第777話 15歳(夏)…ともに分かち合うもの(6/6)
「あら、本当に帰ってしまっていいのかしら? 私は貴方たちに救いの手を差し伸べにきたのよ?」
「救いの……?」
「そう!」
ラヴリアは毅然と言い放ち、それから一大決心の末の真面目な空気を木っ端微塵にされてしまったアレサへと近づいて行く。
「過酷な生い立ち、努力の末にようやく掴んだ幸せ、それを手放さなければならない貴方の悲しみはさぞ深いことでしょう。愛の深さがそのまま悲しみに変わる、なんという悲劇でしょうか」
さすがにここはおちゃらけたテンションで語るべきではないという判断なのか、ラヴリアは落ち着いた感じでアレサに話しかける。
できるなら最初からそれで来いよ……。
「普通ならその幸せを手放すまいと足掻くところ。しかし貴方はヴィロりんや皆のことを考え、身を退くという決断をしました。ただ愛する気持ちに翻弄されるのではなく、愛するからこそ離れようとしたその覚悟に、私は無償の愛を感じました」
ラヴリアはそっと手を伸ばし、アレサの額に触れる。
「故に――私は来たのです。アレグレッサ、貴方に我が祝福を授けましょう。この祝福は貴方の手に余る特性を抑え込みます」
「――ッ」
驚きに目を見開くアレサから手を引き、ラヴリアはにこっと微笑む。
「きっと加護でも充分だと思うのだけれど、愛の力は無限大ですからね、ここは奮発して祝福にしました。貴方にヴィロりんへの愛がある限りこの封印は持続します」
「ほ、ほんとうに……?」
「あら、信じられない?」
「あ、いえ、そういうわけではないのですが……」
仕方のないことだが、あっさりと解決しすぎてアレサはまだ信じ切れていない様子だ。
するとラヴリアはアレサの手を取り、俺の前まで引っぱってくる。
「じゃあもう確かめてみるしかないわね! はい! さっそく抱きついちゃいましょう!」
「え……、えっ!?」
アレサは戸惑い、俺とラヴリアを交互に見る。
ずいぶんと動揺しているようで、これは促されてもなかなか抱きつくことはできないだろう。
ならばと、俺はアレサに抱きついた。
「あっ、猊下!?」
「……うん、大丈夫だな、うんうん、大丈夫だ」
過剰共有は起きない。
「……ッ!」
意を決してアレサも手を回してきたが、俺はヘブンへ旅立つことはなく、意識もはっきりしている。
まあ幸せな感じがするのは普通だろう。
「ああ、猊下……! 猊下……! よかった……!」
もうダメかと思ったところからの問題解決。
感極まってアレサは泣いてしまう。
「ありがとう……、ございます、ラヴリア様、ありがとうございます……、それに、皆さんも、みんなも、私を連れだしてくれた先輩も……、ありがとうございます……」
やがて抱き合う俺たちに対し、誰からともなく拍手が上がり始め、やがて喝采にも包まれた。
うちの面々も、アレサの両親、婆さんやお姉さん方、ミーネについてきた子供たちも歓声を上げて手を叩く。
この祝福の様子をラヴリアはうんうんよしよしと嬉しそうに見守っていたが、これ以上ここに留まってあれこれ語るのは無粋とでも思ったのか、何も言わずそっと静かに帰還した。
う~ん、状況が状況で邪険に扱ってしまったのが申し訳ない。
次に会う機会があれば、その時は歓迎してお礼を言おう。
それからしばらく、俺とアレサは抱きしめ合ったままだった。
一時は婚約破棄まで覚悟したのが、こうして普通に抱きしめ合えるようになったのだ、俺はアレサが泣き止むまで待つだけである。
……。
待つ……。
……。
待つ、待つ……。
「えへへー……」
かなり待った。
アレサはもう泣き止んでにこにこし始めていたが、俺にしがみつくのをやめず、それどころかぎゅぅ~っとますます力がこもる。
「アレサさん……、そろそろ、離れましょうか……」
いいかげん痺れを切らしたのかシャフリーンが言う。
するとそれに続く者が数名。
「ですね、もういいでしょう」
「そうじゃな、もうそろそろいいじゃろう」
「ちょっと抱きつきすぎニャー」
「なー、いつまで待たせんだよー」
シア、シャロ、リビラ、シャンセルがそれぞれに言うが、アレサは聞こえているのか、いないのか、構わず抱きつき続ける。
『…………』
皆が顔を見合わせ――、そこからは一気。
いいかげん離れろーッ、と一斉に詰め寄ってきた。
感動の展開から一転、突如として始まったのはラグビー。
ボールは俺だ。
明後日に向かって――キックオフ!
△◆▽
こうして二ヶ月ほど続いたアレサの首輪生活は終わりを迎えた。
アレサはずいぶんと不自由な思いをしただろうし、世話役になったシャフリーンも大変だったことだろう。
俺はべつに不自由だったり苦労は無かったので、なんだか申し訳ない気持ちになる。
むしろ、今回のことがきっかけでアレサの秘密を知ることができたり、親御さんに挨拶ができたりで、結果的にはよかったと思うことの方が多い。
まあ問題があるとすれば……。
△◆▽
「旦那様……、旦那様……、朝ですよ、旦那様……」
朝――。
アレサに起こされる。
心境の変化を表したのか、俺への呼びかけが『猊下』から『旦那様』になった。あと心なしか口調が幼さというか柔らかさというか、ちょっと変わったような気もする。
「ん……、あ、おはよう……」
「おはようございます。今日もいい天気ですよ。暑くなりそうですね」
にこにこしたアレサが身を起こすのを手伝ってくれ、そのままベッドから下りたところでむぎゅっと抱きつかれる。
再開された朝の健康診断だ。
必要ないのでは、と言ったところでアレサは聞く耳持たない。
それどころか――
「抱きついても旦那様が平気ということは、ラヴリア様の封印がちゃんと機能しているという確かな証拠になるのです」
そう、自分にとっての健康診断もかねているから、と言われてしまったら俺にはもう止めようが無い。為すがままだ。
まあ以前と違い、何か悪い影響があるわけでもないし、むしろ朝から幸せな気分になるので歓迎すべきなのだろう。
「はい、今日も問題ありません。では、お着替えをしましょうね」
「そ、それはさすがに一人でやるから……」
しばらく強制的に距離を置くことになっていたためか、それとも故郷で盛大な暴露に遭ったことで開き直ってしまったのか、アレサは何かと俺の世話を焼きたがるようになった。
そこまでやらせていいものかと、戸惑うこともしばしばである。
「私がやりたいからやるのです。ささ」
「あの、ちょ――」
構わず俺を脱がしにかかるアレサ。
と――
「何をしているのですか……!」
バーン、と部屋の扉が開き、シャフリーンが現れる。
「旦那様の着替えをお手伝いしようとしています!」
「そういうことを尋ねているわけではありません!」
この朝っぱらからシャフリーンのご機嫌は斜め。
俺はなんだか責任を感じて申し訳なくなる。
ともかく強制お着替えは中断だ。
「アレサさん、お世話したくなる気持ちはわかります。私もかつてはそうでした。しかし御主人様はそこまで望んではいないのです。まずそもそもアレサさんはお世話をするメイドではないでしょう? ならばそこまでする必要はありません。むしろ越権行為ですよ。もし御主人様が望まれるとしても、その務めは私がやるべきことなのです」
「そんなの知りません!」
「なん!?」
シャフリーンの理屈をアレサは即座に突っぱねる。
まさかそういう反応が返ってくるとは予想できなかったらしく、シャフリーンはびっくりして言葉を詰まらせた。
むすっとするアレサと、目をぱちくりさせるシャフリーン。
やがてシャフリーンは深々とため息をつく。
「ふぅー……。アレサさん、貴方は謙虚さまで一緒に封印されでもしてしまったのですか? いいでしょう。そういうつもりなら、私も本気を出さざるを得ませんね!」
「ま、負けません!」
いや、ちょっとお二人さん?
仲が良いのはわかるけど、だからって何も喧嘩まで始めなくてもいいんじゃない?
「では、どちらがお世話するに相応しいか勝負ですね!」
「おや? ふふっ、これはおかしい。あの状態にあったアレサさんとでも張り合えると自負していた私とお世話勝負とは。いいのですか、御主人様が私にお世話してもらいたいからと、貴方のお世話を断るようになってしまっても」
「そ、そんな……、そこまでやる気なのですか……?」
「もちろんです。私が全力を出せば、一週間で御主人様は私無しには日常生活も満足に送れないようになっていることでしょう!」
やめてくれ。
それはすごく楽ちんかもしれないが、どこかの姫さまみたいに真っ当な生活を送るためのリハビリをする羽目になる。
だがまあ、おそらくシャフリーンはアレサを退かせようと演技してくれている――
「くっ、紛れもない本気……! そんなことはさせません!」
あれ、シャフリーンったら本気なの!?
この勝負を始めさせてはいけないと、そこでアレサは「てやーっ」とシャフリーンに襲いかかった。
が、あっさりいなされる。
「この屋敷内において、手加減された戦いではジェミナさんが最強ですが……、接近戦に限れば私が最強です!」
「くっ、旦那様は渡しません……!」
「渡すも何もそもそも貴方だけのものではないでしょう!」
「旦那様、待っていてくださいね! すぐにシャフさんを追いだして着替えをお手伝いしますから!」
「私の話をまったく聞いてませんね!?」
再びアレサが「てやーっ」とシャフリーンに襲いかかる。
すると今度はぽーんと投げられ、俺のベッドにダイブ。
「ああもう、シャフさんとは相性が悪い……! このままでは旦那様が……!」
悔しがるアレサはベッドでもぞもぞ。
そして「ん?」と何かに気づいたように動きを止める。
「こ、これは……!? すごく安らぎます……!」
アレサはベッドで横になり、そっと目を瞑る。
そしてなんということか、そのまますやぁっと眠りについた。
「寝た……!?」
「どれだけやりたい放題なんですか……」
この急展開には俺もシャフリーンも唖然とするばかりだ。
「本当に慎みや謙虚さまで一緒に封印されてしまったのかもしれませんね……」
「ど、どうだろう……」
今回のことで、まだ問題があるとすれば……、あれだ。
アレサがだいぶアホの子――、ではなく、出会った頃のミーネを彷彿とさせる感じになってしまったことだろうか。
アレサが落ち着くには、まだしばらく時間がかかりそうである。




