第748話 閑話…悩める男
主人公の知らない日常のひとコマ。
光りあるところに影がある。
それは栄光に包まれたレイヴァース家とて例外ではなく、ぬぐい去れぬ陰りは確かに存在した。
「うぅ、ボクはいつまでメイドをやっていればいいのでしょう……」
深夜のレイヴァース家、食堂にて酒を嗜むのはパイシェ、そして子竜のサニアにしがみつかれるデヴァスであった。
このささやかな酒宴、きっかけはロークの誘いであり、始めこそ楽しげなものであったが、ふと、ロークが不安を口にしたことから様子が怪しくなり始めた。
「息子が俺とリセリーの出会いを物語にして広めようとか言いだしていてつらい……」
それは自身がやたらに注目されるようになった関係上、親にも世間の目が向けられるが故の配慮――一般に流布されたロークの不名誉な噂を濯ぐべく考案された試みであったが、この通り当人の反応はかんばしいものではない。
「そんなの広められたら、もうお外でられないお……」
実際のところ、それは一つの英雄譚。
滅びの運命にある小さな都市を舞台とした、ロークとリセリーの出会いの物語。
これを広めることにより、あまりに誤解されてきたロークの評価はいっぺんにひっくり返る可能性もあるのだが……、当人はそんなの恥ずかしいとひどく嫌がっていた。
親子揃って讃えられることが苦手――、あるいは、父親に似たからこそなのだろうか、とパイシェとデヴァスは思いながらロークを慰めていたが、そこからロークは妖精庫から持ちだしてきた謎の酒をかぱかぱとあおり始め、そして早々に酔いつぶれることになった。
パイシェとデヴァスはロークを部屋に運んだあと、少し飲み直して解散することにしたのだが……、今度はロークの陰気さに当てられたパイシェが悪酔い――愚痴をこぼし始めたのである。
酒に強いデヴァスは貧乏くじであった。
「メイドについて学ぶという名目上、辞めさせるに辞めさせられないとは難儀な話ですね。今となってはここに人を送り込むことが難しくなっていますし」
「そうなんです。それは軋轢を生むことになります。なんせシアさんが婚約者でしょう? ここに女性を送り込むのは意味が無いどころか悪手なんですよ、むしろ」
「まず間違いなく他からも文句が来ますね。ザッファーナ、セントラフロ、ベルガミア、エルトリアあたりから」
ようやく落ち着き始めた屋敷に新参者――それもレイヴァース卿と縁を結ぶことを目的とした女性が送り込まれるなど迷惑以外のなにものでもなかった。
「はあ……、デヴァスさんはいいですよね、英雄ですよ。メイドを続けているボクとは違い、紛れもなく英雄です」
レイヴァース家で庭師を続けるデヴァスだが、世間的には決戦で活躍した英雄としてすぐに名を挙げられる者たちの一人となっている。
作戦の要として、ただ一人、瘴気領域の中心部へ挑んだその勇姿は各国の指導者たちが目にすることになり、そして死すら厭わず――、いや、死を乗り越えて任務を果たしたその姿は戦いに臨む精鋭たちに勇気を与えたのだ。
「いやいや、パイシェさんも英雄の一人でしょう?」
「確かに、ええ、確かに。しかし、ボクはやるせないのです……」
パイシェは何もデヴァスの功績の大きさをやっかんでいるわけではなかった。
ただ、堂々と人前に出られる立場を羨んでいるのである。
と――
「あぎゃあぎゃ」
大人しくデヴァスにしがみついていたサニアが騒ぎ出した。
「ああ、退屈させてしまったようですね。デヴァスさんはそろそろ休んでください。すみませんね、愚痴に付き合わせてしまって」
「いやいや、お気になさらず。溜め込むのは良くないですからね、また何かあれば遠慮せず誘ってください。私が何か聞いてもらいたい時に誘いやすくなりますから。それではお休みなさい」
「ありがとうございます。お休みなさい」
△◆▽
一人になったパイシェはそれからも酒を飲んでいたが、そろそろ思考がまとまらなくなってきたことを自覚して今夜は眠ることにした。
しかし――、そこに寝間着姿のアエリスが現れた。
「おや、夜更かしですか?」
「あー……、ええ、はい、少しばかり」
成り行きを説明するのは面倒であるし、そもそもアエリスが聞いて面白い話でもないためパイシェは曖昧な微笑みを浮かべてそう返すだけにとどめた。
きっとアエリスはすぐに興味を無くす。
そうパイシェは思っていたのだが――
「あれ、アエリスさん……?」
「もう少し夜更かししてもかまわないでしょう?」
「え、ええ、それはいいんですが……」
予想を裏切り、アエリスはパイシェの隣に座る。
「私も少しお酒を頂いてよろしいですか?」
「あ、はい」
お願いされるまま、パイシェは自分の魔導袋からグラスを用意すると謎の妖精酒の中で一番飲みやすかったものを注いだ。
「甘くて美味しいのですが、けっこう強いので少しずつどうぞ。酔いすぎてしまいそうなら残した方がいいです」
「ありがとうございます」
礼を述べ、アエリスはさっそくグラスに口をつけ妖精酒を含む。そしてちょっとびっくりしたように目を見開き、さらに口に含んだ。
どうやら気に入ってもらえたようだと、パイシェは安堵。
普段は努めて冷静であり、表情の変化が他の少女たちほど激しくないアエリスであるが、内面までそうでないことは屋敷の誰もが知ることであり、もちろんパイシェもそれに含まれた。
ちびちびと、それでも夢中で妖精酒を飲むアエリスを微笑ましく見つめながらパイシェはふと思う。
「アエリスさんは今後どうするんですか?」
普段ならば迂闊に立ち入れないと疑問を呑み込むところであったが、今夜のパイシェは酔っていた。
「今後……、ですか?」
「ええ、ここにいると麻痺してしまうんですが、アエリスさんは公爵家のご令嬢でしょう? 今はリオさんの補佐として留まっていますが、公爵家としてはいつまでもその立ち位置にしておくわけにはいかないんじゃないかなと」
このパイシェの疑問にアエリスは少し考えた後、けっこう残っていた妖精酒をぐいっと一気に飲み干した。
「あ、あの、そんな一気に飲んでは――」
「パイシェさんの疑問はもっともですが、実はそうでもないのです」
「……そうなのですか?」
「はい。そうなのです。ここ最近リオは迷っていましたが、ようやく女王になる覚悟を決めました。もちろんまだ先の話ですが、女王となったリオはこの屋敷ばかりに留まることはできません。エルトリアとこの屋敷を行き来する生活を送ることになるでしょう」
もしかすると精霊門が無ければ女王にならなかったかもしれませんね、とアエリスは悪戯っぽく微笑んだ。
珍しい。
少し酔いが回ってきているのかもしれない。
「そうなると、リオの代わりに国に留まる、あるいはリオが国に留まる場合こちらへ連絡を入れるなどといった仕事をこなせる者が必要になります。当然、その人物はエルトリア王国と深く関わりを持ち、リオの信頼を得ていなければならず、精霊門でもってこの屋敷の訪問を許されている人物でなければなりません」
「なるほど……、一人しかいませんね」
「はい。一人しかいないのです」
求められる役割がある――。
そこは少し自分と似ているな、とパイシェは思う。
「パイシェさんの方はどうなのですか?」
「え、ボクですか?」
「はい。いずれメイドとしての任が解かれたとき、どうするのかと思いまして。メルナルディアへ帰国してしまうのですか?」
「そう命じられた場合は……、そうなるかと。ただ、それきりということはないと思います。ボクはメルナルディア所属の軍人ですが、闘神より加護を授かった闘士長としての役割があります。リマルキス陛下もこれは無視できませんから」
「パイシェさんとしては残りたいのですか?」
「そうですね……、ここは居心地が良いですからね」
そう告げ、しかし苦笑するパイシェ。
その陰りに気づいたのだろう、アエリスはさらに尋ねる。
「何かまずい事でもあるのですか?」
「いや、そういうわけではないのですが……」
このまま濁してしまうのは簡単なこと。
しかし、相手はこれまで指導役として世話になってきたアエリスだ。
このレイヴァース家で一番関わってきた彼女が案じてくれているのに、ここで誤魔化してしまうのは気がひけ、パイシェは正直に話すことにする。
「アエリスさん、ボクは自分が恵まれた立場にいることはわかっているんです。任務とあらば直ちに応じるのが軍人。いえ、レイヴァース卿の元で働けるなら、喜んで女装するという男たちも多いでしょう。ボクはとても恵まれている。それは間違いないんです」
きっかけはカルロ――悪神の提案であったとしても、レイヴァース家に来たことで数々の『物語』に関わることになった。それは国に留まっていては決してできなかった体験であり、彼を主人公とした英雄譚を構成する登場人物の一人になれたことは誇りでもある。
「結局、ボク自身の問題なんですよ。ずっと女の子のようだと、そう思われてきたことに対する反発があるからこそ、この恵まれた状況でも悩んでしまう。なかなか受け入れられない。つまりは……、ボクは自信が無いのでしょう。だから男らしい逞しさを求め、そしてそうあるべきと自分に言い聞かせてきたのだと思います」
ここしばらく悩み、そして見つけた答えは『そんなもの』であった。
「男としての自信とは何なのでしょうね。男性にモテてしまうボクにはわかりません。これが女性にモテるのならまだよかったのかもしれませんが」
「モテないのですか?」
「モテません。ああいや、モテるモテないの話ではないのかもしれませんね。今は見る影もありませんが、これでも国では厳格な軍人だったんですよ。ボク自身の理想を体現しようと頑張っていたんです。きっと恐れられ、近寄りがたかったんでしょうね」
はあ、とため息をつくパイシェ。
「ボクが情けないのは姿ではありませんでした。心の有り様だったのです。レイヴァース卿を見ているとよくわかります。まだ子供と言ってもいいような方ですが、もう侮るような愚か者はいません。それはその行動、その精神で世に知らしめたからです」
喋り過ぎているという自覚はあったものの、一度話し始めてしまうと言葉はつらつらと口を突いて出た。情けない話なので先ほどデヴァスにも言えなかったことだったが、十歳以上年下の少女にこんな愚痴を聞かせることになってしまいパイシェはますます落ちこんだ。
「ボクがボクであるのは、自分から逃げていた結果。男らしく頑張る姿に固執していた結果。ボクは……、女々しかったのです」
悔いるように瞑目する。
パイシェは悲嘆していたが、それを慰めるのが酒の務め。己の弱さを吐露したことで張っていた気が弛み、パイシェは急速に酔いに呑み込まれ意識があやふやになっていく。
「すみません、つまらない話をしてしまって。ずいぶん酔ってしまったのでボクは――」
と、立ち上がろうとするパイシェであったが、不意にアエリスに頭を撫でられたことで中断する。
「あ、あの、アエリスさん……?」
「もう少し、このままで」
酔っぱらって弱音を吐き、ずっと年下の少女に慰めてもらうとかどうなんだ、とパイシェは少し悲しくなったが、こうして撫でてもらうことで心が安らいでしまうのもまた事実。
ただ……、まずい。
眠いのだ。
もうあまりにも眠い。
「パイシェさんは女性にモテないわけではないと思います」
「誰が、こんな情けないボクと……、お近づきになりたいと、思うのか……」
かろうじてパイシェは答えたが、そこですとんと意識がとぎれた。
パイシェが寝入ってからもアエリスは頭を撫でていたが、やがてその手を止めると微笑んだ。
「私はよく知っていますよ。貴方の弱いところも。情けないところも」
アエリスはしばし優しげな表情でパイシェの寝顔を見つめていた。
が――。
急に普段の冷静な表情になると、ゆっくり食堂の入口へと目を向ける。
「にやにや、にやにや」
そこにはこそっと様子を窺っていた、邪悪な幼なじみの姿があった。
「これはもうちゅーかな? ちゅーかな? 大丈夫大丈夫、私はアーちゃんを応援するから。親友として、それはもうばっちり応援しちゃうんだから。でもパイシェさんって、ご主人様と仲良しで、闘神の加護持ちで、決戦の英雄だし、そんなこと心配しなくても全然平気かも! うふふ、私の方はおかげさまで目処が立ったし、これからアーちゃんは自分の――」
「覗き見とは趣味が悪いのではありませんか、我が女王。これはもう目を潰すしかありませんね」
「こわっ!? アーちゃんこわっ!」
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2022/07/20




