第771話 閑話…会議は踊る、されど進まず
首輪生活がようやく終わりを……。
婚約者同盟。
それは淑女同盟を前身とした秘密組織である。
例えもうレイヴァース家のほぼ全員に把握され、セレスに「姉さまたちはあつまってなにお話ししているのですか?」と尋ねられる始末であったとしても、その存在を隠しておきたいたった一人に秘密であるのならば用は為しているので大した問題ではない。
そして今日、新生した同盟の記念すべき第一回会議がようやく執り行われることとなった。
本来であれば婚約者となった次の日にでも行うべきであるが、動揺したり色ボケしたりで壊滅的に足並みが揃わず、開催が今日までのびのびになっていたのである。
会議の参加者は十三名。
シア、ミーネ、アレサ、シャロ、サリス、ティアウル、ジェミナ、コルフィー、リビラ、シャンセル、リオ、ヴィルジオ、シャフリーンと婚約者勢揃いで、ご意見役は不在。
このうち進行役となったのは、春頃の混乱ですっかり緊急時対策ニャンニャンとして確固たる地位が築けてしまったリビラである。
「それでは第一回婚約者同盟会議、始めるニャー」
ゆるい感じで始まる会議。
話し合われる内容はもちろん彼に関することであり、ここはこれまでの会議となんら変わることはない。
しかし今日の会議、議題の中心となるのは彼ではなかった。
「まずはアレにゃんがニャーさまにくっつきたがる問題をどうするか話し合うニャー」
なにはさておき、まずはコレ。
いずれは収まると誰もが楽観的に考えていたこの問題は、そろそろ捨て置けない状況にまで悪化してしまっていた。
被害者(?)となる彼は未だ楽観視しており、であるからこそ状況はより危うい。彼はアレサに抱きつかれたとき自分がどうなっているのか、しっかり把握できていないのだ。
最初こそ嬉しそう――悪く言えばでれでれしていたのが、このところは放心状態、外部からの呼びかけに応じられないほどになってしまっており、その間の記憶は飛んでいるというのである。
「これはー……、ですね、過剰な多幸感により、意識が麻痺してしまっているのだと思われるわけですよ」
事前の打ち合わせによってリビラから指名を受けたシアが彼の状態を解説する。
当初は気楽に考えていたシアも、今では状況を軽んじていたと反省するまでになり、シャロと共に真面目に考察を行っていた。
「なぜこんなことになるのか、ちょっとシャロさんと話し合いをしてみたんで、大雑把な説明にはなりますが聞いてください」
そうシアが話し始めたのは、皆に馴染みのない話――麻薬と脳内麻薬様物質の関係についての説明であった。
「――と、まあ要するにですね、生きていくなかでの喜びとか、幸せとか、あと感じる気持ちよさとかはですね、脳がそういう物質を生成しているからなんですよ。で、いわゆる麻薬と呼ばれる危ないお薬は、脳を誤作動させてその物質を過剰に生成させる代物なんです」
「うぅ……」
シアの話を聞き、もう泣きそうになっているのがアレサである。
結論まで聞かなくとも、シアが何を言わんとしているかよくわかってしまったからである。
「つまり……、私は猊下にとって麻薬のようなものなのですね……」
「ええ、そういう結論に達しました。あ、でも悪気とかは無いですからね? 本当に無いですからね?」
シアの言葉に嘘は無く、アレサにもそれはよくわかる。
「できればこんな話はしたくなかったんですが……、こうなってしまったからには言わないわけには……」
シアは放心する彼を見て思った。
まるでヘロインをキメた麻薬中毒者のようだ、と。
だからこその危機感。よりにもよって、麻薬界の女王などと言われるヘロインを摂取した人間の反応に近いというのが本当にマズい。
ヘロインが特に危険な麻薬である理由は、あらゆる快感に勝る『快感』を与えてしまうからであり、摂取した人間はすべてを超越した快感に包まれ、何をするでもなくただ転がるだけという状況を生む。
人生を終わらせるヘロイン。
アレサの抱擁は、そのレベルに近づきつつあるとシアは考え、シャロもこれに同意していた。
「非常に申し訳ないんですけど、このままご主人さまがアレサさんをキメているとマズいことになると思うんです」
「それは御主人様の方からアレサさんを求めて抱きつくようになる、ということでしょうか。それで……、ことさらアレサさんを贔屓するようになってしまうとか?」
麻薬の恐ろしさは説かれたものの、さすがに漠然としか理解できないサリスがそう尋ねる。
これにシアは首を振った。
「その程度ならまだいいんです。想定される最悪は廃人なので」
人格が破壊され、ただ生きているだけの状態。
さすがにそこまでは……、と思いたいところだが、もう希望的観測をしている段階ではなくなったため、想定は最悪を基準にしなければならないのだ。
「それに……」
と、シアは何かを言いかけ、しかし、口を噤んでしまう。
どうしたのだろう、そう皆が疑問に思うなか、代わりに口を開いたのはシャロだった。
「それにじゃな、挨拶のような抱擁でコレなんじゃよ。では、そこから先はどうなるんじゃ?」
このシャロの発言、言わんとするところ。
参加者はすぐに理解できた者と、理解できなかった者にわかれた。
と、ここで口を開いたのは、理解できなかった者の一人であるティアウルだ。
「んー? よくわかんないな。サリス、どういうことだー?」
「え、えっと……、ですね。いずれ私たちは御主人様と結婚するわけじゃないですか」
「そだな」
「そ、それで……」
「それで?」
「そういうわけです」
「んんー?」
ヒント程度ですんなり理解できるティアウルではなかったが、ほかの理解できなかった面々はハッと思い至り、何とも言えない表情になってしまった。
つまるところ、話は抱擁程度であの有様なのに、結婚してからの愛の営みにおける多幸感と快楽の共有となれば、彼がどんなことになってしまうのかというものであった。
「な、なあ、これってさ、あたしら対抗しようがないんじゃね? アレサに全部持ってかれちまうの?」
動揺しつつも、黙ってはいられなかったのだろう、シャンセルが尋ねる。
するとシャフリーンが言った。
「可能性は高いでしょうね。ですがまあ、私ならば全力でご奉仕すればあるいは、かろうじて、というところでしょうか」
一人の王女をすっかり駄目人間にした実績のあるシャフリーン。
廃人か、または駄目人間か。
彼の未来は暗かった。
未だ一部理解していない者もいたが、この真の問題は概ね皆に理解され、そのせいで会議は暗澹たる空気に包まれる。
解決策は――、救いは――。
誰もが思案に暮れたその時、声を上げる一人の少女が。
「閃いたわ!」
ミーネである。
「アレサ一人に敵わない――、なら、ここは力を合わせるのよ! みんな一緒ならきっとなんとかなるわ!」
『ブフゥ――――ッ!?』
ミーネは未だ話を理解してない者の一人であった。
そのため単純な解決策を述べたのだが、理解していた者たちにとってそれは『何をみんなで一緒なんだ!』という、困った想像力をかき立てるものであった。
結果、乾く口を潤そうとお茶を含んだ運の悪い数名が盛大に噴出。
ヴィルジオに至っては鼻からであったため、悶えてイスから転げ落ちた。
「誰か、ミーにゃんをつまみ出すニャ」
「なんでよ!?」
「なんでもなにもねえニャ! ミーにゃんがいると会議にならねーニャ!」
「ど、どういうことなの……。仲間はずれ? 悲しいわ。これはもう意地でも参加し続けるしかないわね!」
「んニャー……」
何故か奮起するミーネ。
どうしたものか、とリビラは困り顔になるが――
「みんな一緒なら……、か。確かにの、良いかもしれん」
そこでシャロがゆっくりとした口調でミーネに話しかけた。
「でしょう?」
「うむ。しかしのう、ミーネよ。たまには婿殿と二人きり――、もっと言えば独り占めしたいと思うこともあるじゃろう?」
「あるわね」
「そう、今皆で話しておるのはその時のことなのじゃよ。ではちょっと想像してみるといい。婿殿と二人っきりで仲良くしておるとき、婿殿が実は目の前の自分ではなく、ほかの誰かのことを考えておったらどう思う? その誰かといた方が楽しいとか思われておったら?」
「イラっとするわね」
「そうじゃ。この話はの、それと同じようなもので、婿殿と二人、一対一でじゃな、その時ばかりは自分のことだけを見てくれる貴重な一時、お互いに求め求められておる最中にじゃよ、これならアレサの方が――」
「誰か、シャロにゃんもつまみ出すニャ」
「なんでじゃ!? ワシなにも間違ったこと言っておらんじゃろ!?」
「すでに数名のぼせて置物になっちまったニャ! 変に想像をかき立てるような言い方はやめるニャ! つかニャーにだって冷静でいられる限界はあるニャ!」
会議は皆が落ち着くまでしばし中断となった。




