第699話 14歳(春)…世界の中心へ
迷宮庭園にそびえ立つ『バベルの先っぽ』に向かって整列している六門軍。
すでに各軍、各部隊で最終確認を終え、出撃の瞬間を待つばかりとなっているが、デヴァスたち飛行部隊が目的地である瘴気領域の中心部へと到達するまでにはそれなりに時間を必要とする。
緊張の中、ただ長い時間待たせるのは気力を損なわせるだけ。かといって愉快な催しを開いてリラックスさせるような状況でもない。理想は出撃するその瞬間に向けて、徐々に士気が上がっていくように仕向けたいところである。
そこで俺は、現在空輸されているプチクマが見ている光景をクマ兄貴に投影させ、出撃を待つ人々に見てもらうことにした。
塔の展望台からクマ兄貴が投影する景色。
それはこの庭園に集まった者たちのほとんどが見たことのない、遙か上空からの光景である。
しかし、デヴァスたちがいる空は、ただ美しいばかりではない。
飛び立ったのはベルガミア王国側の境界領域。
眼下は黒い雲――瘴気に覆われている。
この、上は青く下は黒いという、どこまでも続くような異様な景色の中を、デヴァスたちはずっと飛んでいくことになるのだ。
とても快適な空の旅とはいかず、それは精神面だけの話ではなかった。
強靱な体を持つ竜が、それでも苦しみ、三十分ほどの飛行で交代しなければならない。
この事実は見守る人々にとっては驚きであったようだ。
さらに空中での役割の交代。
飛ぶことの出来る竜ならばそこまで危険な行動ではないのだが、見ている者たちのほとんどは地に足をつけて生きる人々だ。デヴァスたちの行動があまりに危なっかしく感じられるため、交代のたびにざわめきが起こり、中には恐くて小さな悲鳴を上げる者たちもいた。
一度、乱気流によって三名が宙に放り出された時などは一斉に悲鳴が上がり騒然としたほどだ。
庭園はどんどん騒がしくなっていたが、見守る誰もが同じ気持ちであるためか、それを気にするような者はおらず、やがて庭園は不思議な一体感に包まれるようになり、それはなんだか映画館で行われる応援上映のようである。
デヴァスたちとそう関わりのない者たちですらこれなので、デヴァスと一緒に暮らしていた屋敷の面々ともなれば気が気ではない。きっとデヴァスならやってくれると信じていても、その過酷な飛行をこうして確認すると意味は無いとわかっていても声援を送ってしまう。
これは主にミーネ、ティアウル、リオの三名で、その他の面々はハラハラとした様子でデヴァスたちが無事目標地点まで辿り着けるよう祈っている。
展望台には他にも各国の王様・代表たちがおり、さらに黄門軍として塔内部に巣くうスナークの討伐に加わるバートランの爺さんやティゼリア、エドベッカ、ヴァイス・オークやサイ・オークといった者たちも一緒だった。
リマルキスがサイ・オークを凄く気にしている様子だったが……、まあ状況が状況なので後回しにしたのだろう、今は皆と一緒になって飛行部隊の決死の飛行を見守っていた。
見守る誰もが成功を祈るなか、やがて――、とうとう、デヴァスたちは目的の瘴気領域の中心部――巨大な瘴気の渦へと到達する。
『ありがとう』
デヴァスはここまで自分を運んで来てくれた竜騎士の二人に感謝を述べ、それに対し二人は「頑張れ」と簡潔な励ましの言葉を贈る。
『ああ。では、また後で』
最後にそう告げ、デヴァスは渦に飛び込み、地上へと下降を開始した。
渦になっていることが幸いし日の光は届く。
漂う薄い瘴気の影響で徐々に薄暗くはなっていくものの、目指す地上、決戦の場となる塔もうっすらと目視することができた。
すっかり騒がしくなっていた庭園内も、いよいよデヴァスの降下となったところで誰もが息を呑み静まり返る。
このまま、このまま無事に、と、見守る誰もが願っているのだろう。
デヴァスは順調に降下していったが――
『ガアァァァァァァァ――――――ッ!!』
そこで邪魔が入った。
竜の形をした巨大な闇――バンダースナッチ。
速度も強さもデヴァスを遙かに凌駕する暗黒竜。
翻弄されるデヴァスに向け、見守る人々は大声で応援した。もうこれが投影される映像だからとか、そんなことは関係無い。今、世界の中心へとただ一人で挑む者へ向け、叫ばずにはいられないのだ。
しかし、しかしだ。
暗黒竜はあまりに強く、デヴァスは為す術も無い。
プチクマがここで落下すれば、ひとまず作戦の継続は可能だが、デヴァスが……。
ダメなのか、そう俺が思ったとき――
『があぁぁぁぁ――――ッ!!』
デヴァスが咆吼を上げる。
と、そこでデヴァスの身に異変が起きた。
その体に瘴気が収束を始めたのである。
一瞬、何がなんだかわからなかったが、やがて俺はその現象に思い至り唖然となった。
リビラの父親――アズアーフの身に起きたことが、デヴァスの身にも起きたのだ。
デヴァスはまだ諦めてなどいない。
己自身を叱咤し、決して諦めないデヴァスの様子に庭園に響く声はさらに大きくなる。もうダメと思われたところからの、思わぬ復活は人々の心をさらに震わせることになったのだ。
復活したデヴァスは突撃してきた暗黒竜に食らいつき、揉み合ってそのまま地上へと落下。
塔からは――、少し、遠い。
『あ、あそこに……!』
暗黒竜が同朋に絡まれている隙を突き、デヴァスは再び飛ぶ。
襲い来るスナークをものともせず、ただ真っ直ぐ、塔に。
『邪魔をするな! 邪魔を! 私は! 成し遂げるのだ!』
よく分からない傭兵団の団長をやっていたデヴァス。
ヴィルジオにぶん殴られて記憶喪失になってからは、うちで庭師をやっていたデヴァス。
何故、彼にあのような意志が宿ったのか、俺にはわからない。
しかし今まさに使命を果たさんと、必死に足掻くその姿は、彼と親しい者の一人としてただただ誇らしかった。
そして――デヴァスは塔へと辿り着く。
『つ――、着いた! 着いたぞ! 着いた!』
その叫びは誰に向けられてのものか?
俺だ。
「シャロ!」
「わかっておる!」
そう応え、シャロは魔導杖マグナ・カルタを亜空間から引っぱり出した。
「ロシャ!」
「おう!」
ロシャが杖に宿り、その杖でもってシャロは空間をぶん殴る。
遠く離れた場所にいるプチクマ、その位置への精霊門を作り出した。
「よいぞ! ではまず――」
「よし、行こう!」
そう俺が告げた瞬間、展望台の周囲で待機していたのだろう、膨大な数の精霊たちが姿を現し、シャロの用意した門へと流れ込むように飛び込んでいく。
精霊たちに先を越されたが――、まあいい。
少し遅れ、俺は精霊門をくぐる。
迷宮庭園から古代都市ヨルドへの転移。
まず感じたのは、日の光りが届きにくいための肌寒さ。
ここは薄暗く、都市の向こうに至っては暗黒だ。
しかし門から溢れだす精霊たちによって漂う瘴気は押しのけられ、光りの領域がみるみる広がっていく。
そのなかで、俺は息も絶え絶えに倒れ伏すデヴァスに近づいた。
するとデヴァスは震える声で言う。
「わ、私は、お役に、立てましたか……?」
役に立ったかだって?
そんなことを尋ねなくちゃわからないくらい疲弊してんのか。
「もちろんだ」
すべてはここからだ。
ここが達成できなければ、この三日の準備は無駄になっていた。
戦いが始まる。
いや、もう始まっている、ずっと始まっていた。
ここで都市に巣くうスナークが俺たち目掛け襲い掛かってくる。
が――
「婿殿に近寄るでないわ馬鹿どもが!」
「破邪!」
「災いを喰むもの!」
それを薙ぎ払うシャロ、バートランの爺さん、サイ・オーク。
「婿殿! 護衛もつけずにいきなり飛び込むでない!」
「シャロ殿の言う通りだぞ!」
「逸るのはわかるが少し待て!」
「す、すみません……」
三人のあと、皆もこちらに飛び込んでくる。
「置いてかないでよ!」
「猊下、先に私たちに行かせてもらわないと……」
「ごめん……。じゃあ――、シャロ、あとは手筈通りに頼む」
「うむ、では大急ぎで門を拵えて回るかの。庭園におる連中も出番はまだかと逸っておるようじゃからな」
ここでシャロが一時離脱し、バベルの塔の周囲に庭園の『門』と対となる門を設置する作業に入った。
すっ飛んでいくシャロを見送り、それから俺は改めてデヴァスに話しかける。
「デヴァス、あとは俺たちに任せて休め」
「い、いえ、すべてが終わるまで、休むわけには。今の私ならば、あの黒い竜の注意を引き付けるくらいできます」
「黒い竜っておまえ……」
確かにあいつが六門軍に絡んできたら面倒だ。
「やれるのか?」
「やれます」
「そうか……、わかった。でもその体は無敵になったわけじゃないからな、そこは注意してくれよ。頼むから」
「了解しました」
と、デヴァスが苦笑して答えたとき、離れたところから喊声が聞こえ始めた。
シャロの設置した『門』をくぐり、この深淵の地へと戦士たちが雪崩れ込んできたのである。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/10/24




