第710話 閑話…姉弟喧嘩(中編)
「自分の想いが優先、か。では……、ベリアよ、その想いが果たされた後についてはどう考えておる?」
ここでシャロは弟を『ベリア』と呼ぶ。
これは弟であることを無視することにしたわけではなく、弟が『ベリア』という人物に成ってしまったのだと自分の中で一つの区切りをつけてのものだった。
「後か、うーん……、考えたことがないな」
ベリアは少し考えたものの、情けない表情になってそう答えた。
「私は本当にここ、今この場、この瞬間を望んでいた。叶わないと思いつつも、それでも望んでいた。だから、後のことなんてどうでもいいことなんだよ」
「そうか……、まるで復讐者じゃな」
ある意味、世に対する復讐と言えるかもしれないが、ベリアにしてみればそれはただのおまけで、やはり本命は姉に相手をしてもらうことである。
「(であれば……、歪んでしまった弟の、たった一つの願いを叶えてやるのがこの愚かな姉の務めか)」
全力でぶつかること、それは償いの一面もある。
しかし、ただそれだけの理由で全力を尽くすわけではない。
ロシャにも注意されたが、弟は魔導王を倒した実力者であり、シャロとて油断の出来る相手ではなくなっている。
「さて、婿殿も無事に上へ辿り着いたことじゃし、そろそろ始めるとしようかの。――ロシャよ、頼むぞ」
「よしきた。くれぐれも気をつけろよ。一筋縄ではいかない奴になってるからな。どんな策を用意しているかわかったもんじゃない」
そう告げ、杖頭から顔を覗かせていたロシャはひっこんだ。
すると、これを聞いたベリアは困ったような表情を見せる。
「いやいや、そんな策とかは無いよ? あー、そうか、ヴィルジオさんから魔導王とどうやって戦ったのか聞いたから警戒しているんだね。あれは違うんだよ。あれと言うか、これまでのすべては必要だからやったことで、もう今となっては小細工なんて必要ない。後はもうただ純粋に今あるものでぶつかるだけだよ」
その言葉こそが油断を誘うための罠ということも有り得たが、弟の望みが全力でぶつかり合うことなので、おそらくは本当なのだろうとシャロは判断する。
搦め手無しの、純粋な力比べ。
正確には魔力やその制御などを含めた、魔導力での決闘だ。
一般的な魔道士であればそれは魔法・魔術を駆使した魔導戦になるだろうが、シャロとベリアはすでにその段階には無い。
それはシャロもわかっているのだが――
「(それを避けるとすれば空間魔術でどうにかするしかない。しかしのう……)」
シャロが躊躇うのは、例え自分に劣るにしても、弟もまた空間魔術を使えるからだった。
戦う場所が何も無い荒野のど真ん中ならば問題無い。
しかしこの場は先の世界樹計画の影響を受け、ただでさえ特異な空間となっている。そんな場所で空間魔術をぶつけ合おうものなら、制御から外れたその歪みが周囲にどのような影響を及ぼすかわかったものではない。下手をすると下にいるミーネやアレサ、上にいる彼やシアを巻き込んでしまう可能性も否定できなかった。
ならば――、やはり、純粋に。
己の魔力、そして意志で作りあげた『世界』での潰し合いか――。
「(仕方あるまい)」
シャロは覚悟を決め、静かに杖を正面にかざすと呪文の詠唱を始めた。
「神は天にいまし、されど世は苦難に満つ」
呪文詠唱――。
それは明らかな隙であったが、ベリアは何らかの手段でもってこれを妨害するようなことはせず、自分も同じように杖をかざし詠唱に入った。
今から使用するこの魔法でもって決着をつけることこそが、この戦いに相応しいのだと信じているが故に。
「終には裁かれる哀れなものよ。同朋よ。同志よ。土と水と風と火と、過去と未来と生と死と、曝かれることを運命づけられた神秘たちよ」
「聞き、賜えるは我が狂気。世にありとある事象を我が掌中とせんがため。腐り落ちる幾千億の銀河。月よ、今この一時、太陽という目を塞げ」
使う魔法はシャロ、ベリア共に同じだが、長い呪文の中で詠唱される部分、そして省略される部分はそれぞれに違った。
しかしそれでも――
「「僭し称するは造物主」」
最後の一節は揃って唱えられる。
そして、その発動句も。
「「――デミウルゴス」」
両者同時に発動させた『偽神』。
それはいつかまみえることになるかもしれない古の魔導師――魔導王に対抗するためシャロが作り出した魔法であり、その効果は一時的にだが魔導王と等しい状態になるというものである。
かつて、リセリーがミーネに魔法の実戦講義をした際、使って見せたデミウルゴスは遠目に見学していた者たちにも場の変化が感じられるものだったが、シャロとベリアの二人はそのような圧力を放つことは無かった。
失敗――、などということは有り得ない。
不要な時は自身が支配する『世界』を纏うように留めておく。
これが完全に制御された『偽神』という魔法なのだ。
「では――、行くぞベリア!」
「ああ、思いっきりね!」
「言われんでも!」
叫び、シャロが杖を振る。
杖は空を切るばかりであったが、しかし、発動した『偽神』により、その動作に込められた意志が威力となってベリアに襲いかかる。
本来であれば、魔法か魔術か、何らかの手段によって引き起こされる破壊という効果、その威力だけがベリアに叩き込まれる。
だが――
「おっと! ははっ、あははは! けっこうな威力じゃないか!」
嬉々とした表情でベリアも杖を振り、この攻撃を打ち砕いた。
瞬間、中央空間に鳴り響いたのは意外にも澄んだ音。
どのような防具で身を固めようと、魔法の障壁を用意しようと、お構いなしで食い破り、対象を爆散させるような威力がぶつかり合ったにしては気味が悪いほど儚げで可憐な音色だった。
しかし、その衝突によって制御下にあった『世界』の残滓が広場に放たれる。ここで初めて、普通の者にもその脅威が感じられる段階になるのだ。それは無色透明の液体が混ざり合うことで劇薬としての本性を露呈するようなものであった。
「姉さん、これまでにこの攻撃を人に向けたことは!」
「あるわけなかろう! まず、空間魔術でぶっ飛ばした方が手っとり早いわ!」
少数ながら、世に『偽神』を発動させられる魔導師は存在する。
この魔導師たちが『偽神』を用いて戦った場合、その完成度がそのまま勝敗を決することになる。言ってみれば、相手よりも『偽神』を上手く使えるという時点で、勝負は決してしまうのだ。
だが、今ここに、共に完璧に『偽神』を使用できる魔導師がいる。
これは、この魔法の創造者であるシャロも想定していない状況だった。
まさか『偽神』で自分と戦える相手が現れるなど――。
かつてはシャロただ一人きりであった頂に、長い時間をかけて弟は追いついてきたのだ。
「自分は強くなった――、と言ったな! ああまったく、認めざるを得んわ! 馬鹿者が!」
「嬉しいね! これまでの人生で最高の賛辞だ!」
共に『偽神』を使用した者の戦いは、激しい余波が発生することのない、不思議な音色を響かせ続けるという神秘的なものになった。
実戦講義において、リセリーは属性の獣を作りあげミーネにけしかけたが、『偽神』での戦いとなればそういった現象を引きおこしてみせる行動は無駄である。
まず、その程度のものを相手にぶつけても効果が無い。
擬似的に神となった術者が行おうとする行動、そこに工程が増えるほど込められる意志は減衰していく。それでは同じく擬似的な神となった相手には通用しない。
魔導の粋に至った者同士の戦いは、己の『意』を『威』として減衰無く相手にぶつけるため必然的に接近戦へと推移していく。
見た目には綺麗な音を響かせるぶん殴り合いだが、その実体は構築した『世界』の削り合いである。
リセリーによる未熟な『偽神』がミーネの魔技により破られたように、自身の『世界』で相手の『世界』を貫き、砕くことが決着となるのだ。
音色が鳴る度に、両者の構築した『世界』は砕け、削られていく。
「姉さん、どうやら互角のようだね!」
「ほう、互角、互角か……、そんなわけなかろうが!」
シャロは杖を高く振りかぶる。
そして――
「星砕き」
と、ベリアめがけ叩きつけた。
「な――ッ」
初めてベリアは驚愕の表情を見せ、動揺を露わにした。
咄嗟にシャロの攻撃を防がんと行動を起こす――、が、この一撃はこれまでの攻撃よりも遙かに威力があった。
「くっ、これは――、くぅ……!」
ベリアは全身全霊でこれに抗し、かろうじて『偽神』を維持する。
「ちっ、しのぎおったか」
「ちょっと姉さん、え、これ……、魔技!? いまさら!?」
「違う! 一周回っての魔技じゃ! 魔技とは己の意志と魔力で引き起こすもの! 何故この状態で使えんと思った!」
「……!?」
「偽りの神と化したとなれば、その意志だけであらゆる現象を引き起こすことができる! じゃが、それでもまだ足りないと思ったならば、お主も辿り着いたかもしれんの!」
「まだって……、そうか、姉さんは魔導王と戦う時のことを――」
「そんな小物なぞどうでもよいわ!」
「小物!?」
姉の背を追い続けてきたベリアだが、それでもその姉が霊廟の底で何を攻撃していたかまでは知らない。この『偽神』を維持した状態で使う魔技が、その過程で思いつかれたものということも。
「これでわかったじゃろう。お主はまだわしの域にまで届いてはおらん! それでも、わしにここまでやらせたのは見事、ひとまずこれくらいで満足してはどうじゃ!」
「満足? いやいや、まだだよ。何を言ってるんだ、これからじゃないか! 姉さんがここまでやってくれるのは、今、この状況だからだろう! これからなんだよ!」
「それでお主はどうしたいんじゃ! わしを殺せば満足か! はたまたわしに殺されれば満足か!」
「そんなことは考えてないよ! 今が、この戦いがすべてだ! この時間が永遠に続けばいいと思ってる!」
そう叫ぶベリアは本当に嬉しそうで、シャロはこんな方法でしか弟を喜ばせてやれないことを嘆きそうになるも、今は迷いと切り捨てた。
ベリアはまだ諦めない。
これを諦めさせるには――、せめてその『世界』を粉砕し、『偽神』を解除させなければならない。
「ならばこの戦いの記憶を胸に留め永遠とせよ! 終いじゃ!」
ありったけの魔力を込め、シャロは杖をベリアへと突き出す。
「月穿ち」
貫け、弟の『世界』を――、と放たれた一撃。
先の『星砕き』よりさらに威力の増した攻撃が容赦無くベリアへと襲いかかる。
だが――
「まだ、まだ終わらせない……! この瞬間のために私はあった、ここで終わるわけにはいかない……!」
執念――。
シャロは魔導王すら下したベリアの執念をまだ甘く見ていた。
故に、この『偽神』を維持した状態で魔技を使うという手本を見せたことで――、道を示したことで、ここにきてベリアがこの域にまで追いついてくるとは予想できなかった。
「え、永遠の盾……!」
ベリアが発動させたのは防御の魔技。
ここで終わらせる――、と、シャロが全身全霊で放った一撃はこの魔技によって防がれてしまう。
「なん……!?」
「ど、どうだい姉さん! 私はまだやれる! さあ、戦いはこれからだ!」
また姉に近づいたのだと、ベリアは嬉々とした様子で叫んだが、一方のシャロは苦々しい表情を浮かべるばかりだ。
いや、それは予定が狂ったことを悔しがってのものではなく――
「……姉さん?」
これまで振り回していた魔導杖を杖として、なんとか体勢を保とうとするシャロにベリアは困惑する。
魔技を連発したことが原因なのだろうかと考えるも、この姉がたった二発でこれほど疲弊するのはおかしいと否定しようとした。
だが――
「そうか……、姉さんの攻撃が苛烈になったのは勝負を急いだからなんだね。魔力が枯渇する前に決着をつけようと……」
両者共に完成された『偽神』を使うとなれば、その魔力量が勝敗に大きく影響することになる。
魔力の量を比べるならシャロの方が多く、通常であれば優勢となるはずであった。しかし、バベルの塔を最短で攻略するために立案された計画は、シャロに多大な魔力消費を強いたのだ。
自分が不利と理解していたシャロは、だからこそ勝負を急いだ。
ただでさえ『偽神』の維持に魔力が消費されるなか、さらに甚大に消費する魔技を使用したのは、いずれジリ貧となるのがわかっていたからである。
短期決戦という選択は上手くいった。
が、最後の最後、もう一押しというところでベリアが成長してしまったがために破綻をきたしたのだ。
「これは……、私の勝ちなのかな?」
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/11/15
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2020/04/27
※さらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/03/09




