第687話 閑話…王たちは知る
大陸中の王や代表が一堂に会するのは、もしかするとこれが初めてのことではないだろうか?
集められた者たちの多くがそう考えた。
少なくとも、邪神が滅びて後の世でこのような試みが行われたことはなかったはずである。
実現可能か、不可能か。
まずすべての国が応じなければならないような事態などそうそうあるわけもなく、その観点から言えば不可能な試みであったのだろう。
しかし今回、『邪神の再誕』という、未曾有の危機が訪れたことにより、この『世界会議』と銘打たれた集まりは実現した。
集まった王の中には、長年敵対関係にある者たちも居るが、それを棚上げにしてもこの問題には対処する必要があった。
とは言え、集められた者のほとんどは詳しい事情を知らないままだ。
この知らせが星芒六カ国の王と代表、そしてロールシャッハの連名であったからこそ、事実と判断して集まったのである。
それに……、ここはどこなのか?
緊急事態とは言え、一国の代表をこのような野外講堂に集めるのはさすがに無礼がすぎる。しかしどの国も一目置く六カ国の王や代表が不平一つもらさず舞台の正面、最前列に集まり、説明が始まるのをじっと待っていることもあり、扱いの粗雑さについてわざわざ事を荒立てようとする者はいなかった。
やがて、舞台に一人の少年と幼い少女が現れる。
少女の方はわからないが、少年はわかる。
レイヴァース卿だ。
確か年齢は十四歳、まだ子供である。
彼が噂される英雄なのだが……、こう実際に目にしてみるといまいち信じることができなかった。
想像していた英雄像とはずいぶんと印象の違う、ちょっと人相が悪い普通の少年のようである。
「どうもこんにちは。自己紹介については省かせてもらうとして、これから僕が現在の状況に至るまでの経緯を説明します。長い話になりますが、ひとまず最後まで聞いてください」
説明はすぐに始まった。
まずはつい先日メルナルディア王国で起きた事件から始まり、そして今日の昼前に起きた悪神の出現という事態までだ。
話を聞き、集まった誰もが唖然とする。
中には怒り出す者もいた。
気持ちは充分理解できたが、その発言はザッファーナ皇国の竜皇ドラスヴォートの怒りを買った。
ここで多くの者が、竜皇がそこまでレイヴァース卿に入れ込んでいるという事実に驚くことになる。
ひとまずそこはレイヴァース卿が取りなしたのだが……、彼は竜皇よりももっとえげつない脅しをかけてきた。
末代まで、いやそれどころか、国が滅ぼうと、愚王として語り継がれるなど、そんなことを言われてしまえば協力するより他にない。それは間違いなく起こりうることだと、はっきりわかってしまったとなれば。
それから改めて説明が始まり、王たちは状況を把握する。
そして胸に生まれたのは『これはもう駄目なのではないか』という諦めであった。
世界樹計画は瘴気領域の中心部にある、古代都市ヨルドにて行われる。
つまり、この阻止をするためには瘴気領域を越えなければならないのだ。
それも三日という期間で準備を整えて、である。
野外講堂に重い空気が漂い始めるが、そこでレイヴァース卿は侍女たちに冊子を配らせた。
世界救済のしおり、とある。
何の冗談だ、と多くの者が困惑することになるも、目を通し始めたところで別の困惑によって塗り替えられる。
冊子は文字よりも絵が多かった。
いやどちらかと言えば、文字は絵のおまけだ。
番号の振られた枠に描かれた絵を順に追っていけば、何をすればいいかわかるようになっている。
しかしこの内容は――
「えー、ではこれから、世界樹計画を阻止するための作戦についての説明を行います。まずはこちらをご覧ください」
と、レイヴァース卿が強調したのは、舞台にあるテーブルから、にょきっと生えるように出現したどこかの都市の模型であった。
「これは古代都市ヨルド、その中心部の正確な模型です」
『……!?』
突然のことに、集められた者のほとんどが驚くことになった。
誰もが注目するなか、そこで舞台にぬいぐるみが現れる。
『?』
あれは何だ?
ぬいぐるみということはわかる、でもあれは何だ?
小さなクマと、大きなクマ。
小さなクマはテーブルに飛び乗り、大きなクマは舞台の縁に立って上を見上げた。
すると、大きなクマの目から光りが放たれ、講堂の上部で像を結ぶ。
それはヨルドの模型で……。
「遠くだと模型がよく見えないかと思いまして、こういった方法を採らせてもらいました。こっちの小さなクマが見たものを、大きなクマが投影しているわけです」
『??』
説明してくれたのはありがたいが、説明されてもよくわからなかった。
まず何故クマなのかがわからない。
だが皆の困惑などおかまいなしに、レイヴァース卿は解説を始める。
「邪神の誕生を阻止するためには、まず瘴気領域の中心である古代都市ヨルドへ辿り着く必要があります。が、瘴気領域を中心部まで突っ切るのは現実的ではありません。しかし、空、遙か上空までは瘴気も届いていないことを御存じでしょうか? そこで僕は一人の竜人に空からこのヨルドへ向かってもらうことにしました。一人きりなのは耐瘴気の魔道具が一つしかないからです。彼は途中まで別の竜に乗せてもらい、瘴気領域の中心部付近まで到達したところで一気に古代都市ヨルドへと降下するわけです」
そういう手があったのか、と感心する者が多いなか、すでにしおりを読み、その先を気にしている者もいた。
「しおりには、そこで精霊門を構築するとあるが、これはいったいどういうことなのだ?」
ヨルドに精霊門を置くことができれば、瘴気領域を越えて軍勢を送り込むことができる。
だが、そもそも精霊門は用意できるようなものではない。
「ああ、大丈夫ですよ。紹介するのが遅れましたが、こちらの少女、実はシャーロットです。霊廟の底で魔王の季節が訪れるまで眠りについていたのですが、色々あって今はこうして一緒にいるんです」
『???』
ほとんどの者がきょとんとする中、少女は小さくお辞儀をしてから口を開く。
「紹介に与ったシャーロット・レイヴァースじゃ。この度は、わしの弟がとんでもない面倒事を引き起こしてしまった。これについては本当に申し訳ない。できるならわしだけで片を付けてやりたいが、すまぬ、わしだけでは対処しきれん。どうか皆の力を貸してもらいたい」
『……』
多くの者が呆気にとられた。
信じられない話であるが、その名――導名を堂々と名乗っているのだ、彼女が万魔シャーロットというのは事実なのだろう。
でもどうして幼女……、と気にする者もいたが、さすがに余計な質問だと考え、自重することになった。
「あと、このクマたちには精霊門が応用され、どれだけ距離を置いても小さなクマが見たものを、大きなクマが映し出せるようになっています。この小さなクマを竜人に同行させることにより、シャーロットはその地点に臨時の精霊門を開けられるわけです」
つまり、一気に古代都市へと軍勢を送り込める。
ふいに希望が生まれたような気がして、集まった者たちの生気が戻る。
しかし――
「そして、問題はここからです。僕は世界樹計画を阻止すべく、この都市の中心部にある塔――便宜的に『バベルの塔』と呼びますが、これを登らなければなりません。そこで僕が最上部へ辿り着くまでの間、外にいるスナークが塔へ侵入してこないよう食い止めてくれる人たちが必要になるのです」
ヨルドは瘴気領域の中心、即ちスナークの群れのど真ん中。
ただのスナークではなく、上位個体たるかつて覇種であったもの、またはそれに匹敵するスナーク、バンダースナッチも数多くいると思われる。
「この対スナーク戦は六カ国の専門部隊が主導します。それ以外の国もできればスナーク戦に加わって欲しいところですが、無理ならば対スナーク部隊の支援を頼むことになります」
と、そこで舞台の模型都市に変化があった。
塔の周囲に六つの門が出現する。
「この六つの門が、僕たちが今居るこの『庭園』に用意する、六つの門にそれぞれ繋がります。門の向こうが戦場で、こちら側が前線基地です。そしてこの『庭園』は非常に特別な場所で、負傷者の治療ばかりでなく、死んだばかりなら蘇生することも可能です。それも五体満足の状態にまで回復させて」
ちょっと理解を超える話だった。
レイヴァース卿は話を聞かせる相手を驚かせたり、困惑させずにはいられないのだろうか。
「そ、蘇生とはどういうことかね? ああいや、そもそも、ここはいったいどこなのだ?」
思わず尋ねる者が現れ、誰もが気になっていたことを代表するように質問する。
「ああ、では、それについて少し説明を。ここはとある迷宮の最下層です。聞いたことはありませんか、死なない迷宮というものを。ここがそう、エミルスの迷宮なのです。そして……、ほれ」
と、レイヴァース卿は指をちょいちょいと動かして何か合図をした。
すると舞台に巨大なスライムがにょきっと生えてきた。
「このスライムが当迷宮の迷宮主、スライム覇種のイールです」
「どもども! 私がイールです、どうぞお見知りおきを!」
『?!??!』
国の代表ともなれは日々多くの報告を受ける。
国内の情報が集中するからだ。
そんな者たちでも、今回ばかりは情報の処理が追いつかなかった。
「この迷宮、実はイールそのものなんです。要は僕らは今こいつの体内に居るようなものなんですよ。ああ、こいつは人に対して敵意は持っていないので、そこは安心してください。むしろ、好意的です。探索者が大怪我を負おうが、死んでしまおうが、それでも回復して送り返されるのは、すべてこいつの厚意です」
「そういうわけです。あ、でもこの話は内緒でお願いしますね。状況が状況で、今回は特別にお知らせしたんですよ」
喋りながらぽよぽよ揺れるスライム。
「えーっと、話を戻しますが、こういった理由でここに戻ればどんな重傷でもなんとかなります。上手く行けば、僕に協力してくれた人たちが、誰一人死ぬことなく、今回の試練を乗り切ることも不可能ではないのです。そのためには、なるべくまとまって戦い、負傷した場合はすぐに下がる、あるいは下げる、という連携が必要になります。ここはさすがに僕では門外漢すぎるので、このあたりは皆さんにお任せするしかありません」
ここに来て、ようやく役割の話になった。
もしかすると、すべて指示されてそれで終わるのではないかと考えていたところだったので、このお願いには何故か安堵する者が多かった。
「もちろん、想像であれこれ考えて計画しただけでは、上手くいくかどうかは賭けになってしまいます。そこでこの賭けの要素を少しでも減らすべく、後でイールに六つの『門』を用意してもらいます。実際にバベルの周囲に設置するのとほぼ同じ間隔で配置するので、その様子を確認してもらって、ヨルド側にどれだけ、庭園側にどれだけ人員を投入するか、各国の割り振りなど判断してください。実際に兵をこの庭園に集合させれば、本番に備え合同演習もできます。あと魔物も好きなだけイールが用意できるので、模擬戦を行ってみてもよいかもしれませんね」
『……』
説明が始まってからというもの、どの内容も衝撃的でそろそろ驚き疲れることになっていたが、それでも、国の代表という立場を担う者だからこそ驚くことがあった。
レイヴァース卿――、彼という存在についてだ。
もうすでにやるべきことが示され、後はただ事を急ぐだけにまで整えられてしまっている。
至れり尽くせり、とまでは言わないが、それでもここまでお膳立てがされているとなれば驚くより他にない。
最初は、てっきりこれからどのようにして瘴気領域を突破し、その世界樹計画というのを阻止するか話し合うのかと思っていたのに、もうやることがほぼ決まっているのである。
「君は事前にこれを計画していたのか?」
その質問に対し、レイヴァース卿はきょとんとして答える。
「え? いえいえ、まさか。悪神が去ったあと、皆さんに集まってもらうまでに何とか形だけはどうにかしようと急いで考えたんです」
『…………』
今日の昼前に事態が起き、まだ六時間程度のはず。
これまで噂でしか知らなかった者たちも、ここで理解する。
これがレイヴァース卿――、と。
思い描かれる英雄像からはずいぶんとズレる。
いやそもそも、彼は剣を振って敵を倒すような者ではなく、思考により『ハメ』て『殺す』ことを得意とする人種にすら思えた。
そんな彼が立案した作戦は不可欠な要素が多く、一つでも欠けていたら成り立たないような危ういものである。
しかし、それがこうして揃っているという事実はただの僥倖なのだろうか。
まるで彼をその場へと導くために用意されたような――。
今日、ようやく彼を知った者たちの多くがつい抱いてしまったのは、彼ならば世界樹計画を阻止し、悪神の企みを打ち砕くことも可能なのではないかという――、希望だった。




