第718話 閑話…お手つき
シャロが拵えた即席精霊門から飛び出してきたイールは、さっそくいつもの調子で喋り始めた。
「どうもどうも、えーっと、もう終わったんですよね? 予定通りメタマルが戻ったので、あ、これもうすぐ終わるんだなーって思っていましたが、まさか本当に世界が浄化されるとはびっくりですよ。でもそのあと、何かとんでもない殺気を感じたんですけど、あれって何だったんです?」
「ああ、あれはわたしなので気にしなくていいです」
「そうですか、貴方でし――、えっ、貴方!? ちょちょちょ、どういうことです!? 私ですら『あ、これ死んだ』って覚悟するくらいヤバイものだったんですけど!」
シアがさらっと暴露したので納得しかけたイールだったが、さすがにそのまま流すことはできなかったようで、あたふたするようにぽよぽよ揺れ始めた。
「ぺちぺち、ぺちぺち」
その揺れに誘われるようにして、ミーネがイールをぺちぺち叩く。
場からは急速に緊張感が失われ始めていた。
「ああもう、いいじゃないですかそんなことは! ご主人さまが何を考えていたか、なんとなくわかってきましたが……、シャロさん、説明をお願いします!」
「む。説明と言われてもな……、手紙には全部終わったら新しい体を用意してもらうためにイールを呼んで欲しいと書かれてあっただけじゃぞ。詳しくはこやつが知っておるのじゃろう」
「ではイールさん、説明をお願いします!」
「え? あ、はい。えっとですね、正確には私じゃなくてノアの方がやっていたことなんですけど、ほら、人の模造体を作り出していたじゃないですか? あの人、今の自分の模造体を後で用意して欲しいってお願いしてきたんですよね。それで、たぶん魂の代用品になりそうなものが残るのでそれを模造体に放り込んでくれって言われました」
「あーもう、なんて無茶な……」
イールから聞いてみても、彼の計画は無茶苦茶だった。
まともな発想ではないのだ。
けれどそれは、どうにもならない状況をどうにかしようとした苦肉の策であり、そして、その発想の根幹にあるのはまだ死神であったシアの失態からであるのだろう。
記憶は脳に残っている。
だから失われた魂の代わりを入れてやれば元通り。
彼はそれをここで再現しようとしたのだ。
自分がクローンだった――、なんて事実を突然知ることになれば誰もが取り乱すだろうが、彼の場合はまずその覚悟をしている状態のクローンであるため、意志はそのまま引き継がれ、これまでの彼と同じように活動しようとするだろう。
違いがあるとすれば、こうして決戦に臨み、死を賭して悪神を討つまでの経緯を知らないくらいだ。
「やっぱり無茶ですよねぇ……、私もね、やっぱり貴方っておかしいですよねーって言ったんです。そしたら笑ってましたね、ちょっと記憶が無くなる程度のことだろう、って。かわりにもう駄目な体が新しくなるんだからちょうどいいとか、そんなことも言っていましたね」
やれやれ、といった調子でイールは語る。
「色々と言いたい気持ちはわかります。私ですら、なんだこの人って改めて思いましたからね。さて、ともかく新しい体を出しましょうか」
そう言い、イールはぼよよんと膨らみ、でろん、と彼のクローンを吐き出した。
失われた彼の姿を再び目にしたことで四人はひとまず安堵――
『……ッ!?』
出来なかった。
イールから吐き出された彼が、一糸まとわぬすっぽんぽんだったからである。
「ぬあぁ――ッ!?」
「あらら」
「ふわぁ――!」
「おおぉう!?」
まさかの全裸、さすがにこれは誰にも予想できず――、おそらく彼すらも想像していなかったこの事態に揃って声を上げる。
「ちょちょ、ちょ、ちょ! イールさん! どうして裸なんですか!」
すっぽんぽんで仰向けになっている彼の厳かな姿を直視しまいと、シアは手で目を塞ぎつつ言う。
「え? 服って必要だったんですか?」
「そう言えばあなたはそうでした!」
スライムに服を着る習慣は無い。
人に変化したときも、イールは必ず全裸だった。
「と、とにかく服を! 服をお願いします!」
言いつつ、シアはこそっと指の隙間から様子を窺う。
そして目撃することになった。
理解を超える、あまりにも信じられない光景を。
「こしょこしょこしょ……」
ミーネが彼のタマタマをこしょこしょしていたのである。
「?」
シアは一瞬頭の中が真っ白になった。
が――
「ぬぅあにしてんですかあんたはぁぁぁ――――――――ッ!?」
シアは叫んだ。
これほど声を上げたことはこれまでに無く、そしてもう二度とこれほど声を上げることは無い――、そう感じながら。
しかしふと、そう言えばちょっと前に同じこと考えなかったかと思い、それも当然なのだと思い至る。
自分は生きている。
未来へ向かって進んでいる。
それは過去の出来事以上のことが起きる可能性へ向かっているということと同義であるのだ。
と、シアは現実逃避気味に考え、それから彼のタマタマをこしょこしょしているタマこしょ犯をどうにかしなければならないと我に返った。
「な! な! なんでここでこしょこしょなんですかーッ!」
「駄目かしら?」
「駄目に決まってんじゃないですか! いやちょっと待ってくださいよ。ここは希望が持ててみんなでやったーってところなのに、なんでこしょこしょ!? 子猫や赤ん坊じゃないんですよ! ご主人さまなんですよ!? わたしを助けようと頑張ってくれたところなんです、これはもう気持ちが通じ合う大事な大事な機会なのにミーネさんがこしょこしょしてたなんてバレようものならそんなの吹き飛んでわたしもろともに怒られるやつじゃないですか!」
「でも……」
「でも!? でもってなんですか!? まさか自分の行動が肯定される自信があるっていうんですか!? ご主人さまがタマタマこしょこしょされて喜ぶわけないでしょう!?」
「そ、そうじゃなくて、もうこしょこしょできる機会なんて無いんじゃないかと思って……」
「な……!?」
ミーネの返答にシアは度肝を抜かれることになった。
この娘……、アホだ!
シアはあまりの驚愕にもう言葉が出なくなってしまった。
すると、厳かな表情をしたシャロがしゃがみ込んでいるミーネの肩に手を置いた。
シャロがミーネを窘めてくれる、とシアは思った。
が――
「ミーネよ、そんなことはないぞ! これからいくらでもその機会は訪れるじゃろう! 案外、婿殿も癖になるかもしれんしの!」
残念、シャロは混乱していた。
「はいそこー! アウトー! シャロさんアウトー! ってか、なんてこと言いだすんですか! あとでご主人さまに言いつけますよ! 嫌われちゃうかもしれませんよ! どうするんですか!」
「んなもの泣くわ!」
「わたしにキレられても知りませんよ!」
「こしょこしょ……」
「はいそこ! 再開しない! 話は終わっていません!」
「むぅ、じゃあ――」
「タマタマが駄目だからって棒をこしょこしょしない!」
「……」
「握らない! 引っぱらない!」
「でも伸びるわ!」
「でもって何ですか! どこからその『でも』って出てきたんですか! まあ多少は伸びるでしょうけども! だからって引っぱらない! こしょこしょが駄目だからって引っぱるのはいいとかそういう話じゃないんですよ! それ大事ですから! 大事なものですから!」
「そうじゃぞミーネよ! シアの言う通り大事じゃからな、手荒に扱ってはいかん! いずれ世話になる! 正式に挨拶することになるだろうからな、今はそっとしておくのじゃ!」
「あなたたちマジいい加減にしないと殺気ぶつけて黙らせますよ!? そしてアレサさん、見ていないで止めてください!」
「め、目を塞いでいますので……」
「指の隙間から赤い瞳が見えるんですけどねえ!」
シアは憤懣やるかたなく、頭を抱えて叫んだ。
「ぬがあぁぁぁ、どおぉしてご主人さまはちゃんと服を用意してくれって言っておいてくれなかったんですかぁぁぁ――――ッ!」
さすがにそこまで気が回らなかったのだろうとシアもわかっていたが、この状況を前にしてはそう叫ばずにはいられなかった。
△◆▽
激怒するシアに急かされ、イールが彼に服を追加した。
これによりおかしくなった状況はようやく沈静化したが、かろうじて生き残っていた緊張感はすでに死滅していた。
「わたし、ついさっきまで号泣だったんですけどねー……、何なんでしょうね、この心境……」
げんなりした表情でシアは呟く。
シャロとアレサはちょっとばつが悪そうな顔をしているが、諸悪の根源――ミーネはまだ元気なままだった。
「まあいいじゃない。それよりほら、その黒いのを体に入れるんでしょう? 早く早く」
すぐに彼の復活へ辿り着けたのはミーネのおかげでもあるが、これだけ脱力してしまったのもミーネのせいである。
シアは何とも言えない複雑な心境であったが、まずは彼を復活させようと黒い塊を横たわる彼の体に押し込んだ。
塊は彼の胸にすっと吸い込まれるように入っていき、そしてほわほわっと出てきた。
「出てきちゃったわよ」
「出てきてしまいましたね」
「出てきてしまったのう」
「……」
シアは黙ったまま、もう一度むぎゅっと塊を押し込んだ。
今度はしばらく彼の胸に手を当てたままでいたが、その手を離すとまたほわほわっと塊が出てきてしまう。
「また出てきちゃったわよ」
「また出てきてしまいましたね」
「また出てきてしまったのう」
「くっ……」
だったらやってくださいよ、とは言えず、シアは三度目となるチャレンジ。
が、やっぱり塊は出てきてしまう。
「ああもう! こんな時くらい素直にしてください!」
かっとなり、シアは「よいしょー!」と塊を押し込んだ。
するとどうだ、彼の体が黒い塊ごとパッとその場から消え失せてしまったのである。
「……え?」
予想しなかった事態にシアは呆気にとられた。
「シア……」
「シアさん……」
「シアよ……」
「え、これわたしのせいですか!?」
どういうこと、とシアは激しく困惑する。
だが、次の瞬間――




