第754話 14歳(夏)…お姉ちゃんの嫁ぎ先(4/4)
打つ手無しか――。
そう立ちつくす俺に対し、ダルダンはぐわっと両腕を開いた。
「少年はいつも我が輩をシビれさせてくれるのであるな! 今回はぜひともこの感謝を伝えたいのである!」
「――ッ!?」
一瞬、必殺技かと錯覚するほどのその迫力。
熊の威嚇など目ではなかった。
「や、やめ――」
回避――、と警鐘を鳴らす本能。
だが遅かった。
俺は思いっきり抱きしめられ、筋肉の抱擁を受ける。
「ぐぉぉぉ――――ッ!」
肉体と精神に大ダメージ!
やっぱり必殺技じゃねえか!
このままでは廃人、一刻も早く逃れなければならないが、ろくに身動きもとれなくなった状態でどうしたら……、か、噛みつくか?
「気が向いたら存分に噛みついてもよいのである! 噛みちぎるほどに!」
「……!?」
むしろウェルカム……!?
ああ、だが考えてみれば当然のことだ。
こいつは真の『何でもあり』をゆくマゾ界の求道者。
処刑されて色んな意味で昇天する真性の変態なのだ。
「溢れんばかりの感謝を筋肉に乗せて伝えるのである!」
「そんなものいら、ら――、ぬぐわぁぁ! 筋肉を微妙に動かすんじゃねえぇぇ――――ッ!」
いったいどうしてそんなことが可能なのか、奴の筋肉は巧みな調整によって蠢くスライムもかくやと俺を呑み込もうとするようであった。
「ああぁぁぁ――――――――ッ!」
「父上ぇー!」
「父さまぁー!」
遠くロアとリアナの声が聞こえる。
隙を作ることは叶わなかったが、せめてこの情けない父がいたぶられている間に逃げて欲しい。
認めたくはないがこいつは無敵だ。
水平線の向こうに捨てようと、火口で焼却しようと滅びることのない究極のマゾなのだ。
ああ、ヴァンツ……、ヴァンツめ!
コレはいくらなんでも反則だろうに!
どれだけゲスな悪役でも、撤退するときはちゃんと倒せる敵を残して行くものだろう!
無敵はやめろ、嫌がらせってレベルじゃねえぞ!
「ぐ、ぐ、ぐふぅ……」
ヴァンツへの怒りで意志を保とうとしたが、それにも限界はあった。
筋肉に捕食されるような気色悪さに俺の精神はガリガリと削られていき、やっと開放された時にはもう立つことすらままならず地面に崩れ落ちることになった。
「我が輩の筋肉、堪能したであるか? 少年はもっと筋肉をつけたほうがよいのである!」
「……き、筋肉、こわい……」
ぶり返す筋肉恐怖症。
もはや心は折れかけている。
だが、ここで俺が挫けてはロアとリアナがこの変態の餌食となってしまう。そんなのはダメだ。二人を守らなければならないという決意が、どうしようもなく俺を突き動かす。
「……ふ、二人に手出しはさせない……! サドなら、サドになら俺がなる……!」
「少年は何か勘違いをしているのである。我が輩はただ、あの子らの内にある憎しみや悲しみを、我が輩にぶつけてもらおうとしているだけなのである。存分に我が輩を虐げることで心の整理をつけ、新しい道を歩めるようになってもらいたいだけなのである」
変態のお目当ては飽くまでもロアとリアナ。
退けない。
絶対に退けない。
例え相手が無敵のマゾであっても、俺に無限の恐怖を与える筋肉の塊であっても。
そして、これらすべてがヴァンツの思い通りであったとしてもだ。
「行かせない……、二人のところへは行かせないぞ……!」
地に伏しながらも俺はダルダンの足にしがみつき、筋肉への恐怖に抗いながら雷撃を放つ。
「喰らえぇぇ――――ッ!」
「おほぉおおおおおぉ……!」
渾身の雷撃――、普通なら拷問どころか死刑執行なのだが、こいつに限ってはご褒美にしかならない。
だが、今はその事実が役に立つ。
要は竜や鬼に酒を用意するようなもので、この『ご褒美』が与え続けられる間はこうして足止めが可能なのだ。
が、しかし、所詮は足止めでしかなく、おまけに追い払いたいのにおもてなしをしているという訳のわからない状態だ。
何かこいつを撃退する手段はないものか?
可能性があるなら精霊たちに協力してもらうなり、クッキーをもしゃもしゃ食べながら観戦しているシアをぶつけるなりする。ちょっと気がひけるが手でランシャの目を塞いでるシャフリーンにも手助けをお願いするだろう。
だが、そんなのマゾの前には無意味なのだ。
戦いが意味をなさない以上、ここは話し合いに持ちこみたいところだが、いざ対話を試みたところで意見が正面衝突するだけに終わるであろうことは想像するまでもない。あわあわしているアレサが平身低頭でお願いしても聞き入れることはないだろう。
……。
ところでルーロットくんがクマ兄貴の巴投げで宙を舞っているんだが大丈夫か。
「どうだ、満足か! 満足だろ!? 頼むからもう帰れよ!」
「ふぉぉぉ――――ッ! まだまだであるぅぅ! いやそうではなく我が輩はあの子らをぉぉ――――ん!」
「な、なんて奴だ……!」
わかってはいたが、雷撃と快楽のスパークに身を焼かれながらもまだロアとリアナを狙うその見下げ果てた根性には改めて脱帽する。
これはもうどちらが先に果てるかという根性比べ――。
そう覚悟した時だった。
「ち、父上をいじめるなー!」
「ロア!? ああもう、てやー!」
何と言うことか、ロアとリアナが俺を救わんと突撃してきたのである。
慌てて雷撃を止めると、二人は果敢にも変態をぽこすか攻撃し始めた。
「むふぉぉぉ――――ッ!」
ああ、だが逆効果だ!
やはりそこそこ育った俺と、大好物である幼い二人とでは攻撃に対する興奮上昇補正値が雲泥であった。
変態は得も言われぬ恍惚とした表情で興奮――、いや、それどころかなんか神々しい感じで発光し始めた!
「ふ、二人とも逃げろ、逃げるんだ! 爆発するぞ!」
「父上を置いてはいけません!」
「ロア、父さまを引っぱるわよ! そっちの足を持って!」
「うん!」
ロアとリアナはそれぞれ俺の足を引っぱり、ここから遠ざけようとする。
が、そこで変態がフッと消失。
「うわっ!?」
「ひゃあ!」
次の瞬間、ピッカピッカ光る変態は通せんぼするようにロアとリアナの前へと瞬間移動していた。
「二人が秘めた強い怒り、深い悲しみ、我が輩、確かに感じたのである……!」
「はわわわ……」
「ひぃぃ……」
ガクブルしている二人にはもう恐怖しかないが、変態にはそれがわからんのか。
「服であるが故に、着られたいと願う、それは当然のことである。それが叶わぬとなれば……、やはり我が輩にぶつけるだけでは晴らしきれぬ無念であるか」
変態は神妙な顔つきで目を瞑っていたが――、そこでカッと目を見開いた。
「であるならば、我が輩が君たちを着るのである!」
「「?」」
ロアとリアナはきょとんとした。
変態が何を言ったのか理解できなかったのだろう。
無理もない話だがこの変態は本気だ。
「我が輩とてそれは容易なことではないのであるが……、約束するのである。我が輩は何としてでも君たちを着こなし、その無念を晴らすとここに誓うのである!」
唖然としていたロアとリアナであるが、ここでようやく変態が何をしようとしているのか理解できたのだろう。
「い、嫌だ、嫌だぁ――――ッ!」
「ひぃぃ――――ッ!」
ロアとリアナは恐慌をきたした。
こんなガチムチに着られたら、いったい自分たちはどんなことになってしまうのか――。
そのおぞましい未来を二人はどれほどリアルに想像したのだろうか。
それがどれほどの精神的苦痛であったのだろうか。
「うあ……」
「くぅ……」
悲鳴を上げていた二人はそこでポヒュ~と擬人化がとけて服に戻り、ひらひらと頼りなく地面に落下した。
「んな!? ロア!? リアナ!?」
伏したまま二人を手にとってみるも反応を示さない。
これではまるでただの服だ。
「そ、そんな……!? ロア! リアナ!」
呼びかけても結果は変わらない。
まさかあまりのおぞましい未来に絶望して自ら消滅しまったのだろうか。
「せ、せっかく、せっかく戻ってきたのに……!」
二人はこれから――、これからだったのだ。
生まれてすぐに封印され、やっと抜けだしてきて、これから嬉しいことや楽しいことをいっぱい経験していくはずだった――、いや、そうでなければならなかった。
それを……!
「ヴァンツ! これが貴様の望みか! ただ着られたいと、そう願う幼気な服たちを、こんな恐ろしい思いをさせて消滅させることが!」
咆えるように俺は叫んだ。
すると――
「ええい人聞きの悪い。べつに消滅などしておらん」
応じる声はすぐにあった。
ヴァンツがのこのこと舞い戻ったのである。
「――ッ」
思うところは色々ある。
が、今優先すべきは二人の安否だ。
「ほ、本当か!? 二人は大丈夫なんだな!」
「ああ、精神的な負荷により気を失ったようなものだ」
「であるな。まさかそれほどまでに怒りと悲しみを抱え込んでいたとは……、我が輩がもっと早く――」
「「ちょっと黙ってろ」」
「むぅ?」
うっかりヴァンツとかぶってしまったが、今はそんなことを気にしている場合ではないし、変態に関わっている暇もない。
「まあそういうわけだが、さすがの貴様でもこれで理解しただろう。ここはもう俺に任せるしかないと。ほれ、さっさとそいつらを渡せ」
「ぐぐぐ……」
「渡さなければそいつらはそのままだぞ」
「お前が引き取れば……、二人はちゃんと戻るのか? また会えるのか?」
「そいつら次第だな。俺の元でしっかり学ぶなら、そのうち貴様のところに行くことを許可してやらんでもない。どうする?」
「ふと思ったのだが、我が輩が着ればその影響で元に――」
「「だから黙ってろ」」
あーもう、この変態どっか行ってくんねえかな。
「そうそう、ちなみに断ればアレグレッサの法衣はそのままだ」
「おま!? 封印せずにおくとか正気かよ!?」
「貴様が仕立てた代物なのだがな!」
「うぐぐぐ……」
こいつめ、まんまととんでもねえ切り札を手に入れやがった。
これからこいつは事あるごとに『法衣の封印を解く』という脅しをちらつかせてくるのだろう。
腹立たしいことこの上ないが……、今はそれを堪える。
「わ、わかった……、この子たちを……、頼む」
「はっ、貴様に頼まれるまでもないわ! そもそも貴様が素直に従えば何の問題もなかったのだぞ? くれぐれも反省するのだな!」
「ぐぎぎぎ……」
差し出した二着を受け取り言うヴァンツ。
確かにそうかもしれないが、もう俺が抗えないとわかって嫌みったらしく言う根性、やはり気に入らない。
さぞ気分が良いのだろう、ともすれば鼻歌でも奏でそうなほど満足そうな顔をしてヴァンツはアレサの法衣に再封印を施す。
「さて、では引きあげるとするか。お前もだぞ」
「我が輩もであるか!?」
「当たり前だ」
「いやいや、ちょっと待つのである! 我が輩、まだあちらの子らと触れ合えていないのである! せめてもうしばしの猶予を――」
「法衣を封印したからもう召喚の効果がきれるぞ」
「謀ったであるな!?」
謀ったも何もないと思うが、よほどショックだったのかダルダンは声を荒らげた。
するとそれがきっかけであったように、ダルダンの体はほどけるように光の粒子となって消え始める。
「なっ!? ま、まだ駄目である! 我が輩まだここに居たいのである! せっかくお宅訪問したのにセレス殿にも会えていないのである! それなのに、そんな、そんな……!」
ダルダンは必死になって光の粒子をかき集めようとするが、その悪あがきも虚しく崩壊は加速度的に進んでいく。
そして――
「あああぁぁぁぁ――――――――ッ!!」
変態は断末魔をあげ、絶望の内に消滅した。
本来であれば大喜びするところだが、奴のあまりの取り乱しように俺は唖然とするばかりだ。
「俺、あれが苦しむの初めて見たんだけど……」
「俺もだ」
「マジかよ!?」
偉業だ。
こいつのことは気に入らないが、この偉業だけは素直に讃えなければならない。
「俺だけでなく他の神々からも重大な用件も無くここには出向くなと言われているからな、今回の召喚はよほど嬉しかったのだろう」
「だからこそ悲しみ、そして苦しんだのか。と言うことは――」
「やめておけ。それすら喜びだしたらもう目も当てられん」
「……」
なるほど、喜びを取り上げられることにすら喜びを感じるようになる可能性もあるのか。
「さて、では今度こそ戻るとする」
「……くれぐれも二人を頼むぞ」
「わかっている。あれに余計な手出しはさせん」
ヴァンツはうんざりした顔で応えると、服に戻ってしまったロアとリアナを連れて姿を消した。
「行ってしまったか……」
二人がまた元気な姿を見せてくれる未来が近いのか、それとも遠いのかはわからない。だが二人なら陰険な奴の試練を乗り越え、再び俺のところに戻ってきてくれるはずだ。
「待っている……、待っているぞ……!」
神域に戻されたであろう二人に俺はそう呼びかけた。
「おねい、このお屋敷っていつもこんな感じなの?」
「違います。今日はたまたまです。本当にたまたまです」
△◆▽
その後はとくに異変も無く穏やかに過ごしたのだが、妹弟を送り届けて戻ったシャフリーンの顔がちょっと恐かった。
どうしたのかと尋ねるのも憚られたため、俺は自主的に正座をしてシャフリーンからの言葉を待った。
「御主人様、あの子たちの常識をおかしくしてもらっては困ります……」
「ごめんなさい……」
苦言を呈された俺は素直に謝るしかなかった。




