第701話 閑話…庭園での戦い(前編)
「では僕たちは行きます! 皆はそれぞれの配置へ!」
「うむ、わかった。では皆の者、戻るとしようか」
ここでの役目は終わりと、バートランは彼の護衛をしていた者たちを率い庭園へと戻る。
おそらく徒歩では間に合わないと、イールに頼んで戻ったその場から自分の戦場となる『地のバベル』へ。
こうしてバートランが到着したのは『地のバベル』の一階中央空間へと通じるアーチ状の大きな入口前であった。
先ほどまで一緒に彼の護衛をしていた者はティゼリアが残るばかりで、他の者たちは居なくなっている。
彼・彼女らはバートランが指揮する第一部隊ではなく、他の部隊に割り振られているため、それぞれ担当となる階層へ運ばれていったのだろう。
「ふむ、この移動は本当に楽だな」
そんなことを呟きつつ、バートランは中央広場と隣接するように設けられた広場に整列した第一部隊の面々を見渡す。ここに揃っているのは共に戦う仲間――聖女、闘士、認定勇者に冒険者という混成部隊だ。
これからこの第一部隊は、まずはこの一階、次に十八階、三十五階、そして五十二階でスナークの群れと戦うことになっている。しかし各部隊、基本四回と設定された作戦にあって、第一部隊――正確にはバートランだけは、とある事情が絡み六十八階の救援に向かうことになっていた。
「さて、いよいよ……、いよいよだ! 気合いを入れていこうか!」
彼らがバベルの塔へと突入し、スナークがこの門の向こう側に転移されてくるまで、もう数分といったところだろう。
戦いの時は近い。
しかしそれを憂い、表情を曇らせるような者はどこにも見当たらなかった。
誰もがこの『本番』を心待ちにしていた――、そう表現するのは誤解を生みそうだが、実際の心境はそう的外れなものでもない。
世界の危機、どのような犠牲を払おうとも乗り越えなければならない災厄。この作戦を成功させなければ、どうせすべてが終わる。ならば殉ずるのもまた一興。そう覚悟を決めるしかなかった状態で、それでも誰も死なないようにと腐心した彼に報いること、それが待ち遠しかったのだ。
この意識は共有され、一体感となり部隊の士気を保つのに大きく貢献している。
バートランもこの気持ちを共有することになっていたが、それとはまた別に、何とも言えない感慨深さが胸に去来し、戦いの直前だというのについなごんでしまっていた。
「(変わった少年だとは思ったが……、まさかこれほどの人物になるとは思わなかったな)」
彼と出会ったばかりの頃は、誰ともうまく打ち解けられなかった孫娘がずいぶんと気に入ったようなので、どうか仲の良い友人に、叶うなら婚約者となり、ゆくゆくは結婚して曾孫の顔でも見せてくれないだろうか、そんなことを考えていたものだ。
そんな彼が、今や世界の中心となって未曾有の危機に立ち向かっているという事実、いったい誰が想像できただろう。
「どうかしましたか?」
と、つい物思いにふけることになったバートランに尋ねてきたのはティゼリアである。
「ん、いやなに。少し、彼と初めて会った頃のことを思い出してしまってな」
「ああ、そうですか。……ふふ、そうですね。私にも、きっと貴方が感じているものが理解できると思いますよ」
微笑みつつティゼリアは言う。
まだ彼が有名になる前に出会った者ならではの共感は、あれこれと語る必要もなく共有できるものであった。それは驚かされ、驚かされ、やっぱり驚かされて現在に至るという不思議な経験があってのもの。
「きっと、屋敷で暮らしている娘たちも同じでしょうね。他の部隊にわかれてしまったので、確認できないのが残念です」
「はは、そうだな」
十七ある部隊の戦力を均等にすべく、彼の関係者たちは皆一緒ではなくなるべく各部隊へと割り振られた。中にはリビラとシャンセル、リオとアエリスといったように、二人一緒という者もいるが、それ以外は別々の部隊で戦うことになる。
その中で特に注目されるのが、バートランのように高い戦闘力を持ち、バンダースナッチに挑めると判断された者だ。
それは第二部隊のサイ・オーク、第三部隊のリィ、第四部隊のヴィルジオ、第五部隊のシャフリーンであり、これとはまた別に第十七部隊のバスカーのように、ピスカ、ハスターも組み込まれている。
バートランが四回目となる五十二階での戦いの後に第十七部隊の戦場となる六十八階の救援へ向かうことがあらかじめ想定されているのは、重要な戦力であるバスカーが彼に召喚され離脱することを織り込んでいるためであった。
「では、後で尋ねてみることにしようか」
そうバートランが告げた――、その時、その瞬間、前触れもなく中央空間にスナークの群れが転移させられてきた。
「――むっ、来たな! 総員、戦闘準備!」
バートランは指示を出し、自分も家宝の剣を抜く。
すぐ向こうで蠢くスナークの群れ。さすがに模擬戦の黒スライムとは違い、その異様さもさることながらまず数――密度が違う。
いよいよ戦いの時は訪れた――、が、まだ突撃の時ではない。
何故なら、まずこのスナークたちに挨拶をすることになっているものがいるからだ。
『あーあー、どうもこんにちは、なんだかよくわからないスナークのみなさん』
と、そこで中央空間に響き始めた声はイールのものである。
スナーク相手に挨拶したところで意味など無いが、ここまで全面的に協力してくれたイールが望んでやることだ、ここは大人しく見守るのが筋というものである。
『本日は遠路はるばる、私のダンジョンへようこそいらっしゃいました。ではさっそくですが、どうぞゆっくり休んでください』
そうイールが言い終えた瞬間、中央空間を構築する床、壁、天井と、あらゆる場所から数えることなど出来ぬほどの『槍』が飛び出してスナークの群れをまとめて貫いた。
この、文字通りの全体攻撃だが、提案してきたのはイール自身である。しかし、これを繰り返し、群れを壊滅させれば『地のバベル』に誰も配置する必要は無いのではないか、という意見には反対した。
それは単純に、バンダースナッチには対処できない可能性があるという危機感からである。
一体きりならばいい。二体でもまだ頑張れる。しかし、およそ五分ごとに数が増え、最終的には六十八体のバンダースナッチに対処するというのは無理であるとイールは判断したのだ。
やはり『地のバベル』で戦う者は必要であり、イールは飽くまで一時的な檻、そしてここで戦う者たちの支援役なのである。
『それではみなさん、後はお任せしますね』
あっけらかんとイールは告げ、ここで中央空間を埋め尽くした槍が引っ込む。
このイールの全体攻撃により、群れを構成していたスナークの大部分が活動停止、黒い染みとなって中央空間の床を真っ黒に染め上げた。
だが、この攻撃でも一網打尽とはいかない。
邪魔となる弱いスナークは一掃されたが、けっこうな数の強い個体が依然として生き残っていた。その中でも特に目立つのは、広場の中央付近にてとぐろを巻いている巨大な蛇の姿をしたスナーク――バンダースナッチである。
「ふぅー……」
ここでバートランは一つ大きく深呼吸をして――、そして叫ぶ。
「では行くぞッ!」
『オォォォ――――――ッ!!』
雄叫びと共に第一部隊は突撃。
残ったスナークを速やかに殲滅すべく、中央空間へと雪崩れ込んだ。
その先頭にいるのはバートランであり――
「うぉぉ――ッ!」
まずは一撃、腕の代わりに猿らしき顔が生えている強個体を斬り伏せた。これを皮切りとして、第一部隊の隊員たちも次々に攻撃を開始する。
この混戦の中で、バートランはあぶれているスナークを見つけては次々に葬り、真っ黒になった床に溶け込ませていく。
そのうち――
「ふふ――、ははは!」
バートランは込み上げる笑いを堪えられなくなった。
全盛期からはずいぶんと遠のいた。
それでも磨き続けてきた技が、経験が自分にはある。
間に合った、とでも言うべきか、そうバートランは思い、心の奥底から湧き上がる狂暴な歓喜に打ち震えた。
勇者の末裔とか、名家とか、そんなことは関係無く、ただ一人の武人として、迂闊に持ち出すことは憚られる先祖伝来の魔剣を、誰に咎められることもなく思う存分に振るえる機会。
穏やかに年老いた精神がみるみる若返り、ただ己の力を確認するために強い相手へ挑んでいた自分を取り戻していく。
「なるほど、なるほどな、これはミーネも傾倒するわけだ!」
武人としての力を求められ、戦う機会を与えられ、しかし決して使い捨てではなく信頼された戦場というものはそうそうあることではない。
ミーネはずっとこうだったのだろうか。
おそらく、それはたまらなく幸福な経験であったはずだ。
最も適切な表現をするならば愉悦。
一時は死すら厭わぬと覚悟したものだが、今はまた多幸感からすべてが終わった後は死んでもいいとすら思えてくる。
「ん? おっといかんいかん、曾孫の顔を見ねばならんからな」
戦いに酔い始めたバートランであったが、ここで少し冷静になる。
ざっと戦場となった中央空間を見回し、皆の戦いぶりを確認して心配は無さそうだと判断した。
ならば――、自分はあのでかいのだ。
「よし、では儂はこれからあの馬鹿でかい蛇のを相手する! 他のものは任せるぞ!」
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2020/04/15




