第694話 14歳(春)…猶予三日目
今日が猶予の最終日。
そろそろ体調も良くなり、これで身体的な不安は解消された。
叶うなら精神的な不安の方も解消してもらいたいところだが、さすがにこれはどうにもならない。
しかし俺が動揺していては皆を不安にさせることになる。
どうにかなる、大丈夫、そういった台詞で皆を落ち着かせるためには俺が動揺していてはいけないのだ。
これは各国の王様や召集された兵に対しても同じであり、幸いなことに「さすがだ」と都合良く誤解してくれているが、実際は内心てんてこ舞いであり、この危機にまったく動じていない超然とした様子はただの演技である。
ひとまず作戦は立てた。
だが、まずデヴァスが古代都市ヨルドに到達できるのか、六門軍はスナークの群れを留め続けることができるのか、俺はシアの元に辿り着けるのか、まず間違いなく邪魔をしてくる悪神をどうにかできるのか――、と、心配の種は尽きない。
ともすれば唯一いつも通りのんべんだらりと過ごしている猫を抱えてにゃんにゃん叫び出してしまいそうな俺だったが、なんとか明日まで頑張れ、と自分を鼓舞しつつ、今日も様子を見に庭園へお出かけする。
庭園では訓練の締めくくりとして、これまで以上に厳しい実戦訓練が行われた。それはスナークの暴争を体験した者たちからの意見を参考に、その時の状況をさらに過酷にしたものである。
例え魔物に押し切られることになろうと、それもまた経験になると開始された最終訓練だったが、六門軍はからくも六時間の防衛に成功することができた。
星芒六カ国の対スナーク専門部隊に、各国から召集された精鋭が合流しての六門軍――、こう言えば聞こえはいいが、上手く噛み合わなければただの烏合の衆と成り果てる。それがたった三日で一つの成果、手応えを感じるほどになったのは、国王たちにしても兵たちにしても、必死になって本気で取り組んだ結果なのだろう。
こればかりは俺がどう褒めおだて上げようが、宥め賺そうがどうにもならなかったところ、今はただ感謝するばかりである。
△◆▽
最終訓練が期待以上の成果を出したのち、いよいよ明日に迫った本番に備え、兵たちには休養が与えられた。
さすがに酒を飲んでの大騒ぎは認められないが、英気を養ってもらおうと兵たちには豪勢な食事が振る舞われた。
だだっ広い庭園に、幾つもの小集団ができあがっての賑やかな食事の様子、それは訓練を成功で終えることができた興奮と、いよいよ明日となった決戦への不安を誤魔化そうとした結果なのだろう。
ちなみに、兵たちが食べているのはイールが用意した食事だ。
奴がウンコの化身である事実は、何が何でも墓にまで持っていく所存である。もしうっかりばれたら、ここにいる皆さんにフルボッコにされて俺は骨も残らないだろう。
少しばかり兵を見て回ろうと、人でごった返す庭園を歩く。
つい数日前までは、ここがこんな状態になるだなんて、夢にも思わなかった。
俺一人がぶらぶらするだけなら、そう気にもとめられなかったのだろうが、うちの面々も同行してとなるとやはり目立つ。結果、俺が誰かを理解し、慌てて立ち上がろうとしたり、妙に恐縮してしまう者が出てくるものの、基本的には歓迎してくれているようで、ただの巡回が気づけば慰安訪問みたいになっていた。
休息してるところに気を使わせてしまったことに少し反省。
余計なことはしない方がよかっただろうか。
それでも、明日になれば共に戦いに臨む人々を、こうして見回っておいた方が良いのではないかと思ったのだ。
△◆▽
国境都市ロンドで『悪漢殺し』の最終製造を行ったのち、これを瓶に詰めて庭園に届けた。これが渡されるのは、主に最前線に立ちスナークと戦うことになる者たち、それから黄門軍としてバベルの塔に居座るスナークと戦うことになる者たちである。
ひとまずやれることはこれで終了。
あとは明日に備えて早めに休むだけだ。
ロシャとパイシェ、デヴァスは明日の準備のためにもう少し庭園に残る必要があるようで、それ以外の面々と屋敷に戻って夕食をとる。ここで無駄に豪勢にしてしまうと、なんだか最後の晩餐みたいな感じがしてくるので、いつも通りの美味しい夕飯である。
「シアねーさま、明日かえってきますか?」
「ああ、明日の夕食には一緒だな」
そう答えたのを受け、セレスのおもり役権限で隣に陣取っているミリー姉さんが言う。
「セレスちゃん、よかったですね。明日にはシアお姉ちゃんに会えますよ」
「はい!」
にこっと微笑んでセレスが返事をする。
明日が決戦ということもあり、少し緊張感のある夕食になっていたが、そのセレスのおかげで場の空気がやわらぐ。
そして夕食のあと、一度明日の作戦に参加する者で集まった。
まあ何のことはない、俺がちょっと話したかっただけである。
「いよいよ明日ね! 魔王のときは役に立てなかったけど、今度は頑張るわ!」
さすがに和気藹々とはいかないが、そこはやたら前向きなミーネのおかげで話ができる雰囲気に保たれていた。
とは言え、あまりに元気なのでみんなは不思議そうだ。
「ミーネさん、なんだかとっても嬉しそうなんですけど、そんなに戦うのが楽しみなんですか?」
リオが尋ねると、ミーネはちょっと考える仕草を見せ、それから答えた。
「戦うのは楽しみだけど、嬉しそうなのはちょっと違うわね。別のことなの」
「ん? 別のこと?」
尋ねてみると、ミーネはにっと笑う。
「私はあなたが魔王を倒すんだろうなって思ってたの。でも今はそれ以上のことをしようとしてるじゃない? 私って見る目があったんだなーって思って」
「唐突な自画自賛かよ」
何だか聞いて損した気分になった。
しかし明日は俺に同行して塔の攻略、変な気負いがまったく無いことは称賛に値すべきだろうか。
「あたいも頑張るぞ。でも戦う相手がスナークだからなー。金属だったらミーティアで大活躍なのにな」
そう言うティアウルは黄門軍を構成する十七の部隊の一員になっている。
ティアウルの他にも、メイドの中からはリビラ、シャンセル、リオ、アエリス、ジェミナ、ヴィルジオ、パイシェ、シャフリーンの八名が加わり、あとメイドではないがリィも参加、おまけとしてバスカー、ピスカ、ハスターという、わん、ぴよ、ちゅーも一緒になって戦う。
一方、参加を諦めてもらったサリスとコルフィーは『バベルの先っぽ』でサポート係を務めてもらうことになっていた。
話は概ね明日は頑張ろうという励まし合いだったが、やがてシャロが複雑そうな表情で俺に言ってきた。
「婿殿、無茶はするなと言いたいところじゃが……、これはもう無茶をせねばならん状況じゃ。しかし、覚えておいておくれ。無茶して死ねば墓標に名が刻まれるぞ」
「それは……、げんなりするね。この上なく」
「じゃろう? じゃから死なんようにせんとな」
俺だけに効果のある死ねない理由。
シャロなりの激励みたいなものか?
いっそここは『俺の墓標に名はいらぬ』とでも伝えておきたいところだが……、言ってもシャロに通じるかわからないので自重した。
やがてそろそろお喋りもお終いにしようかという雰囲気になったとき、それまで口数が少なかったサリスがぽつりと言う。
「やはりシアさんだからですか?」
「え?」
どういうことだろうと思ったところ、サリスはここで自分の発言に気づいたように慌てだした。
「す、すみません、今のは失言――、ああいえ、勝手にあれこれ考えての変なことなので気にしないでください。この危機は自分が解決するしかないからと御主人様が苦労されているのに、私は本当、気を削ぐような余計なことを――」
「ああいや、軸になってるのはシアの救出だから。とりあえずシアを助け出せばまとめてどうにかなるからさ。シアを助けようっていう動機については……、そうだなー、強いて言うなら――」
と喋ろうとする俺に、やけに皆が注目してくる。
何故だ。
「あいつが俺のメイドだから、なんだけど……」
『……』
そう答えたところ、何だかみんながガッカリしたような様子になってしまった。
な、なんかゴメン……。
△◆▽
就寝前、少し一人で考えごとをしようと久々に自室に篭もった。
仕事部屋の方をうろうろ歩き回り、それから寝室の方へ行ってベッドにばふっと倒れ込んでみる。仕事部屋は二週間ぶりといったとろだが、寝室の方となるとずいぶんと使っていない。ときどき仮眠のためにちょっと使うくらいだ。それでもちゃんと整えておいてくれるメイドの皆には感謝である。なんだか良い香りもするし。
それから俺はベッドでごろごろして体を起こしたが、そこで見計らったように闖入者が現れた。
ずいぶんと久しぶりな感じのする、装衣の神――ヴァンツである。
「ああ? 何の用だよ」
「ずいぶんなご挨拶だな……」
ヴァンツはやはり不機嫌そうな顔だ。
「用と言うほどのことではない。せっかく私が祝福を与えたというのに、このところ貴様がまったく針仕事をしないのでな、その文句を言いに来たのだ。装衣の神としてな」
「おまえ……」
神が関わることの影響を考えてそう言っているのだろうが、この期に及んでもまだ気を使うのか。
まったく融通が利かないと言うか、無駄に生真面目と言うか。
「まあ今は立て込んでいるようなので大目に見るとしよう」
「偉そうに……」
「ふん、神は偉いのだ。――が、その偉い神が指をくわえて見守るだけでいることを、貴様は腹立たしく思っているのではないか?」
「いや別に腹は立てちゃいねえけど? なんか事情があるんだろって思ってるくらいだな」
そう答えたところ、ヴァンツは渋い顔をますます渋くさせる。
「奴……、はな、他の神と比べても異常だ。奴が好き勝手に力を使いこの状況を作り出したのならば我々もやりようがある。しかし奴が行ったのは『魔王の誕生』という、かろうじて許容される行いくらいだった。それ以外は神ではなく、人の身、己の才覚のみでの行いにこだわった。奴は時間を使ったのだ。千年以上もの間、奴は神域にも帰還せず地上を放浪しこの状況を作りあげた」
「なるほどね……」
ヴァンツが神経質になっていたのは、こういう理由か。
悪神はズルをしていない。
むしろ短期間で俺に関わった神々の方がズルをしているということになりかねない、と。
そもそも俺という存在自体がアレだからなー。
そんなことを思っていたところ――
「奴にとっての悲願。これを達成するため、今、奴は神経質になっているのだろうな。余計なことをして、我々の介入を許すようなことはしないはずだ。例えば……、そう、目をかけている信徒に融通を利かせるといったようなことは」
「――ッ」
そうか――、ならば、予想した通りということか……!
ヴァンツがこれを俺に伝えることは、それこそ信徒を融通しているようなものだったが、そこは神経質なヴァンツ、これはいずれ分かることを遠回しに伝えただけで、さらにこの影響はただ俺の心配事が一つ減るだけにすぎない。
「これを……、伝えに来たのか」
「何の話かわからんな。まったくわからん」
ふん、と鼻を鳴らし、ヴァンツが話を切りかえる。
「そう言えば、覚えているか。いつか、私が貴様に忠告したことを。あれは確かコルフィーを救うべく、妙な衣装を用意してオーク仮面になろうとしていた時だったな。本来であれば緩やかであった破滅への運命を、貴様が目の前に呼び寄せることになるかもしれないと言ったはずだ」
「んだよ、謝れってのか?」
「いや、別に謝ってほしくなどない。実を言うと、私はもっと致命的な破滅を予想していたのだ。もうどうしようもなく、手の施しようのない、抗いようのない破滅だ。しかし今、貴様は抗おうとしている。人々を導き、この忌まわしい禍を終わらせようとしている。これは貴様無くしては有り得ず、また、貴様が辿ってきた道があっての可能性だ」
そこまで話し、ヴァンツは黙り込んだ。
いつもなら邪魔だからとっとと帰れと言うところだが、今回は様子が違うのでちょっと付き合ってやることにして待ってみる。
やがて――、ヴァンツはため息をつき、静かに告げた。
「貴様が正しかった――、と、そう私に言わせてみせろ」
「うるせえ。偉そうにすんな」
即座にそう告げると、ヴァンツはまたいつも通りの苦々しい表情を浮かべる。
いや、少し笑っているか。
「頑張れ」
最後にそう言い残し、ヴァンツは消えた。
あまりの不器用さに思わずふっと笑いが出た。
出会った当初から忌々しいばかりの奴だったが、今は――
「感謝してるよ。これでもな」
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/05/16
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2022/01/31
※さらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2023/05/29




