第696話 14歳(春)…飛翔部隊
猶予となる三日が経過しての四日目、早朝。
夜が明けてまもなくのうちに作戦は開始される。
庭園にて六門軍の準備が進むなか、俺が訪れたのはベルガミア王国の瘴気領域境界線にある要塞『恐怖の谷』だ。
かつてはこの要塞にふさがれた峡谷でスナークに対する防衛戦が行われ地獄の様相を呈していたが、今となってはただ人気のない寂しい場所というだけになっている。
俺と共に要塞を訪れたのは、まず今回の作戦の起点となる『古代都市ヨルドへの到達』を目標としたデヴァスと、そのサポートを行ってくれる竜人二人――フィンバーとレムニヴの三名、それからこの三名を見送ろうと集まった面々だ。
それは王都屋敷で共に暮らしているうちの家族やメイドたち、それから、ここ数日屋敷にいるミリー姉さんとシャフリーン、どこにでも出現する撮影係のルフィア、そして竜皇ドラ父さんだ。
見送りは要塞の最上部にある司令室で行われた。
谷へと突き出すバルコニーでは、すでに最初に飛行するレムニヴが竜の姿になっており、その前に厳重な厚着をしたデヴァスと次に飛行するフィンバーが並んでいる。
向かい合うのは見送りの面々、その後ろにはこの要塞にお勤めの人々が集まって見守っていた。
「デヴァス、頑張ってね!」
「頑張ってなー!」
もう少しで出発となるデヴァスに向け、ミーネやティアウルを始めとした皆が思い思いに励ましの言葉を贈る。
その中にはミリー姉さんにおんぶされて、眠ったままこちらに来たセレスもいた。いつもより早い起床で眠くて仕方ないらしく、まだ朦朧としていて目をこしこし擦っているくらいだ。それでもデヴァスがシアを連れ戻すのに必要な作戦で重要な役割を担っていることは把握しているらしく、何とか眠気を堪えつつデヴァスに話しかける。
「デヴァスさんがいっしょうけんめい飛んでくれたら、シアねーさまが帰ってきてくれて、またみんないっしょです。セレス、がんばって起きてまってます。クロアにーさまがねちゃっても、セレスは起きてます」
「僕も寝ないよ!?」
今にも寝そうなセレスに、引き合いに出されてしまったクロアがびっくりする。
セレスとしては、それくらい頑張ると言うか、応援していると伝えたかったのかもしれない。
俺は抱えたプチクマの頭を揉み揉みしながら様子を見守っていたが、皆が一通り話しかけたところで言葉をかけた。
「デヴァス、実はな、もしかしたら今回の作戦、おまえが一番しんどいかもしれないんだ」
たった一人、瘴気領域の中心部に突入するということがどういうものか。
体験した者はおらず、ならばと想像してみれば過酷の一言だ。
それはかつてこの地に溢れたスナークの群れに一人で突撃するようなものだからである。
この気の利かない俺の言葉を聞いてデヴァスはきょとんとしたが、すぐに小さく微笑んだ。
「かまいませんよ。適当に生きてきた、そのつけを払う時が来たというだけのことです」
デヴァスは驚くほどに冷静――、いや、穏やかですらあった。
怯えも、気負いも無く、かといって諦めているわけでもないその様子は実に頼もしく、どうしてこんないい男がやさぐれ傭兵団の団長なんてやっていたのか不思議になるくらいだった。
「デヴァス、この作戦が成功するか否か、ここで決まると言ってもいい。だからどうかやりとげてくれ」
「お任せください。このデヴァス、必ずや瘴気領域の中心――古代都市ヨルドへ、そしてバベルの塔へと到達してみせましょう」
「頼む」
俺は揉み揉みしていたプチクマをデヴァスに手渡して頷く。
デヴァスもプチクマを受け取り頷いた。
「おまえも、頼むぞ」
こくこくと頷くプチクマ。
これ以上は語ることは……、無いかな。
デヴァスのサポートであるフィンバーとレムニヴへはドラ父さんが激励していたが、それも終わった。
では、いよいよか。
最後にルフィアが飛翔部隊の記念撮影を行い、レムニヴの背にデヴァスとフィンバーが乗り込んだ。
やがてレムニヴが羽ばたき、空へと飛び立つ。
まずは緩やかな角度で飛行した後、徐々にその傾斜をきつくしていく。
大きな竜の姿がどんどんと小さくなっていく様子を皆で見守り、もうほとんど見えなくなったところで集まりを解散、俺たちは要塞から移動することにした。
行きはこの地に設置された精霊門からやってきたが、帰りはちょっと横着して即席精霊門で司令室からそのまま移動する。
まずは作戦に参加しない、主にうちの家族を王都屋敷へと送り出す。
皆にはすべてが無事に終わることを祈っていてもらおう。
それから作戦に関わる面子には庭園へ向かってもらうのだが、ここで俺は皆を先に帰還させ、シャロと二人になったところを見計らってちょっとお願いをした。
「ん? なんじゃ? 手紙……?」
「うん、ひとまず事が片付いてから読んでほしいんだ」
手紙を渡したところ、シャロの表情がみるみる曇った。
「婿殿、まさかこれは遺書とかそういう……」
「ああいや、そういうのじゃないんだ」
「む? そうなのか? ならば良いのじゃが……」
シャロはひとまず安堵したようなことを言いつつも、本心からは信じきっていない様子だ。
「今読んではいかんのか?」
「ダメってわけじゃないんだけど……、なるべくならね。たぶんシャロは動揺してしまって、作戦に支障が出るかもしれないから」
「わしが? それほどに動揺する……、か。もしかしてわしを妻に迎えるとかそういう――」
「内容ではないね」
「そ、そんな即座に否定せんでもよいじゃろうに……」
シャロはむすっと膨れたものの、手紙を大事そうに仕舞い込んだ。
「まあよいわ。何が書かれておるか、すべて終わらせたあとの楽しみにしておくとしようかの」
△◆▽
皆から少し遅れ、俺とシャロは『バベルの先っぽ』に戻った。
まずはデヴァスたち飛翔部隊が任務を果たすまでの時間を有効活用して作戦の最終確認を行う。
前にちょっと挨拶したときのように、俺は塔の前に用意されたステージに立って作戦の内容を始めから説明していく。
もちろん自分の命も世界の命運もかかった作戦だ、すでに作戦の全容は伝えられ、各自把握していることだろう。
だが、それでも、決戦に臨もうとする今だからこそ、全員揃って同じ説明を受けることには意味がある。
この最終確認後、集合していた六門軍は担当となる各門へと移動して行く。
これまで六つの門は実際のスケールで実戦訓練を行うため『バベルの先っぽ』からかなり距離を置いて配置されていたが、もう訓練を行う必要は無いため、『バベルの先っぽ』周辺に再配置されていた。
俺はここで皆と塔の展望台へ移動したのだが――
「いよいよ決戦なのに、演説とかしなくてよかったの?」
「あ、私もそれ思った。せっかくイールさんにまた記録しておいてねってお願いしてたのに。どうしちゃったの?」
ふとミーネが尋ねてきて、ルフィアもこれに同意する。
「どうしちゃったってのはどういうことだ。別に俺は好きでお話してるわけじゃねえんだよ」
ちょっと前に似た様なこと言わなかったか、と思ったが、その時ルフィアはイールと話をしていて聞いていなかったか。
「まあ今回は……、必要ないと思ったんだよ」
本来であれば、ここで俺がなんか歴史に残るような立派な演説をして全軍を鼓舞するところだろう。しかしこの作戦においては、そんなものは無粋、余計な添え物になってしまうと俺は思っていた。
「どうして?」
「そのうちわかるよ」
話を切りあげ、俺は展望台から下の様子を確認する。
各軍はこの塔のすぐ近くに再設置された『門』に向かって集結しているため、上から見ると花弁のようにも見え、塔を含めての全体像はきっと花冠を連想させるのではないか、そんな事を思う。
「さて、配置も完了したようだし……、クーエルにも働いてもらうとするか」
そう告げると、待機していたクマ兄貴はうんむと大きく頷き、展望台の中央までのっしのっしと向かって仰向けに寝転がった。
これにより、塔の上に過去最大の巨大映像が投影され始める。
それはもちろんプチクマが今まさに目にしている映像――、つまりデヴァスたち飛翔部隊の状況そのものだ。
ただただ青い空と、下に広がる黒い雲の海――瘴気領域。
この突然投影され始めた映像に、待機していた各軍の者たちが唸りを上げる。ほとんどの者にとって、それは生まれて初めて見る上空からの光景だ、驚くのも無理はない。
「あ、みんなにもデヴァスたちが飛んでいく様子を見てもらうのね」
「そういうことだ」
もちろん、これはただ待機中の暇つぶしとして企画したわけではない。
今まさに、世界の命運を背負って飛んでいる者たちがいることを知ってもらうために見せるものだ。
そしておそらく、その姿はどんなちゃちな演説よりも、この場に集まった者たちの心を奮い立たせると俺は信じていた。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/10/18




