第707話 閑話…剣を抜くは誰が為に(後編)
だからここは譲れない――。
そう語るミーネの言葉には迷いが無く、清々しくすらあった。
そしてその心の在り方が、剣には如実に反映されるのだ。
「あーやだやだ、嫌になるね。まったく、才能のある奴はふとしたきっかけで化けやがる。剣に打ち込んでやっとここまで来たアタシからすれば、腹立たしいくらいに羨ましい話だ」
うんざりした様子でシオンは言う。
と、これを聞いたミーネはげんなりした様子で言い返す。
「あら、嫌になるのは私も同じよ。さっき私に言ったことをそのまま返すわ。以前は『自分はこれだけ鍛えてきたんだ!』って主張していたあなたの剣が、今は全然違っていることに気づいてる?」
かつて、自分はひたすら剣を振ってきたとシオンは言った。
ミーネの人生の十倍近く剣を振り続けて形成された、たたき上げの我流。そして神撃にまで辿り着いた剣技はシオンの精神をそのまま反映する厚み、太さを感じさせていたが、今ではそういったものが隠れ息を潜めるようになっている。では、何の脅威も感じなくなったのかと言えばそうではなく、以前とはまた違った凄味が増していた。
「んー? 変わってるか?」
「変わってるわ。気味が悪い感じに」
静かだが暗く深い森、穏やかで透き通っているが底の見通せない泉、そういったものを想起させるようになっている。それはシオンの美しい容姿や、手にした妖美な魔剣と相まって、一種の『魔物』のような印象をミーネに抱かせていた。
「ねえシオン、あなたってベリアに救われて、しばらくベリアのために剣を振るおうとしていたんじゃない?」
「あいつのためにってことはないが、まあそのうち再会できたら成長したってところを見せないとな、とかは思った……、かな?」
「だから落ち着いたのね。ベリアに協力するってなったところで、あなたは本来の収まるところに収まったの。誰かのために剣を振るうことで歩み出したけど、そのうち忘れてしまった。でも今になってやっと思い出した。あーあ、勝てるとしたらここだったのに、あなたまで誰かのために剣を振るようになったら台無しじゃない」
「なんだ、じゃあ降参するか?」
挑発するシオン、ミーネは不敵に笑う。
「それは無いわ。ここは私が勝つところだもの。どうあっても、どんな手を使っても。だから――、ごめんねシオン、私、ズルをするわ」
「ズル……?」
「そう――、これよ!」
と、ミーネが魔導袋から取りだして見せたのは、シャロに改造を依頼していた仮面だった。
もちろん、それを見せられたところで、シオンには何が何だかわからないので意味はないのだが。
「えっと……、それで?」
「それで、こうよ!」
ミーネは仮面を装着、そして叫ぶ。
「チェンジ! レディィ・オォ――――クッ!」
この叫びに、仮面は直ちに反応した。
なんと、左右のこめかみ付近から、オークの牙をイメージしたウィングがシャキーンと飛び出したのである。
そして――
「……で?」
「ひとまず以上よ!」
「ええぇ……!?」
終わりかよっ、とシオンは肩すかしを食らうことになったが、仮面を装着したミーネはテンションが上がっている。
なるほど、精神の状態がそのまま剣に影響する性質上、自分で士気を向上させるのは効果的と言えるかもしれない、とシオンは投げやりに考えた。また、呆気にとられた自分の士気は低下したので、これはもしかしたらよく考えられているのではないかとシオンは勘ぐり、すぐにそんなわけないと正気に返った。
「まったく……」
以前と戦い方が変わったミーネだが、変わらないところもある。
それは戦いを楽しむこと。
遊びの延長線上にあるのかもしれないが、野生の獣は遊びながら狩りを学ぶもの。いつまでも無邪気に遊び続けるなら、それはどこまでも狩りの腕を上げていくということなのだろう。
脅威になり得る今となっても、まだ、どこまでも。
「ずいぶんと話し込んでしまったけど、ここからは早いわ! さあシオン、決着をつけましょう!」
「いいぜ、体も適度にほぐれてきたしな!」
剣の冴えを見せ合う戦いはここで終わり。
これからは、己が培ったものをぶつける時間だ。
「ははっ」
思わず笑みがこぼれたのはシオン。
いつかまた戦うことになる、そんな予感がしたから、姿を消す前にレイヴァース卿に『次もアタシが勝つ』と伝えてくれと頼んでおいた。
果たして、ちゃんと伝えてくれただろうか?
どちらにしても、かつて打ち倒した少女は強くなり、こうして再び挑んできた。
ベリアの恩返しにと、こうして邪魔な連中が訪れた時の妨害役――迷宮における階層主のような役割を担うことになったが、今この時、この戦いは自分だけのものだ。
「さあ来いよ! また負かしてやっから!」
「今度は私が勝つし!」
叫び、ミーネは構えた剣を下段――、いや、さらに下げ、切っ先を広場の床にコツンと当てる。
「行くわよ、シオン。――〝大地花葬ッ〟」
瞬間、シオンがいる周辺の床、その表層が一斉に爆ぜた。
威力は――、大したことは無い。壊そうとしても壊れないこの塔の一部を曲がりなりにも破壊してみせたことから、これが野外であれば相当な威力であったと推測できたが、今はただ粉砕された床の成れの果て――砂埃によって一時的に視界が遮られるくらいのものだ。
「派手な目眩ましだな!」
稼げる時間はせいぜい十数秒。
そのなかで、パチン、パチン、という指を鳴らす音が聞こえ、同時に砂埃の壁を貫き指向性のある衝撃がシオン目掛けて飛んでくる。
「何だ何だ、どうしたいんだ?」
ミーネの放つ魔弾を感知と言うよりも勘で迎撃し、この後に来るであろう本当の攻撃の予感に、シオンは期待に胸を膨らませる。
見上げる頭上には、鏡のような水の膜が広がっていた。
「〝水鏡流星雨ッ〟」
ミーネの叫びに応じ、降りそそいでくる槍のような雫。
これを、シオンはふらついているような足取りで避けていく。
「見事なものだが――、狙いがいまいちだな! これって集団とか図体のでかいやつに使うやつじゃねえのか!」
「うん、実はそうなの! ――でもって〝空牙ッ〟」
砂埃が収まったところ、ミーネはずいぶんと距離を取っており、そこからこのフロアをまとめて薙ぎ払うような横凪ぎの斬撃を飛ばしてきた。
「ちっ」
しゃがむか、飛ぶか。
どちらにしろ体勢を崩れたところを狙われる。
ならば砕く。
「ふっ――」
シオンの振りおろしたバハローグによって風の斬撃は潰されたが――
「――からの、〝空牙疾走ッ〟」
一瞬でミーネが突撃してくる。
真っ直ぐに、真っ直ぐに、そして――
「〝震空牙ッ〟」
「甘い!」
ただぶつかってくるだけではない、ミーネならきっとそう――、この勘を頼りに、シオンは瞬間的に練り上げた魔力を一撃に込め、ミーネの攻撃を相殺する。
「おいミーネ、なんだか攻撃が雑になったぞ!」
「そんなこと言っていられるのは今の内よ――、と、〝炎名冠者ッ〟」
「――ッ!?」
それはヤバい――、とシオンが飛び退いた場所を、輪郭が赤く光るようになった剣が凪ぐ。
どういう効果があるのか、それがわかったわけではないが、一目見た瞬間にヒヤッとして回避することをシオンは選択していた。
あれはちょっとやっかいだな、とシオンは警戒するが――
「ありゃ?」
ミーネが剣を構え直したところで赤い光りは収まってしまい、これにより、シオンの頭の中で鳴っていた警鐘もすんなりと鳴り止んだ。
「消えちゃった……。やっぱりちゃんと溜めないと駄目みたいね」
「うぉーい、おい! やる気あんの!?」
「あるわよ! ――でも、シオンはさすがね、普通はこれまでの技でどうにかなるところなのに!」
「そりゃあな! で、まだ披露してくれるものはあるのか!」
「あら、言ったでしょう――、ズルをするって! 待たせたわね!」
「……なに?」
シオンが戸惑った瞬間――
「破邪の剣ッ!」
ミーネが叫ぶ。
それは仮面に内蔵された『とっておき』を起動させるための発動句。
彼が使う『簒奪のバックル』と同じく、与えられた神の恩恵を自身が望むように使えるようになる罰当たりな秘密道具だ。
ミーネに与えられた恩恵は遊戯の神の、闘神の、そして食神の――加護。
急激にミーネの威圧感が増し、これにはシオンも苦笑いを浮かべることになった。
「はっ、その力をぶつけてくるってわけか!」
「ううん、そうじゃないの。これはね、力の制御に回すのよ」
「制御……?」
「そう、まだ扱いきれなくて……、ごめんね、シオン、もしかしたらあなたを殺してしまうかもしれないわ」
「は……、はは、あははは!」
シオンは笑う。
以前、自分が似た様なことをミーネに言ったことを思い出しつつ。
「なるほどね、とにかく凄い一撃が来るってわけか! こりゃ前の決着の再現だな! いいぜ、やろうじゃねえか!」
構え、対峙するミーネとシオン。
最高の一撃を繰り出し合い、打ち負けた方が負けという単純な勝負。
極限の集中。
静止は短い時間だったが、二人は互いに多くの事柄を一瞬で思い出していた。
ここで自分が『勝つ』ため、すべての想いを一撃に乗せるべく。
そして――
「――『剣魔』シオン=バハローグ! 参る!」
「――『魔導剣』ミネヴィア=ニルヴァーナ! 行くわ!」
互いに名乗り、全力の踏み込み――、死線への一歩を踏み出す。
「魔王剣ッ!」
シオンが誇る、神撃へと至った最強の技。
これに対しミーネが放つは――。
「(土、水、風、火、巡りて至れ――)」
幼い頃の出会いがミーネの剣を変えた。
剣を振るう先には常に彼の存在があった。
彼はどこまでも征く。
きっと行き着くところは大陸の覇者だろう。
支配などではなく、しかしそれでも、彼が覇を唱えることは誰もが認めることになるに違いない。
ならば自分は、携えられる剣は、その名は――
「〝覇王剣ッ!〟」
これ以外に考えられない。
こうして互いに放たれた技。
激突する魔剣と魔剣。
鬩ぎ合う神撃と魔技。
いや、ミーネの技は魔技であれど、今この瞬間だけはそれだけで終わらない。
土、水、風、火――。
これら、魔導学における四大元素の本質は固体・液体・気体・離体という昇華の段階だとされる、そうミーネは幼い頃に習った。
では、自身が魔術によってそれをなぞっていったときどうなるのか?
四属を巡り至るもの。
それが――、それこそがミーネにとっての神撃。
今はまだそれぞれの魔術を順に使い、さらに神の恩恵の助けを借りる必要のある神撃だが、それでもミーネは辿り着いた。
そして――、今回、これまでの練習で見せなかった変化を起こしたのが愛剣ニルヴァーナだ。
突如としてその剣身、その表層が爆ぜ、殻が砕けるようにして姿を現したのは淡い金の燐光を放つ美しい剣身であった。
「――ッ」
戦いの、それも生死を分かつような瞬間の中であったが、シオンはミーネが神撃へと至ったこと、そしてニルヴァーナの変化を目撃したことにより、こんなことが起こりえるのかという純粋な驚きに支配されることになった。
それは偏に、彼のために剣を振り続けてきた成果なのだろう。
戦いながらうっかり惚気てくるような娘だが、剣を振るう理由にもなっているその対象が、誰に対しても自慢できるミーネのことをシオンは羨ましく思った。
それが――。
拮抗した神撃のぶつけ合いにおいての――仇。
バキンッ、と金属の折れる音が響く。
「な――」
折れたのはシオンのバハローグ。
技の威力は相殺されつつあったが、シオンの迷いによりわずかに押され、それを受け止めることになった剣が限界に達してしまったのだ。
「う、嘘だろおいぃ……!」
肉体的なダメージはほとんど無いシオンであったが、ずっと苦楽を共にし、ようやく魔剣にまで成長したバハローグが折れてしまったことに深い精神的ダメージを被り、へろへろと座り込むことになった。
それを目撃することになったミーネは、ようやく勝てたことを喜ぶよりもまず申し訳なさが込み上げてくる。
「ご、ごめん……」
以前、自分がシオンにやられたことであったが、愛剣が壊れる悲しみは本当によく理解できるため、ミーネはばつが悪そうに謝った。
※誤字脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/11/09
※ミーネに闘神の加護があるのを書き忘れたので追加しました。
2019/11/11
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/05/16
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/08/04
※さらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2022/09/27




