第726話 14歳(春)…英雄の悩み
寝室のベッドの上で坐禅を組み、瞑想することしばし。
感じる。
俺の精神が鋼のように鍛えられ、何者にも乱されぬ心が今まさに誕生しようとしているのを。
だが――、しかし、ここでそれを阻止せんと誘惑の魔物が現れた。
そいつは風の魔術でもって器用に扉を開け、そのまま侵入してくるとベッドにぴょんと飛び乗り、俺の胡座にすっぽり収まるよう丸くなってごろごろ唸り始める。
「くっ……、精神が乱れる……!」
かつての――、そう、ひと月ほど前の俺ならば、でかい子猫一匹に乱されるような精神なんぞ鍛えようと無駄、そう断じたことだろう。そして遅れている冒険の書、その四作目の製作をとっとと再開しろと言ったに違いない。
なるほど、確かに。
だが無理だ。
今はちょっとお仕事どころじゃない。
「大仕事を遣り遂げたんだし、四作目は遅れたっていいよな」
「みゃん」
うむ、ネビアもその通りだと言っていることだし、冒険の書は後回しだ。
怒られたって知るもんか。
だってそれどころじゃないんだもの。
坐禅なんて組んで統一させようとしていた精神は、もうすっかり乱れきってしまったので、今日のところはここで諦め、現実逃避して目を逸らしていた問題についていつも通りに考えることにした。
俺は困っていた。
みんなが可愛いから。
そう、みんなが可愛いから、どうしたらいいのかわからなくって困っているのだ。
いやまあみんな可愛いのは知っていた。
でもわかっていなかった。
これについては――、いったいどう説明したらよいものか。
原因はアホ神の野郎が封印していた恋愛感情を解放したせいだ、それはわかっている。
復活してからの一ヶ月程度は、特にこれまでとそう変わらなかったので気にも止めていなかった。そう大した影響を及ぼすほどでもなかったのだと思っていた。だが違った。その感情が俺に馴染むまでに時間がかかっていただけだったのだ。
そしてここ一週間ほど、何かにつけて皆が気になる。
シアですら、ミーネですら気になるなんて、かつての俺が知ったら何と言うだろうか?
テレビに映ったアイドルとか女優とか、可愛いな、とか、綺麗だな、とか思うのはまあ普通のことだと思う。
これまでの俺はこれに近いものだった。
ところがだ、そのアイドルとか女優が実は自分の周りに居た――、いや、それどころか一緒に生活をしていたと気づいた、そんな状態になったとき、いったいどうしたらよいのだろう?
絶対的な隔たりがあったと思ったら実は気のせいで隔たりなんて無かった、そんな状況をどう受け入れたらいいのか。
「ああくそっ、アホ神め……、もうちょっと段階的に戻していくとかできなかったのか? 一気に戻すんじゃねえよ。ちょっとお話すんのにも緊張すんじゃねえか。これで皆が様子がおかしいって心配してきたら、俺はどう答えりゃいいんだ……」
いやー、実はみんなのことを意識しちゃってさー、とかは無理。
とてもではないが言えません。
これで皆に『このメイド好きめ、とうとう本性を現したな!』とか思われて避けられるようになったら、もう俺はバスカーに跨って死の荒野に旅立つしかない。
皆とは良好な関係を築けていると思っている。
少なくとも嫌われてはいないはずだ。
だからこの状態を崩してしまいかねないことは言えない。
名前はどうにかなったし、家族は元気だし、みんなは可愛いし、もうそれでいいじゃないかと思う。
でも意識しちゃうのはどうにもならない。
だって恋愛感情――、そう、感情、感情だから困るのだ。
ついさらに仲良くなれたらとか、楽しくお喋りしたりとか、もっとよく知りたいとか、思っちゃう、思っちゃうのよこれがまた。
要するに今の俺は皆のことが気になりすぎて気が散りまくり、とても仕事なんてできる状態に無いのだ。
そしてそれを懸命に隠し通し、本心に反してなるべく離れて一人で居るようにもしている。
何しろ、今の自分は信用ならない。
何かの拍子に「うひょー!」とか奇声を上げながら抱きついてしまう可能性だってある。
特にメイドのみんなに。
だってただメイド服着てるだけじゃなくて、本当にメイドなんだ。
それは効く。
あまりにも俺に効く。
まったく、自分の家にメイドさんだと?
ヤバいね俺、神かよ。
あ、神だわ。
いやそんなことはどうでもいい。
ともかく、皆の近くにいると危険なのだ。
誰だったら抱きついても許してくれそうとか、そういうことを考え始めるくらい気持ちに振り回されている。
屋敷の主だとか、恩人だとか、英雄だとか、そういうのを笠に着て強引なスキンシップを求めるのはよろしくない。
では自然なスキンシップなら?
いや自然なスキンシップってなんだよ。
まずそもそも、スキンシップってどうやったらいいものなんだ?
くそっ、わからねえ。
俺がこんなに困っているのに、かつての俺ときたらあれだ、抱きつくわ、一緒に就寝するわ、まったくとんでもねえタラシ野郎である。
許すまじ、かつての俺め!
「ぐぬぬぬ……! 昔の俺め……! 爆散しろ……!」
憤りを念として過去へと送ってみたが、俺がこうして無事に悩み続けていることからして効果は無いようだ。
まあともかく、俺はただみんなと仲良くしたいだけで、嫌がらせたり、悲しませたりしたいわけではないのだ。
いやまあ仲は良いんだけど、もっとこうね、笑顔にさせたいなとか思うわけだ。
なら何か贈り物とかしてみたらどうかとも思うが、動物に餌付けするんじゃないんだから、あからさまに俺らしくない物を贈ったとしても不審を抱かれるかもしれない。
これじゃあ逆効果だ。
なら美味しいお菓子とかどうだろう?
うーん、あまりカロリーのある食べ物を用意するのは深刻な溝を生む可能性もあるか。体重計とか封印すらされたからな。下手すると恨まれるかもしれん。ミーネは喜びそうだがこれはダメだな。
なら前にも贈ったことのある服――、いや、これもまずい。
俺にサイズとかばっちり把握されることを皆は歓迎するだろうか?
もしかしたら『野郎、仕立てにかこつけてサイズを調べにきやがったな!』とか思われてキモがられてしまうかもしれん。
これはダメだ、心が折れる。ダメだ。
まあコルフィーなら手放しで喜ぶだろうが……、コルフィーだけ喜ばせて皆の反感を買うのもな。
ふむ、もしかすると、みんな一緒にと考えるからダメなのかもしれない。
各人が喜ぶことを、それぞれに、というのはどうだろうか。
ミーネにお菓子、コルフィーに服、サリスにウサギといったように。
しかし特にわかりやすい者はいいが、他の面々となると……。
ダメだ、わからない。
ぬぅ……、いったい俺はこれまで何をやっていたのか……!
ただ惚けていたのか……!?
……。
いや、めっちゃ頑張ってたわ。
死ぬほど頑張ってたわ俺。
あー、でもなー、その頑張りの一割くらいを皆と仲良くすることに向けていたら、こんな思い悩むこともなかったんだよなー。
ちくしょう、一緒に暮らしていたんだから、もうちょっと好みとか把握しといてくれてもいいじゃねえか。
「まったく、過去の俺め……!」
再び念を送ってみるが、やはり効果は無いようだ。
「まあ過去の自分を責めても仕方ない……、か」
なんせ、何も考えていなかったのだから。
肝心なのはこれから、これからなのだ。
注意深く皆を観察して把握するようにすれば――……、って何かストーカーっぽいんだが、これってどうなんだ?
いや、勝手にこそこそ嗅ぎ回るのがアレなのであって、日常のお喋りのなかでそれとなく情報収集を――……、おかしいな、大して変わらないような気がする。
こそこそ調べるのがまずいなら、ここは正直に「あなたのことをよく教えてください」とお願いしてみてはどうか?
いやダメだって。
三年近く一緒に暮らしていていまさら何言ってやがるってキレられる可能性が高い気がする……!
へへっ、こいつぁ平謝りだぜ!
じゃ、じゃあ、あれだ、ここで転生者であることをカミングアウトして――厳密には違うんだけど――ともかく説明して、向こうの世界はディストピア化していて誰かを想うような精神的な豊かさが存在せす、恋愛感情を抱くことは社会の歪みを作ることになるから禁止されているとかなんとか説明して、こっちに転生したことで俺はようやく心を取り戻したという話を――、ってアレサがいるからダメじゃねえか!
つかシアとシャロにモロバレだ!
「ウヴォアァァ――――――ッ!」
「ふにゃーッ!」
頭がごちゃごちゃしてきてつい発作的に叫んだところ、うとうとし始めていたネビアをびっくりさせてしまった。
「ネビア、すまぬ、ついトキメキが暴走して叫んでしまったのだ」
ああ、このいかんともしがたい衝動。
そうだ、ロマンティック・バイオレンスとでも名付けようか。
なんだか必殺技みたいだな。
こう『我がトキメキを喰らうがいい! ロマンティック・バイオレンス!』みたいな?
うん、現実逃避してる場合じゃないね!
目の前の現実に立ち向かわないといけないよね!
だって、だって、みんなとは一緒に暮らしているんだもの……!
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/12/13




