第695話 閑話…本音と本音
ご主人さまがまたおかしくなった。
そんな報告を受けたシアが仕事部屋に行ってみると、彼は右腕で凛々しい面構えをしている猫――ネビアを脇に抱えるように持ち、折りたたませた前足を左手に乗せさせていた。
いったい何をしているのか?
その姿からはまったく推測することができないものの、もしかすると意味のある行動かもしれないと、まずシアは様子を見ることにした。
すると、彼は「カシャカシャ」と口で言いつつネビアを支える左手を前後に動かし、それから「バーン!」と言った。
と、それに合わせネビアも「にゃーん!」と鳴いた。
「……」
何となくわかった。
ショットガンごっこだ。
いやこの場合はショットニャンか。
おかしくなる度に付き合わされるネビアもいい迷惑だろうが、尻尾がぴょーんと真っ直ぐ立っていることからして、実は楽しんでいるのかもしれないとシアはどうでもいい気分で考える。
「カシャカシャ、バーン!」
「にゃーん!」
「カシャカシャ、バーン!」
「にゃぉーん!」
いったいいつまで続けるつもりなのか。
ひとまずこの奇行をやめさせるべく話しかけようとしたところで――
「……あれ?」
シアは目を覚ました。
「あれ? あれー?」
夢のせいで気持ちが完全に屋敷に戻っていたため、シアは少し混乱することになったが、意識がはっきりしてきたところで自分がどこにいるのかを思い出すことになった。
「あ、あー……、そうでしたね……」
現在、シアは古代都市ヨルドの中心部にそびえる塔、その最上階にある巨大な宝石――大魔晶石の内部にいた。
その様子はまるで琥珀に閉じ込められた昆虫のようであったが、シアの場合は小部屋ほどの内部を泳ぎ回ることができるので運の悪い虫よりはまだかろうじてマシな状況とも言えた。
この魔晶石は邪神――失敗した世界樹計画の副産物として誕生した代物で、半ば別の段階へと昇華しかけており存在が曖昧なことになっているらしい。世界でただ一つの貴重な魔晶石ということだが、シアにとってはただの檻でしかなかった。
そんな魔晶石の周囲には四本の柱があり、それぞれ天辺に小さな魔晶石が据えられている。この柱が魔素を浄化する装置となるらしく、いっそぶっ壊してやりたいところだったが、どう頑張っても大魔晶石の外へと出ることが出来ないので残念ながら諦めるしかなかった。
「まいりましたね、変な夢を見るようになってしまいましたか」
夢――、たぶん夢でいいはずだ。
鮮明すぎて果たして夢なのか、それとも過去の出来事を忘れていて思い出したのかわからなくなるくらいであったが、あんな出来事を忘却するのは至難の業、ならば、やはり夢だったのだろう。
「でも寝てるか、何か考えてるくらいしかやれることはないんですよね……、今は何日なのでしょうか、はあ……」
正直なところ、シアは暇でしかたなかった。
説得してみる――、と言ってはみたものの、悪神はさっさと居なくなってあれきり姿を見ていない。
一番説得しなければいけない相手であることはシアとて充分わかっているものの、自由の無いこの状況、相手が不在となればもう説得のしようが無いのである。
ならばと次の重要人物――この計画の実行者であるベリアの説得を試みたが、これも芳しい反応は得られなかった。
まずそもそも、ベリアは世界樹計画の成否などどうでもよかったのである。
「……は? ちょ……、え? じゃ、じゃあ貴方はどうしてこんなことしようとするんですか!?」
まったく考えが読めず、そう尋ねたところベリアは答えた。
「それはね、世界樹計画を実行しようとしている者、という立場が欲しかったんだ。つまりは『世界の敵』というわけさ」
「ちょっと言ってることの意味がわかりませんね! え、もしかして貴方ってそういう大仰な立場に傾倒しちゃう少年少女の病にかかったままなんですか!?」
「ちょっと言ってることの意味がわからないね。でもおかしな誤解をしていることはわかるよ。私は何も伊達や酔狂で『世界の敵』を望んだわけではないんだ。明確な意味があり、それは私の悲願だった」
「その悲願というのは?」
「姉さんに認めてもらうことだよ」
「姉さん……、え、シャロさんに?」
「そう、私はこんなに強くなったのだ、と本当に認めてもらうためにはどうすればいいのか? それはおそらく、必ず仕留めなければならない『敵』と認定してもらうしかないはずだ」
「え? そ、そのために『世界の敵』っていう立場が欲しかったんですか!? そのために世界樹計画を実行しようとしているんですか!? 貴方って実は物凄い馬鹿ですか!?」
「ははは、耳が痛いね。でも、本当のことなんだ。今の私は姉さんに認めてもらう――、死力を尽くし戦うことがすべてだ。それもこれも姉さんを霊廟から連れだしてくれた君たちの働きがあってこそ。その点については本当に感謝しているし、何だか恩を仇で返すようなことになってしまったことは申し訳ないと思っているよ」
「思ってればいいってもんじゃないんですよ!」
どこでどう拗れてベリアはこんな事になってしまったのか。
何にしても、シャロが弟の教育を致命的に失敗したのは確かだ。
偉人というものはその偉業以外の事柄――主に私生活――となると、案外こんなものなのだろうか、とシアは考える。
確かにシャロはわりとヘッポコなところも見受けられる。
その点、うちは心配なさそうだ。
クロアもセレスも良い子に育っている。
リマルキスはちょっと問題有りだが、ベリアに比べれば立派なものだ。
それからもシアはベリアと話を続けたが、説得によって彼の心を入れかえさせるのは無理だと判断した。
となると、残る関係者は二人である。
そこでシアは次にシオンの説得を試みた。
迷宮都市エミルスに初めて行った時、しばらくお世話になったシオンの方が、因縁のあるレスカよりもまだ話しやすかったからである。
「シオンさん、どうしてこんなことに協力しちゃってるんです? 何だか自由人っぽかったシオンさんらしくないように思えますよ? 弱みとか握られて、協力を強要されてたりするんじゃないですか?」
語りかけてみたところ、シオンは苦笑して答えた。
「アタシはアタシの好きなようにやる。でもまあ、今のアタシはアタシらしくないかもな。あ、だからって脅されてるわけじゃない。碌な事じゃねえとはわかってんだけどさ、一応納得して協力してんだよ」
「どこに納得する要素があるんです!?」
「いや……、いや、うん、まあそうだよな。納得つーか、実際は個人的な話さ。アタシはベリアに恩があるんだよ」
「……恩?」
「まだアタシがシアくらいの頃か、骨だったあいつに会ったことがあるんだ」
「会ったことが……?」
「ああ。このアンデッド野郎め、って襲い掛かった」
「それを会ったって言うのは何か違うような!」
「いやいや、きっかけはそうだったって話だよ。その頃のアタシはほんっと弱くてさ、ほら、前にアタシって才能無いって話したことあっただろ? そんなんでリッチに勝てるわけもなく、もう小突かれただけで負けたわけだ」
「もしかしてそこで見逃してもらったとか、そういう話ですか?」
「そうじゃないよ。実はな、その頃のアタシはもう自分の弱さにうんざりしててさ、もう死ぬつもりで挑んだんだ。ところがだ、その骨はアタシに説教始めやがったんだよ。おまけに相談にも乗ってくれてさ。才能が無いのにそれでもアタシが剣を振ってこられたのは……、好きならそれを貫けばいいってあいつが言ってくれたからだ。自分も才能が無かった。それでも積み重ねた。今もまだ積み重ねている。アタシにも、そうやって積み重ねてみろってな」
そう語るシオンの表情を見てシアは悟る。
これは駄目だ、説得できない――、と。
世界の安寧よりも恩人への恩返し――、実際にはもうちょっと複雑だろうが、ともかくシオンの好きでやっていること、横から何を言おうともう聞く耳持たないのだ。
こうなるともう残るは一人だが、相手は元ルーの森の自称女王イーラレスカ改め、レスカである。
関わったことでルーの森から追いだす結果になってしまったので、それはそれは恨まれており、話なんてろくに聞いてもらえないのではとシアは思っていたのだ。
しかし、話をする機会はそのレスカの方から作られた。
レスカはベリアとシオンが居ない時を見計らうように一人でやってくると出し抜けに尋ねてきた。
「なあ、あいつはお前に迎えに行くとか言っていたが、本当に来ると思うか?」
「え、あー、ええ、来るんじゃないですかね?」
どういうことかわからず戸惑い、シアは曖昧な返答になる。
「何で微妙な反応なんだよ。迎えに来てほしくないのか?」
「それは――」
レスカからの問いかけに、シアは迷うことになった。
シアは迎えに来てと言ったとき、彼はわかったと答えた。
だが、迎えに来てそれで万事が無事、めでたく終わるわけではない。
元々これまでの負担によって体に異常を抱えているところに、メルナルディアの事件でさらに負担が増えた。
だから――。
本当は来てほしくない。
でも――。
本当はやっぱり来てほしい。
急に自身の気持ちについて尋ねられ、シアは相反する想いが混在していることに気づいた。
黙り込むことになったシアをレスカは眺めていたが、やがてため息まじりに告げる。
「まあいいさ、どちらにしても、あいつは来ないわけにはいかないだろうからな」
レスカはひらひらと手を振ってどこかへ行ってしまうが、残されたシアはそれからも考えることになった。
そう、彼は来るだろう。
別れ際の「なんとかなる」というのは本当だろうか。
元気づけるための出任せかもしれないが、もし本当だったなら――。
「ずるいですよ……」
家を出て王都に向かうとなったとき、置いてかれるとわかって大泣きした。
だがそれは彼なりの心配をしてのもので――、そしておそらく、それからもずっと気にかけていてくれたのだろう。
ずっとずっと気にかけて、それどころかその先すら考え続けていたのだろう。
ああ、ずるい。
そんなのはずるい。
もし本当にそうなのなら、これまでどれだけ気にかけていてくれたか、やっと理解することになる。
これでは両親の時と同じだ。
それでも喜びを、幸せを感じてしまう罪深さは、いったいどう償えば良いものなのだろうか?
元死神ではなく、囚われの姫ではなく、ただの『シア』になってしまうその愚かさについて、シアは考えることになる。
結局、シアは誰も説得することができず、ただ無為な時間を過ごすことになった。
いっそ自殺でも出来たらよかったが、大魔晶石の内部ではそれも難しかった。確認のためにちょっとだけ舌を噛んでみたが、歯を離した先から傷は癒えてしまうのだ。
そしてこの日、久しぶりに誰かがシアの元へと訪れる。
「あ、レスカさん。どうしました? わたしをここからこっそり出してくれる気になったりしましたか?」
話しかけるも、レスカは神妙な顔をするばかりで何も言わない。
もしかして本当に助けてくれるのでは、とシアは一瞬期待を抱きそうになるが、そこは堪えた。
やがて、レスカが口を開く。
「今は夜だ。よかったな、明日は迎えがくるぞ」
「……!」
レスカがどのようなつもりで伝えてきたのかはわからない。
だがここで、シアはその時がいよいよ来てしまったことを知った。
明日は約束の日。
きっと、彼は来るのだろう。
※誤字脱字、文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/10/16
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2020/01/21
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/01/28
※さらに脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2022/01/31




