第731話 14歳(春)…幸せな日々のために
背後から皆の呼ぶ声が聞こえてはいた。
しかしパニックを起こした俺が立ち止まることは無く、無我夢中で王都エイリシェを走り回る。
そしてどこをどう走ってきたのか、ヘロヘロになった俺は少しばかり見覚えのある公園へと辿り着いた。
ぜーはーぜーはー、息を切らし、ばくばくする心臓に手を当てながら少し休もうとベンチに腰掛ける。
やがて呼吸が落ち着き、ようやくものを考える余裕が生まれたのだが――
「くっ、くぉぉ――――ッ!」
自分の身に起きたことに俺は悶えた。
ヴュゼアとの会話がクマ兄弟を介して皆に知られてしまったのだ。
この事実はどうにもこうにも俺の心をかき乱し、ベンチから転げ落ちてのたうち回るほどの大ダメージとなった。
「こ、こんなはずでは……、こんなはずではぁぁあん……!」
しばし地面をごろごろ。
大地の雄大さを全身で感じ取る。
完全に不審者であるが、他に誰も居ないので問題は無いだろう。
俺は心ゆくまでのたうち回り、もうどうしようもない現実を渋々受け入れる感じで落ち着くと、のっそり起きあがって再びベンチに腰掛けた。
状況は逼迫している。
荒ぶる気持ちを落ち着かせ、数年かけてゆっくり皆と打ち解けていく計画はぶち壊し――、いや、それどころかこれまで懸命に隠し通して来た『ロマンティック・バイオレンス問題』も明るみになってしまったのだ。
あの場はパニックを起こして逃げてしまったが……、こうなった以上、覚悟を決めると言うか、諦めると言うか、開き直ると言うか、ともかく、もう逃げ回っても仕方ない。
いや、逃げてはいけないのだ。
咄嗟に逃げてしまったのは仕方ないとしても、ここからさらに本気で逃げ回るというのは、ようやく告げることの出来た気持ちを蔑ろにするものである。
とは言え――
「どんな顔して戻りゃいいんだこれ……!」
あの場から逃げない方が良かったかもしれない。
こういう場合、時間を置くと余計に戻りづらくなるとは分かっている。
それにきっと皆は俺が戻るのを待っているはずだ。
俺程度、捕まえようと思えば皆ならすぐに捕まえられるに違いなく、にもかかわらずこうして一人で居られるのは、おそらく俺が落ち着くのを待ってくれているからだろう。
「少し……、落ち着いてきたか」
少し冷静になった俺は、改めて状況を把握する。
どうしてバスカーがプチクマを乗せてあの場に現れたのか、それはまったくの謎である。あいつらが自主的にタッグを組んでやってきたとは考えにくい。おそらく、誰かの指示によって俺の様子を確認しようと派遣されたのではあるまいか。とは言え、少なくとも隠し撮りをしようとしたわけではないと思う。でなけりゃあんな堂々と姿を現したりはしないはずだ。
結局のところ、タイミングが悪かった――、ということなのだろう。
プチクマに見られたのはほんの数分程度。
しかし数分であっても、話していた内容がなかなか致命的だ。
「俺がこんなこと考えてるとは、皆にしてもびっくりか……」
何しろ隠し通してきたからな。
こんなことなら、封印されていた恋愛感情が戻った、くらい伝えておけばよかったかもしれない。
気にするほどのことでもないと、シアにも言っておかなかったのが災いしたようだ。
しかし、いまさらそれを悔やんでも仕方ない。
今、必要なのはお家に帰る覚悟、色々とバレちゃったこの状況で皆の前に立つ勇気である。
うん、わかってはいる。
だが思考でどう制御しようとしても気持ちが、心が。
こんな時に蘇ってくる、告白したら土下座されたトラウマ。
厳密には俺ではないのだが、俺からしたら自分の体験のようなものである。
もしみんなにゴメンナサイされたら……、死ねるな。これは死ねる。
もしショックで心肺停止なんてことになったらあれだ。
世界を救った英雄――、フラれて死ぬ。
こうである。
色んな意味で後世まで残るなこれは。
「どうしたら……!」
顔を両手で覆い、うなだれて呻く。
どうすればいいのかが分からない。
いや、やることはわかっているが、行動の結果がまったく想像できないせいで恐くて前に進めない。
これは思考戦じゃないから、読み勝ったら勝利とかそういうのじゃないから、気持ちの問題だから。
答えが出ないまま俺は顔を上げる。
そしたら目の前に屈強な半裸のマゾ――ダルダンが立っていた。
「くたばれぇぇ――――ッ!」
「ぬおぉぉ――――ッ!?」
何故ここにダルダンが居るか、そんな疑問は後回しで、とにかく始末せねばならないと俺は強雷撃をぶっ放した。
これでもかと浴びせかける雷撃に、ダルダンは苦悶の叫びを上げながらその逞しい肉体を激しく痙攣させる。
しかし倒れない。
全然倒れない。
「は、話を聞くのであるああるあぁぁぁ――――ッ!」
しぶとい。
さすがに町中でバリバリぶっ放し続けるのはまずいと放電をやめたところ、ダルダンはそのままビクンビクンと身震いを続け、やがて「ふう」とひと息ついて言った。
「終わりであるか。少しばかり名残惜しいのである……」
攻撃した甲斐はあまりなかったようだ。
やはりこいつを始末するとなると、どっかの火口とかに放り込むしかないのだろう。
デヴァスに配達をお願いせねば……。
「で、何だ。今おまえに付き合ってる暇は無いんだが」
「そう時間は取らせないのである。実は我が輩、少年にこれまで秘密にしていた事を伝えねばならぬと、こうして現れたのである」
「秘密だぁ? 何だ、実は被虐趣味が演技だったとか?」
「冗談でも言って良い事と悪い事があるのであるッ!!」
「怒られた!?」
どう罵ろうと喜ぶばかりの変態にも、ちゃんと怒るポイントがあったことに俺は衝撃を受けた。
「じゃ、じゃあ何だよ、唐突に現れやが――……、ん?」
ふと、何か引っかかった。
この変態は急に現れた。
足音も無く、本当に唐突にそこに居たのだ。
そして俺は、こうやって突然現れる連中を知っている。
「ちょっと待て……、え、おまえって神だったりする……?」
「おお、さすがであるな少年。これまで黙っていたのだが、実は我が輩、神なのである」
「被虐の神か……、とんでもない神もいたもんだな……」
「んんー、そうではないのである。我が輩としてもそれが相応しいと思うものの、そうはならなかったのである」
そうダルダンは言い、遠い目をして明後日の方向を見つめる。
「悪神がまだ一人の王であった頃、我が輩はその王により処刑されることになったのである。それは実に様々な責め苦を与えての見事な処刑であり、我が輩は喜びの内に色々な意味で昇天したのである。しかし、被虐の神にはならなかったのである」
「王だった頃の悪神に処刑された……? ん? 悪神が反勢力の旗頭になった古い知り合いを処刑してたとか言ってたような……」
「それが我が輩である」
「ふざけんな! なら善神ってことになるじゃねえか! おまえ冗談でも言って良い事と悪い事があるぞ!」
「怒られても事実なのである!」
「えっ、本当なの!? ちくしょう、これまでけっこう感謝してたのにおまえが善神だと!? 俺の感謝を返せ! おまえみたいなのが善神だと聖都にバレたら即日改宗だ!」
「それは切ない話である。そして……、ある種の恍惚を予感させるものでもあるな」
「聖都の人たちが不憫でならねえよ……!」
自分たちがコレを祀っていると知った時、やはり改宗か? いや、あそこの人たちって結構アレなところがあるから……、案外受け入れてしまうかもしれない。
「ま、まあいい、神は変人ばかりだからな、もうおまえが善神だからとかそのへんのことはどうでもいい。で、何の用だ」
「用件はもう済んだのである」
「済んだって……、はあ? 自分が善神だって、わざわざ伝えに来ただけなのか?」
「その通りである」
「もうちょっと時と場所を選んでくんねえかなぁ!」
どうしてこの頭抱えてる時に、わざわざ邪魔するみたいに現れやがるんだ。
「くそっ、神となると火口に放り込んでも意味無いし……、どうすりゃいいんだ……」
「少年、思考が口から漏れているのである。それでは驚く楽しみが減るのである」
「本当にどうすりゃいいんだ……!」
今はこんなのに付き合ってる場合じゃないのに……!
「まあ落ち着くのである。我が輩が思うに……、このところ少年は正気を失っていたのである」
「おまえに言われたくねえ!」
「そうであるか? しかし、こうして我が輩と会話することで、ずいぶんといつもの少年に戻ったのである。今なら、少しは冷静に物事に対処することができるはずなのである。正気を失ったままでは、まとまるものも、まとまらなかったはずであるからな。では、我が輩はもう去る故、後は皆でゆっくりと話し合うのが良いのである」
「ああ帰れ帰れ――、って、皆?」
きょとんとする俺に、ダルダンは満足そうにゆっくりと頷く。
「少年は我が輩では止められなかった悪神を止めてくれた、そのお返しにちょっとした礼をしようと思ったのである。ほんの些細なお節介である」
そう言ってダルダンはふっと消え失せた。
そしてダルダンが消えたことで、その向こうに集まっていたお嬢さん方に俺はやっと気づくことになる。
「……!?」
また奇声を上げて走りだしそうになるが、それはベンチから腰を浮かしたところで何とか堪えた。
集まっているのはシア、ミーネ、アレサ、シャロ、コルフィー、ジェミナ、サリス、ティアウル、リビラ、シャンセル、リオ、ヴィルジオ、シャフリーン。
皆は離れた位置で留まったまま、俺の様子を窺っている。
俺を刺激しないようにという配慮なのだと思うが……、その中で一名、ヴィルジオだけは懸命に首を動かして藻掻いていた。足が地面から浮いていることからして、ジェミナの念力で拘束されているのだろうとなんとなく予想する。
と、そこで皆の中からバスカーがこちらに駆けてきた。
「……ん? 手紙?」
バスカーは口に折りたたまれた紙を咥えている。
手紙を受け取り目を通すと、そこには先ほどの事についての事情説明が記されていた。
「そうか、セレスが寂しがって派遣したのか……」
手紙にはセレスを悪者にするつもりはまったく無いが――、とあり、それからセレスが俺を見つけたことを皆に報告しようとした結果、ヴュゼアと相談している様子を目撃することになってしまったことが綴られていた。
釈明のために慌てて精霊門で移動した結果、俺を驚かせてしまったことへの謝罪もある。
手紙へと落としていた視線を上げると、離れた位置で不安そうにこちらの反応を窺っている皆の様子が見えた。
事情はわかった――。
そう告げるように頷いて見せると、皆の雰囲気が少しやわらぐ。
しかし俺にとっての問題はここからだ。
手紙には俺の発言をどう思ったか、それについては一切書かれていなかった。
これについては自分の口で伝えるべき、と考えているのかもしれない。
そう考えていたところ、皆の中から緊張した面持ちのシアがそろりそろりとこちらに向かって歩き始めた。
皆がまだそこに留まったままなのは、全員で近づくと俺がびっくりして逃げてしまうかもしれないと考えての事だろう。
皆の代表としてじりじり迫ってくるシア。
このままベンチに座ってシアの到着を待ってもよかったが、ここは自分も歩み寄るべきだろうと俺は考え、ゆっくりと立ち上がる。
するとシアは一瞬ビクッと立ち止まったが、すぐに再びじりじりと俺に近づき始めた。
俺もまた、じりじりとシアに近づいて行く。
……。
うん、なんでこんな猫同士の初コンタクトみたいなことになってるんだろうね?
この場合、俺が群れに加わる新参猫ということだろうか?
と言うことは、このコンタクトを成功させないと、俺って家に帰れないの?
一応、俺が当主なんだが……、いや、この際、そんなことは何の意味もないのだろう。
皆が固唾を飲んで見守るなか、俺とシアは時間をかけて接近を続け、とうとう、もう一歩踏み出して手を伸ばせば相手に届く距離にまで歩み寄ることになった。
俺とシア、どちらからともなく歩みが止まる。
そして睨み合い――、ではなく、見つめ合い。
「……」
と、そこでシアがそっと手を伸ばし、俺に人差し指を向ける。
これは……、そうか、指先が光りこそしていないが、間違いない、宇宙的コミュニーケーションである。
俺もそっと手を伸ばし、シアの人差し指に自分の人差し指をくっつけようとしたのだが――、そこでふと思う。
そう言えば映画で指をくっつけ合うシーンなんて無かったな、と。
瞬間――。
がっ、と。
シアが俺の手を掴んだ。
そして叫ぶ。
「確保ぉぉ――――――――ッ!」
その叫びを合図に、様子を見守っていた皆が一斉に突撃してきた。
俺はあっという間に揉みくちゃである。
あ、ちょっ、あらやだ、これちょっとしたヘブンですよ。
もう何だかわからなくなって、とりあえず幸せな気分に浸ろうとしていたその時――
「あんちゃんあんちゃん! あたいもあんちゃんのこと好きだからな、大丈夫だぞ! 結婚な!」
「んん!?」
「ジェミも、ジェミも!」
「んんんん!?」
突然、ティアウルとジェミナに告白された。
「あっ、ティアさん! ジェミナさん! 順番を守ってもらわないと! まずはシアさんからって決めたじゃないですか!」
そんなちびっ子二人をサリスが窘める。
ちょっとよくわからない……。
順番ってのはまさか告白か? それが最初はシアだったということは……、ってかここに集まったお嬢さん方、全員……?
びっくりして目をぱちくりしていると、目が合ったリビラがのんびりした笑顔でうなずく。
「まあそういうことニャー」
「そ、そういうことなんだぜ、ダンナ」
そう言うシャンセルはめっちゃそっぽ向いている。
「わしも改めてするからの! 今度はちゃんと返事してもらうぞ!」
そう言えばシャロにはずっと結婚を申し込まれ続けていたようなものだったか。
「あ、私も返事はもらってなかったわ。じゃあシャロのあと、最後にもう一回するわね」
ミーネさん、あなたまで……!
「ぬぉぉぉ……!」
と、状況がより一層混迷を極めるなか、ヴィルジオはシャフリーンに羽交い締めにされていた。
「放って置くと逃げてしまわれますので。私はヴィルジオ様の後ですから、ここで居なくなられては困るのです」
「くぉぉぉ……!」
ヴィルジオは懸命に藻掻くが、シャフリーンに動作の先読みをされて見事に封じ込まれている。
「ふふ、ヴィルジオさんたら、ずいぶんと可愛らしくなってしまってるんですよ? あ、ちなみに私はヴィルジオさんの前です、どうぞよろしく!」
そう言ったのはリオで、それにコルフィーが続く。
「シャフリーンさんの後はシャンセルさん、アレサさんで、そして私です。兄妹でも充分だったんですけど、もし叶うならと……、えへへ」
少し恥ずかしそうに笑うコルフィー。
そしてその隣にいる、顔を手で隠しっぱなしのアレサ。
「はう……、はうぅ……」
その様子を見ているだけでこっちも照れてくる。
そして、未だ俺の手を掴みっぱなしのシアはと言うと、実に神妙な顔をして俺を見つめていた。
と、そこでサリスが言う。
「では皆さん、少し離れましょう」
皆はこれに従い、俺とシアを囲んで小さな輪となった。
「じゃあシア、頑張ってね」
「頑張れな!」
「頑張るニャー、ニャーたちがついてるニャー」
シアへと送られる皆の声援。
なんだこの状況……。
戸惑いながら周囲の顔ぶれを見回し、それからシアを見る。
と――
「ご主人さま」
「お、おう」
「こう聞いてもいまいち信じられないかもしれませんが、私はご主人さまが幸せな人生を歩めればいいなと思っていたんです」
落ち着いた声でシアはそう告げてきた。
「お、おお? そうなのか?」
「そうなのです。例え私が近くに居られなくても、かつて私であった半身、私が望んでそうした初めての友達……、あなたには幸せであってもらいたかったんです。そう想う義務が、私にはあると思っていたんです。すべては私の迷い――、揺らぎが始まりだったので、それが償いになると考えていたんです」
この場で言ってしまってよいのか判断の難しい事までシアは喋っていたが、今はちょっと止められる雰囲気ではない。
「ですが今は……、欲が、出ました。ご主人さまが幸せになればいいと思う事に変わりません。ただ、叶うなら、その幸せの中に私も居られないか――、いえ、ご主人さまの幸せの一つになれないか、そう思うようになったんです。大騒動の引き金になってしまった私ですけど、それでも、これからは……、って。も、もしそうなれたら、いいなって思うんです。だって、こんなに側に居るのに、こうして手を握っていられるのに、見守るだけなんて切ないじゃないですか。だから――、ああいえ、そうじゃなくて、聞いて欲しいんです。私はご主人さまのことが――……」
と、シアはそこまで語り言葉を止める。
そして――
「にゅぁぁ――――ッ! やっぱり無理ぃぃ――――――ッ!」
シアはバビューンと高く高く跳躍。
皆の包囲から脱しようとした。
が――
「ジェミ、シアは無理。シャロ、お願い」
「うむ、任された」
シャロが人差し指と親指で摘むような仕草をすると、落下を始めていたシアが連動して空中に固定される。
シアは懸命にジタバタしたが、シャロの空間魔術には意味をなさず、そのまま元の位置――俺の前へと戻された。
「……ッ! …………、……ッ!」
逃走に失敗したシアは半泣きの赤い顔で、ぷるぷる震えながら俺を睨むように見つめるばかりだ。
おそらく……、シアの中では尋常でない葛藤が起きているのだろう。
今の俺ならばそれが分かる。
そして分かるからこそ――、ここまでシアが頑張った今、俺も応えないといけないと感じた。
ただ……、なんだろう?
おかしいな。
俺は皆と仲良くするにはどうしたらいいのか悩んでいたのに、どうして結婚を申し込むことになっているんだろう?
わからん。
本当にわからん。
わからんが……、困ったことに悪い気はしなかった。
それはきっとこれまでのような幸せな日々が、これからも続いてくれると何となく予感できたからだろう。
「なあシア、俺と――」
これにて『おれの名を呼ぶな!』は完結となります。
ここまで読んでくださった読者の皆様には心からの感謝を。
よくぞこのヘンテコな話を最後まで……。
本当にありがとうございます。
今後は新しい話を考えつつ、何か思いついたら後日談に追加していこうかと思っています。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/12/23
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/01/28
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/03/09




