第670話 閑話…誰そ彼
記憶の改竄を行うには、ある程度その人物について把握する必要がある。とは言え、その人物が生きた半生のすべて盗み見ることは非常に時間のかかることであった。例えそれが現実においては一瞬にすぎなくとも、その人物に寄り添うようにして記憶の旅を続けるのはガレデアの精神を消耗させることになる。一人ならばまだよいが、これがその場に居た全員となると、魔王化しつつあるガレデアとて苦行に他ならない。そこでガレデアは、その人物の記憶の中で特に重要な部分を追って干渉していた。記憶は均等なものではなく、思い起こすことが出来なくなるほどたわいもないものから、いつでも思い出すことのできる大切なものという具合に重要度があり、ガレデアはそれを『重さ』として感じ取ることができた。
が、にもかかわらず、レイヴァース卿の記憶はどれも彼を彼たらしめた『核』が見あたらない。記憶を辿る内に、ガレデアは彼の誕生にまで遡ることになったが、そこで事態は急変した。
誕生以前の記憶が彼にはあったのだ。
「(何だこれは……?)」
あまりにも見慣れぬ場所で生きる一人の少年の記憶。
ここでガレデアは、ときおり彼がシアとの会話のなかで言っていた『元の世界』という言葉の意味を理解する。
彼は別の世界――少なくともこの大陸に存在しない別の場所で生きていた少年がこちらに生まれ変わった存在なのだ。
この事実については、彼の記憶すべてを完全に見ることができていればすんなり理解できたことであったが、ガレデアには彼が神と関わった際の記憶を見ることができなかったために遅れた認識となった。また、記憶を覗き見るという行動は、その場に立ち会いその光景を眺めるようなものであり、その人物の内面――どのような思考をしたかまでは知ることが出来ない。何しろ本人ですらその光景を思い起こすことはできたとしても、当時、何を考えていたかということを明確に思い出すことはできないからである。可能なのはせいぜいどういった感情を抱いていたか思い出せる程度のものだ。
端的に現すならば、ガレデアはその人物を主人公とした映画を眺めているようなものなのである。
「(レイヴァース卿は……、別世界からの転生者なのか)」
この事実によって、その異常なほどの活動力や発想力がおおよそ納得できた。
しかし、今知りたいのはそんなことではない。
ガレデアは前世の記憶における『重み』を探した。
探したが……、何故か、この記憶ですら決定的な『核』を見つけることができない。
両親と生まれる予定であった弟妹をまとめて失った夜の記憶がそれであるかと思われたが……、違う。
ガレデアは『核』を探し彼の記憶を彷徨った。
ある程度の『重み』を持つ記憶を辿り、やがて辿り着いたのは墓場での思い出だ。
とある墓の前に立つ少年と、その祖父である老爺。
それは老人が彼につき続けてきた嘘の代償を支払っている様子であった。
語りかける老人の言葉、ガレデアにはわからなかったが、彼を介しているためか何を伝えようとしているかは把握できていた。
老人はしばし話し続けていたが、その途中で少年は墓の前から逃げ出すように立ち去ってしまう。
墓を彷徨い、途方に暮れたようにしゃがみ込んだ少年はそこで美しいがどこか不気味な花が辺りに咲いていることに気づいた。
「その花は彼岸花と言うのだよ」
やがて追ってきた老人は静かに言った。
「他にも曼珠沙華、地獄花、死人花、幽霊花、蛇花、天蓋花、狐花、捨子花……、恐ろしいものが多いだろう? だが花火花や雷花という呼ばれ方もある。各地方の呼び方を含めると千はあるという話だ」
墓の前から逃げだした少年にどう話しかけたらよいものかと考えた結果なのだろう、老人は少年が見つめる花についての説明をした。
「花言葉は『情熱』、『独立』、『諦め』、『転生』、それから『また会う日を楽しみに』、『想うはあなたひとり』というものがあるそうだ」
老人は語るが、少年は黙ったままだ。
「(違うな、ここでもない)」
ガレデアは次の『重み』を探し別の記憶へと飛ぶ。
△◆▽
その少年は部屋に篭もりひたすら映画を観賞し続けた。
しかし、どういうことであろうか、娯楽であるはずの映画を、少年は楽しそうに眺めるどころか鬼気迫る様子で食い入るように見ている。
それは映し出される光景の中から、どうしても見つけださなければならない答えを探し出そうとしているようであった。
少年は来る日も来る日も映画を見続けた。
どうやら少年は映画の中で起きる出来事に対して自分なりの行動を想像しているようであった。登場人物それぞれに対し、自分ならばどのような選択をするか、どのような手段をとるか、その映画の舞台において現実的に、可能な手段でもって自分なりの答えを用意する。
少年はあらゆる映画を鑑賞したが、中には好ましくないものもあった。
それはいわゆるヒーローもの。
力を得たことで責任を果たすことを強いられた者が、倒すべき敵に挑む。主人公にしか倒せない。ならば戦うしかないのだろう。
けれどその戦いに巻き込まれる人々は?
少年になりたいものなどなかったが、ヒーローにだけはなりたくないと思っていた。いやそもそも、そんなものになれるわけもないのだが、それでも、もしそんな者が現れるなら、自分は、巻き込まれる人々こそを助けられるようになれたらと思った。いや、それは望みすぎだろうか。ならばせめて、手のとどく範囲の人々だけは。それは例えば、家族であったり、友人であったり。
少年が引き籠もっていたのはおおよそ三年。
部屋に閉じこもり映画を見続け、その世界に生きる者たちになりきって答えを出し続けるという行いは一種の修行に近く、ひたすら己に課し続ける課題は人工的に心理的葛藤を生ませ、その中で心理的な超越性――悟りへと至らせる『公案』――いわゆる禅問答的な役割を担っていた。
この結果、少年の苦悩は悟りへと、救いへと転じ、それは宗教者に訪れる転機に等しいものであったため、宗教者がまさにそうであるように少年は『救い』の実践を行うべく三年ぶりに外界へと出ることになった。
祖父が少年を入学させた高校は、金さえ積めば受け入れるという性質上、とにかく問題を抱える少年少女が集まっており、彼・彼女らの起こす事件、巻き込まれる騒動に、頼まれもしないのに少年は関わっては潰していった。
そこにあるのは深い同情。
少年は置いて行かれた。
それで命が助かることになったとしても、それでも連れて行ってほしかったのだ。残された寂しさと悲しみは、怒りと憎しみとなり、今は狂気となって哀れな子らを救うための原動力となっていた。
クラスメイトの多くが望まずに生まれてきてしまった同朋であり、そして置いてかれようとしている哀れな子らなのだ。
こういう者を救うことに使命感を覚える少年は、やはりすっかり狂ってしまっており、故に手段の清濁などお構いなしであった。
△◆▽
「(何だ……? 何かがおかしい)」
少年の半生を眺め続けることになったガレデアは、ここにきてようやく自分が何か過ちを犯しているのではないかと疑問に思った。
このまま記憶を眺め続けたとしても、改竄すべき『核』となる記憶は見つけられないような気がしたのである。
レイヴァース卿の記憶は、この少年の記憶に繋がっている。
それは確かだ。
だが、レイヴァース卿自身の記憶に比べ、この少年の記憶は確かに『重み』があるのだが――、違うのだ。そうではないのだ。
おそらくレイヴァース卿自身気づいていない。
「(この記憶は――、偽物だ)」
そう結論するガレデア。
その確信は誤りであったが――、しかし、それ故に正鵠を射た。
瞬間――。
少年の記憶――世界が砕けた。
「(な――ッ!?)」
ガレデアは記憶の世界がガラスのようにバラバラになって砕け、そして消えていく様子を唖然と見守ることになった。このような異変はまったく想定しておらず、驚きを抑えることができなかったのだ。
まして、砕けた世界の外側にただ白いだけの世界が広がっており、先客がいたとなれば尚のこと。
その何者かは手回しの映写機を稼働させていた。
映写機から放たれる光はガレデアに向けられており、ガレデアのいたその場がスクリーンとなって像を結んでいる。よく注意して見てみると、それは先ほどまでガレデアが観察していた少年の記憶であった。
「やれやれ、ここは関係者以外、立ち入り禁止なのだがな」
そう告げた何者か、その顔をガレデアは知っていた。
いや、その猪の仮面を。
「オ、オーク仮面……」
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/08/23




