第716話 閑話…デス
死んだ――、とシスは思った。
そんなことは起こりえないとわかっていながらも、それでも死を意識して恐怖を覚えた。
そして、実際に殺されたのだろう。
はっと我に返ったシスは、自分の体が元通り、傷一つ無い状態で宙に浮いていたことに大きな驚きを覚えた。
レイヴァース卿の最後の攻撃によって消滅させられたからこそ、その時まで意識があったこの場に復元されることになったのだ。
「こ、これほどか……」
なかなかやっかいな人物だとはわかっていた。
しかしまさか、本当に神殺しをやってのけるほどだったとは思ってもみなかった。
「これが本当の策だったということか……」
塔の最上階は変わり果てていた。
大魔晶石は跡形も無く消え失せ、床には大穴が空いている。それはこの最上階ばかりではなく、ずっとずっと下層――肉眼では穴が小さくなり見えなくなるまで続いている。
そして頭上は天井が吹き飛び、青い空が望めるようになっていた。
「空だと……!?」
遮るものが無い場所で見上げたとき、そこに青い空があるというのはごく当然の話であったが、ここ瘴気領域に限っては『青い空』を目にできることは異常なのだ。
「私への攻撃のついでに瘴気領域を消し去ったのか……!」
もしかすると、瘴気領域を消し去るついでが自分への攻撃だったのかもしれないとシスは考えるも、もう埒もないことだった。
「見事、と言うより他ないな」
この戦い――、これはレイヴァース卿の勝ちだ。
そこは認めなければならない。
大魔晶石も、要であった王女も、そして仲間も、まとめて消し去った末の勝利だ。
しかし、それでも神は殺しきれるものではないのだが。
「であれど、少なくとも世界は救われた……、か」
そうシスが呟いた、その時――。
コツン、と。
小石の転がる音が。
シスがはっと見やり、そして息を呑むことになった。
「な……!?」
大きな瓦礫の影から現れたのは銀髪の少女。
たった今、消滅してしまったはずの王女だった。
いや、それどころか、他の仲間たちも大穴の外側で倒れており、今まさによろよろと起きあがろうとしているところだった。
「ど、どういうことだ……?」
四人が生きている――、五体満足、大した外傷も見当たらないほどであることに、さすがの悪神も混乱する。
神すら滅ぼした雷撃を生き延びた?
そんなことは出来るはずがない。
ならば、この結果は彼がそう仕組んだものであるのだろう。
「何だ、何かがおかしい……」
何かとんでもない思い違いをしているのではないか。
不意にシスは不安を覚え、この違和感がいったい何なのかを考えずにはいられなくなった。
とても重要な――、いや、重大なことのような気がするのだ。
自分は神であるが故にこうして復元された。
王女や仲間たちは彼に殺すつもりがなかったので助かった。
この状況はただそれだけのはずなのに、そう納得しようとしても胸騒ぎが収まらない。
何故か、何故なのか、そうシスは考え――、ふと思う。
彼は、あれだけやっても神は殺しきれない、その結果すら想定していたのではないか、と。
「では……」
では?
こうして自分が生き残る結果を織り込んでいたとなれば?
お前を倒すと宣言した彼の策は――、まだ、死してなお続いているということではないのか?
いや、むしろここからが本番なのではないのか。
「そんな馬鹿な……」
考え過ぎと思う一方、シスはその不安を拭いきれない。
もしこの予想が的中していたのであれば、今度こそ本当に殺されることになるのではないか。
もはや――、実際に一度消滅させられた今となっては、この考えを一笑に付すことはできない。
今や跡形も無くなった者の影に怯える――、これはシスにとって屈辱であったが、しかし思うのだ、牙を突き立てただけで獣が満足するだろうか?
「獣め……、恐るべき獣め……」
何が英雄か、何が聖人か、何が勇者か。
神すらも欺き騙し謀り殺す、貴様こそが真に魔王だろう。
「ここは撤退すべきか」
すでに彼は居ない、これ以上ここに留まる意味も無い。
大魔晶石が消滅してしまった今、今回の計画は完全に失敗したことが決定している。
例え王女が残ったにしても、計画を実行する者は自分であってはならないのだ。
王女を、せっかくの器を残して行くのは惜しいところだが――
「……ん?」
と、そこでシスは王女が両手で何かを大事そうに包みこんでいることに気づいた。
それが何であるか、神であるシスにもよくわからない。
シスはすっと宙を進み王女へと近づき、大穴の縁に立つ。
すると、王女は両手で包んでいたそれを手放した。
「なん……?」
近くで見ても、シスにはそれが何であるかわからなかった。
それは黒い靄のような塊で、放たれた今は王女の周囲をふわふわと寄り添うように漂っている。
「王女よ、それはいったい――」
と、シスが話しかけた時だった。
「黙れ」
王女は告げた。
だがそんなことを言われる必要もなく、シスは言葉を止めた。
止まってしまった。
王女が一言告げた瞬間、放たれた殺気がシスを凍りつかせたのだ。
△◆▽
スナークとの戦いは突然終わりを迎えることになった。
つい先ほどまで死に物狂いの戦いを続けていたというのに、今や晴れ渡る青空のもと、周囲を覆い尽くす小さな光たち――精霊に囲まれているだけだ。
あまりに理解を超える出来事に、誰もが茫然としたままだった。
過酷であった戦場が、急にお伽話の中に放り込まれたような穏やかな空間へと様変わりしてしまったため、これが現実かどうか怪しむ者すらいた。
しかしそれでも、やがては心の奥底から『もしかしてすべて終わったのではないか』という期待のこもった予感が滲み出してくる。
ちらほらと、自分の考えが間違いでないことを確認しようとするように囁く者が現れ始め、声は次第に大きくなっていった。
が――
『――――ッ!?』
そこで、誰もが『死』を感じた。
これは古代都市ヨルドで戦っていた者たちばかりではなく、もっともっと広い範囲、瘴気領域を取り囲む星芒六各国、さらにはその周辺諸国、大陸全土に生きる人々――、いや、生きとし生けるものすべてが、自身の『死』が目の前に現れたような錯覚を覚えて凍りつく。
恐怖のあまり思考する余裕すらもなく、ただ死の瞬間を待つばかりとなってしまう。
この大惨事――、原因はシアの殺気であった。
ただただ憎い対象への殺気、その余波が世界を覆い尽くしてしまったのである。
何故、末端でしかないシアのような死神の意識が希薄でなければならなかったのか、これがその答えであった。
死を司る大神は、例え一部、末端であろうと、その想い一つで世界を滅ぼすことができてしまうのである。
△◆▽
シアはようやく理解した。
彼は、こうして決着をつけるつもりだったのだと。
神を殺すにはどうすればよいのか?
その答え。
単純だ。
神を殺すならより上位の神を使えばいい。
そのために必要だったもの。
「ああ……」
彼が諦めなければならなかったもの、投げ捨てなければならなかったもの。
「あああ……!」
その遺志と共に託されたもの、還されたもの。
「ああああぁぁぁぁ――――――――――――――――ッ!!」
シアは叫んだ。
これほど声を上げたことはこれまでに無く、そしてもう二度とこれほど声を上げることは無い。
「忌まわしくも尊き神聖ッ!!」
シアが黒い塊を鎌へと変化させる。
鎌は――忌まわしいほどに手に馴染んだ。
当然だ、もともとは自分自身、馴染まないわけがない。
気を抜くと溶け込んできてしまいそうなほど――、であるが、それはただ戻っただけの半身にすぎない。
もう語らない、語ることはない。
笑うことも、怒ることも、ふざけることも、忙しすぎてちょっと正気を失うこともない、尊き追憶だけになってしまった、ぬくもりのないただの半身だ。
馴染まないでよかった。
馴染まないままの方がよかった。
「お前……、お前が……ッ!」
叫び、シアは鎌を振るう。
鎌のあとには漆黒の軌跡が彗星の尾のように残り、宙に幾重も描かれる様子は美しいものだった。
「ぐ、くっ……」
敵わない。
これは違う。
これは無理だ。
死の恐怖に身がすくむ悪神であったが、それでも神、死の予感に思考すらも凍りつかせてしまった人々とは違い、なんとかこの場を逃れられないかと考えた。
この際、神域への帰還も致し方ない。
そう考えて逃れようとするも――
「……な、な!?」
その身はそこに留まるばかり。
どういうことか、悪神にはわからない。
だが、それは至極当然な話であった。
死は人の意識に深く根ざしている。
深層意識、共通意識、神域にすら、死というものの絶対性は刻まれているのである。
死の影響から外れて存在することなどできはしない。
神域すらも覆せぬこの真理によって、悪神の『死から逃げる』という行動が無意味なものと見なされ、無効化されたのである。
それはとても単純な話であった。
つまり――。
死神からは逃げられない。
悪神の命運は尽きたのだ。
鎌を振るい、黒い軌跡を纏うようにして歩み寄るシア。
身動きすらとれず、ただそれを見ていることしかできない状態は悪神の心の鎧を剥いでいく。立場も、経歴も、思想も、何一つその恐怖に抗う拠り所になりはしなかった。
最後に残ったのは、ただ死に怯える一人の男としての自分。
どこで選択を誤ったのか。
彼に瀕死の重傷を負わせ勝利を確信した時か?
神々の力を込めた一撃が切り札であったと信じ込まされた時か?
それとも、彼の挑戦を受けたその時か?
どれほど考えようと答えは出ず、そしてもう手遅れだ。
死はもう目の前にある。
目の前にまで迫ったシアは、そこで鎌を振り回すのをやめ、担ぐように構えた。
その『死』が振りおろされるまで、おそらくあと数秒。
恐怖のどん底、思考の果て。
もはや茫然と怒れる死神を見つめるしかなくなった悪神は、それでも最後に呟く。
「ダール、余は――」
その言葉。
最後まで語られることは無かった。
「砕けて消えろッ、永遠に……ッ!」
振りおろされた死神の鎌はするりと悪神の体に滑り込む。
瞬間、神域には『シスの死』という楔が打ち込まれた。
神域にあるシスに関するデータすべてに『死』が付随され、もうどのような手段、どのような奇跡でも覆すことのできぬ事実となった。
そして、結果は速やかに反映される。
ボッ――、と。
悪神シスは粉々、細かな塵となって爆ぜ、次の瞬間にはその塵すらも消え失せて何も残らなかった。
誰よりも進歩と発展を望んだ男は、その行き着く先を司る神により滅ぼされることになったのである。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2020/04/27




