもしれないが、できたらおかしい類の技である。
また一つアレサが変になってしまったことに責任を感じ、俺はひどく申し訳ない気持ちになった。
もしこの申し訳ない気持ちを溜めて放つことができれば、すっごい悪い奴が「ぐへへー」って現れたときに浴びせかけてやり、申し訳ない気持ちでいっぱいにさせて悪行をやめさせることができるかもしれない、そんなことを思うくらい申し訳なかった。
「今日一日の付け焼き刃……、というわけではなさそうですね」
「帰郷してからあれこれ考え、ようやく五秒ほど持続させられるようになったところですよ。今日はひとまずの仕上げのため、闘士さんたちに協力してもらったのです」
「……」
アレサの話を聞き、シャフリーンはやや苦々しい表情で大きなため息をつく。
悔しがっていると言うよりも、あきれながらもちょっと感心しているような感じだ。
「今日のところは素直に負けを認めましょう。しかし、いつまでもそれが私に通用すると思わないことです」
「ふふ、そうですか。では私も、ここで満足せずよりこの技を高めていかなければなりませんね」
不敵に微笑み合うシャフリーンとアレサは、すっかり変なライバル関係を築いてしまったようだった。
△◆▽
そして翌日――。
「あの、あの、シャフさん、これはいったいどういうことなのでしょうか……」
「どういうことも何も、見ての通り特訓を行っているだけですが?」
「そうでなくて、どうして旦那様がシャフさんの特訓に協力しているかということです!」
しれっと答えるシャフリーンに、アレサはぷくぷくーっと膨れる。
そう、俺はシャフリーンからの要望に応え、特訓に付き合っていた。
暴漢役の俺が標的にタックルするのを、シャフリーンが阻止するという訓練である。
「これはおかしな事を。思考加速が御主人様だけの特殊技能ではないとわかった今、思考加速を用いて襲い来る不埒者を制するための訓練は急務なのです。そしてその訓練のためには、この技の卓越した使い手である御主人様の協力は欠かせません」
シャフリーンの言うことはもっともである。
うん、もっともであると思うことにしよう。
「では御主人様、訓練を再開しましょう。アレサさん、見学はかまいませんが、くれぐれも邪魔はしないでくださいね?」
「むぅー!」
アレサを煽っているようにしか思えないが……、まあいい、ともかく訓練を再開する。
「じゃあ行くよー」
「はい! お願いします!」
声をかけ、俺は効果薄めの〈針仕事の向こう側〉を使って突撃。
さすがに本気の〈針仕事の向こう側〉を使ってしまうと対処のしようがないため、段階を踏んでの訓練となっていた。
で、突撃した俺はわりとあっさりシャフリーンに捕まえられてしまう。
こう、思いっきりむぎゅ~っとだ。
でもって、ついでによしよし撫でられて開放される。
「では次をお願いします!」
「いやいやシャフさん次をお願いしますじゃないですよ! なんですかそれは!? そんなの合法的に旦那様に抱きついてるだけではありませんか!」
法とはいったい……。
「そんなのずるいです! ずるいです!」
「何もずるくはありません。心外です。相手を逃さないよう、しっかりと捕らえることのどこがずるいと言うのか……」
「でもシャフさん喜んでるじゃないですか!」
「喜んでいることは認めましょう。しかし同時に恥じてもいるのですよ。私が未熟であり貴方に敗北したばかりに、御主人様にこのようなご面倒をおかけすることになってしまったことを」
「おや? 今の言葉には少し嘘が……」
アレサが怪訝な顔になり……、そしてハッとする。
「シャフさん、さては企みましたね!」
「……」
アレサがびしっと指差すと、シャフリーンはぷいっとそっぽを向いた。
「もしかして昨日は手を抜いたのではないですか!?」
「……」
シャフリーンは答える気が無いらしい。
「何とか言ったらどうなのです!?」
「……」
飽くまで沈黙を貫くシャフリーン。
やがて――
「むきー!」
我慢しきれなくなってアレサがシャフリーンに襲いかかった。
しかしそれは悪手。
組み付いてしまえば掴まれる。
掴まれてしまえば、もう思考加速状態であってもシャフリーンには意味を成さない。絡め取られ、人体の構造上どう頑張っても抗えないよう力を加えられて取り押さえられるだけである。
膝カックンされたらどんな武術の達人であろうと体勢を崩すのだ。
「御主人様との特訓の邪魔になります。お引き取りください」
「ぐぬぬぬぬ……」
ぺいっと地面に転がされ、アレサは悔しそうに這いつくばっていたが――
「シャフさんのバカァァ――――ッ!」
捨て台詞を残し、てけてけ屋敷に戻って行った。
「ふっ、負け犬の遠吠えは心地よいものです」
「容赦ないな……。で、実際はどうなの? 昨日は手加減したの?」
「いえいえ、昨日は本当に完敗でしたよ。ただ、御主人様にご面倒をおかけして恥じるよりも、こうしているのが嬉しいというのが本音でして……、アレサさんはそこを変に深読みしてしまったようですね」
にっこりとシャフリーンは微笑む。
うん、アレサはあれだな、試合に勝って勝負に負けたってやつ?
それとも塩を送っちゃったって感じか?
「大丈夫かな、半泣きだったけど……」
「大丈夫ですよ」
と言いつつ、シャフリーンはため息をつく。
「どうせ向かったのは御主人様の寝室でしょうから」
「……」
アレサはシャフリーンにガチンコで勝つことよりも、まず言動が全部読まれちゃってるのをどうにかすべきなんだろうな……。
「あの、あの、ネビアさん、そんなベッドのど真ん中でくつろぐ必要はないですよね? もうちょっと横に……」
「ふしゃー!」
「ふぇぇ……」




