第727話 閑話…捕らぬタヌキの皮算用
ヴィロック。
これが彼にとって本来の名前であるとされたものの、これまで名を呼ばぬよう努めていた者たちにはいまいちしっくりこず、そしてまた、呼ばれる彼自身も違和感を覚えるのかやや戸惑いがちに反応するという有様であった。
しかし、いずれは慣れ、違和感も消えるだろうというのが皆の見解であり、これについては特に気を揉む必要も無いことである。
問題なのは、これとはまた別の違和感。
いや、もういい加減、遠回しに言う必要も無いだろう。
「ご主人さまが異性を意識するようになっています」
淑女同盟緊急会議。
進行役はシア。
参加者はミーネ、アレサ、シャロ、それからコルフィー、ジェミナと続き、あとはメイドのサリス、ティアウル、リビラ、シャンセル、リオ、ヴィルジオ、シャフリーン、そしてここに見届け人としてシャロが巻き込んだリィが加わっての十三名である。
会議の開催が宣言されたあと、シアが告げたことに十名が「うんむ」と深く頷いた。
頷かなかったのはリィ、それからミーネとヴィルジオだ。
リィはわかっているが同調する必要もないと思い、ミーネはお菓子を食べるのに夢中、ヴィルジオはこの会議に参加していること自体に戸惑っているようでちょっとまごまごしている。
「皆さんも気づいていましたか」
「そりゃまあ気づくニャ」
シアの発言にリビラが同意すると、これにシャンセルが驚いた。
「あれ、お前らすぐわかったのか? あたしはちょっと時間がかかったんだけど……。なんか最近ダンナが挙動不審だなって思ってて、そのうちあれ、もしかして、って感じで」
「あ、私もそんな感じでした。なんて言うか、ご主人様にちょっと距離を置かれている感じがして、もしかして気づかない内に嫌われるようなことしちゃったのかなって思って、結構ヘコんでたんですよ。アーちゃんに相談しても可哀想なものを見るような目を向けられるばっかりで、助言とかも全然してくれなかったんです。一応、好きって叫びながら抱きつけば解決するとか言われたんですけど、それはさすがに……」
彼の変化にはすぐに気づいたものの、その理由に思い至るまでにはそれぞれ時間を必要とした。
実は切り出したシアも、同意したリビラも、確信を得たのはつい先日でしかなかったりするのだが、さも皆より気づくのが早かったような体でいるのはただのさもしい見栄である。
「私もリオさんと同じくちでしたね。ちょっと落ちこみました。誰かに相談するのも不安で、もしかして皆で一緒に就寝するのをやめたのは私が居るからではないかとも考えたんです」
憂鬱であった日々を思い出すようにサリスが言うと――
「一緒の就寝だけでなく、朝の触診も必要ないと断られたときは目の前が暗くなりました……」
よりいっそう憂鬱そうな顔でアレサが言う。
「ニャーもせっかく触れ合いが増えるよう誘導してきたのに、ここで一掃されたのはがっかりだったニャ。でも裏を返せばそうしないと落ち着けないくらい意識しているってことだニャ」
つまりそれは、現在ちょっと距離を置かれているからこそ脈があるという証明なのである。
するとここでジェミナが口を開いた。
「でも、でも、ジェミは増えた。撫でられるの。なんか」
「そう言えばあたいもー」
このちびっ子組の発言に「何だと……」とざわめく者が数名。
「なるほど……、手を出しやすいところでそれとなく、というところですか。まったく兄さんは。妹の私もそこに含めたらいいじゃないですか。ねえシア姉さん」
そうコルフィーに話を振られたシアはというと――
「ど、どうでしょう……?」
ちょっと顔を背けながらそう呟くので精一杯。
「いや姉さん、どうしてここで戸惑うんですか……」
往生際の悪い姉。
いまいち頼りにならない。
一方――
「ど、どういうことじゃ……、わ、わしはさっぱり撫でられておらんぞ……!? 何故じゃ……!」
姿だけは一番のちびっ子がわなわな震えており、弟子に呆れた目で生暖かく見守られていたりする。
と、ここでこれまでなかなか会議に参加できなかったシャフリーンが発言した。
「私の場合は皆さんとは違いましたね。何しろ、わかるので」
『……ッ!』
そう言えばそうだった、と激震が走った者、多数。
最近、シャフリーンはミリメリアから離れ、ここレイヴァース家で暮らすようになっている。
これはミリメリアから暇をもぎ取ったわけではなく、彼女の婚約者であるアルザバートの勧めによってであった。
婚約していたミリメリアとアルザバートは、この世界が救われた最初の年となる今年――年内に結婚することが急遽決まり、現在は大急ぎで準備が進められている。
そこでアルザバートはミリメリアがシャフリーンに頼り切り――本当に頼り切りなのはさすがにまずいと危機感を覚え、シャフリーンが居ない状態にも慣れさせようと考えたのだ。
最初こそ盛大に渋ったミリメリアであったが、レイヴァース卿の今の状態をシャフリーンに報告された後は友を応援するためにもと、自由に活動――つまりレイヴァース家に留まっていられるよう、涙を呑んで頼り切りダメ人間からのリハビリに挑むことになった。
こういった経緯があり、シャフリーンはここしばらくレイヴァース家で一人のメイドとして活動しており、彼の変化を充分に感じ取ることができたのである。
「シャ、シャフリーンさん、貴方からは、御主人様はどのような感じだったのですか?」
サリスが尋ねると、シャフリーンは小さくため息をついて答える。
「そうですね、意志がちぐはぐな感じになっていました。側に居て欲しいと思いつつも、遠ざけよう、遠ざかろうとするのですから。実際に望み通り寄り添おうとすると逃げられますし……、いっそ捕まえて逃げられないようにしようかとも思いましたが、堪えました。御主人様は自分の気持ちに戸惑っています。ここは下手に手を出すのはよろしくないと。……もどかしいですね」
「なるほど……、御主人様自身、どうしたらいいのかわからないという状態になっているわけですか。これはうかつに刺激しても、御主人様をますます困らせるばかりになりかねません」
「少し落ち着くまでそっとしておいた方がいいかもしれないニャー」
「んだなー。変に追っかけて、混乱したダンナがどっかに逃げていっちまったら困るしな」
ひとまずこの問題は次の会議まで様子を見るということに決まる。
そして次に議題とすべき問題については、サリスの口から告げられた。
「御主人様に女性を送り込もうとする人が多すぎます」
大陸中の王侯貴族、富裕層が彼と縁を結びたがっている。
それは言い過ぎだが、叶うならば縁を結びたいと思っている者は少なくとも百はくだらない。これは事実だ。これまでに対処した手紙はすでに百をゆうに超えており、屋敷に届く以外――例えばサリスの父であるダリスの元に届くもの、そしてこの会議の参加者の親族に届くものも含めれば、さらに倍の数はいっているだろう。
それでも――、だ。
彼がこれまで通りならばまだよかった。
が、ここにきて――本当にどうしてこのタイミングでなのか、彼は異性を意識するようになってしまっている。
「この先、御主人様がこの屋敷や領内、それから迷宮庭園だけで生活するというのであれば良いのですが、さすがにそんなわけはありません。となれば、どこかで強引に接触しようとする者は現れることでしょう」
そのサリスの発言、つまりは『敵の排除』に繋がるのだが、そこで静観していたリィが見かねたように言う。
「いや、待った待った。あのー、さ、これを言うとこの会議がぶち壊しになるかもしんないんだけど……、お前らにあいつを縛る権利とか無いよな?」
『…………』
このリィの発言に、多くの者が押し黙ることになった。
「あー、えっと、うん、わかる。まあ気持ちはなんとなくだけどわかるよ。わかるけども、まずはっきりさせとかないと、さすがにあいつが気の毒なわけよ。はっきりさせたいけど、それがなかなかできないってのもわかる。わかるけど、ここはもうはっきりさせないと。ってかちゃんと言え。言わないと、たぶんアレ、いつまでたってもわからないままだから。いやまあ何でわかんねえんだよって話だけど、そこはもう諦めろ。惚れたお前らが悪い」
リィは集まった者たちを見回しつつさらに続ける。
「あいつからの告白とか無理だからな? いや絶対に無理ってことはないだろうけど、たぶんこれから年単位の時間がかかる。そこまで悠長にはしてられないだろ?」
年単位――。
このリィの予想を『そんな馬鹿な』と否定する者は居ない。
「なら、もうお前らから告白するしかないだろ。で、告白してだな、何とか押し切って婚約者くらいの立場になってだな、そこでやっとだよ。お前にはこれだけ嫁がいるんだからもういいだろう、女には気をつけろ、って言えるようになるのは。そうだろ?」
このリィの説教に悶え始める者が約半数。
これには進行役まで含まれていたため、今や会議は崩壊しかけていた。
「と言うわけでだな、あいつに女を寄せつけない相談の前に、まず誰から告白するか、面倒だからまとめて突撃するか、その計画を練るようにした方がいいんじゃないか? もう計画すら立てられないってんなら、私が勝手に順番決めて無理矢理にでもさせるが」
突然の告白計画。
身を硬直させたのは、主に悶えていた面々である。
「さて、自分が先陣を切る、って奴はいるか?」
「あ、ならあたいが行くな」
「じゃあ、ジェミ、次」
「お、お前らはいけるか」
いきなり一番手と二番手が決まりそうになったところ、悶えたり固まったりしていた進行役――シアが声を上げる。
「あ、あの! ここはクジ引きで決めるというのはどうでしょう!」
「なんで立候補してる奴がいるのにクジ引きが出てくるんだよ……」
「こ、公平に……?」
何が公平なのか。
公平とは何なのか。
リィはちょっと呆れたものの、状況自体は進んでいるのでひとまずクジ引きを認めることにした。
「すでに結婚を申し込んでおるわしはどうすれば……」
一名、この流れから弾き出されそうな者もいたがリィは無視。
ともかく、事態は冷静であることを求められる進行役が誰かに先を越されることを嫌ったがために言いだしたクジ引きによって、なかなか退っ引きならない状態へと放り込まれた。
「とりあえず、一番手の奴は今日――、あ、肝心のあいつが居ねえのか。えっと、どっか行ってるんだよな?」
現在、件の彼は昨日から不在となっている。
実のところ、その隙を突いてのこの緊急会議なのである。
「御主人様は現在ウィストーク伯爵家のヴュゼア様の所へ出掛けています」
彼がどこへ向かったかはサリスが答えた。
「ああ、ルフィアの旦那のところか。何しに行ったかは聞いてるか?」
「なんでも今後についての相談があるとか」
「それでどうしてルフィアの旦那の所へ?」
「詳しくは教えてもらえませんでした。しかしウィストーク伯爵家は『形なき王国の盾』、情報を扱うことに長けていますから、有名になりすぎた御主人様としては面白おかしく根も葉もない噂が広まらないようにするため相談しようと考えたのかもしれません」
「あー、なるほどな。でも一人で行ったのか?」
「はい。どうしても一人で行くと……。二、三日かかるかもしれないと仰っていましたし、もしかするともっと重要な案件ということも有り得ます」
「じゃあ今日も戻らないかもしれないのか……。セレスがますます心配するな」
姉が攫われてしまうという経験をしたため、すでにひと月以上経過した現在も、セレスは身近な誰かが不在になると少し不安になる。
昨日はまだよかったが、今日は捜索犬のつもりなのかバスカーを引き連れて屋敷をうろつき、出会う人やぬいぐるみ、妖精、精霊獣、魔獣に「ごしゅぢんさまはどこですか?」と尋ね回っていた。
「まあセレスには明日まで待ってもらうとして……、戻って来たらお前らはすぐに告白な」
『……ッ!?』
このリィの決定に、よしっと意気込む者、顔を引きつらせる者、それぞれの気持ちと思惑が渦巻き、会議はいよいよ危険な領域へと突入する。
かに思われたが――
「あ、私それ参加しなくていいから」
これまでお菓子をもごもごしていたミーネが言う。
これには誰もがきょとんとした。
「ミーネさん、本当に?」
「うん」
アレサが確認しても、ミーネはすんなり頷くばかり。
「あ、あの、どうしてです?」
「だって、もうしたもの」
『は?』
あっけらかんとしたこの暴露に皆は驚き、ぽかんとした顔で綺麗なハーモニーを奏でることになった。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/03/09
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2022/09/27




