第711話 閑話…姉弟喧嘩(後編)
自分の勝ちなのか――。
かろうじて『偽神』を維持するのが精一杯のシャロと、未だ万全のベリア。
わざわざ比べるまでもなく、こうなれば自分の勝利と確信を得てもおかしくない状況だったが、それでもベリアは確証が得られないらしく戸惑いがちに尋ねてきた。
「ふん、こうなってはのう。お主の勝ちじゃよ」
「私の勝ち……?」
そうシャロにはっきりと告げられても、まるで事実を受け入れられないようにベリアの言葉は頼りない。
それはまだ自身の勝利に実感が持てないでいるのか――。
「それで、お主はわしをどうしようというんじゃ?」
「え……? いや……、べつに、どうも……」
「どうも……?」
「私の目的は……、姉さんが戦ってくれることだった。私を倒すべき敵だと、全力をつくすべき相手だと。それは……、叶った。叶ったんだよ。なら、もう望むことは……、べつに……、無いんだ……」
そう告げるベリアには勝利を喜ぶ気配が微塵も感じられない。
それどころか、シャロにはこの決着によってベリアの心が急速に萎れ、老い始めているように思えた。
目的を果たし茫然と立ちつくす。
その様子はやはり復讐者のようであり、シャロはベリアがこのまま命すら絶つのではないかと心配になった。
「わしをどうこうするつもりが無いならば、お主はこれからどうするんじゃ? ここから逃れ、どこかに身を潜めるのか?」
「いいや。あとは……、姉さんに任せるよ。もういいんだ……」
「お主は――」
せめて、ベリアが深い満足に包まれた様子であれば、シャロがこれ以上気にかけることもなかったかもしれない。
これまで積み重ねてきた成果、世界を敵に回してまで求めた結果、それが、このような虚無で終わる。
今のベリアはシャロの目にあまりにも哀れに映った。
「お主はわしに勝ちたいとは思わなかったのか?」
「そんなことは思わなかったな。ただ、認めてもらえれば」
ベリアの望みは全力での戦いであった。
「(じゃが、本当にそれ以上のことは考えなんだのか……?)」
勝ちたい、とは思っていなかった。
ならば……、負けたいとは?
弟はベリアという怪物になってしまった。それは確かだ。だが、その怪物の核となったのは、やはりかつての弟なのだ。
弟の手を離したことを、シャロは手遅れになってから悔やんだ。
だからこそ轍を踏むわけにはいかない。
勝てば満足だろうか、と、すでに間違えかけていたが、今ならば――まだ、間に合う。
「(格下相手に『認められたい』とは思わんわなぁ……)」
おそらく、弟の願いには隠された絶対条件があった。
つまりそれは『やはり敵わない姉に認められたい』という、実に面倒くさいものだ。さらに言えば、ただ負かされるのではなく、圧倒的な負けを期待していたのではないか。
いつかのように、自分の姉は『すごい』のだと、納得したかったのではないか。
「(婿殿、すまぬ……)」
シャロは心の中で詫びる。
望んで『世界の敵』となったベリアだが、それでも――、弟。
世界で自分しか救えない弟だ。
「アルフィー、すまんな……」
「なんだい姉さん、急に昔の呼び方で……。いや、いいんだよ。こうして姉さんが全力で挑んできてくれたんだから――」
と、ひどく疲れたように言う弟の言葉を、シャロは遮る。
「いや、全力ではないんじゃよ」
「……え?」
いまさらそんなことを言われ、ベリアはきょとんとする。
シャロはかまわず続けた。
「悪神とやりあうことを考えたらのう、温存できるところは温存しておきたいと思うのは当然じゃろう?」
ベリアが満足して退けば良し、殺そうとしてきたなら仕方なく対処したところだが、ここでシャロは自らまだ戦えることを暴露する。
「それに、これだけの事をやらかしたとは言え弟じゃ、わしの全力と言うのは、さすがに弟相手にやることではない――、いや、人を相手にやることではない、そう思っておったんじゃよ。しかし、すまんの、それは思い上がりじゃった。それに、もし魔導王と戦うことになっておったら、わしは迷わず全力で挑んだじゃろう。ならば魔導王から『世界の敵』を引き継いだお主にも、全力で挑むべきじゃった」
このシャロの話にベリアは驚きの表情を浮かべることになったが、そこには隠しきれない喜びが混じっていた。
「ね、姉さん……、本当に?」
「こんな嘘をついて何になる。まったく……、泣きそうな顔でしょぼくれてからに! お主がそんなんじゃから、わしは出したくもない全力を出すことになったんじゃ!」
シャロは杖を自分の正面に掲げ、ガンッと石突で床を突くと叫ぶ。
「すべての親を殺せ! すべての親となるものを殺せ!」
大神を呪う発動句――、それは魔導杖マグナ・カルタに組み込まれた回廊魔法陣『神威簒奪』を起動させるためのもの。
機構の塊となっている杖頭部が軋み、組み替えられ、シャロは神より与えられた恩恵を自身の力として利用できるようになる。
仮りではあるが神域に『座』すら持っていたシャロだ、器となった自身に注ぎ込まれる神々の力により、未だ偽りの神であれどその存在はいよいよ神の領域へと近づいた。
万魔シャーロットが神々の力を簒奪したとなれば、それはどこぞの少年ががむしゃらに行使するのとは訳が違う。
なにしろ、シャロはこれで大神にすらその指を届かせていたのだから――。
「お、おお……!」
自身の『世界』を纏い留めていた先ほどまでと違い、もうシャロから発せられる力は隠しようが無いほどに高まり、それを目の当たりにしたベリアは感嘆の声を上げる。
「アルフィーよ、よくここまで魔導を極めた。過程は問題ありじゃが……、その努力は褒めておこう。じゃがな、それでも本気になったわしの足元にもおよばぬことを今から教えてやろう!」
「そ、そう簡単には負けないよ……!」
ここでベリアは慌てて杖を構えるが――
「馬鹿め! もう勝負にならんわ!」
もはやベリアが『偽神』を使っていようと意味が無い。
同じ魔法であれど、もうシャロとベリアでは『世界』が違うのだ。
「赤ん坊からやり直せ!」
「な――」
その言葉で、ベリアはシャロが何をしようとしているかを知る。
だが、有り得ない。
まず『偽神』を使っていては、その魔法は――若返りの魔法は使えないのだ。
他者を若返らせる。
そんな神のごとき魔法を使うためには、自身を『神』に近付けておかなければならない。
実のところ、その魔法は『偽神』から派生した、対象となる相手に干渉することに特化した同規模の、別の魔法なのである。
にも関わらず――
「揺籠から墓場まで……!」
シャロはその発動句を――、若返りの魔法を使用する。
いや、厳密には若返りの魔法を使用したのではなく、『偽神』の状態で無理矢理その効果を発動させようとしているのだ。
「(そんな馬鹿な……!?)」
ベリアが唖然とするのも無理はなかった。
だが、そこでベリアは思い出す。
若返りの魔法の絶対条件、それは術者が若返らせる対象よりも上位であること。
相手をどうにでもできるほどに。
ただ『偽神』を使うだけでは、他者という別の『世界』に完全な干渉をすることは難しい。もし可能であれば、ただ『死ね』と想うだけで相手を殺すことすらやすやすと行うことができる。
だからこその『揺籠から墓場まで』だが、もし『偽神』がそれすらも可能とする域に達したのであれば――。
「(だが……、だが、私だぞ!?)」
他者に『揺籠から墓場まで』を使えるほどの術者は世界にただ二人。
それは『偽神』を完全に使用できるシャロとベリアだ。
にもかかわらず、シャロはその域にあるベリアを、『揺籠から墓場まで』ではなく『偽神』で若返らせようとする。
「ね、姉さん……、貴方は……!」
まだ『偽神』を持続し、強化された己の『世界』を纏い続けているにもかかわらず、それを貫通して効果を及ぼすなど、いったいどれほどのものなのか、どれほどの高みにあって可能な奇跡なのか、イーラレスカを若返らせたベリアであっても理解を超えるものだった。
すでにベリアには抵抗する気力は無くなっていた。
いや、例えその気力があったとしても、もう何の意味も無いことであった。
姉が『そうする』と決めた以上、もうベリアに抗う術は無いのだ。
驚きと、感動と――。
自分の体がみるみる若返り、縮んでいくなか、ベリアの胸に去来したのは深い安らぎであり、焦りや恐怖は微塵も感じなかった。
「(ああそうか……)」
幸せな気持ちに包まれたベリアは、ふとそこで自分が本当に望んでいた結末に気づく。
それは全力で姉とぶつかり合い、そして負け、やはり叶わないと痛感すること。
そして言うのだ。
いつかの、遠いあの日のように――。
「やっぱり……、姉さんは凄いや……」
△◆▽
「やれやれ、本当に全力でやることになるとはのう……」
神の力を簒奪していられる時間には制限がある。
無理をしなければ数時間は維持できるものの、悪神と戦う場合を考えると、わずかであっても無駄にするわけにはいかなかった。
いかなかったのだが――
「わしはダメダメじゃの」
ため息まじりにシャロは呟く。
するとそこでロシャが杖頭から頭を覗かせた。
「まあやってしまったものは仕方ない。今は時間を無駄にしないようにさっさと行動だ。ほらほら。あれも放置するわけにはいかないし」
「う、うむ、そうじゃな」
ロシャに急かされ、シャロは先ほどまでベリアが立っていた位置へと歩み寄る。
そこにはベリアが手にした趣味の悪い杖が転がり、身につけていた衣服が残るばかり――、かに思われたが、服の下でもぞもぞ動くものがあった。
この後のことを考え『偽神』を維持しているシャロが念力を使うように衣服を取り払ってみると、姿を現したのは男の赤子――先ほどまで『世界の敵』をやっていたものの、シャロに赤子にまで戻されてしまったベリアだった。
赤ちゃんベリアはぼんやりした様子でシャロを見つめ、それからもどかしそうに両腕を動かした。
シャロはベリアを自分のところへ引き寄せると、意志だけでなく左腕も使って抱えてみた。
「あぶぶ」
赤ちゃんベリアは嬉しそうだ。
「なあシャロ、こいつ意識はどうなっているんだ?」
「どうかのう。魂に宿る記憶はそのままじゃから、意識は残っておるはずなんじゃが……、この様子は普通の赤子じゃな。そのうち意識を取り戻すか、場合によってはこのまま別人として育つか。まさか赤子の演技をしておるということはあるまい」
「育てるのか?」
「うむ。これについては婿殿の許可をとらねばならんな」
おそらく、彼なら受け入れてくれるだろうとシャロは踏んでいた。
なにしろこの子は彼にとっては叔父――父親の弟なのである。
「あぶあぶ」
「ん? おお、よしよし。どうなるかはまだわからんが、意識が戻るにしろ、戻らぬにしろ、今度は人々を助け、誇れるようにならねばならんな。わしも一緒にの」
そうシャロが赤ちゃんベリアをあやしていたところ――
「シャーロー……!」
ミーネの声が聞こえ、顔を向けてみると下の階から上がってきたミーネとアレサ、それからイーラレスカとシオンがこちらにやって来るところだった。
「おお来たか。ちょうど良いな」
到着した面々にそう言ったところ、ちょっとげんなりしたようにミーネが言う。
「違うわ。もうすぐ下まで来ていたけど、何だか物騒な魔力が充満してるみたいで、危なっかしくて出られなかったのよ」
「ん? お、おう、そうじゃったか」
「そうよ。終わったかな、って思ったら、もっと凄い感じになってびっくりしたわ。それで……、決着はついたのよね? どうなったの? って言うか、この赤ちゃんは?」
「ベリアじゃよ」
『え』
と、やって来た四人の声が重なる。
「弟には人生をやり直してもらうことにしたんじゃ」
そのシャロの言葉を聞き、イーラレスカとシオンは唖然と言う。
「や、やり直してもらうって……」
「なるほどなぁ、これがあいつの姉か……、姉かぁ……」
状況を理解しつつもすんなり受け入れられず茫然とするイーラレスカとシオンであったが、一方、ミーネは興味深そうに言う。
「もう見事に赤ちゃんね。あ、こしょこしょしていい?」
「ミ、ミーネさん、今はそれどころではないですから」
「むぅ……」
アレサに窘められ、ミーネはちょっと不服そうに口を尖らせる。
それでも強行こしょこしょをしないのは、確かにその通りだと思うところもあるからであった。
「シャロさん、この子は連れて行くのですか?」
「いや、さすがに連れてはいかん。ひとまず王都の屋敷に精霊門を繋げて預けようと思うのじゃが……、そっちの二人も送っておくか。すまんがこの子を頼むぞ」
そう言い、シャロは赤ちゃんベリアをイーラレスカに託す。
目を丸くしていたイーラレスカだが、ここで我に返り、まじまじと自分の腕の中にいる赤ちゃんベリアを眺めた。
「え、え、えぇ……?」
「きゃーい」
「笑った!?」
「ほう、さっそく懐いておるのう。では頼むぞ」
「い、いや、た、頼むって言われても……! 私、赤ちゃんなんて育てたことないし……!」
「誰もお主に育てろなどと言っておらんのじゃが……」
「え? あ、いや、えっと……、ああそうだ、こいつって本当に赤ん坊になってるのか? 演技してるとかでなく?」
「その辺りのことはよくわからんのじゃよ。そのうち元の意識を取り戻すかもしれんし、そのままかもしれんし。まあわしの予想ではある程度育ったところで意識が戻るのではないかと思うんじゃがな」
「じゃあそれまでは普通の赤ん坊なのか……」
イーラレスカは唖然としているが、横で覗きこんでいるシオンはそろそろ落ち着いてきて愉快そうにしていた。
「こりゃずいぶんと可愛くなったもんだな」
シオンが指でちょいちょいとくすぐると、赤ちゃんベリアはその指をきゅっと小さな手で掴んだ。
「お、何だ、力比べか? はは、ちっちゃい手だなぁ。なあレスカ、ちょっとアタシにも抱かせてくれよ」
「……」
「何でそんな嫌そうな顔すんの!? いいじゃんちょっとくらい! お前が産んだわけじゃねえだろ!?」
「な――、お、おかしなことを言うな! 今はそれどころじゃないから、その、屋敷に送ってもらってからにしろと言おうとしただけだ」
「ホントかねぇ……。まあいいや、んで――、シャロ……さん? ひとまずアタシらは送られた先で大人しくしてればいいわけだな?」
「うむ、ついでに事情説明も頼むぞ。わしらは上へ向かうからの」
こうしてシャロは王都屋敷への即席精霊門を開き、赤ちゃんベリアを託したイーラレスカとシオンを送り出すと、ミーネとアレサを連れて最上階を目指した。
レスカ「かくかくしかじか」
ベリア「ばぶー」
ローク「弟……!?」
クロア「叔父さん……!?」
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/01/28
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/08/04




