第705話 閑話…聖女と悪女(後編)
「なるほど……、なるほどね。いや、凄い、お前は凄いよ、それはもう認めるしかない」
やれやれと首を振り、イーラレスカは告げた。
それは嘘偽り無い言葉であったため、これで無益な戦いを行わずにすんだとアレサは喜んで言う。
「では、これで諦めていただけますね」
すぐに彼を追わなければ――、そう思ったとき。
「あ? 何で?」
「なん……、何でって……」
アレサが戸惑うなか、イーラレスカはため息まじりに言う。
「確かにお前は凄い。世の為、人の為、痛みを堪えてまったく立派なことだ。でも、それは私が諦める理由にはならないだろ? 要は人よりやせ我慢が上手ってだけだ」
「貴方は――」
と、アレサが言いかけたとき、イーラレスカは素早くメイスで攻撃をしてきた。
このタイミングは動揺していたアレサにとって不意打ちとなり、咄嗟に身を捻るも左肩に打撃を受ける。
痛みは――、それほどでもない。
だがイーラレスカにとっては違う。
「ぐがッ!」
己の攻撃の痛みを受け、イーラレスカは身をよじるものの、そのまま構わず次の攻撃を仕掛けてきた。
「ど、どうして!?」
今度の攻撃は躱すも、アレサは反撃に出られない。
また意識を切り替え、聖女としてイーラレスカを叩きのめしてしまえばすむ話であったが、果たしてそれをやっていいのか、アレサは迷うようになってしまっていた。
今のイーラレスカは何かが違う。
アレサはその『何か』が気になるのだ。
「貴方は自分が私より痛みに耐えられると思っているのですか!?」
「さてね!」
イーラレスカは卓越したメイス使いというわけでもなく、その攻撃はそれほど脅威とはならない。
この際、きつい一撃を加え、苦しんでいる隙に距離を取りそのまま上の階層へと向かった方が手っとり早いかもしれない。
そうアレサは考えるが――
「(何故でしょうか、それをやってはいけない気がするのは……)」
これはそうさせないために罠があるとか、そういった危険を察するものとはまた別の、アレサ自身よくわからない心境だった。
「気乗りはしませんが……、仕方ありません」
「ようやくやる気になったかよ!」
切り替えきれない気持ちのまま、アレサはイーラレスカと殴り合うことを選択し、ここからは回避を捨て、足を止めての反撃となった。
アレサがイーラレスカを打ち、これによりイーラレスカの攻撃は――
「あぁぁっ、痛ってえなぁ!」
止まらない。
痛みを気力でねじ伏せ、自分もアレサに攻撃を加えてくる。
当然、その痛みもイーラレスカ自身に返ることになるが、イーラレスカは止まらない。
痛みに慣れたのか?
いや、そんなわけが無い。
ならばこれは、精神の高ぶりが肉体を凌駕し始めたのだろう。
「(これは――)」
予想よりもずっと長引くのではないか?
アレサの脳裏にそんな予感が生まれ、ここで初めてイーラレスカに脅威を覚えることになった。
何しろ、今のイーラレスカはこれまでアレサがメイスを振るうことになった者たちとまったく違うのである。
かつては多くの罪人と同じように、一撃、あるいは複数回の殴打によって心を挫かれ、泣き叫び許しを乞うていた。
今のイーラレスカに近い相手とすると……、その者なりに譲れぬもののため、痛みに挫けず立ち向かってきた戦士であろうか?
だが、イーラレスカは戦士ではなく、まして、譲れぬものなどあるような人物ではなかった。
にもかかわらずこれほど食いさがれるのは何故か?
まるでこうして殴り合うことが目的であるようにすら思えてくる。
「(もしこの戦いが目的であったなら……、こんなの、どうすれば)」
イーラレスカはいつまでも挑み続けてくるのではないか、アレサはそんな予感すら覚えたが――、ここで、ふと思い出す。
この戦いに意味はあるのかと尋ね、イーラレスカは『ある』と答えたがこれは嘘であった。
しかし、叩きのめされたらそれで満足かという問いに対しての『満足だ』という返答は真実であった。
「(この違いが重要な『何か』なのでは……?)」
アレサは防御に回り、なるべく攻撃を受けないように立ち回りながらふいに生まれた閃きについて考える。
イーラレスカを止められないのは、彼女に自分の言葉が届いていないからだとアレサは悟りつつあった。
ならば、届く言葉を探さなければならない。
そしてその取り組みは、彼が好んで行うやり方であった。
「(成敗して終わりではなく、より望ましい結末のために考えることを諦めない――、ああ、猊下はこれをやっていたのですね)」
悠長に構えていられない状況で、相手に届く言葉を見つけだすということは、そのわずかな間に相手を理解しようとする取り組みに他ならず、彼はさまざまなパターンから当たりを付けていくことでそれを可能としていた。
これをアレサが行うのは無理のある話であるかに思われるが、こと、イーラレスカに限っては――。
「(痛みに耐えられる、それは、何故?)」
ただ自分のためだけでは痛みに耐え続けることは出来ない。
なんらかの支えが必要となる。
それはアレサであってもだ。
自分の場合は、とアレサは考える。
かつては自身の証明のためだった。
この特性に意味があると。
そして今は――。
「(この人がすがるもの――)」
アレサはイーラレスカという人物について考える。
すると気づいたのは、彼女は自分と正反対のような人物であるということだった。
誰かに尽くしてきたアレサと、誰かに尽くさせてきたイーラレスカ。
そんなイーラレスカが、場合によっては死ぬことになろうとこの場にただ一人で待っていた理由。
すべては――
「(ベリアのため……?)」
ではないだろうか。
若返らせてもらった恩義もあるだろう。
しかし、かつてのイーラレスカであれば、命を懸けるまではしなかったはずだ。
であれば、ここにこうして居ることは、イーラレスカが変わったという証明に他ならず、彼女にそこまでさせる心理となるとアレサにはもう一つしか思いつかなかった。
「(ああ、そういうことですか)」
閉ざされた森に君臨していた、醜いほどに己を愛しんだ暴君、恥知らずな罪人は、森から追いやられたことで時を止めていた心を動かしてくれる者に出会ったのだ。
が、しかし、その者は滅びを願うような者であった。
誰からも認められない願いを抱く者を思い遣る場合、共に歩むことが正しいのか、それとも、その歩みを留まらせるのが正しいのか。
余人が口を出したところで意味は無く、イーラレスカは共に歩むことを選択した。
「(――ですが、本心は違うはず……!)」
心から共に滅びることを願うならば、ここは嬉々として邪魔をしてくるところである。
ならばこれは――
「(ベリアを止められなかった自分への罰……!)」
だからこそ、イーラレスカは叩きのめされたかった。
「(なんて、不器用な……!)」
そうは思うも、アレサはイーラレスカを笑うことは出来ない。
誰も教えなかった、だからどうにもならなかった、という状況はアレサも経験したことだ。
それに、自分の気持ちをどう捧げたらいいのかわからないのは、アレサとて同じなのである。
何故、アレサがイーラレスカを捨て置くことが出来なかったのか。
それは彼女が救いを求める迷い人であったからに他ならない。
「貴方は――」
と、そこで防御に徹していたアレサは動き、渾身の力を込めて迫り来るイーラレスカのメイスに、自分のメイスを叩きつけた。
けたたましい金属音が響き――
「くわっ!?」
これまでの痛みとは違う手の痺れにより、イーラレスカはメイスを取り落とす。
その隙にアレサは自らもメイスを放り、イーラレスカの両手首を掴んで動きを封じた。
「あっ、くそっ、取り押さえようたって――」
イーラレスカは逃れようとするが、ここでアレサは話しかける。
「貴方は、一人で苦しんでいたのですね」
「――な、何だ、急に……!?」
「どうすればいいのかわからず、苦しんでいたのでしょう?」
「べつに苦しんでなんかない!」
これは嘘だ。
「ベリアを止めたいと思いつつも、その望みを果たさせたいと思い苦しんでいたのではないですか?」
「ち――、違う!」
これも嘘だ。
「世界中が敵になるなら、せめて自分だけは味方でいようと思ったのではないですか?」
「だから違うと言うのに! そんなわけないだろう!」
やはり――、嘘だ。
「聞いてください。どうか聞いてください。世界は終わりません」
「はっ、悪神まで出てきて事が始まったってのに、それでもレイヴァースの奴がなんとかしてくれるって、お前はそう信じているのか?」
「もちろん信じています。これまで猊下は奇跡を起こし続けてきました。悲劇的な結末を打ち破ってきました。私がここで、こうして貴方と話している、これがもう一つの奇跡とは思いませんか?」
「それは――」
「猊下はすべてを終わらせると約束してくださいました。ああもはっきりと言うのは珍しいことなのですよ。それだけ本気で、確信があるということです。世界は終わりません。そして、きっとシャロ様はベリアを殺したりはしないでしょう」
「……!」
これでもかと叱りつけるくらいはするだろうが、アレサにはシャロが弟を殺害するとは思えなかった。
そしておそらく、彼もそこまでは望んでいないはずだ。
すでにイーラレスカは抵抗をやめており、アレサに手首を掴まれるままになっている。
胸中に想いが渦巻き、それどころではなくなっているのだろう。
やがて――
「レイヴァースの奴は計画をぶち壊してくれるか……?」
そっとイーラレスカが尋ねてくる。
「はい。必ず」
アレサは確信を持って答えた。
「じゃあ……、シャーロットは、あのアホ……、ベリアを止めてくれるか……?」
泣きそうな声で尋ねられたことにも、アレサはしっかりと頷く。
「はい。止めてくれます」
「……ッ」
いくらアレサが答えたからと、それが現実となるかは別問題である。
しかし、それでもイーラレスカはかまわなかったらしく、ふいに天井を見上げるように顔を上げた。
もう大丈夫だろうとアレサが腕を解放すると、イーラレスカは静かに右手を顔にかぶせて、それから言った。
「なら……、なら……、ああもういい、あとは私のつまらない意地だけだ。そんなもの、もうどうでもいいから……」
そう涙声で語るイーラレスカの言葉は、紛れもない本心であった。
「本当に……、変わりましたね。ルーの森の女王であったときよりも、よほど手強い相手になっていましたよ」
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/11/05




