第708話 14歳(春)…かつて魔王と呼ばれた王
「し、しまった……、上まで送ってもらってからメタマルを帰せばよかった……!」
広場をダッシュするまではよかった。
でも螺旋階段で体力を持っていかれ、俺はゼーハーゼーハーと息絶え絶えで七十二階へと到達することになった。
やや後悔しつつも、ともかく到達した最上階。
基本はこれまでと同じで広々とした中央空間が存在している。異なるのはもう上への階段が無いのと、中央にやたらでっかい透明な宝石が鎮座しており、その周囲に四本の柱が立っていること。
あとは――
「あぁぁ――ッ!! ご主人さま来たぁぁぁ――――ッ!!」
でっかい宝石の中にいるシアが、やたら大声で叫んでくることか。
離ればなれになっていたのはたった三日程度なのだが、その声はずいぶんと久しぶりに聞いたような気がした。
「ご主人さまぁぁ――――ッ! ここ、ここ! わたしはここですよぉぉ――――ッ! へぇ――――るぷッ!」
そんなもの見りゃわかる。
何かもうシアの声はお腹いっぱいになってきた。
とりあえず、シアをあのでかい宝石から引っぱりだしてしまえば作戦は完了というところなのだが――
「居やがるか。まあ居るわな。つか居てもらわないと困るし」
騒がしいシアが閉じ込められている宝石の手前、そこに佇んでいるのは立派なお姿をした悪神である。
どうしたものかと思ったものの、悪神は大人しく俺を待っているようだったので、ひとまず近寄っていってみることにした。
乱れた呼吸を整えつつ歩み寄っていくと、もう目の前という所で悪神はぱちぱちと拍手をし始めた。
「おめでとう。今回は君の勝ちだ」
祝福するようなことを言いつつも、悪神の表情は苦々しいものである。
「俺の勝ちってことは、ここでシアを助け出してしまってもあんたは構わないってわけか?」
「まさか、そんなわけがない。だが……、ね」
やれやれと悪神は首を振り、ため息をつく。
「ベリアにも困ったものだ。長い時間をかけた計画が、姉と戦うための餌にされてしまった。正直、たまったものではない」
悪神にこうも言わせるとか、ある意味すごい奴である。
「邪魔はしてこないのか? 計画の成就は悲願だったんだろ?」
「止められるものなら止めたいのだがね、そうもいかない。君の行動を阻止すれば、神々の干渉を招くことになる」
「なるほど……」
と納得したように応えつつ、俺は内心困っていた。
悲願の成就まであともう一歩、もう一押し、ならば、悪神はここで強行に出る――、と踏んでいたからである。
それが渋々ながら手を引こうとしているこの状況。
都合は良いが、望ましい展開ではない。
それに、ここで神々の干渉を嫌い大人しく退くということは即ち、こいつがまだ世界樹計画を諦めてはいないということだ。
どれほど時間がかかろうと、こいつはまた世界樹計画を再開させようとする。
それはダメだ。
それでは困るのだ。
だから――
「バスカーッ!」
俺はここでバスカーを召喚する。
「わおーん!」
雷を散らしながら現れた子犬に、俺は即座に指示を出す。
「チェンジ! バスカヴィル!」
「うぉーん!」
バスカーはすぐさま魔剣形態となり、俺の手に収まった。
「なにいまさら退こうとしてんだてめえは」
魔剣の切っ先を突きつけると、まず悪神はちょっと驚いたように目を見開き、それから愉快そうに笑みを浮かべて尋ねてきた。
「これはどういうことかな?」
「どういうことも何も――」
と、俺は喋り始めたのだが――、ここでシアがわめく。
「ちょっとぉぉ!? ご主人さま何言いだしてんです!? いやまあ喧嘩売るなら売るでいいんですけど、まずわたし、わたしを出してからにしてくださいよぉ! 一緒に、一緒にキュッってシメちゃいましょう!」
「シアさんや、ちょっと黙っててもらえる?」
「そんなぁ……!」
シアには見守ってもらうことにして、視線を戻す。
悪神は少し考えるような素振りを見せ、それから目を瞑ってくすっと笑った。
「三日。たった三日の準備期間で君はここに辿り着いた。まったく見事なものだ。本当に、心から称賛したい。そして君は、ここで私が立ち塞がることも考慮していた。にもかかわらず、それでもこうして訪れたということは……、つまり、私に勝つ算段があったというわけだ。違うかね?」
「いや、違わない」
「ふふ、だろうね。ところが私が何もせず退こうとするので、君は計算が狂うことになった。君はここで私を亡き者とし、もう二度と世界樹計画が再開されないようにするつもりだったわけだ。だから私に挑むことにした。それは私が本心では諦めたくないこと、そして君からの挑戦を受けることで神々の干渉を受けることなく君を始末し、計画を継続できると考えることを計算に入れてだ。いやはや、素晴らしい機転と言うべきだろうね。そこまでして私を逃したくないのか。そこまでするほど、私を葬る手段に自信があるのか」
俺の企みは概ね悪神が言った通りである。
後は悪神が受けるかどうか。
悪神が受けた場合、退いた場合、この違いは、悪神をここで仕留められるか仕留められないか、世界樹計画という面倒な問題を解決できるか、それともずっと未来に先送りにしてしまうかどうかの違いとなる。
どちらであろうとひとまず世界は救われるが、どうせなら今ここですべての問題を解決してしまいたい。
「君は本当に私を倒せると考えているのか?」
「倒せる。そのためにここに来た。こうしておまえの前に立つため、今回はわざわざ大陸中を巻きこんでの騒動にしたんだ」
「ほう、面白いことを言う。では、私の前に立つ必要が無ければこうはならなかったと言うのかな?」
「そうだな。実のところ、シアを助け出すだけなら親しい人たちの協力だけでどうにかできたんだよ。けどその場合、計画の阻止はできるものの、おまえを取り逃がす結果になっていた。それじゃあ困る。困るんだよ」
悪神は諦めない。
そしてきっと、また長い時間を掛けて計画を進めるのだ。
「おまえを野放しにしておけば碌な事にならない。どんな問題のきっかけを大陸中にばらまいて回るか、気が気でないんだよ。勇者委員会が関わった問題の多くは、おまえが発端なんじゃないのか?」
「はは、おそらくは。君と私はそう関わりが無いようで、実は間接的によく関わっていたのかもしれないな。私がきっかけとなった取り組みで、君が特に深く関わったものは二つだ。一つは迷宮都市エミルスにおけるバロットとスライム覇種の片割れ――ノアとの共同研究。この取り纏めをしたのは、実は私だ。当時は確か……、ロラン・ドゴールと名乗っていたか」
あわや魔王誕生だったじゃねえか。
こいつ本当に碌でもねえ。
「そしてもう一つはヴァイロ共和国。嘆き悲しむドワーフを、金属のスライムに引き合わせたのは私だ」
「てめぇは……」
悪神だから――、ではない。
神としての役割とは別、ただこいつ自身の在り方が、世界を歪め狂わせていくようになっているのだ。
「やっぱり大陸中を巻きこんで正解だった。おまえは存在するだけで害悪だよ。おまえこそが魔王だ」
吐き捨てるように告げたところ、悪神はきょとんとし、それから愉快そうに笑い始めた。
「はははは、魔王か、ははは、それはいい。懐かしいな、私が大陸に覇を唱えんとしたとき、私のやり方が気に入らぬ者たちはこぞって私をそう呼んだものだ。特に熱心な連中は、善意ばかりを説く愚かな老いぼれを旗頭に祭り上げ挑んでもきた。無論、一人残らず始末したが、嫌がらせとしては上等だったのだろう。おかげで面倒な善神が誕生してしまうことになった」
「――なに?」
さらっと凄いこと言ったぞこいつ。
「おや、善神からは何も聞いていないのか」
「まず善神に会ったことがねえよ」
「そうか、そうだったか。それならそれでかまわない。むしろ、会わずに居てくれてよかったくらいだ」
「おまえでも善神は苦手か。まあ、そりが合わないにしても、神同士じゃあ殺すわけにはいかないからな」
「それもあるが……、やりにくいのだよ、幼い頃の自分を知っている相手というのはな」
「そんな相手でも殺したのか……?」
「当然だろう。むしろ、だからこそ殺すのだ。余計な面倒を引き起こすとわかっていれば、私の元を去る時に殺しておくべきだったな」
悪神は告げ、ふっと苦笑する。
「さて、話を戻そうか。君は私を倒すつもりでいる。なるほど、ひどい自惚れ――、そう言ってしまいたいところだが……、心の底では言うべきではないという声がする。ここまでやれた君だ、何か勝算があるのだろう? そういうものが恐ろしい。もしかすると、ここは退くべきところなのだろうか……」
そう悪神は言うが――、ふっと、その手に剣が現れる。
剣は悪神が身につける荘厳な鎧や、その上から纏う煌びやかな衣と同じように立派な代物だ。
「だが――、ね、この私は挑まれた戦いから退いたことは無い。どのような敵も打ち倒してきた。何のしがらみも無く戦える状況を用意されたとなれば、もはや私に退くという選択肢は無い。ここで退いてしまえば、それはもはや私ではなくなってしまう。だから私は君の決闘を受け、君を倒さなければならない。正直、惜しいのだがね」
「惜しい?」
「そうだ、惜しい。君のような者こそ、私の祝福を受けるべきなのだよ。残念だ、本当に残念だ」
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/11/11




