第671話 閑話…父にして子、子にして父
オーク仮面。
その存在について報告は受けていたが、実体についてはほとんどわからないようなものであり、また、彼の記憶を辿っても『得体の知れない何か』という未知の存在であった。
そしてそんなものが彼の記憶の中にいる――、活動している。
いや、すでにここが記憶の世界なのかどうかも怪しい。
世界が砕けたとき、まったく別の場所へと引きずり込まれてしまったのではないか? しかし、ならばそれはどこだ? 理外の技により通常では有り得ない場所へと訪れたガレデアが、さらに理外の出来事により訪れることになった場所。もうそんなもの予想しようにもできるわけがなく、ガレデアはただただ唖然とするより他なかった。
「な……、なんだ貴様は……、何なのだ……」
「説明する義理などない――、と言いたいところではあるが、これで一つ借りが出来た。であれば、礼代わりに答えてやらねばならんか」
借り? 礼?
いったい何を言っているのかとガレデアが困惑するなか、仮面は映写機を動かす手を止めた。
「ただし、汝が理解できるかどうかの責任は持てん。そもそも、汝はついでなのでな」
そう前置きすると、仮面はガレデアが何か言うのを待たず語り始めた。
「ここではない場所。いまではない時。一人の少年が不幸に見舞われることになった」
「その少年というのは――」
「無論、汝が記憶を覗き見していた者のことである」
そうか、とガレデアはわずかに安堵した。
ここでまったく別の少年の話をされようものなら、事態はよりややこしく、わかりづらくなるに違いなく、その心配が杞憂だったことにほっとしたのだ。
しかし――
「その日、死神の手から離れた鎌が少年に突き刺さった」
「……!?」
いきなりの急展開にガレデアは戸惑った。
死神というのは何かを例えたものではなく、本当に神としての死神なのかという疑問。もしそうだとして、そんなことがありえるのかという懐疑。そしてこの少年はそんなとんでもない目に遭ったのかという驚愕。
咄嗟に何と言ったらいいかわからず、結果として何も言えなかったガレデアであったが、仮面は構わず話を続ける。
「本来であれば鎌は死神の一部であり、離れるようなことはない」
当然の事のように語る仮面。
どうしてそんなことを知っているのか。
「死神は魂の運び手、摂理の一部である。摂理の一部であるが故に明確な自我を獲得することは叶わず、宿るのは幼子のようなあやふやな意識であった。しかし、その死神は他の死神よりも少しばかり自我が発達していたことで気まぐれを起こした」
「気まぐれ……?」
「自分の鎌に名前をつけたのだ」
その程度のことか、とガレデアは考えたが、こうして語られていることからしてそれは良くない行いだったのだろう。
「鎌は名付けられたことで、死神の一部であった状態から独立した一個の神性となった。この乖離が起きたことによって、死神の手から鎌が離れるという事態を招く結果になったのだ。死神の手から離れた鎌は少年に突き刺さったのち、その少年の魂と共に記憶も取り込み、己に不足する意識を補う糧としようとした」
「……?」
では、少年は魂と記憶を鎌に喰われ死んでしまったのか?
ガレデアが疑問に思うが、ひとまずそのまま話を聞いた。
「さて、ではこれにより鎌は強固な自我を獲得することになったのか? 否。いくら神の力の一端とは言え、赤子のような自我しか持たぬ鎌が、十数年を生きた少年の記憶から発生する自我に打ち勝てるわけもない。これが少年の死した後――、例え一瞬の差であれど、死を迎えてからの融合であれば鎌はその記憶を隔離することもできたのであろう。しかし、先んじたのは融合であった」
人と神の欠片、せめぎ合いが起きれば人など消し飛んでしまいそうなものであるが、その状況においては力の強い弱いは関係なく、ただ記憶に裏打ちされた意識――強い自我があるかどうかによって優劣が決せられてしまったらしい。
「結果、鎌は少年の意識に負け、己の内に少年の記憶を持つ、少年のようなものを生みだすことになる。強力な自我の発生に、まだ幼い鎌の意識は深い底へと追いやられることになった」
「まさかそれが先ほどまでの記憶……?」
「そう。汝は少年の記憶に違和感を持ったようだが、それはある意味で記憶が偽物であり、しかし本物でもあるという、他に類を見ない特殊性を帯びたものであったためだろう」
なるほど、特殊か――、いや、特殊すぎる、何もかもが。
「この者がいったい何なのか、簡潔に説明するとなれば……、そうだな、死神の鎌という神性からさらに派生して生まれた、己を少年の転生体と信じている属神であろう」
まとも――ではない。
何一つまともではないのだ。
魔王の誕生を、そして第二の邪神の誕生を阻止した希代の英雄がただ者ではないことはわかっていたが、まさかここまで理解の及ばぬ怪物だと誰が想像できただろうか。
だが――
「では……、貴様いったい何なのだ?」
仮面はまだその最初の問いかけに答えていない。
語ったのはレイヴァース卿についてのことばかりである。しかし彼と仮面に何らかの結びつきがあるのはこの状況からしても間違いはなく、であれば、これまでの話は仮面が自身についての話をする上で欠かすことのできない予備知識だったのではないか。
そのガレデアのささやかな予想は、仮面の返答によって肯定される。
「我か。我は少年の意識が台頭したことにより、深く沈み眠りについていた鎌本来の、あやふやな自我である」
つまりは大神の欠片。
レイヴァース卿はとんでもなかったが、この仮面もまた――、いや、どちらであろうとその存在はすでに理外の化け物だ。
「あやふやな自我と言うわりには、ずいぶんと自己主張が強いように思えるが?」
そろそろ驚くことに疲れたガレデアは一旦冷静さを取り戻すことになり、ささやかながら皮肉を返した。
「そう言うな。かつては、という話だ。我が属神が、好まぬからと心の奥底に追いやったもの、それが我を形成させていった。ベルガミア王国でのスナークの暴争では、我が死神の鎌であったが故に目を覚ますことになり、続けて我が名が呼ばれることになった。そう、我はそこで我としての産声を上げ、そして仮面を仮初めの器とした。我は親にして我が属神の子となり、我が属神は子にして我が親となったのだ」
歪な存在はどこまで行こうと歪。
聞けば聞くだけ訳がわからなくなる、そんな説明もあるのだとガレデアは謎の納得を覚えることになった。
「いつか明らかになる日が訪れる、それはわかっていた。しかし……、それがまさか外圧による境界の破壊とは予想できなかった。もはや隠す必要も意味も無く、後はただ認めるだけだ。――さて、もうよいだろう?」
仮面は上を見上げるようにしてそう尋ねる。
それはガレデアに向けられた言葉ではなく……、おそらくはレイヴァース卿に語りかけているのだろう。
レイヴァース卿の記憶を改竄するという試みは失敗だ。
例えどこかを改竄しようとしても、ここに居る神性の『本体』が干渉することだろう。それでは何の効果も及ぼさない。どうしてもやるというなら、まずはこの仮面を制しなければならないのだ。
そんなこと、果たして可能なのだろうか?
「やめておけ。下手に手を出そうものなら、我が内に眠る夢幻が溢れだしてしまうぞ」
それは仮面の忠告であったが、ガレデアは構わず力まかせに仮面を制圧しようとする。ここでレイヴァース卿を抑えられなければ何の意味もないのだ。
すると――。
ガッ、と仮面の一部が欠けた。
右半面の上部、眉間から頬にかけてが砕けたのだ。
これによって欠けた部分からは顔が――、いや、顔などなかった。
闇だ。
そしてその闇からは、ふわふわと黒い霞が流れ出し、みるみる足元に広がってガレデアの元までやってくる。
その黒い靄が触れた瞬間、ガレデアはさまざまな人の生を見た。
いや、体験した。
男として生まれた者、女として生まれた者、長く生きられなかった者、ずいぶんと長生きした者、安らかな死に様、悲惨な最期――。
仮面から溢れだしたものは、死神がその鎌で魂から剥ぎ取った人生という錆びであった。
瞬間的に様々な人生を叩き込まれたガレデアは、一瞬自分が誰であるかわからなくなり、そのまま夢幻に取り込まれそうになったが、他者の意識に干渉できるようになっていたことが幸いし、なんとか『自分』に戻ることができた。
慌てて飛び退くが、黒い靄は欠けた仮面から覗く闇よりいくらでも溢れ出てくる。
それこそこの空間を満たしてしまいそうなほどに。
「くっ……」
これはガレデアとて退くしかなかった。
こんなもの、人の精神で耐えられるものではなく、ガレデアは逃げ出すように現実世界へと帰還する。
そして――。
また一人きりとなったオーク仮面は、再び上を見上げて呟いた。
「さあ、目覚めの時だ」
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/17




