第706話 閑話…剣を抜くは誰が為に(前編)
走り去るDルーラー改を手を振って見送った後、ミーネはシオンに視線を向けるとさっそく剣を抜いた。
するとシオンはちょっと眉をひそめ、残念そうに言う。
「おいおい、いきなりかよ。少しくらい話そうぜ」
「え? それは戦いながらでいいじゃない。それに、こっちの方が話だけじゃわからないこともわかるわ」
「あー……、それもそうだな」
うん、とすんなり納得して、シオンもまた剣を抜く。
一般的に、戦いながら悠長に話をするものではないが、戦いに意識を割かれる中での対話は、変に取り繕う余裕が無くなるため本音に近いところで話し合えるという利点がある。
とは言え、この二人に関しては例外で、これは単純に交えた剣の感触から相手の事を感じ取るという、戦いに傾倒した者が宿し始める一種の特殊能力に由来する意思疎通のやり方だ。
これを極めると相手の主義主張、覚悟、その背景だけでなく生い立ちまでぼんやり理解できるようになるとされているが、二人が本当にその領域にあるかどうかは謎である。
こうして、剣を構え対峙することになったミーネとシオン。
やはり目を惹くのは、淡い紫の燐光を放つシオンの魔剣――バハローグである。
対し、ミーネの剣――ニルヴァーナはさして珍しさも無い、ごく一般的な剣のようであり、自身の容姿と剣、双方の美しさが相まって威圧感すら感じさせるシオンに比べると、ミーネが幾分劣って見えてしまうのは仕方のないことであった。
「案外、地味な剣を使ってるな」
からかうようにシオンが言うも、ミーネは機嫌を損ねるでもなく、少し懐かしむような表情を浮かべた。
「誰かさんに砕かれてから、この子も色々あったのよ……」
「ん? もしかして、それって迷宮でやりあったときに砕けた剣か?」
「そうよ。打ち直してもらったの。ニルヴァーナって名前も付けてもらったんだから」
「ずいぶんごつい感じのする名前だな……。でもやっぱあんまり雰囲気は無いぞ。名前負けしてるんじゃないか?」
「あなたのバハローグに比べたら派手さは無いけど、この子はきっと凄い子よ」
「きっとなのか……」
「うん。なんだかね、私がまだ未熟だから、この子は本気になっていないような気がするのよ。でもほら、今回はこの子にとっても因縁の対決じゃない? たぶんやる気になってくれると思うわ」
「きっととかたぶんとか、大丈夫かよ……」
「大丈夫よ。戦ってればわかる――、わ!」
と、ミーネが斬りかかったことで戦闘は開始された。
もちろん、この程度でシオンの不意を突けるわけもなく、軽くあしらわれてミーネは反撃を受ける。
「――っと!」
この反撃をひらりと躱すミーネ。
単純な剣の勝負となると、やはり体格差の問題から、ミーネは攻撃を受け止めてしまうと不利になる。
なるべく攻撃は回避すべきだが――、しかし、それで相手に背中を曝すことになっては、むしろ自身をより窮地へと追い込んだだけだ。
「ふっ――」
シオンは反射的――誘われるようにミーネの背に切り下ろしを放つ。
が、これはミーネが水平に掲げた剣によって防がれ、攻撃は金属音を響かせるだけに留まった。
だが、依然ミーネの背中はがら空きで――
「――」
蹴り、体勢崩し、追撃――。
シオンの脳裏に行うべき行動が瞬間的に閃き、ミーネの背中を蹴りつけるべく右足を上げようとする。
が――
「とう!」
「ぬおぉっ!?」
シオンは謎の攻撃を受け、踏鞴を踏むことになった。
それは大したダメージ――、いや、まずそもそも痛くすらもない。
何しろ、ミーネは後ろに飛んで、突きだしたお尻をシオンにぶつけてきただけだからである。
「ふっ、決まったわ」
「え? って、ちょい待て! もしかして今の狙ってやったの!?」
「そうよ。どう、びっくりしたでしょう?」
「うんまあびっくりはしたけどさ! これから楽しく元気よく戦おうって時にちょっとふざけすぎじゃね!?」
「ふざけてるわけじゃないわ! ……まあ、準備運動みたいな今しか出来ないことなのも確かだけど」
「やっぱりふざけてんじゃねえか! つか、なんかすげぇ負けた気になるのは何でだ!? ひでえ技だな!」
「むぅ、評価はかんばしくないようね。私は気に入ってるのに。なら……、うん、この技の名は『桃色片想い』にしましょう!」
「お前どんだけ余裕なんだよ!」
と、シオンはミーネへと斬りかかるが、想像もしなかった変なことをされたせいで、また妙なことをされるのではないかとちょっとだけ及び腰になっていた。
まさかこういう効果を狙ったのだろうか、とシオンが少しばかり悩む中、そこからは先の宣言通りお喋りをしながらの戦いとなった。
「それでシオン、あなたどうしてベリアに協力してるのよ。魔王と戦いたいとか言っていたのに、今のあなたってどっちかって言うとその魔王の手下になってるようなものじゃない」
「こいつは耳が痛いね。まああれだ、アタシにも事情ってもんがあるんだよ。シアにも聞かれたんだが……、ベリアには恩があるわけだ」
攻防を繰り返しながらシオンが語ったのは、リッチ時代のベリアに説教されたことで、改めて剣の道に進むと決めた話であり、これを聞いたことでミーネは一つ腑に落ちたことがあった。
「なるほど……、なるほどね。そういうことなのね」
「そういうことだ。さっきも言ったが、ミーネだってあいつがこうなったら協力したんじゃねえか?」
「そうかもね。でも、そんなことにはならないか――、ら!」
ミーネはこれまで軽く当てに行くだけだった攻撃を、ここで強く踏み込んでの一撃に切り替える。
シオンはこれを剣で受けつつ、衝撃を逃すように一歩退いた――、いや、それは退いたように見せかけた『溜め』であり、次の瞬間、ミーネが飛び退いた位置をゴウッとバハローグが薙ぎ払う。
「おっ、避けるか」
「そりゃ避けるわよ」
戦いの段階が真剣での訓練から、隙あらば叩き斬るという段階へ移行したが、それでも二人の調子は変わらないままだ。
「そういや、ミーネの言った通りだったな」
「言った通り?」
「俺が魔王を倒す――、いつかあいつはそう宣言するってお前言ってただろ? ヴァイロの騒動についての記事を読んだ時、思わず笑っちまったじゃねえか。――で、さらにメルナルディアでは、なりかけの魔王とは言えそれを実行してみせた。まったく、大したもんだよ」
「でしょう?」
ふふん、とミーネはちょっと得意げに笑う。
うっかり攻撃されないように、ちゃんと距離を取ってからという念の入りようであった。
「私の勘も大したものよね!」
「ちっ、認めるしかねえな。にしても、あいつって滅茶苦茶だな。今度はこんな地獄のど真ん中までやって来てるし。ホントありえねえよ。どこからそんな覚悟が湧いてくんのかね。あれか、英雄ってのはそういうもんなのか?」
「む。それは前に言ったと思うけど?」
「お前なんて言ったっけ?」
「正確に覚えてるわけじゃないんだけど、ほら、英雄だから頑張ってるってわけじゃないとかって……、あれ、その時は勇者だからとか言っていたかしら? まあいいわ。とにかく、同じよ、変わらないわ。誰かが犠牲になるのを見過ごせないから、一生懸命やったのよ。さすがに今回はすっごく大変そうだったけど、犠牲になる人はいっぱいだし、何よりシアが危ないんだから放っておけるわけがないのよね」
そう語るミーネは、お喋りの方に気が向いてしまったのか、距離を取ったまま剣を下げて棒立ちになってしまっている。
明らかに隙だらけなのだが……。
「すべて終わらせるって言ってたし、そうなったらますます有名になって持て囃されちゃうわね。すっごく面倒くさそうな顔をする様子が目に浮かぶわ。でもまあ、ここまでやれば導名も貰えるだろうし、頑張りどころってやつね」
「ははは、変わらないな」
「ええ、そうよ」
「いやあいつじゃなくてお前のことなんだがな?」
戦いながら惚気られる経験は、後にも先にもミーネだけで、今回もまた同じとくる。
「アタシと会ったあとも色々とあったんだろ? ってことはミーネ、お前もずいぶんと成長したはずだ。ルーの森で大騒動になったのは、当事者から聞いたんだよ。すっげぇ嫌そうな顔されながら」
「ルーの森ね……」
と、ミーネはそこで少し神妙な顔になる。
「どうした?」
「ルーの森で私は大事なことを学んだわ」
「大事なこと?」
「そう。シオン、あなた知ってる? 遭難するとお腹がぺこぺこになって、とても惨めな気持ちになるのよ。いくら強くても、そこはどうにもならないの」
「それはまた根本的なことをやっと学んだんだな……」
「ええ、やっとよ。それで私は料理を覚えて、けっこう色々作れるようになったの。凄いでしょう?」
「凄いのは認めるけど……、おかしいな、アタシが想像していた成長とはずいぶん方向性が違う。でも――、な!」
瞬間的にシオンは飛びだし、油断するミーネへ一気に距離を詰めて渾身の突きを繰り出した。
以前のミーネなら、仕留められないまでも傷を負わせられるはずの一撃は――、読まれていたようにすっと体を横にずらされて躱され、おまけに下げっぱなしにしていた剣を跳ねあげることで反撃までしてきた。
「くっ――」
片手で、ただ剣を上へと振り上げるだけの動作だ、大した威力ではない。
が、これを喰らうと何だか負けのような気がしてシオンは強引に体を捻り、なんとか躱す。
咄嗟に追撃を警戒したが――、ミーネは特にそれ以上のことはしてこなかった。
ここで追撃があれば、戦いの質がもう一段階次へと移行するところだったが、ミーネはまだそれを望んではいないようだ。
「やっぱり、戦い方はちゃんと変わってるんだよな……!」
「あら、そう?」
「ああ、ずいぶんとやりにくくなってる」
躍起になってぶつかってきて、結果、体勢を崩されたりするような無理をしてこないし、守りにしても、今の様にそつなく行えている。
これは『守りに入っている』ということではなく、攻守の切り替えが以前よりもずっと上手くなった――、とシオンは考え、いやそうではないとすぐに考えを改めた。
自分と同じように、ミーネは決まった剣術をきっちり習得しての剣士というわけではなく、いわゆる我流であり、自身の気質がそのまま剣に反映されやすい。
「以前は『私はこんなに強いのよ!』って自己主張の強い、微笑ましい感じだったんだがな」
言ってみればそれは、巨大な子犬が無邪気にじゃれついてくるようなもので、それを受け止めきれない者からすれば大変な脅威となるものの、シオンからすればあしらえる程度のものだった。
しかし今は――、漠然とした脅威を感じる。
「心境の変化か。でも、何も料理を覚えたからってだけじゃないんだろ? それだけで強くなられたら、いいかげんアタシの心が折れる」
「さすがに料理だけじゃないわよ。一番影響があったのは、わりと最近のことね。身の程を知ったのよ」
「お前がそう言うってことは、よっぽどの事があったのか」
「よっぽどよ、本当に。私のお爺さまと、リビラのお父さん――ベルガミアのアズアーフが二人がかりで押し切れなかった相手がいてね、まあ魔王になりかけたメルナルディアのガレデアなんだけど。おまけにこのガレデア、魔王になり始めたらもう戦いを挑むことすら出来なくなっちゃうとか、ずるいにもほどがあるわ。……でも、あの子はそれに勝っちゃうのよね」
ミーネは小さくため息をつき、それから言う。
「強いって、何なのかしら。勝てばいい? 勝ち続けられれば強い? それはなんか違う気がするわ」
「じゃあ、どうだと思うんだ?」
「必要なところで勝てること、じゃないかしら。勝つのが凄いのはその通りだけど当たり前。でも肝心なのはどこで勝つか。必要なところで勝てるなら、他は全部負けてもいいんじゃないかって思うの」
「そいつはアタシとしても興味深いね。その肝心なところってのはどういうもんだ?」
「それがまだよくわからないのよねー」
「なんだそりゃ?」
「仕方ないじゃない。やっと最近そう思うようになったんだもの。うまく言葉にできないのよ。でも、きっとそれはただ自分のために剣を振るうんじゃあ遠のいていくと思うわ」
「なら――、誰かのために、ってか?」
「そんな感じ。でもね、だからって、ただ誰かのためにと独りよがりの剣では、自分のために振っているだけにすぎなくなるの。それではその誰かを悲しませる結果になっちゃうわ」
そのことについて、ミーネは夢の世界、自分と同じ姿をした迷走する少女と対峙することで知った。
「なんかね、難しいのよ、状況によってずいぶん変わっちゃうから」
「そうか、そう簡単な話じゃないのか」
「そう、簡単な話じゃないのよ。でも――」
と、ここでミーネはにこっと微笑む。
「勝っても負けても、あの子が決着を付けるのにそう関係無いかもしれないんだけど、ここはね、たぶん私にとってその『肝心なところ』だと思うの」




