第679話 14歳(春)…悪神は告げる
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よろしくお願いします。
まずは静寂だった。
その後、集まった人々からどよめきが起こり始める。
自分が悪神であると宣言したあの男、果たしてそれが真実であるかどうかの判断など人々にできるわけもなく、常識的に考えるならば、馬鹿なことを言っている、と一笑に付すところだろう。
しかし、奴が名乗る前に披露した右腕の復元は魔法やポーションといった回復手段のあるこの世界においても現実離れしており、自身を神と称した男をただの物狂いだと片付けることを困難にしていた。さらに男は実に威厳に満ちた姿をしており、一目で『ただ者ではない』と誰にでも判断できる毅然とした佇まいであったため、これが酔狂などではなく真実であるのだと人々に信じさせる説得力を持っていた。
となると――、人々の中に生まれるのは恐れである。
時折、神が人々に干渉してくることは知られていた。
本来であればそれは僥倖――得難い体験であることだろう。
だが、これが悪神となると話は別。
悪神の一般的な印象は『悪行を為す神』というものであるため、そんな神を前にすれば人々が恐れを抱くのも無理のない話であった。
これが過去にも姿を現し、恐れを抱かせないようなエピソードでも伝わっていれば話は別だったのだろう。しかし幸か不幸か、邪神が滅びた後の世において悪神が公の場に姿を現したことは無い。
いや、正確には悪神としての立場でもって人々に関わったことは無い、と言うべきか。
カルロという一人の男を演じていたように、悪神はこれまでずっと正体を隠し人の世に紛れる形で接触を続けていたのだろうから。
悪神――、奴が。
俺からすればもうわざわざ調べる必要も無い。
これまで何回か神に会う機会はあったが、その中でも奴が最も神らしい雰囲気を纏っているというのはなんとも皮肉な話だった。
「どうする? 行っちゃう? 行っちゃう?」
悪神から視線を切らさぬまま、ミーネが尋ねてくる。
すでにその手は剣の柄にかけられており、もし俺が「行く」と言えば本気で飛び掛かるつもりのようだ。
相手はやべえ神だってのに、なんて勇ましいお嬢さんだろうか。
しかしこれをシャロが慌てて止めようとする。
「こ、これ、ミーネよ、待て、逸るでない。相手は神じゃ。挑んだところでまともに戦うことのできる相手ではないぞ」
そこはシャロの言う通りなのだろう。
神に攻撃を加えることが可能なことは過去に実証済みだが、だからと言って倒せるわけではないのだ。例え、実際にこの場で戦い、もし倒せたとしても。神は神域――人々の集合意識によって保証された存在であるため消滅したりはしないのだ。
「そーですよ、ミーネさん。それにほら、ご主人さまが万全じゃありませんし、下手に手を出すのはやめましょう」
「猊下とご家族の安全が優先です。ここは避難させるべきでは?」
アレサはそう言うが、俺に避難するつもりはない。
しかし家族やみんなは屋敷へ戻ってもらいたいところ。
「ふむ、そうなると……、避難させてもらえるかどうかじゃな。しかし彼奴が攻撃を仕掛けてくる、といったことは無いはずじゃ。それは明らかな越権行為になり、他の神々が放ってはおかん」
「ってことは、他の神が出張ってきてないってのが、ある意味で奴がこの場で暴れるつもりは無いっていう証明にもなるわけか」
「そうじゃな」
「確かに……、何かやろうとするなら、わざわざこんな舞台で堂々と出てきて名乗る必要は無いしな」
「んじゃ何をしに来たわけ? お邪魔?」
「まあすでにお邪魔してるわけだから、正解っちゃ正解だな」
と、ミーネの疑問にはそう答えるしかなかった。
悪神とはいずれ見えることになると思っていたものの、それは『いずれ』であり『今』ではない。俺には俺の計画があり、現れるのはその実行後だと考えていたのだ。
それがこのタイミング、何故なのか。
現れたならば必ず奴なりの目的がある。
にもかかわらず、俺にはその目的がどういうものか、現状まったく予想できずにいた。漠然とあれこれ想像してみるが、そこに説得力が無い。意味を見つけられないのだ。これでは対策の立てようがない。
だが思考を放棄するわけにもいかず、俺はひたすら思考を巡らせる。
何もわからぬままでありながら焦るのは、悪神に先手を打たれた感が拭えないからだ。
シャフリーンの魔王化を阻止したときは現れず、しかし今回はこうして人々の前に姿を現した。
おそらく状況に何らかの変化があったのだろうが……、それはいったい何なのか?
迷走する思考。
何一つ閃きが訪れないなか、とうとう悪神が語り始めた。
『今日という日を、我はどれほど待ち焦がれたことだろうか。こうして人々の前に姿を現し、公平を期すべくいくつかの真実を語ることができる日を。めでたい。今日は実にめでたい日である』
悪神にとってめでたいとなれば、こっちにとっちゃ忌まわしい日だ。
ともかく悪神はこの場で何らかの話をするつもりらしい。
この場を選んだのは、なるべく多くの人々にそれを聞いてもらいたいから、ということなのか?
そんなことを考えている間に、悪神は続きを喋り始めた。
先ほどまでの威圧的な口調がやや影を潜め、穏やかに。
『さて、どこから話し始めるか少し迷うが……、そうだな、この場が魔王の撃退を祝うための催しであること踏まえ、まずは魔王に関係した事から始めるとしよう』
悪神が魔王の誕生に関わっていることは判明しているため、奴が魔王について語るとなればこれほど確かな情報は無い。
何故ここで語るのか――、それもまた疑問ではあるが、それよりも今は奴の話に耳を傾けたかった。これまで推測することしかできなかった事の答えが聞けるかもしれないと、困ったことに強く興味を惹かれてしまう。
『魔王は約三百年の周期で誕生していたわけだが、この理由については、ほぼ、そこにいるレイヴァース卿の推測通りである』
そう言いつつ、悪神は先ほど復元させたばかりの右腕を高く掲げて見せた。
『私はこの右腕を世界に溶け込ませ、魔素の流れに乗せ大陸中へと広げていた。これが慎重を要すなかなか手間のかかる仕事でね、およそ三百年ほどかかってしまうというわけだ。しかし一度広げてしまえば後は魔王が誕生するまでそのままにしておける。中途半端な半覚醒で終わった場合は候補者の選び直しだけでいい。レイヴァース卿による先の魔王の誕生阻止からそう間を置かず、今回も魔王が誕生しそうになったのはこういうわけだ』
奴が語り始めた内容を聞いて、俺はすぐに困惑することになった。
おそらくその戸惑いが表情に出ていたのだろう、悪神は俺の動揺を見抜いたらしく、小さな笑みを浮かべながらさらに告げる。
『右腕を溶け込ませるのに三百年かかる。その右腕を今こうして戻した。これはつまり、また魔王を誕生させるためには、その準備に三百年ほどの期間を必要とするということだ』
では、今回の魔王の季節は終わったのか?
悪神の言葉に人々のざわめきが大きくなる。
もう魔王の誕生に怯える必要はない、と魔王を誕生させていた神から告げられたならば……、まあ複雑な心境は置いておいて、素直に喜びたくもなるだろう。
だが俺はとても喜べない。
まだ奴は喋り始めたばかりで、これは話のとっかかりにすぎず、本題はこの後なのだ。
故に――
『では三百年後、また再び魔王は誕生するのか? いや、そんなことはない。私はもう魔王を誕生させることはない』
おおぉ――、と人々が唸る。
だが俺は表情を歪め、悪神を睨んだ。
違う。
これは違う。
もうその段階では無くなった――魔王が必要なくなったというだけの話なのだ。
つまり――
『そう、実にめでたく、喜ばしいのだ。何しろ、これでようやく人々は中断された試練へ再び挑むことができるのだから』
邪神誕生のための準備は整ってしまっていたのである。
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/09/14




