第700話 14歳(春)…開戦
迷宮庭園から古代都市へと飛び出した精霊たちは速やかにバベルの塔周辺の瘴気を押しやって生存領域を確保した。
精霊たちにとって、これは一種の里帰りになるのだろうか?
故郷というものが良いものであるか悪いものであるか、それは各々の認識に寄るところが大きく、となれば、精霊たちにとってこの地は良いものであるはずがない。
しかし、かつてこの地で砕けてしまった希望、果たせなかった悲願、そういったあらゆる無念の果てに今があり、そしてまさに今この時、至ることができなかった未来に辿り着けるとするならば、この地は『良い』とまでは言えないものの、一つの大きな節目を迎え、追憶できる程度にはなるのではないだろうか?
要は――、あれだ、終わりよければすべて良し、ということである。
失われたものは戻らない。
それでも、かつてこの地で散ったものたちの願いが果たされるならば、それは無駄ではないのだ。
「婿殿! 門は滞りなく設置したぞ!」
皆に護衛されつつしばし待機していると、シャロがバベルを一周して戻って来た。
「よし、じゃあすぐに移動だ」
六門軍は今も展開しつつある状況。
できれば少し戦況を見守りたいところだが、その時間すらもおしいとあっては、後は皆を信じ、俺は俺がやるべきことのため、すぐ行動に移らなければならない。
そして、ここで活躍するのが皆が現れた後に即席精霊門から出てきた自走式特殊リヤカーである。
「メタマル、調子はどうだ!」
「絶好調だゼ! さっさと乗りナ!」
そう返してきたメタマルは特殊リヤカーの先頭部に鎮座している。
このリヤカーは俺とミーネ、アレサ、シャロの四人が乗って移動するためのもので、モデルとなったのはかつてエミルスの迷宮を爆走した伝説のリヤカー『迷宮の支配者』だ。
違いは人が引くのではなく、車体を下から支えるイールの分身が動かし、その統制をメタマルが行うこと。つまりこのDルーラー改は、メタマルに指示を出せば自在に走り回るという代物なのである。
前後に二つずつ、四つある座席の前には俺とアレサが座り、立ち上がって動けるようスペースを多く取られている後部座席にはミーネとシャロが座ることになっている。
「では僕たちは行きます! 皆はそれぞれの配置へ!」
俺たちはDルーラー改で移動になるため、護衛をしてくれていた皆にはここで庭園へ戻ってもらう。
「うむ、わかった。では皆の者、戻るとしようか」
バートランの爺さんが促すと、こっちに来たメイドの皆がそれぞれに「また後で」といった言葉を残し、庭園へと戻って行った。
そう、これは一時の別れ、今生の別れではないから名残惜しむ必要も無い。
シャロは即席精霊門をすぐに消し、それを確認してから俺たちはDルーラー改に乗り込んだ。
「じゃあ行くゼ! 爆走ダ!」
俺たちが乗り込んだところで、メタマルは急発進。
バベルの塔の壁面すぐはまだ空白地帯となっているため、そこを猛スピードで駆け抜け、塔の正面入口――巨大な門へと移動し、すぐさま突撃をかける。
こうして侵入を果たした実際のバベルはイールがコピーした『地のバベル』よりもずっと見事なものだった。
大きさや構造はほぼ同じだろうが、細かな細工――例えば壁や柱、天井と、至るところに施された彫刻までは再現されていなかったのである。これほどのものが、まったく損なわれることなくこの地に残り続けていたという事実には驚くばかりだ。
と、そこで塔内部に留まっていたスナークの襲撃を受けた。
「邪魔な連中は頼むゼ!」
「任せて!」
「蹴散らしてくれるわ!」
襲ってきたのはただのスナーク。
迎撃すべく立ち上がったミーネとシャロは、底部から伸びてきたスライムに支えてもらうことで体勢が安定する。
ミーネとシャロが襲い来るスナークをもののついでのように薙ぎ払うことで対処し、Dルーラー改は無事、一階中央空間へと到達。
そして一旦停止する。
「うわ! イールが再現していたのよりずいぶん多いのね!」
黄門軍の訓練のため、イールが中央空間に出現させた真っ黒スライム軍団もなかなかうんざりする光景だったが、実際のバベルはそれよりも多い――、いや、濃いとでも言うべきか、床を埋めるだけでは飽きたらず、宙を飛び回っているものも大量に居て、まさに空間を埋め尽くしていたのである。
しかし、それでもやることは変わらない。
「シャロ、頼む!」
「うむ、任せよ!」
シャロは力強く応え、次に中央空間に巣くうスナークたちに向けて叫ぶ。
「お主ら、よかったな! 実に千年ぶりとなる外出じゃ! ――ぶっ飛べ!」
シャロはマグナ・カルタを振りかぶると、自分の正面の『空間』に思い切り叩きつけた。
水面に広がる波紋のような『波』が見えるほど強力な空間干渉。
この中央空間へと広がる波に触れたスナークは、抗うこともできずその場から消失。ほんのわずかな時間のうちに、空間を埋め尽くしていたスナークの群れはごっそりと消え失せた。
「ど、どうじゃ婿殿、わしにかかればこれこの通りじゃ!」
「さすがだ。――よし、メタマル、次だ!」
「おうヨ!」
スナークの群れが消え、ただ、だだっ広いだけになった空間をDルーラー改が最速で突っ切り、そのまま螺旋階段を猛スピードで上りきる。
「時間は……、六分ちょいか!」
そして到達した二階でも、一階で行ったようにシャロが空間を埋め尽くすスナークの群れをこの塔から別の場所へとぶっ飛ばし、すぐさま三階を目指した。
「あはは! 順調ね!」
「ああ、順調だ!」
「あ、あと六十六階ぶっ飛ばせばひとまず終いじゃ! はっ、楽なものじゃな!」
「皆さん、あまり興奮して喋っていると舌を噛みますよ!」
乱暴な――、あまりにも乱暴なこの作戦。
しかしこれならば、塔の攻略にかかる時間はおよそ六時間弱。これは上に行くにしたがい塔は小さくなっていくので、そのぶんの時間短縮も考慮した――、と言うか、実際に計測した時間である。
そしてこの六時間とは、一度活動停止に追い込んだスナークが復活する平均的な時間でもあった。
さて、ではシャロにぶっ飛ばされたスナークの群れはどこへ消えたかとなるのだが、実は迷宮庭園に飛ばしているのだ。
正確には、庭園にある『地のバベル』の対応階層に転移させているのである。
そこには黄門軍十七部隊が、一階から十七階までの担当階層で待ちかまえており、飛ばされてきたスナークを殲滅する手筈になっていた。
各部隊は自分の担当階層に現れたスナークを殲滅したのち、次の担当となる階層に移動する。
一階担当の第一部隊であれば、次の担当階層は十八階というわけだ。この移動のために与えられる猶予はおよそ八十分で、これは俺たちが十八階に到達するまでの時間、つまりは『約五分×十七階』ということである。
各部隊は八十分以内にスナークの群れを殲滅、その後、直ちに次の担当となる階層へ向かうということを四回繰り返す。各部隊に割り振れた人数、そして耐えられる戦闘回数の兼ね合いで、四回ずつにするために部隊は十七となったのである。
結局のところ、サイ・オークが提案してきたように、皆にスナークを押しつけるという強引な作戦になった。
だが、戦う場所は迷宮庭園であり、死ぬことは無い。死ぬほどきつくても死にはしない。あんまりつらくて死んだ方がマシとか言い始めても、絶対死ねないのである。
ある意味で無慈悲な作戦だが、これはいくつかの要因があって思いつけたものだった。
まずは何気ないミーネの発言、これが始まりだ。
最初の冒険の書の大会でやった余興で、俺の率いたコボルト軍団が哀れにも罠に誘い込まれ、一網打尽にされたように、バベルに巣くうスナークもまとめて倒せることができればと思った。だが、誘い込むような場所がない。外に連れだしたら六門軍が壊滅する。なら――、シャロに飛ばしてもらえばどうか?
シャロならば全軍を庭園からバベルへと転移させることも可能――、そう言ったのはロシャだ。
だったら逆に、バベル内のスナークを飛ばすこともできるのではないか? ではどこに? 皆が安全を確保しつつ戦える場所となれば――、そんなもの、迷宮庭園しかなかった。
だから考えた。
バベルの各階層のスナークを、庭園の『地のバベル』の対応階層へ飛ばし、そこで迎え撃つということはできないか、と。
スナークは瘴気領域に封じ込めておかなければならない存在――、その前提はもう今となっては気にする必要のないことだ。
すべてが終わったとき、世界からスナークは消え失せる。
だから、それまで別の場所に封じ込めておけるなら、もうどこに転移させてもかまわなかった。
もし可能ならば、この試みは塔の攻略に必要とされる時間をこれ以上ないほどに短縮し、皆も生き残らせることができる。
この作戦を行う上での問題は、バベルから転移させることが可能かどうか、そこだった。
これは実際にバベル内に行って、シャロに試してもらうしかないかと思われたが……、そこでさらに思う。
ベリアたちは、どうやって塔を上ったのか?
悪神がちゃんと塔を上らないと到達できないと言っていた場所へ、ベリアたちはどう向かったのか? あの三人で瘴気領域を越え、塔を登り、その最上部へと到達したのか?
考えれば考えるほど現実味のない話だ。
もし可能とすれば、まず思いつくのが悪神が手助けをしたということである。しかしこれは無いと思った。では次に思いつくのは、ベリアがバベルの最上部から別の場所へと精霊門を繋げているという状態。
しかしこれでは悪神の話が矛盾する。
そうだろうか?
外から内へと繋げるのは妨げられるものの、一度内部へと到達してから外へ繋げることは可能なのではないか?
ベリアが骨として過ごしている時代に、どれだけの時間をかけたか知らないが塔の最上部へと到達し、門を用意したのなら、外部から内部へと簡単に移動することができる。
この思いつきがただの間違いであれば、その時は本当に黄門軍の皆を犠牲にして塔を登り、これが何十時間とかかるため、防衛をする六門軍にも被害が出ることになっていただろう。
ここは本当に心配で精神的にきつかったが、それはヴァンツの世間話によって杞憂であることがわかった。
あのタイミングで、あの話をしたことに意味があった。
バベルの塔は、内部からならば外部への空間干渉が可能だったのだ。
「消え失せい! だらっしゃー!」
「おっしゃ、次いくゼ! 次!」
バベル突入からおよそ三十分。
到達階層は六階、そしてスナークをぶっ飛ばしてさらに七階へ。
俺たちはひたすら塔の上を目指した。
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/01/28
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/08/04




