第659話 閑話…シア
颯爽と現れたシアにクロアはぽかんと目を丸くすることになったが、すぐにひしっと抱きついた。
「姉さん!」
「お、こうやってクロアちゃんを抱きしめるのは久しぶりですね。ふふ、もっとこうやって甘えてきてもいいんですよ? お姉ちゃんですからねー」
シアは微笑みながらクロアの頭をよしよしと撫でて落ち着かせ、それから肘を突いて身を起こそうとしていたパイシェを見た。
「パイシェさん、大丈夫ですか?」
「これしき、問題ありません。私がついていながらこの体たらく、クロア様を危険な目に遭わせたこと、誠に申し訳ございません。王女殿下はクロア様と共にこのまま集合場所となっている試練の塔へ――」
「いやいや、パイシェさん、普段の同僚の感覚でお願いしますよ。慣れない王女扱いされると戸惑うので。それに塔へは三人で向かいます。クロアちゃん、パイシェさんをちょっと見てあげてください。ポーション持ってましたっけ?」
「うん。持ってる。――あ、じゃあ姉さんはあっちのカルロさんを見てあげて。まだ助かるかもしれないから」
「わっかりました」
こうしてクロアはパイシェに妖精鞄から取りだしたポーションを飲ませ、シアはカルロの様子を見に向かったが――
「ポーションで傷が癒えないというのは……」
もう少し早く到着できていれば助けられただろうか。
会ったのは確かベルガミアに招かれた時に二度。
その程度の知人ではあるが――、こうして犠牲になった様子を目の当たりにすると胸がざわつく。
シアがクロアとパイシェの所に戻ると――
「おいおい、ひでえナ! おいらごとかヨ!」
そこで白銀ごとシアにぶっ飛ばされたメタマルが建物の穴からぴょんぴょん跳ねつつやってきた。
「すみません、ちょうど良かったもので……。メタマルさんは引き続きクロアちゃんの護衛をお願いします」
「おうヨ!」
メタマルをクロアの元へ向かわせたところで、白銀はのっそりと壁の穴から出てきた。
「びっくりした……」
「おや、それはすみませんね。怪我もしたでしょうし、ここらであきらめて引きあげてもらえません?」
「怪我は平気だからいいよ。それより君だ。君だろ、王女って。面倒なことになったと思ってたけど、なんだ、運が良かったみたいだ」
「わたしが目的ってわけですか」
「そうそう、捜すのは鉄や灰銀の役目だったけど、別に僕が見つけちゃいけないって話じゃないし。一緒に来てくれる?」
「お断りです」
きっぱりと告げつつ、シアは『威圧』を放った。
だが――
「だよね」
白銀の様子は変わらない。
耐えたと言うよりは、そもそも効果が無かったような雰囲気だ。
恐れを知らないのか、それとも、もっと恐ろしいものに会ったことがあるので気にならないのか。
「でもさ、君に来てもらわないことには、この町の状況は変わらないままだよ」
「おっと、脅しですか。ですが、それが本当とも限りませんし」
「うん? ともかくさ、一緒に来てもらわないと困るんだ。これはね、君のためでもあるんだよ。君を狙っている奴がいるんだ」
「それ貴方たちじゃないですか」
「僕たちとは別にだよ。僕のような白銀はそいつを殺すのが役目だったんだけど、君を見つけたなら話は別だ。すぐにここから離れた方がいいんだよ。そいつはこの辺りに居るんだから」
「ではさっさと立ち去った方が良さそうですね」
「ああもう、手荒な真似はしたくないんだけどなぁ!」
シアが大人しく同行しないことを悟り、白銀は声を荒らげるとシアに飛び掛かった。
素早い。
が、シアはひらりと左側に身を躱す。
「ふっ――」
さらに躱しざま、身を捻って刈り取るような軌跡で後ろ回し蹴りを放ち、目標を見失った白銀の後頭部に踵を叩き込む。
「がっ」
見えない位置からの攻撃は、攻撃を受けたという認識よりも先に混乱をきたす。これは白銀とて同様で、何が起きたのかわからないまま体勢が崩れていき、飛び出した勢いによって地面を二、三転がった。
シアは回し蹴りによって広がったスカートが落ち着くと、今のはちょっとはしたなかったかと思いつつ言う。
「手荒な真似をしたくないってのは、こっちの台詞ですねー」
「……!」
全力ではないにしても、シアの一撃を後頭部に受けようものならよくて気絶、下手すれば死。
だが、白銀は立ち上がる。
シアにあっさりとあしらわれたことで、手加減して捕らえられる相手ではないと悟ったか、白銀はさらに素早くシアに襲い掛かる。
だがそれもシアは躱す、躱す。
到達できる速度領域はシアの方が上であるため、白銀の攻撃はシアを捉えることができず、逆にシアからは攻撃一回に対して一回という丁寧な反撃を受けることになっていた。
速度で負け、持久力でもシアに負ける白銀であったが――
「しぶといですね……!」
耐久力――どれほど反撃を受けようと構わず攻撃を仕掛け続ける狂戦士ぶりはシアを凌駕していた。
「こういう相手は……!」
と、シアは白銀の顎を狙い、打撃によって脳震盪を誘発する。
一発で成功とはいかなかったが、三発目に白銀の膝がガクッと抜けそのまま尻もちをついた。
これなら――、と期待したシアであったが、白銀はすぐに戦闘に復帰した。
「くっ、セオリー通りにはいきませんか……!」
ここまでしぶといとなれば仕方ない――。
シアは魔導袋から二丁の鎌――アプラとリヴァを取りだし、まずは白銀の手首の腱を、続いて両足の腱を断つ。
防御など考えない白銀ということもあって、やすやすと断つことが出来たが――
「あれぇ!?」
無力化できたと思いきや、白銀の傷はものの数秒で完治。
もし手足を切り落としたとしても、その手足を押しつけたらすぐにくっついてしまうのではないか、そんな想像すらさせた。
異常な自己治癒能力、本当にアレサのようだと考えつつ、シアは仕方なしに気乗りしない能力を頼ることにする。
すべての発端である〈喰世〉でもって、白銀の活力を削り取って戦闘不能にするのだ。
この試みは上手く行った。
いや、上手く行かないわけがなく、今となってはそれがまた疎ましいところだが……、ともかく今は白銀を退けることが優先だ。
自身から力が失われていくことに、白銀は少しして気づいたらしく無闇に攻撃してこなくなった。
「まいったな……」
白銀はどうあってもシアには敵わないことを受け入れ始めたが、ここで問題が起きた。
戦場と化していたこの場に、迷い込んで来た何者か。
「あ」
一瞬、シアの気がそれる。
そのタイミングで白銀は動いた。
人質を取ることで劣勢を覆そうという企みであったが――
「まだ居たか」
一閃。
迷い込んで来た男が鞘から抜きはなった剣は、襲い掛かった白銀の首を斬り飛ばす。
首を失った白銀の体は惰性で数歩駆けた後に転倒、遅れて頭部が地面に落下する。
一方、その人物を見て息を呑んだのはパイシェだ。
「ロ、ロット公爵……!」
「え」
クロアはパイシェに移した視線を改めて公爵に向ける。
歳は二十代半ばか。若々しく、端正な顔立ちをした暗い灰色の髪、青い眼の男性で、雰囲気はとても穏やかそうなのだが……、あの男が姉を殺そうとしているのだ。
そしてシアは咄嗟に白銀を追った結果、公爵の側に行っており、いきなり白銀を殺害したことに戸惑いつつも話しかけようとしていた。
「あ、えっと……、どなたかは存じませんが――」
「その人は敵!」
クロアが叫ぶ。
「――ッ!?」
瞬間的にシアは身を退き――
「――ッ!」
公爵の剣が空を斬った。
いや、切っ先がわずかに擦り、シアの首に血が滲む。
ほんのわずかでも回避するのが遅れていれば、白銀同様に首を刎ねられていたに違いない鋭さを持つ一撃であった。
公爵は小さくため息をつくと、クロアに告げる。
「よくわかりましたね」
「き、聞いたから……」
「聞いた?」
「バロットの人に。あなたは姉さん――王女を殺すのが目的だって」
「カルロに話した覚えは無いのですが……、まあいいでしょう」
事切れたカルロを一瞥したのち、公爵はシアへと視線を戻した。
「私はガレデア・ロットと申します。王女殿下には誠に申し訳ないのですが……、ここで死んでいただきたいのです」
「いや、え……、え!? ちょちょ、ど、どうしてあなたがわたしを殺そうとするんですか!?」
ガレデアはリマルキスの従兄……、それはつまり、シアとて同じである。そんな人が自分を殺そうとしてくる。状況が把握しきれず、シアは戸惑うばかりだ。
「諸悪の根源――、いや、それは言い過ぎですね。しかし王都がこのような状況になっている原因は王女殿下、貴方であることは自分でもわかっているはずです」
「確かにそうなんですけど、だからっていきなり殺そうとするのはあんまりじゃありません!?」
シアが叫ぶと、これにクロアが続いた。
「これはシア姉さんが悪いんじゃないよ!」
「確かに、確かに、王女殿下が悪いわけではないのでしょう。ですが、もはやそのような段階ではないのです」
「ならどういう段階なの! そんないきなり殺そうなんてしないで、まず話してよ! 姉さんを殺さなくてもすむ方法はちゃんとあるはずなんだ! 僕じゃあ無理だろうけど、きっと兄さんが見つけてくれるから!」
「なるほど、君は賢い子ですね。姉が敵わぬと感じ、時間を稼ごうとするとは。そして兄が助けにきてくれると信じている。偉大な兄を盲信する愚かな弟というものはどこにでもいるものなのか……」
クロアが訴えるもガレデアは取り合わない。
これは戦うしかないのか――、とシアは迷う。
戦うにしても、相手は殺そうとしてくるが自分は殺すつもりになれない。不利だ。大した相手でなければ何とかなるかもしれないが、首を狙ってきた一閃は速く、鋭く、クロアが叫んでくれなければどうなっていたかわからない。侮って良い相手でない。
それでも〈喰世〉を、〈世界を喰らうもの〉を使えば退けることはできるのだろうが――。
シアが迷っていた、その時。
声が――。
『待てい』
瞬間、ガレデアが物凄い勢いで飛び退き、剣を構える。
声の主は虚空に浮かぶオークの仮面。
シアとパイシェにしてみれば先ほどぶり、というところであった。
『シアよ、待つのだ。今ここで戦ってしまえば、汝とて無事ではすまぬだろう。ここは我に任せ、あの二人を連れて退くがいい』
「え、いや、そういうわけには……」
『退くのだ』
有無を言わせぬ仮面の言葉。
シアが迷ったものの、碌に戦えないのであれば退くべきと判断する。
すんなり逃げられそうならば尚のことだ。
「で、ではすみませんが、お願いします!」
『なに、問題無い。彼奴は我が恐ろしいようなのでな』
恐れているかどうかは判断がつかないものの、ガレデアが仮面を警戒していることは確かで、剣を向けたまま動こうとしない。
いきなり喋る猪の仮面が出現したら無理もない話なのだが。
『さあ行け!』
「は、はい!」
仮面に促され、シアは見守っていたクロアとパイシェをひょいっと回収すると、一気にその場を脱した。
残された仮面とガレデアはしばし睨み合うことになったが――
「王女殿下は悪運が強いようだ」
ガレデアがため息まじりに告げる。
すると仮面は嘲るように言う。
『シアが話し始める前に首を刎ねることはできたのだろう? 我には汝がクロアが叫ぶのを待って剣を走らせたように見えたが?』
「誤解だな。成長した王女と対面するのは初めてで、つい王妃の面影を重ねて機会を無駄にしてしまったのだ」
『なるほど……、事実であるなら、それは導きなのであろう』
「導き……?」
『まだ引き返すことが出来るのだと。これより先は闇である』
「はっ」
仮面の言葉をガレデアは一笑に付す。
『何を笑う?』
「闇? 闇か。望むところ。取り返しのつかぬ罪を犯した者の末路に相応しい」
『罪を背負い生きていくことはできぬのか? 汝を慕う者がいるだろう。汝はその者に己を裁かせようと言うのか?』
ガレデアが罪を犯せば裁くのは国王――リマルキス。
信頼していた兄がようやく会えた姉を殺害し、その罰を下さねばならないとなればどれほど苦しむことか。
「仮面よ、無駄だ。それこそが私の罪であり、それこそが私の業であるが故に。私は償い、そして死ぬ。そうでなければならない」
ガレデアの覚悟は変わらない、その決意は揺るがない。
『汝はそのためにすべてを捨てるのか?』
「そうだ。すべてを失うくらいなら、私はすべてを捨てる」
このガレデアの返答に――
『愚か者め』
仮面は悪態をつき、そして消えた。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/08/02
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/03/07




